狭間の世界 −ボクの日記−
第十五週「夢幻」
4月16日(月) ハレ
ボクが産み出された理由は今ではよくわかります。
ただ、その使命を果たすには体力が必要です。
身体に力が入らない今ではうまくできるかわかりません。
でも、やらなきゃいけない。アサミさんのためにも。
ボクのためにも。
4月17日(火) クモリ
手を握って拳を作ってみました。大丈夫。手は動く。
問題はあの場所に移動することです。あそこにたどり着かなければ何も始まりません。
お腹の痛みは増すばかり。這うことはできても足に力が入らないから立てない。
少しだけ。たった数歩だけでいいから。
立たせて。
4月18日(水) アメ
アサミさんがボクに託した時間は本当にわずかなものです。
本人に意思に反して戻ろうとする力は大きく、本人にももう押さえきれなくなってきてる。
ボクも徐々に押し出されかけてる。崖っぷちで足の半分は地に着いてないみたい。
何かの勢いがあればすぐにでも落ちてしまう。
早く。早くやらないと。
4月19日(木) クモリ
這って行くことも考えたけど、あれは音が出るから気付かれてしまいます。
チャンスは一回しかありません。一度気付かれたら終わりです。
失敗したらボクは消えてかわいそうなアサミさんが無理矢理表に出される。
それだけは避けなきゃいけない。
失敗は許されない。
4月20日(金) クモリ
身体が軽くなっていきます。スゥっとそのまま気を失ってしまいそうな。
いよいよダメかもしれないと思ったけど、よく考えてみると逆にこれはチャンスかもしれません。
重力を感じなくなってきてる。このままどんどん軽くなっていけば立てそうです。
そうだよ。崖から飛べばいいんだ。飛べば落ちる前に少しだけ浮くことができる。
つま先立ちの状態まであと少し。ギリギリまで待つんだ。
最後の一瞬に全てを賭けるんだ。
4月21日(土) アメ
ラストチャンスを待つ間、アサミさんの声を聞きました。
最初は何のことを言ってるかわからなかったけど、どうもボクを呼んでるようでした。
「ケンジ君。」
それがボクの名前だと気付くのに時間がかかりました。
なんでケンジなんだろう。ボクはタケシ君じゃなかったの?
疑問に思って聞いてみるとちゃんと答えてくれました。
「あの人の名前の読み方って間違えやすいの。子供のころはわざとそっちで呼ぶ人が多かったのよ。」
ふと「健史」という文字が頭に浮かびました。
確かにケンジって読める。タケシってすぐに読める人は少ないかもね。
ボクはタケシ君の昔の姿を想定して作られたんだから、その名前も昔のものなんだ。
作ったアサミさんがそう言うんだからそれが正しいのでしょう。
アサミさんありがとう。ボクに名前をくれて。
ボクの名前はケンジ。
この名を机の裏あたりに刻んで置きたくなりました。でも体力を温存するために断念しました。
使命を果たす時はもう目の前だから。アサミさんの願いを叶えるまであと少し。
アサミさん、もうすぐだよ。
4月22日(日) ハレ
時は来ました。
ボクはありったけの力を足に集中して立ち上がりました。
身体は地面に足が着いてないんじゃないかと思うほど軽かったです。
ただ、この状態はそう長く持たない。隣の部屋に急ぎました。ボクの使命を果たす為に。
おじいさんを殺す。
タケシ君が早いうちから答えを出してくれてたじゃないか。
あの人が居る限りアサミさんは幸せになれない。タケシ君、そうなんでしょ?
ふすまを開けるとおじいさんとおばあさんが寝てました。
時間がないからおばあさんまでは殺せません。
座ろうとすると足の力が抜けて倒れ込んでしまいました。
起こさなかったか心配になったけど、おじいさんは変わらずに寝息を立ててました。
ボクは安心して首に手をかけ、力を入れました。
もう足は動かないけど、手に力を込めることはできました。
全ての神経を親指と人差し指に込めてきつく、きつく締めました。
これで全てが終わる。終わるんだ。
どこからかタケシ君の声が聞こえてきました。
「さあアサミ、目を覚ませ。一緒に行こう。この子と共に。」
ボクは奈落の底に落ちていきました。暗闇の中を果てしなく落ち続ける。
やがて光の筋が見えてきました。うずくまってる女の子がいます。
起きて。もう大丈夫だから。怖いものはボクが消してあげたから。
安心して目を覚ましていいんだよ。そうそう。大きなあくびをしたらほら。目を開けてるんだ。
そう・・・そうやって・・・
目を・・開けて・・・
→最終週「解放」