希望の世界 −続・ワタシの日記−
4月8日(土) ヤミ
私を崩壊に導いたのは、一本の電話でした。
携帯に。何故岩本先生が私の電話番号を知ってるのか一瞬疑問に思いました。
けどそれは考えるまでもないことでした。
私は以前、携帯を早紀ちゃんに貸している。どっかに番号をメモっててもおかしくない。
あるいは早紀ちゃんのメモ帳に私の電話番号があったのかもしれない。
私は岩本先生の声を聞いたとき、驚くほど冷静にそんな分析をしていました。
「よぉ。」と岩本先生。「こんにちわ。」と私。
「もう少ししたらそっちに警察が行く。多少時間はかかるかもしれないが。」
何を言いたいのかわかりました。
そしてこの一言で、私は何を失うのか分かってしまいました。
失うのは、私の未来。
家族は無事だった。そう思うのも束の間でした。
違う。これは私が未来を失うだけじゃない。家族にも。家族にも迷惑が。
岩本先生は私の動揺を察したのでしょうか。沈黙する私を無視して話続けました。
「さんざん遠回りしてきたけどな。やっと引導が渡せるよ。」
私はまだ口を開きませんでした。岩本先生の話は続きます。
「最初はな。遠藤を差し向けてアンタを刺すつもりだったんだ。その為に『sakkyを守る会』なんてのも作った。」
私は何も言いませんでした。
「遠藤を煽るのは簡単だった。そっちもうまいこと煽れたと思ってたよ。」
私はまだ何も言いませんでした。
「要はあの場に来てくれれば良かったんだ。友人の謎の自作自演。その答えを知るために、ってトコかな。」
何も言いませんでした。
「最後の一押しも用意した。しかしお前は、あのメールを読まなかった。」
ああ、あれね。と小さく呟きました。
「それまでに十分煽りは効いてたんだな。そして、お前はあろう事か・・・あのおかげで予定が狂ったんだ。」
私はクスリと笑いました。
「急遽計画を変更だ。遠藤は待機させ、そごうには俺が直接行った。」
私はまた黙り込みました。
「その時はお前をヤルつもりは無かった。あんな事の後だ。様子を見ようと思ってね。」
黙って話を聞いてました。
「お前は、あの場に現れた。だがおかしな行動をとるだけで、何もせずに帰っていった。」
そうね。
「いつの間にやら川口なんて野郎も出てきた。何もかもやり直しだったよ。」
そうね。
「話をややこしくしたのはお前だ。」
そうね。
「何故荒木の家を燃やした?」
アナタ達が煽ったせいよ。
「そうか。俺達が思っていた以上に彼女との傷は深かったんだな。煽りすぎたってワケか。」
川口君はアナタが燃やしたと思ってます。
「お前がそう吹き込んだからだろう?」
彼が勝手に勘違いしてるだけです。
「まぁどっちだっていいさ。思えば一番かわいそうなのは荒木家だな。俺達はターゲットにするつもりなかったのに。」
とばっちり喰らっちゃいましたね。
「そうゆうことだ。けどお前の行動は正解だよ。そのおかげで予定が変更され、お前は死なずに済んだんだ。」
凄い。
「だが、お前のおかしな行動はまだある。」
何でしょう。
「お前がsakkyとなったのは風見の日記を読んだから知ってる。けど何故だ?なんであんな日記を書く?」
どうゆう意味ですか。
「荒木が死んだ後、掲示板でARAを生かし続けたのは健気だったな。けど、川口も一回『ARA』で書き込んだだろ。」
ありましたね。そんな事が。
「その後の事だ。『a』の書き込み。日記まで『a』で埋まってやがる。」
そうでしたね。
「遠藤に『浄化』と称して真似させたけけど・・・日記の『a』はお前しかできないはずだ。」
岩本先生は?
「俺達は『希望の世界』の更新には手をつけていない。」
じゃあ私?
「それしかいないだろ。なんなんだったんだ?アレは。」
あ、今思い出しました。あの時も普通に日記を書こうとしてたんです。
でもダメだったんです。手が勝手に動いちゃうんです。
ほら見て下さい。今でもほらなんかちょっと気を抜くとaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
感情を込めた文章を書こうとすると手が言うことを聞きません。
だからもう私には淡々と物事綴ることしかできない。
「狂ってる。」と岩本先生が言いました。「アナタもですよ。」と私は言いました。
「遠藤の家を燃やしたのはなぜだ?仲間にしたんじゃなかったのか?」
私は仲間にするのは反対だったんです。
「そうか。」と答えると同時にため息が聞こえてきました。
「いずれにせよ、お前はもう終わりだよ。」
警察にタレ込みでもしたんですか。
「まぁそんなトコだ。」
私、もうお終いなんですね。
「放火だ。しばらくは出られないだろう。出てもお前に未来は無いだろうな。家族に別れでも告げておきな。」
家族に迷惑をかけたくありません。
「残念ながら、迷惑だらけだろう。」
嫌
「もう遅い。」
そんな
「それからお前、知ってたか?ホンモノの荒木が家に戻ってたの。」
それはつまり
「そう。お前が燃やしたんだよ。」
岩本先生がケケケと笑いました。私は笑えませんでした。
携帯を片手に引き出しを開けました。荒木さん生存の訂正記事。
私が書いた訂正記事。私の希望。私の願望。
脆くも崩れ去りました。
「どうした?何故黙ってる?」
私の沈黙を楽しんでるような声でした。私はクスンと泣いてました。
「それからいいことを教えてやろう。風見を殺したのは俺だ」
思わず「え?」と聞き返しました。
「俺がヤツをズタズタに切り裂いたんだよ。」
息が止まりそうでした。
「病院の方では何て言ってた?あいつらギリギリまで隠してただろ?」
ボイラー室で燃えてたって。棒読みで言いました。
ケケケと笑い声が聞こえました。
「病院ってのはな。体裁が大事なんだ。特に医者が患者を殺したなんて、口が裂けても言えないんだよ。」
じゃあアレは。私が病院の人達に感じた不愉快感が蘇ってきました。
怒りも込み上げてきました。それは涙となって私の体から出ていきました。
「そうだ。お前あのメールに込められたメッセージに気付いたか?」
メッセージ。
「そう。荒木の名で送った最後のメール。簡単な謎解きだから、サツがくるまでの暇つぶしにでも。」
思い出そうとしましたが、岩本先生が話を続けたので断念しました。
「お前達は『希望の世界』の駒に過ぎない。醜く踊って動き回る。」
駒?
「俺達は目障りな駒を排除して、綺麗な姿に戻したいだけなんだ。」
自分勝手な人。これが正直に出た私の感想でした。
「俺達はもう家には戻れない。それこそこっちが捕まっちまう。」
だから行くんですね。
「そうだ。もう二度と会わないだろう。」
奇妙な寂しさが込み上げてきました。岩本先生に会えなくなるからじゃない。
私はこれで終わるのだと、感じたから。
「最後に何か聞きたいことはあるか?」
たくさんあった気がしたけど、もうどうでもいいことばかりでした。
それでも最後に、一つだけ。気になることがありました。
「虫は、亮平君はそこに居ますか?」
「いるよ。」と答えた後、しばらく声が遠のきました。
そして、彼が受話器を取りました。
「もしもし。」と虫が。私も「もしもし。」と言いました。
私はたくさんの語らなければならないことを無視し、たった一つだけ質問をしました。
「アナタの傷は、どうしてできたの?」
不思議な間がありました。永遠に続くかと思われた沈黙。
答えが返ってきました。
「君には関係ないよ。」
電話が切られました。
ツーツーと鳴る携帯電話を、電源を切ることなくしばらくそのまま持っていました。
無性に笑いが込み上げてきました。声を上げて軽く笑いました。
可笑しかった。気分良く笑いました。
関係ないよ、だって。虫らしい!
心ゆくまで笑ってました。
それから警察が来るまでの間、本当に色々なことを考えてました。
結局家族は消されなかった。みんなに心の傷は残るでしょう。その意味じゃ、守りきれなかった。
放火犯の娘。家族に刻まれるレッテルを考えると気が重くなります。
でも全て私の罪。受け入れなければならないのでしょう。
不思議なほど覚悟が決まってました。
昨日川口君と結ばれた事で、吹っ切れたのかな?
岩本先生に言われたメールのことを思い出しました。
「荒木さん」から受け取った最後のメール。
謎解き?これに何か。
それはメッセージを開く前にあっけなく気づいてしまいました。
クスっと少し笑ってしまいました。芸が細かいわね。タイミングを狙う練習でもしたのかも。
着信時間。16:27。4時27分。
シ ニ ナ
警察のことを考えてみました。なんで私を捕まえる事ができなかったんだろう。
あの時着ていた黒い衣装。それが功を奏したのか。闇の溶け込んでいたのかも。
遠藤の家は?あれはわからなくて当然かもね。遠藤と私の接点はネットだけ。そのパソコンも燃えてしまった。
それにしても私は。
いつからこんなにおかしくなってしまったのでしょうか。
気に入らない人を燃やす。その事に何の躊躇もなかった。
虫達に踊らされる中、私は一人自分のステップで踊っていた。
いつから、おかしくなったんだろう。
あの時?早紀ちゃんが死んだあの時から?
早紀ちゃんの悲惨な姿を見た。
風見君は叫び声を上げて激しい狂気に走った。
私は涙を流し、静かな狂気に蝕まれていった。
その時から正気の私は消えてしまったのかもしれません。
家の前に車が止まりました。窓から何気なく眺めてました。
パトカーじゃないのね。気を使ってくれちゃって。
出てきた人は、明らかに「私服警官」でした。ドラマでも見てる気がしました。
ピンポーン。家中に乾いた音が響き渡りました。私の頭の中にまで響いてきました。
車にはまだ人は残ってます。警察じゃ無い可能性を考えてみました。
それも下から聞こえてるお母さんの叫び声でかき消されました。
「警察!?ウチの子が何か!?」と甲高い声が聞こえてきます。
お母さん。反応が分かり易すぎだよ。
ドタドタと階段を上がってくる音が聞こえます。
ふと妙な既視感を感じました。
これは?ああそうだ。
「僕の日記」でもこんなシーンがあったわね。
確かそれも、私を地獄に突き落とすきっかけとなっていた。
皮肉なものね。
そう言えば虫の家って私の家と構造が似てたわね。
感心してると、お母さんが鍵の掛かったドアをドンドンと叩いてきました。
「美希!開けなさい!」と悲鳴にも似た声です。
ちょっと待ってて。日記を書き終えてしまうから。
最後にもう一度窓の外を眺めてみました。
この景色を再び見れるのはいつになるんだろう。
慣れ親しんだ光景も、今では遠く感じます。
ふと警察の車の向こうに誰かいるのに気付きました。
・・・川口君でした。ボロボロの原チャにまたがって、私の部屋を見つめてます。目が、合いました。
昨日私は川口君の腕の中で、全ての罪を打ち明けました。
彼は何も言わずに私を受け止めてくれました。
黙って、そして暖かく、包み込んであげました。
私も彼を抱きしめてあげました。
私達は、お互いの傷を舐め合っていました。
川口君はこうなることは察していたのでしょうか。
見送りに来てくれたの?
窓越しに彼に向かって手を振りました。
川口君は首を横に振りました。
思わず笑ってしまいました。
もう、なにもかも遅いのよ。
ほら。お母さんの声も大きくなってきてる。いつの間にか弟とお兄ちゃんまで。
直にドアは開けられるでしょう。
最後に窓の向こうの川口君に向かって言いました。
ありがとう
涙が溢れてきました。
川口君。また首を横に振っている。
無駄よ。もう、何をやっても。
私はこれで終わりなんだから。
素敵な未来はないでしょう。
地獄へ堕ちて参ります。
日記もこれで終わりです。
4月9日(日) オワラナイ
まさか最後にもう一回だけ書くことになるとはね。
それに、自分の部屋に忍び込んでいるのは不思議な気分です。
ありったけのお金と、服とか当面必要なモノを鞄に詰め込み終えました。
すぐにでも行くべきなんだけど、ちょっとイタズラ心が芽生えてしまいました。
家族に見つからないよう、ひっそりとキーボードを叩いてます。
どうしても、昨日のことを書きたかったから。
川口君。彼はやっぱり破壊神でした。
彼は私が捕まる時、首を横に振っていました。
その意味はすぐに分かりました。
私が車に乗る直前、彼は警察を襲いました。
車に火炎瓶を投げ込みバットで警官を殴り倒していった。
不意を突かれた警官達に一瞬の隙が生まれました。
そこで私は、逃げました。
川口君は原チャで私を連れ去りました。
先に車を潰しておいたのは大正解。さすがに人の足よりも原チャの方が早かった。
背後の叫び声はすぐに聞こえなくなりました。
お母さんの声も、警察官のヒトタチの声も、聞こえなくなった。
私は既に罪人です。
川口君も戻ることのできない罪を犯した。
その二人が一緒に逃げる。
私達、これで立派な逃亡者。
川口君曰く「秘密の場所」で(と言っても単なるあやしいビルの中)で一夜明かしました。
「ウチは今、酷いことになってるだろうな。」と川口君が漏らしていました。
当然よ。警察官を殴り倒したんだから。
「俺達もう、戻れない。」
戻るつもりもないんでしょう。
それでも最後にちょっとだけ頼みました。何も持たないででてきたから、色々取り戻りたい。
川口君は「旅行じゃないんだぞ。」と呆れてましたが、なんとか承諾してくれました。
家族もまさか、私が戻るなんて夢にも思ってないでしょう。
灯台下暗しという諺がなぜ存在するのか、今日は実に良く体感できました。
家の周りに警官はいない。家族も寝静まっている。
窓のカギは開けっ放しにしてきたから入るのは簡単でした。(外から二階にあがるのは少し辛かったけど)
こんな夜中にこっそり帰宅。スパイみたいでドキドキしました。
そして静かに日記の更新。
私は荒木さん一家を殺しました。自分の家族も裏切りました。
これからも罪を重ね続けるでしょう。
映画の悪役の様で、私は少しワクワクしています。
こんな気分になる事自体おかしいのかな?
それでも構わない。
正気など、もう無いのだから。
外には片目の川口君とボロボロの原チャが待っています。
片目で運転なんて危険。それに原チャも壊れ気味。
けどこれこそ、私を迎えてくれるのに相応しい。
今の私に普通のモノなど似合わない。
川口君。壊れモノ同士仲良くやりましょうね。
私達には、やらなきゃいけないことだあるんだから。
虫は逃げた。
私達から全てを奪い、闇の中に消えていった。
しかし私は生きている。川口君も生きている。
多くのモノを失った私達。
やるべきことはただ一つ。
虫を追う。
今は影で笑うがいいわ
闇に醜く這う姿
いずれ引きずり出しましょう
そして出てきたその時に
私が潰して差し上げます。
→プロローグ
第0週「覚醒」