絶望世界 僕の日記

第32週「昇天」


6月14日(月) 曇り


6月15日(火) 晴れ
昨日は一日中眠っていたらしいです。日記を書いた夢を見たような気がしました。
夢心地のままでしたが、かろうじて日付と天気だけは書いていたようです。夢。これが夢ならどんなに楽か。
怖い。僕の体は早紀。いや、早紀の体に「僕」が発生した、と言うべきかな。
早紀の心が、無い。体は早紀のものだと気付いたのに、心の中をいくら探っても「早紀」が居ないんだ。
いつだったか、早紀の声を聞いたような気がした。あれは、「殺人依頼掲示板」を作った時だったかな?
ベットの中、布団にくるまって目をつぶってると、あの時の記憶が蘇ってきます。
病院から帰ってきて、まだ意識がはっきりしてなくて、親と警察の人が岩本亮平の自殺について何か話してて、
何て事無く聞いてた。そうしたら母さんが「早紀ちゃんは部屋でおとなしくしててね。」と優しく言ってくれたんだ。
フラフラと部屋に戻った。その時はショック状態から抜けきって無くて、自分の部屋が何処だか分からなかった。
二階にあった事は覚えてた。階段を上がって目の前にドアが有ったので入った。パソコンがあった。
何もする事がないのでパソコンの電源を入れた。パソコンの操作は体が覚えてたらしい。
インターネットに繋いでみた。ブラウザを開き、ホームのページが表示された。「僕の日記」があった。
そこが早紀の部屋ではない事に気がつく余裕は無かった。「僕の日記」に夢中になっていた。
読み終わった時、兄が早紀を殺そうとするまでに至った経緯の全てを知った時、再び壊れた。
ただでさえ自分が誰なのか分かってない状態だったのに、さらに地獄にたたき落とされた様なショックがあった。
世界が崩れ、周りが歪み、自分自身もその崩壊の中に飲み込まれていく気がした。そこで意識を失ったんだ。
そして、「僕」は目を覚ました。その日から、毎晩寝る前に「僕」の部屋に「僕の日記」を書きに行った。
ラックにパスワードのメモが貼ってあった。このおかげで「僕の日記」は更新を続けることになった。
「僕」は、虫だ。「僕の日記」は虫の物語。「僕」はその部分だけを受け継ぎ、存在してる。そうさ。
僕は、早紀ですらないんだ。


6月16日(水) 曇り
日記を書くのに使ってるこのパソコン。岩本亮平のモノだ。この部屋の主は岩本亮平。「僕」じゃない。
普段「僕」が居る隣の部屋。早紀の部屋。「希望の世界」に繋ぐあのパソコン。早紀のモノだ。「僕」のじゃない。
「僕」のは?「僕」は何処に居ればいいんだ?ここは岩本家。虫が存在していい所じゃない!
昼間の何も無い時、早紀は部屋に閉じこもっていた。兄に犯されて以来の心神喪失状態は変わらなかった。
唯一違うのが、「僕」が早紀の身体を動かせた事。早紀の心は深く閉ざしたまま消えていった。空っぽになった。
早紀が早紀でなくなる時、すなわちネットに繋ぎsakkyとなる時が、「僕」の出番だった。
今だからこそ、そんな生活を送っていた事が認識できてる。それまで「僕」の生活は「僕」が全てだと思ってた。
「僕」は自分を岩本亮平だと思っていた。早紀は死んだと思っていた。でも違った。「僕」は虫だった。
真実を知った「僕」は今、恐怖に怯えています。だって、だって、「僕」の居場所が無いんだ。
現実で、現実の中で「僕」が存在出来る場所は?無い。無い無い無い無い無い無い無い無い!!!
「僕」はここにいるよ。早紀の居場所は有る。でも「僕」は早紀じゃない。「僕」は「僕」自身の居場所が欲しい。
誰か「僕」を認めてよ。これは哲学的な話とかそんなんじゃない。たた純粋に、「僕」を知って欲しいだけなんだ。
「僕」の存在を認識して欲しい。自分だけが「僕」の存在を主張してるなんて、そんなの存在とは言わない。
誰か聞いてよ。「僕」の声を。ほらこの声。ああああああああああああああああ。畜生!この声は早紀のモノだ!
それだけじゃない。目の前にある世界、早紀の目を通して見たモノ。「僕」の、「僕」の世界は何処だ?
腕を噛む。この痛みは早紀のモノ。画面に触る。この冷たい感触は早紀のモノ。見えない。「僕」が見えない。
外の闇も、部屋の光も、「僕」を苦しめる。現実の中に「僕」を肯定してくれるモノは、無い。「僕」は。
「ねぇ」何も見えない闇に向かって、かつて叫んだ言葉を今一度叫びました。「僕は、生きてて大丈夫?」

闇の中に虚しく響き渡りました。


6月17日(木) 大雨
今日もまた、「僕」の存在を否定された世界で目が覚めた。誰も助けてくれない。
何もしないで過ごした一日。いつもと同じなのに、「僕」が早紀の中に居るのに気付いた日から何かが変わった。
空白の時間が、辛い。いっその事「僕」と早紀が一緒になればこんな思いをしない済むのに。出来ない。
一度違いを認識してしまうと、もう一緒のままではいられない。気付かなきゃ良かった。現実を見なきゃ良かった。
居場所の無い「僕」はその事を認識する度に震えてる。狂ってる。「僕」は狂ってる。自分が怖い。恐ろしい。
「僕」の世界は何処だ。「僕」の世界は何処だ。そう呟いた何回目かに、思い出しました。「僕」の世界を。
「僕」の居場所、有ったじゃないか。あそこに居るとき「僕」は、「僕」で居られた。・・・・・・・・「希望の世界」だ!
sakkyは「僕」。sakkyの言葉は「僕」の言葉。杉崎先生も、カイザー・ソゼも、間違いなく「僕」が会った。
ネットに繋ぐ。気持ちが高ぶる。「希望の世界」に居るとき「僕」は現実を見なくていい。「僕」の世界だ。
現実なんて見るもんか。「僕」には「希望の世界」があれば十分だ。現実なんて、もういらない!!
「三木」君からメッセージが来てる。開く気にならない。「三木」君は渡部さん。現実と繋がってて不愉快だ。
「消えな」とメッセージを送っておく。これで「希望の世界」には来なくなるだろう。邪魔者は居なくなる。
「渚」さんが繋いでる。ああ、会いたかったよ「渚」さん。「渚」さんだけが「僕」の味方。「僕」の唯一の理解者。
「ずっと一緒に居ようね。」って言ってくれた。「悩みがあるなら相談に乗るよ」って言ってくれた。
助けて、渚さん。「僕」は今現実に居場所が無くて悩んでるんだ。ネットでは「僕」の存在が許されてる。
「僕」の相手になって。助けてよ。「僕」の相談に乗って。答えはいらない。相談に乗ってくれるだけでいいんだ。
そうやって話をすることで「僕」は自分の存在を確認できる。だから、手伝って。助けて。「僕」を認めて。
メッセージを送れば返事が返ってくる。会話できる。渚さん。渚さん。渚さん!「僕」のメッセージを受け取って!
「助けて!渚さん!」

誰かが階段を上ってくる音が聞こえる。ギシギシと一歩ずつ踏みしめる音が夜の家に響いてました。
その音は次第に近づいてきて、部屋の前で止まりました。代わりにトントン、と乾いたノックの音が聞こえます。
僕はゆっくりと振り返り、「どうぞ。」と早紀の声で言いました。ゆっくりとノブが回り、ドアが開きました。
「早紀ちゃん、大丈夫?何か助けて欲しい事ある?」
僕は早紀の顔を静かに微笑ませ、抑揚のない声で答えました。
「大丈夫。もう平気だよ、渚さん。」
その言葉は自然に出てきました。階段の音を聞いた瞬間から、僕は全てが分かった様な気がしました。
「そう、ならいいわ。悩み事があったらいつでも言ってね。」
うん、と言葉に出さずに頷きました。その時の早紀はとても優しい笑顔をしていたと思います。
「もう平気だから・・・・。」と渚さんにも聞こえないくらい小さな声でもう一度呟きました。
早紀の笑顔に満足した渚さんは「じゃあね、おやすみ。」と言って部屋を出ようとしました。
ドアを完全に締め切る直前、ちょっとだけドアを戻して僕の方を見ました。いつもと変わらない哀しげな目をしてます。
「早紀ちゃん、お母さんが居ないと何もできないから。」
そう言い残し、ドアを締めて母さんは階段を下りていきました。

階段の音が聞こえなくなった途端、涙が溢れてきました。僕は立ち上がり、壁に頭を打ち付けました。
手で壁を叩く。何度も、何度も。激しい嗚咽が漏れてきます。涙は止めどなく流れます。
悲しみが「僕」を支配しました。何故こんなに悲しいのか分からない。問答無用にに悲しみが襲ってくるんだ。
「僕は!」と叫ぶ。泣きながら叫ぶ。大声は出ない。かすれた声で叫びました。「僕は!」。涙は止まらない。
歯を食いしばり、頭を抱えてうずくまりました。「僕は!」ともう一度叫ぶ。この続きが、出てこない。
みっともないほど呻き、滝の様に流れる涙を抑える事のできないまま、僕はうずくまる事しかできなかった。
この涙は今も尚流れ続けています。このまま僕は一生分泣きつくしてしまうんじゃないかと思いました。
他に何も考えることが出来なかった。逃げられない。「僕」は一生この悲しみの感情から逃げられない。
受け入れる事も出来ない。「僕は!」とまたかすれた声で叫び、これ以上ないくらいの絶望感を感じました。
誰も、助けてくれない。


6月18日(金) 雨
いつもなら部屋で閉じこもってるのに、今日は一階に降りていきました。渚さんと話がしたかったんだと思います。
リビングルームに渚さんが居ました。僕が渚さんの横に座ると、渚さんは笑顔で僕の方を見ました。
「どうしたの?早紀ちゃん。」
母さんに聞きたいことが有るんだ。そう言いたかったけどそうしても「母さん」とは言えませんでした。
「何時から見てたの?」と聞いてきました。
母さんは少しびっくりしたような顔をしましたが、すぐにいつもの悲しげな目と寂しそうな笑顔に戻りました。
「早紀ちゃんと一緒にホームペ−ジを作った時からよ。」
当時中三の少女が難なくHPを作れた理由が今、分かりました。早紀、母さんに相談してたんだね。
渚さんの「悩みがあるなら相談に乗るよ。」が胸に響きます。生まれたときからずっと相談に乗ってくれてたんだ。
そう考えると胸が苦しくなってきました。親なんだから。親に相談するのは当たり前だよ・・・・・・・・・。でも、
早紀は知らなかっただろうな。渚さんが母さんだったなんて。知ってたら恋人との情事を日記に書いたりしない。
早紀も、「僕」も、子に対する親の優しさには気付かなかった。母さんはさらに話を続けます。
「恋人役も付けてあげたけど、早紀ちゃんには無用だったみたいね。タケシ君、無駄になっちゃった。」
ああ、やっぱり母さんだったんだ。でもトオルのおかげで無駄になっちゃんたんだね。
結局タケシとは別れる事になったけど、その真相は知らないだろうな。母さんに言う必要もない。
「杉崎先生、知ってるでしょ?良平の学校の先生。後であの人がタケシさんに・・・これはもう知ってるわよね?」
こくん、と頷いて見せたものの、代わりに疑問が沸いてきました。
「なんで、杉崎先生なの?譲らないでそのままとか他の誰かとか・・・。」
そこまで言うと母さんはクスクスと笑い出しました。「だって」と言った後一息ついてから続きを話してくれました。
「だってね、あの人名前がタケシだったのよ。何か運命感じちゃって。」
でも、それでも疑問は残ります。「ICQで知り合ったんじなかったの?」
「それは知り合った後の話よ。亮平の事で相談にのって貰ってて。最初はメールだったんだけどね。」
ICQの方が便利だもんね。それはもう言わなくても分かるよ。
「それで段々と・・・・・・。」と言いかけた母さんを、「僕」は早紀の口に人差し指を当てて制しました。
親の浮気話を聞く気にはなれません。その思い出は母さんの中にしまっておいて。「僕」には必要ないから。
横に座ってた渚さんがゆっくりと立ち上がり「僕」の背後に回りました。両腕で「僕」を包み込んでくれました。
「亮平も、杉崎先生も、私を裏切ったの。」
母の温もりを感じながら、「僕」は何も言えませんでした。後ろから抱きしめる母さんの腕に少し力が入りました。
「早紀ちゃんは、裏切らないよね?ずっと一緒でいようね?離れないでいようね?」
涙声になってるのが分かります。肩に涙が落ちてたのを感じました。この人にはもう早紀しか残されてないんだ。
ほとんど家にいない父さんは、この人にとって最早「大事な人」ではなくなってた。それは前からわかってた。
今はもう、早紀だけが。早紀だけがこの人の生き甲斐なってるんだ・・・・・・・・・。
そこまで分かっていながらも、「僕」は首を横に振ってました。
「早紀ちゃん?何故?頷いて。頷いてよ・・・・。」
なおも首を横に振り続けました。違うんだ。違うんだよ渚さん。「僕」は、「僕」は早紀じゃないんだ。虫なんだ。
貴方の期待に応えられる早紀はこの身体にはもう居ません。「僕」は早紀じゃないんです。早紀じゃない・・・。
「お願いだから頷いて。」と既に悲鳴に近くなってる声で言われても、「僕」は頷けませんでした。
「僕」は母さんの腕をほどき、二階へ向かいました。
振り返ってみると母さんが「どうして・・・どうして・・・。」とエプロンの端で顔を覆って泣いてます。
床に一滴の滴が落ちました。昨日あれだけ泣いたのに、まだ涙は出るんだな・・・・・。

早紀の部屋に着くと、すぐにパソコンの電源を入れました。
そして、全てのデータを消しました。ハードディスクごとフォーマットしました。
これで「希望の世界」は終わった。「僕」には、早紀と渚さんの作った「希望の世界」を扱う資格は、無い。
「僕」は虫らしく日記だけをつけれてばいいんだ。虫らしく、日記だけを。
さようなら。「希望の世界」


6月19日(土) 止むことのない黒い雨
虫・・・・・・虫・・・・・・虫・・・・・・・・。「僕」は虫だ。生まれてこなければ本当は良かったのに。
全てを失い、残されたのは「僕」の人格だけ。早紀が現実を拒否するために立てられた代理が、「僕」。
その「僕」だけが残るなんて・・・・・・。ふふふふふふふ。もう笑うしかないな。あは。あははははははははは。
うふふふふふはははははは「僕」はふふふふふふ何なんだあはははひひひひひひひくくくくくくくくくくくく
そうさ、「僕」は虫だよ。くくくくくく。畜生。へへへへへへへへへへへ。「僕」の居場所は何処だよ。
「希望の世界」じゃない。現実に。「僕」の居場所が。欲しい。無い。なら。
ツクレバイイジャナイカ
ゼンブケシチャエ
ゲンジツガボクヲウケイレテクレナイノナラ
ボクイガイノスベテヲケセバ
ボクハソンザイデキル
ボクノソンザイヲキョヒスルモノガイナケレバ
ボクハソンザイデキル
ボクダケノセカイニスレバ
ボクハ

その為にはどうすればいい?決まってるさ。「僕」の目の前にあるゲンジツを破壊する。
渚さん。まずは目の前に居る渚さんを消せ。そうすれば道は開ける。ふふふふふ。虫らしいやり方だ。
ナイフを取り出し、「僕」はその刃の冷たさを肌で感じました。
親を殺す・・・・か。けけけけけけ。「僕」は狂ってる。虫は狂ってる。
カイザー・ソゼよりも、遠藤智久よりも、今まで見てきた人達の中で一番狂ってるのは、「僕」。
「僕」は狂ってるぞ。聞け!「僕」の狂った叫びを!!ボクハクルッテルゾォォォォォォォォォォォォォォ!!!

ふと気がつく。今書いてる「僕の日記」、ネットにアップしてるものの何処にもリンクを張ってない。
孤独なページだ。ふふ。虫らしくていいじゃないか。それでもページにタイトルが無いのは寂しいな。
何かいいのを考えてやろう。タイトルまで「僕の日記」じゃつまんないな。かといって・・・・・・・・・・
「希望の世界」が思い浮かんでしまった。ははははは。全然違うよ。希望なんて、無かったじゃないか。
あったのは・・・・・・・そうだ。これがいい。このタイトル、虫にぴったりだ!!
「僕」はタイトルを付け、ネット上にアップしました。赤と白の題字が画面にぼんやりと光ってます。
「絶望の世界」


6月20日(日) 白く輝く空
「僕」は「僕」自身の居場所を確保するため、ナイフを振るいました。
渚さんは・・・・母さんは、突然のことに目を丸くしてました。ナイフは母さんの頬をかすり、浅い傷を刻みました。
母さんが早紀の名を叫んでます。「僕」はその言葉を聞く度に「違う!」と心の中で叫びました。
腰を抜かし頬から少し血を垂らす母さんを横目に押入を開けると、ノートパソコンが有りました。
これか。これが渚さん。これと、母さんとが一緒になると渚さんになるんだ。こんなの!消えてしまえ!
ノートパソコンを持ち上げ、母さんに向かって投げつけました。いや、投げつけようとしました。
「僕」の手は「僕」の意志とは裏腹に、ゆっくりとパソコンを押入の中に置きました。何故だ。
この手は早紀のモノだからか?この身体に尚も生き続ける早紀。意志はなくとも、その存在は伝わってくる。
「僕」は首を振り、母さんに向かってナイフを構え直しました。消してやる。消してやるんだ。消して・・・・・・
どうしても、「殺してやる。」という言葉を出すことが出来なかった。目をつぶり、今一度決意を固めました。
さあ覚悟してくれ渚さん。頬を抑えて震える母さんを消すべくナイフを振りかぶる。手に力がこもります。
さよなら渚さん!ナイフを振り下ろす。しかしそれは母さんに達する直前に止まってしまいました。
その時の母さんの姿は忘れることが出来ません。震えながらも、祈るように手を組み、首を差し出す母さん。
床に母さんの涙が落ちていく。それでも姿勢を崩さず、自分を何故殺そうとしてるのか聞く事もなくただ黙って、
母さんは、「僕」に首を差し出しました。「僕」はそれ以上ナイフを下ろすことができませんでした。
これも早紀のせいなのか?早紀がまた「僕」の腕を勝手に止めてしまったのか?・・・・違う。これは「僕」の意志。
それが分かった時、目から涙が溢れてきました。頬を伝わり、音を立てて床に落ちていきます。
「僕」は居場所が欲しい。でも・・・でも・・・・・殺したくない。母さんを殺したくない。誰も・・・誰も殺したくない!
狂ってしまえば何をやっても許されると思った。狂っていればどんな罪でも背負っていけると思った。
だけど本当は・・・・・狂うことも嫌だったんだ。狂いたくなかった。正常なままで居たかった・・・・・・・・・。
叫んだ。どうしようもない悲しみが襲ってきて、ナイフ握りしめたまま大声を上げて、泣いた。
その声は悲鳴にも聞こえ、歌のようにも聞こえました。切なさが音を立てて吹き出てるのだと思いました。
空を仰ぎまた大声を上げる。涙は止めどなく流れ落ち、「僕」は生まれたての赤ん坊のように泣きました。
涙が一滴、足の上に落ちました。はっと気がつく。「僕」の居場所。
実に簡単じゃないか。「僕」の居場所を作る方法。早紀には居場所がある。・・・早紀と一緒になればいいんだ!
以前のように中途半端な共存じゃない。もっと根本的に。そう、融合するんだ。その方法は簡単だ。
この身体には早紀の意志はもう無いけど早紀の核とも言える部分はまだ残ってる。純粋な「早紀」が。
「僕」もそうなればいい。一度全てを白紙に戻し、それでも尚残る早紀と「僕」。それが一緒になれば・・・
「僕」達は一つになれる!
一度白紙に戻せ。そこから道は開かれる。
「僕」はナイフを自分の腹に突き刺しました。ズズ、と肉をかき分ける音を立ててナイフが沈んでいきます。
母さんが悲鳴を上げると同時に、腹部に強烈な痛みを感じました。これでいい。
この痛みが虫の記憶を消してくれる。お腹の傷から余計な記憶が流れ出ていくのが見えた気がしました。
消えてしまえ。消すべきなのは現実じゃない。「僕」の方だ。虫の存在は最初から許されていなかったんだ。
母さんが今まで見たこともないほど泣きじゃくり、「僕」に寄ってきましたが、「僕」はその腕を払いのけました。
もう少しだけ、待ってて下さい。貴方の早紀は必ずお返しします。だから、待っていて下さい。
「僕」は二階へ上がっていきました。

部屋にカギを掛け、パソコンの電源を入れる。「僕」の最期を記録に残しておかねば。
今もナイフはお腹に刺さったままです。不思議と痛みは感じません。神経が麻痺してしまったらしいです。
母さんがドアを叩き「開けて!」と叫んでる。ドアの一つくらいすぐに破られるだろう。
遠くから救急車のサイレンが鳴ってます。母さんが呼んだんだね。日記を書くのに結構時間がかかったんだな。
人間がどの程度の傷を負えば死んでしまうのかは分からない。この傷が致命傷となり得るだろうか。
ならない気がする。この身体はたぶん生き長らえるだろう。何故かそんな気がします。
段々と意識が薄らいでいきます。この次目が覚める時、「僕」の人格は消えてるだろう。
「僕」と早紀とが混ざった新しい僕。それがこの身体の次の主となる。
周りが白くなっていく。まるで、光に包まれてるみたいだ。光はますます広がっていきます。
キーボードを叩く指にも力が感じられなくなってきた。そろそろ終わりか。光が強まる。
さあ行こう。早紀と一緒になるために、光の中を進んでいこう。
この光は「僕」にとって希望の光だ。新しく生まれ変わるための、希望。
光の向こう側に行けば生まれ変われる。旅立て。希望の光のその先へ。
光の果てに見える世界。そこが、

そこが僕の、新しい世界だ。




「絶望の世界」
−完−


「光と影の世界」
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