絶望の世界A −もうひとつの僕日記−
第1部<内界編>
第5章
第17週
3月12日(月) 雨
ご飯くらいは食べなきゃいけない。
食料の買い出しに行った。外を歩くのが無性に怖くて大急ぎで戻ってきた。
美希ちゃんの分も買って帰ったけど彼女は何も口にしなかった。
僕もお腹が減ってたわけじゃないけど無理矢理パンを詰め込んだ。全然味を感じない。
彼女との会話も無い。このまま喋れなくなってしまうんじゃないかと思うほど二人とも黙り込んだままだった。
顔を上げるとパソコンが見える。ああ。処刑人なんてものに凝ってた時期があったな。
下らない。思えば奴に関わったせいでこんなことに・・
思考回路がうまく動いてないせいでその先を考えることは無かった。
寝転がってテレビを見てる。内容は頭に入ってこない。
画面の中で動く人を目で追うだけ。疲れたら寝る。
無駄な一日だった。
3月13日(火) 晴れ
彼女の携帯電話が鳴った。
ソバ屋の親父さんから奥田の葬式の知らせだった。
部屋では他に物音など無かったから隣にいる僕にもところどころ会話は聞こえた。
親御さんが出てきて仕切ってる。
あのアパートはすぐにでも引き払う。
葬式は実家で行う。(そう言えば僕は奥田の実家が何処なのか知らない。これでも親友と言えたのか。)
彼女はずっとはい、はい、と頷いてるだけだったけど
最後に「渡部さんはどうする?」と聞かれた時、一言だけ答えた。
「親御さんに合わせる顔がありません・・・。」
彼女の頬にスウっと涙が伝った。
まだ涙は枯れきっていないようだ。
3月14日(水) 晴れ
携帯が鳴るのを待ってる彼女がいた。しきりにピッピッと鳴らしてはため息をつく。
「店の親父さんからの連絡でも待ってるの?」
美希ちゃんはこくんと頷いた。
「あの人ね。杉崎さんって言うんだけど、私に色々気遣ってくれるの。
この人がいなかったらきっとうまくいかなかったわ。」
「とてもいい人なんだね。」
「うん。」
久々に会話らしき会話をした。
杉崎さんからの連絡は来なかったけど、来たところでどうすることもできない。
本来なら僕も奥田の友人として親御さんに顔を合わせるべきなんだろう。
もちろんそんな真似はできない。どのツラ下げて会いに行けばいいと言うんだ。
万が一の時のため、自分の中で幾つもの言い訳を用意してた。
今のところどれも使わずに済んでる。できればこれからも使わないままでいたい。
今日は彼女もパンを食べた。
良いことだ。
3月15日(木) 晴れ
ポツリポツリと会話をするようになった。
いい加減目を背けてきた現実を受け止めなければいけない。
「ねぇ。警察に行った方がいいかな。」掃除機をかけてる最中にふと彼女が口にした。
僕はテレビから目を離して美希ちゃんの方に向いた。
彼女は下を向いたままで目を合わすことはできなかった。
「必要ないよ。呼ばれてないし。」言ってみたものの僕も少し不思議に思った。
警察なら自殺の原因を調べるだろう。人が一人死んだんだから。
捜査をすれば僕らの存在に突き当たるはず。なのにドアがノックされる気配は無い。
このことに関しては彼女が答えを知っていた。
「ねぇ。この前かかってきた杉崎さんからの電話。話は聞こえてた?」
「ところどころはね。全部は知らない。」
「杉崎さんね。気を使ってくれて警察には私たちのこと何も話さなかったんだって。」
「なるほど。だから僕らの存在は知られてないってわけか。」
「このままじゃいけないかな。ちゃんと本当のこと言った方がいいかな。」
「それが正しいのかもしれない。でも今の状態で言って僕らは何かを話せる?
まさかあいつは僕らのせいで自殺しましたとは言えないよ。このまま甘えさせてもらった方が懸命だ。」
「そうかな。」
「そうだよ。」
最後は励ますつもりで言ったけど、本当は自分で納得するための言葉だった。
警察沙汰にならないで済むならその方がいいじゃないか。
当然の選択だ。
3月16日(金) 晴れ
今日は一緒に買い出しに出た。
彼女も自分の荷物を持ってきたとは言え食料ばかりは常に買い続けなければならない。
レジで財布を開けた時に思い出した。そろそろお金を補充しなきゃ二人とも飢え死にする。
貯金は幾らあっただろう。確かめずともロクに残ってないのだけはわかってる。
僕一人なら金無し生活でも我慢できるけど、何しろ今は美希ちゃんがいる。
彼女は杉崎さんの店でのバイト復帰はもう無理だろう。やっぱり僕が働かなきゃダメだ。
無断欠勤も今日で何日目かな。店長は僕はもう辞めたつもりでいると思ってるだろうか。
まだ働きたいと言ったても認めてくれるかが心配だ。
僕の心配とは別に、彼女は昨日の心配事を引っ張ってた。
「私たち、もし警察に全てを知られたら捕まるのかな。」
「それは無いよ。僕らは犯罪を犯したわけじゃないんだ。」
「捕まらないとしても、やっぱり誰かに自殺の原因は話すべきなのかな。杉崎さんだって知ってるのは別れたことだけ。
お店を辞めてまでヨリを戻そうとしたのに、それが叶わなかったから自殺したと思ってる。私と亮平君の仲までは知らないはずよ。」
「美希ちゃん。仮に言うとしても、もっと落ち着いてからの方がいい。今はとにかく大人しくしてよう。
家に閉じこもるのだって必要な時もあるんだよ。気持ちの整理ってのは一日や二日でできるもんじゃない。
たっぷり時間をかけなきゃいけないんだ。」
彼女は下を向いたまま「そうかもしれない・・。」と呟いた。
顔はやつれたままでこのままじゃいずれひからびて消えてしまうんじゃないかと思った。
思い詰めるのは良くない。
3月17日(土) 曇り
鏡を覗き込むと僕もやつれてることに気がついた。
彼女を気遣うのは大事だけど、自分の心配もしなくちゃいけない。
二人そろってひからびてしまったら生きていけないじゃないか。
いっそこのまま飢え死にするのも一つの選択かもしれない。
けど僕は死にたくない。彼女も死にたくはないはず。
死ぬと言えば今日彼女がこんなことを言っていた。
「せめて親御さんには謝った方がいいかな。このままじゃ罪悪感で押しつぶされて死んでしまいそうよ。」
押しつぶされるというよりは生気を吸い取られてるといった感じだ。
「それこそ自殺だよ。罪悪感が軽くなるどころか一瞬のうちに圧殺される。」
「でもやっぱり・・・。」
「謝りに行くことは無い。罪悪感ならもう十分に感じてるじゃないか。
こうして顔がやつれるまで苦しんでる。無理に自分を追い詰めたって何も解決しない。」
彼女は首をうなだれて僕の話に聞き入ってた。
今なら僕の言うこと全てを受け入れてくれそうだ。そう思って畳みかけた。
「美希ちゃん。僕らは人殺しじゃない。奥田は自殺したんだ。君と別れても生きる道はいくらでもあっただろうに。
僕が言っちゃいけないんだと思うけど、この際だからハッキリ言うよ。奥田の自殺は僕らの責任じゃない。
あいつは自分で自殺を決断したんだ。気負いする必要なんて無い。」
むしろ奥田は僕らへの当てつけで自殺したんだと言いたかったけど、それは喉で止まった。
「しばらくはひっそり生きていこうよ。時間が全てを解決してくれる。」
彼女の肩を叩くと、久々に笑顔を見せてくれた。「ありがとう。」
つい前までの化粧してた美希ちゃんが懐かしかった。
今では痩せ細ってまた別人のようになってる。普通の美希ちゃん。化粧した美希ちゃん。二人はもう戻らない。
今目の前にいるのは痩せた美希ちゃん。見た目が変われば頭の中も変わるのだろうか。
僕が知る由もない。
3月18日(日) 曇り
働こう。ついに決意した。
沈んだ生活を変えるには外に出るのが一番だ。
店長に電話したら明日にでも戻って来て欲しい、とのことだった。
さすが万年人手不足。僕が行かなかった間の店長の忙しさを思うと申し訳ない気分になった。
僕としても早いとこ収入が欲しいので早速明日から復帰。
意外となんのトラブルも無く元に戻れそうで嬉しかった。
彼女にバイトのことを話すと喜んでくれた。
「私も何かしようかな」
彼女の好意は嬉しいけどそれはあまり良い考えじゃないと思った。
「美希ちゃんはいいよ。元気になるまで休んでなって。
倹約していけばバイト代だけでも二人分の生活費はまかなえるから。」
意図的に倹約せずとも自動的にそうなる。とてもじゃないが贅沢する気にはなれない。
服も買わなければCDも買わない。必要なのは二人分の食費と部屋代と光熱費と電話代・・
そう言えばここ最近ネットに繋げてないな。電話代が浮いて好都合だけど。
美希ちゃんも元気になったら外に出て買い物とかしたくなるだろうけど
当分そんな気になりそうにない。食事さえまだ少ししかとってない。
正直言って美希ちゃんにはまだ外にでて欲しくない。だからうまいこと言って家に留めてる。
お金のことよりもそっちの理由の方が重要だった。
奥田に僕ら以外の友人がいなかったのが幸いしてるものの、外では誰の目が光ってるかわからない。
働くとなるとそれなりの人間関係が必要となるし、そこでどんな会話がなされるか。
買い出し程度なら・・いや、買い出しも危険か?これから気を付けないと。
彼女が家に篭もってる限り、奥田の自殺の原因は不明のままだ。
仮に杉崎さんの気が変わって話したとしても「フラれたから」で済む。
僕らとのドロドロとした関係が露呈すると騒がれかねない。
よし。彼女にはなるべく家にいてもらおう。
僕が働く限り彼女が外に出る必要は無いから。
ほとぼりが冷めるまで、大人しく。
誰の目にも触れず。
第18週
3月19日(月) 晴れ
レジの打ち方は忘れていなかった。接客もいつも通りにできた。
人にはあまり会いたくない気分だったけどこれもお金のため。我慢するしかない。
お金と言えば実家に頭を下げにいくことも考えた。
ほとぼりが冷めるまでの数ヶ月、生活できるお金が有れば僕も外に出ないで済む。
飛び出してから何年経ったんだろう。陰気な妹の顔も今では懐かしい。
親父もいい加減職を見つけてるころだろう。母さんは相変わらず一日中仕事かな。
あれだけ働いてたら少しくらい僕に送るお金も・・・
頭を振って余計な考えを振り切った。
今更そんなことできるわけないじゃないか。大した理由も無く飛び出したくせに。
自分の金は自分で稼ぐ。ほら。あの頃に憧れてた生活が今まさに実現してるぞ。
もっとも、二人分稼がなきゃいけなくなるとは夢にも思っていなかった。
彼女は大人しくしてる。僕が心配するまでもなく彼女自身が外に出る気になってない。
良いことだ。
3月20日(火) 晴れ
時給を計算してみるとうんざりする。
コンビニバイトだけで二人分まかなっていけるかな?
少なくともこのままの状態は維持できる。
けど、それだけだ。僕はいい。でも彼女は女の子だから新しい服も欲しいだろうし化粧品だって。
いずれ外に出る気になったら出費がかさむのは目に見えてる。
そうなった時の為に、早いウチにお金を貯めておかないとダメだ。
泥臭い話になってきた。現実は厳しいな。
弁当を出しながらあれこれ考えてると嫌な考えが浮かんできた。
美希ちゃんの実家。娘が頼み込んだらお金をくれるかも。
弁当を放り投げた。ドサっと音をたてて中のハンバーグが曲がった。
ため息をついてラップ越しにいじって位置を戻した。
そんなの頼めるわけがない。
家に帰ると美希ちゃんがテレビを見てた。テレビ見るのも電気代がかかるな・・
すぐに思い直した。さすがに「テレビを見るな。」というのは残酷だ。
彼女は一日中家に居るんだから。外に出る方がお金がかかる。
テレビの電気代くらいは大目に見よう。
3月21日(水) 晴れ
お金の話を真剣に考えるようになった。
自然と実家から仕送りをもらうことに頭が行く。
早紀は今高校何年だ?春から二年だったかもしれない。
僕が飛び出た時はまだ高校受験の頃だった。
ということは、受験も済んだし今はあまりお金がかからないな。
あいつが服やらお洒落に気を使うとは思えない。小遣いなんて少なくていいよな。
稼ぎ頭の母さんには頼みづらいから親父に頼むか。
さすがに現役無職じゃないだろうし。いや、それでも親には合いづらい。
いっそのこと早紀に頼むってのも手だ。
散々考えてみたものの、どうしても実行する気にはなれなかった。
どうも「実家に戻る」という考えに耐えられない。
捨てた過去にはすがりたくない。嫌で捨てたもんなんだから。
そうするとまたあっちの「実家」に考えが行ってしまう。
僕は彼女の実家を知らない。三人の間で実家の話はタブーになってたから。
三人そろって自分の実家が嫌いだったんだと思う。
彼女の実家。僕と同じようにあまりお金持ちではないかもしれないけど
もしかしたらお金持ちなのかも知れない。
本気で頼んでみようかな。
3月22日(木) 晴れ
美希ちゃんの両親にお金を借りれないだろうか。
両親にあわせるくらいなら外に出てもいいかもしれない。
悩んでても仕方ない。もう言ってしまおうと思った。嫌なら嫌でいい。オッケーなら儲けもの。
お金のこととなれば彼女も真剣に聞いてくれるだろう。生活がかかってるんだから。
けどいきなり切り出すわけにはいかない。徐々にそっちに持っていく。
まずは自分の話から始めた。
「美希ちゃん。僕の実家って知ってるよね。」
「うん。結構前に話してくれたよね。妹さんのことまで教えてもらった記憶がある。早紀さんだっけ?」
「そうそう。陰気な妹でね。最近の危ない若者って感じで。そのうち引きこもるんじゃないかって勢いだったよ。」
「前も同じコト言ってたよ。ねぇ。やっぱり今はどうしてるかとかって気になる?」
「ちょっとは気になる。何考えてるかわからないからさ。まぁ犯罪に巻き込まれるようなことはないと思うけど。」
「そうゆうタイプの人って思い込みが激しいみたいだからね。」
「言えてるかもしれない。」
「実家が嫌になったのは妹さんのせい?」
「いや、それだけじゃない。もっと色々と・・」
結局僕の話ばかりでお金の話を持ち出すタイミングを失ってしまった。
昔のことを思い出してると、僕は本当にロクな理由で家を出てないことに気付いた。
実家が嫌いな理由も「色々あって」一人暮らしも「新しい生活がしたかった」
漠然としたものばかりで具体案が何もない。だから大学までドロップアウトしてしまったんだ。
でも美希ちゃんが「それだって大切なことよ。」と言ってくれたので良しとするか。
そう。色々あるんだよ。
3月23日(金) 晴れ
今日こそはお金の話を、と思ったけどどうも切り出すタイミングが難しい。
バイト中は客待ちの間ずっとシミュレーションしてた。
美希ちゃんが奥田と出会う前の頃を話を聞けたら実家の話に繋がる。
そこで探りを入れてあまり貧乏でなさそうならお金を借りる話を。
自分ではうまいこといけると思ったのに、いざやってみると昔話で終始してしまった。
「私も亮平君と似たような感じ。面白くない生活で、そんな生活送る自分が嫌でたまらなかった。
新しいところでやり直せたらいいなってずっと思ってたのよ。」
「奥田と会ったのはその時?」
「そう。新しい出会いがあれば何かが変わるかなって思って。
今の時代で全くの他人と出会うのと言ったらネットが一番でしょ?それでメル友募集してみたの。」
「そう言えば奥田も似たような目的でやってたな。大学もつまんなくて、女の子との出会いは皆無で。
ネットで女の子に出会えたらラッキーだよなって話してたんだよ。」
「だから気が合ったのかもね。」
「あいつ、最初はネットを馬鹿にしてたんだよ。こんなの遊びだよとか言ってたくせに。
いざうまくいくと途端にネット最高とか言い始めやがって。」
「私もうまくいくとは思ってなかった。こうゆうのって縁なんじゃないかな。
それでね。人間関係に悩まないで将来も気にしない。そんな流れるようなあなた達の生き方、私は憧れてたの。
付き合っていくうちに私もこんな生活したいなって思うようになって。
一緒に住んでくれるって言ってくれ時に思ったの私の『新しい生活をしたい』って願いが叶うと思った。」
「それで家を出た。」
「家を出るというより、過去を捨てるって感じよ。もうこれからは疲れない生き方できるって思ったのに。」
「でも今は・・。」
「過去を捨てるってとっても難しいよね。」
彼女はとても寂しいそうな顔をした。お喋りしすぎたのかもしれない。奥田の話を出したのはまずかった。
色々思い出してしまったんだろう。今は僕と暮らし、奥田は自殺してしまったという事実。
話を切り上げて二人してテレビを見てたけど、彼女の顔は曇ったままだった。
とてもじゃないけどお金の話なんてできない。
3月24日(土) 晴れ
美希ちゃんの方が積極的に話をしたがった。
ずっと家にいるから考えることも多いんだろう。外に出られなくて色々溜まってるものを吐き出したいんだ。
かなり深い話になった。
「亮平君は家を出る時、何かつてはあったの?」
「何もないよ。親に内緒でこのアパート見つけて。春休みのうちに引っ越した。」
「親御さんは何か言ってた?」
「全部決まってから一人暮らしするって報告したからね。呆れられて反対もされなかったよ。
ここの住所を教えろって言われたけどそれも無視して出てきた。」
「徹君もそんな感じだったのかな。」
「うん。だから僕らは気が合ったんだ。美希ちゃんの言った通り、僕らも『新しい自分』ってのになりたかったんだよ。
もっとも、ただ家を出ただけじゃ大した生き方にはならなかったけど。」
「でも仲間がいたって大切なことじゃない?人の縁って大切よ。」
「美希ちゃんも奥田と出会ったから家を出るのを決意したからね。」
「それも縁だと思ってる。巡り合わせって言うのかな。今なんてネットがあるからますますそうゆうのを感じるのよ。」
「そうだよね。少なくとも昔よりは赤の他人と巡り会う機会は増えたと思う。」
「逆に赤の他人だと思って安心してると実はよく知ってる人だったり。」
「あり得る。女だと思ってたら本当は男だったり。」
「赤の他人と思ってたら意外なところで自分と繋がってたり。」
「そんなことももう不思議じゃないのかもしれないね。ネットも良いことばっかじゃないんだ。むしろ危険なものだと思うよ。」
「その中で出会えた私たちは幸せなのかな。」
「幸運だよ。間違いなく。」
そう。親友が死んでお金にも困ってるけど、僕には美希ちゃんがいる。
例え外に出れなくても、側にいてくれるだけで僕は幸せになれる。それでいいじゃないか。
またお金の話はできなかったな。明日こそちゃんと切り出そう。
幸せをかみしめるのもいいけど、ちゃんと現実を見ないと。
3月25日(日) 雨
日曜出勤はめったにやらなかった気がするけど、生活のためには仕方ない。
一週間ぶっとおしで働くとさすがに疲れた。
来週もみっちりシフトを入れてある。お金を稼ぐのって大変だと身に染みて感じる。
家に帰って「疲れた。」と愚痴ってると彼女が思わぬコトを言った。
「ねぇ。お金に困ったら私も働くから。」
「それはいいよ。外に出て誰かに見られたら困るじゃないか。世間的にはまだほとぼりがさめてないかもしれない。」
「けどお金はあまり残ってないんでしょ?」
「大丈夫だよ。今の状態をキープすれば当分は食べていける。いざとなったら実家に頭を下げに行くよ。」
「そこまでしなくていいわよ。実家はもう捨てた過去なんでしょ?私だったら絶対できないな。」
僕の目論見はあっけなく崩壊した。
これで目的は達成されたけど話は続いた。しかも違う展開になっていった。
「まぁ頑張って働くよ。美希ちゃんには迷惑かけない。」
「ねぇ亮平君。外に出ない方がいいっていうのは私も賛成だし、贅沢はしなくたって全然耐えられる。
あなたの許可が下りればまた働きにでてもいい。杉崎さんなら事情をわかってくれるからまた働かせてくれると思う。」
「いや、だからそれはしなくていいって。」
「聞いて。あなたが働いてくれるのはすごく助かる。でもね、あまり根を詰めすぎないで欲しいの。」
「根を詰める?そんなことないよ。僕は適当に生きてるさ。」
「そう見えないのよ。まるで働くことで何かから逃げてるような」
「逃げるって。何から。」
彼女は僕の目をまっすぐ見つめた。
「徹君が自殺したこと、受け入れ切れて無いんじゃない?」
一瞬言葉を失った。何と答えていいのかわからなかった。
僕が奥田の死を受け入れてない?
僕は二人の生活費のことまで考えてたじゃないか。ちゃんと現実を見てるじゃないか。
頭が回りだしてやっと「そんなことない。」と答えることができた。
自信を持って答えたはずだけど、僕は彼女から目をそらしていた。
横から彼女のかすれた声が聞こえてくる。
「亮平君がその気になってくれないと、先に進めないのよ・・。」
先に?僕はちゃんと先に進んでるじゃないか。働くのは立派な進歩だよ。
なぜ彼女にはそれがわからないんだろう。
奥田は死んだんだろ?それくらい僕にはわかってるさ。
わかってる。間違いなく。
受け入れてる。
第19週
3月26日(月) 雨
美希ちゃんが外に出ないで済むようにしてるのは僕のおかげじゃないか。
奥田の死を受け入れてないのはむしろ彼女の方だ。そんなこと気にする方がおかしいんだ。
酷い言いがかりだと思った。だから今日も反論した。
なんでそんな風に思うんだよ。僕のどこを見たらそうなるんだ。
淡々としてるように見えるのはバイトで疲れてるからだよ。
全然美希ちゃんが思ってるようなもんじゃない・・
「私がそう思ったのはね。」
話の途中で彼女が口をはさんできた。
「亮平君、徹君が死んでから一度も悲しい顔してないから。ひょっとしてそうかなって思っただけなの。」
この一言で僕は何も言えなくなった。
そういえば、美希ちゃんは目が真っ赤になるまで泣いてたのに。
僕は涙の一つもこぼしてない。親友が死んだってのに。僕は。
悲しくないんだろうか。
3月27日(火) 曇り
自分の感情がわからない。奥田は確かに親友だった。
色々あったけど、さすがに死んだとなれば悲しいに決まってる。
なのに涙は出てこない。どうして。
彼女は悩む僕に優しく言ってくれた。
「正直になって自分の心の中を吐き出そうよ。今なら言えると思う。
ねぇ。言いづらかったら私から話をしようか?私が言ったら亮平君も言ってくれる?」
僕は顔も上げずに黙って頷いた。
彼女は自分を落ち着かせるようにコホンと咳払いをしてから話し始めた。
「私はね。まさか自殺するとは思わなかった。あの人のことだから、黙ってどこかへ消えるかと思ってたの。
だから杉崎さんから連絡が来た時はショックだった。それで、自分が徹君を死に追いやったかと思うと、
罪悪感で一杯にになって・・悲しかった。」
「だからあんなに泣いてたんだね。」
「うん。私ね、自分に関係のない人が死んでも全然悲しくはならないの。
嫌いな人だったらむしろ喜んでしまうかもしれない。私って嫌な人間かな?」
僕は首を横に振った。ここで自分を装っても仕方ない。
それは人として当然の感情だ。誰も口には出さないだけで、本当はみんな思ってること。
「徹君のことは好きだった。変わったとは言っても、嫌いにはなってなかったの。
卑怯だと思ってくれてもいいよ。亮平君も徹君、二人とも好きだった。
けど亮平君の方をもっと好きになっただけで。単なる比較の問題なだけで。決して徹君のことを嫌いになんて・・」
僕は彼女の肩を叩いて「もういいよ。」と言ってあげた。
「僕は自分の気持ちをもう少し整理してみる。まとまったら言うから、それまで待ってくれないかな。」
既に涙目になってた彼女は目を押さえて頷いた。
さて。言ってみたものの僕に気持ちの整理なんてできるのか。
あの時に思ったことをもう一度思い出せばいいのか?
難しいな。
3月28日(水) 曇り
休みナシでバイトしてるせいか、最近思考力が落ちてきてる気がする。
自分の問題よりも、そもそも美希ちゃんはなんであんなことを言い出したのかを考えるようになってしまった。
奥田が死んだのを僕が悲しまなかったからって今の生活に影響があるのか?
ちゃんと働いてるし倹約もしてる。
致命的なほど貧乏ではないけど、将来を考えると貯金も頭に入れておく必要がある。
奥田の死を悲しんだところでこの状況が変わるとも思えない。
ならこんな議論は何の意味もなさないじゃないか。
そう思って僕はもう過去を振り返るのをやめてしまった。
第一あの時のことを思い出すのは気が滅入って仕方ない。
せっかく過去を振り切って働く気になってるのにまた蒸し返してちゃ世話ない。
美希ちゃんには悪いけど、僕には余計な議論をしてる暇は無いんだ。
明日もバイトは続くしそのためには身体を休めておかなきゃいけない。
それも全て彼女のためなんだからきっとわかってくれるだろう。
わかってくれるはず。
3月29日(木) 雨
僕が答えを曖昧にしてると少し口論になってしまった。
「もう奥田のことは忘れようよ。」
「そんなスッパリ忘れられないわ。亮平君にだって忘れてもらいたくない。」
「無理だよ。僕はもう忘れかけてる。」
「徹君が死んで悲しくないの?」
「悲しいさ。涙を流さなきゃ悲しんでないってことはないよ。」
僕は嘘をついた。
「それならいいんだけど。でもやっぱり。」
「美希ちゃん、なんでそんなにこだわるんだよ。もう終わったことじゃないか。」
「まだ終わってないわ。これからじゃないの。」
「これからって何が?」
彼女はうつむいて唇を噛んだ。少し考え込んだ後、顔をあげて言った。
「お願い亮平君。思い出して。今のあなたは前の徹君と同じようになってきてるのよ。
そうなって欲しくないの。私たち、これからでしょ?同じ過ちを繰り返して欲しくないの。」
この言葉は僕の頭に強烈な一撃を与えた。
強風が雲を吹き飛ばした後のように、ハッキリとこれまでの過ちが見えてくる。
お金、お金、お金。将来のため、彼女のためと言って僕はお金のことばかり考えてた。
奥田と同じ。そうだ。あいつは安定した収入を得るために就職の道を選んだ。
僕はどうだ?就職してないにしろ実家にお金を借りれないかとかネットはやめて倹約だとか・・
将来を見据えた人生計画。美希ちゃんはまさにこれを嫌ってたんじゃないか!
奥田はこれで失敗した。僕も失敗するところだった。
彼女にしてみれば奥田を蹴ってまでして一緒になった男が同じ運命を辿ったらたまらないだろう。
奥田を蹴っても僕がいた。でも僕を蹴ってしまったら、もう拠り所はない。
僕がショックで身を固めてると彼女は最後に言ってくれた。
「将来なんか気にしなくったって、ちゃんと生きていけるよ。」
その通り・・だ。
3月30日(金) 曇り
何を思ったかバイト帰りに杉崎さんの所へ立ち寄った。
美希ちゃんにはあんなに「挨拶に行くな。」と言ってあったのに、
僕は奥田のことを思いだすと居てもたってもいられなくなってしまった。
杉崎さんは僕の姿を確認すると相変わらずの人なつっこい笑顔で迎えてくれた。
「今日はどうしたんだい?岩本君も色々大変だろうに。」
「奥田のことでお世話になったお礼を言いに来たんです。」
杉崎さんは「いいよいいよ。」と言って手を目の前で振った。
「それより美希ちゃんは大丈夫なの?あの子、君には内緒で俺のところに何度か電話くれてたんだよ。
もし警察が来ても自分たちのことは言わないで下さいって。
女の子に泣いて頼まれたらそりゃぁ私らもその気になるよ。
約束はちゃんと守ってるから安心しなって言っておいてよ。」
美希ちゃんがそんな電話を。初耳だった。
帰り道、そのことを考えると無性に悲しくなってきた。なんだよ美希ちゃん。君も結構気にしてたんじゃないか。
彼女も警察に気を揉んでたことがわかって少し嬉しくなった。
わざわざ僕に「警察に言わなくていいかな。」なんて聞いたりしたくせに。
心配してるフリなんかして、やっぱり自分も嫌だったんじゃないか。僕に気を使ってくれてたのか?
確かに彼女が先に言ってくれたおかげで、僕の気は随分楽になった。
彼女が言わなかったら僕が弱気なことを言ってたかもしれない。
そんな気を使ってもらってる時に僕は。
奥田の死に対して思ってたことを思い出して、歩く速度が速くなった。
だめだ。それは思い出しちゃいけない。
気を抜くとフッっと出てきてしまいそうなその考えを、再び奥に押し込んだ。
とても口には出せない。いや、人として考えてもいけないことだ。
今考えることは、奥田と同じ過ちを繰り返さない。そのことだ。
それ以外考えるな。
3月31日(土) 曇り
杉崎さんに会いに行ったことを今日になって伝えると彼女は驚いた顔をした。
「なぜ?」と言わんばかりに口を開けてた。
奥田のことを思い出したら何かせずにはいられなくなって。
説明して杉崎さんとの会話の内容のことも話すと彼女は苦笑いした。
「お礼は私が言おうと思ってたのに。」ごめん。僕は素直に謝った。
とりあえずこれで美希ちゃんが心配してたことは解決した。
僕が奥田と同じ過ちに陥っていたこと。反省しなければいけない。
今の僕は至って冷静で、お金のことに悩んでた自分がむしろ恥ずかしいとさえ思ってる。
奥田が死んでから頭がゆだってたのかもしれないな。
その意味じゃ彼女の言うとおり、僕は奥田の死を受け入れてなかったんだ。
警察のことや自分たちの将来を考えることで、奥田の自殺を頭から追いやってた。
どうしてそんな風になったのかな。
僕も美希ちゃんと同じように自殺の報告を聞いてすぐに泣けば良かったのに・・
その理由を思い出して、僕は吐きそうになった。
あの時、悲しみの感情がわいてこないかわりに心の奥でどろどろとしたものを感じた。
昨日も出てきそうになった。必死に押し戻した。
でもこれ以上押さえ込むことができそうにない。
ああ。お金のことを考えてる時は余計なこと考えないで済んだのに。
冷静になったのがかえって仇になった。これを忘れたかったから他のことばかり考えるようにしてたんだった。
美希ちゃんにはこんなこと口が裂けてもいえない。
ただ、もう考えないようにすることはできなくなった。
もういい。認めよう。わかってたことじゃないか。
思うだけなら僕の勝手だ。これを認めて奥田の死を受け入れないと、先に進めそうにない。
奥田が死んで、僕は嬉しかった。
だから悲しくなかったんだ。
邪魔者が消えてよかった。これで美希ちゃんは僕だけのものになるから。
僕はなんて酷い人間なんだろう。でも、心の奥底で思ってしまったんだ。
誰にも言わないでおこう。これは、僕だけの秘密。
絶対言えない。
4月1日(日) 晴れ
今日僕はあの日に戻った。
目が覚めた時、僕は涙を流していた。
隣で寝てる美希ちゃんに気付かれないように、壁の方を向いて。
奥田の自殺を嬉しく思ってたことを認めたことで、あいつの自殺が現実として改めて認識させられた。
やっぱり僕が殺したようなものじゃないか。
彼女があれだけ泣いていた理由が今になってわかるなんて。
罪悪感に押しつぶされそうになる。
そのくせ「警察には言わないで欲しい」とか「美希ちゃんが僕のものになって良かった」とか
最低な考えもぬぐい去ることができない。泣きたくなる。奥田に対してだけじゃない。
最低な自分に対して。情けない。
どうしてもっとうまく対処できなかったんだろう。
自殺に追い込まずにうまく和解する方法だってあったはずだ。
恐れずに素直に言えば良かった。そうすれば最悪の結果は免れたはずだ。
けど僕は、わざわざあいつが傷つくような真似をした。
それでいて死んで良かったとさえ思うのは、全部僕の身勝手だ。
反省と自己嫌悪。止めどなく涙があふれてくる。
辛い。とても辛いし、苦しい。
これから逃れるために僕は「将来のこと」なんて別のことを考えてたんだ。
卑怯だった。美希ちゃんのようにすぐに認め、反省しなきゃいけなかったのに。
そして今も、泣いたって許してもらえないのに無駄に涙を流してる。
なんて醜いんだろう。ダメ人間なんて生やさしいものじゃない。
最低なくせに、自分の身だけは守ろうとしてる。自分だけは幸せになろうともがく。
それでも生きてはいたいんだろ?自己嫌悪に苦しみながらも。恥を重ね続けても。
虫だ。草の根に這う醜い虫だ。
どうしたら救われるんだろう。
どうしたら人間に戻れるんだろう。
奥田。どうしたら僕を許してくれる?
第20週
4月2日(月) 晴れ
バイトを休んでみると身体が休まるのがよくわかる。
やっぱり根を詰めすぎていたらしい。
これからは彼女言う通りあまり気負いせずに適当にやっていこうと思う。
食べていければいいさ。万が一の時は彼女に手伝ってもらえばいい。
少し前の僕ではとてもそんな風には思えなかったけど、
彼女もまた他人の目にさらされることへの不安を抱えてることがわかったから
逆に大丈夫かもしれないと思うようになった。
無神経に外を歩かれるのが嫌なだけだった。わかってればいい。
杉崎さんも味方になってくれる。
そうしてお金への執着から解放されると、また例の罪悪感が蘇ってきた。
生きていられる安心の次には、必ず「生きてていいのか」という自己嫌悪。
浮いては沈むを繰り返す気持ちの波。悪循環だ。
ただ、ここから抜けるにはどうすればいいのか漠然と感じてることがある。
僕らは罪を償わなければならない。
4月3日(火) 曇り
罪を償うというと奥田の墓参りにでも行けばいいんだろうか。
それとも親御さんに頭を下げに行くのか?
実家はたぶん杉崎さんが知ってる。行こうと思えば行けるはずだ。
美希ちゃんにも話をしてみると顔を真っ青にして否定された。
「謝りたい気持ちはあるけど、とてもじゃないけど顔を合わせることはできないわ。」
「けどこのままじゃいつまでも罪悪感の中で生きて行かなきゃいけない。」
「待って。私が親御さんに会うのが嫌な理由はもう一つあるの。
会ったとき、相手は何て言うと思う?私個人を攻めるのは耐えられる。
でも話がエスカレートして、そっちの親にも会わせろなんてことになるかもしれない。」
「それは・・僕も嫌だ。」
「わがままだと思っても構わないよ。けどやっぱり一度捨てた過去に連れ戻されるのは避けたいのよ。」
その気持ちは痛いほどよく分かった。
お金をせびりに行こうかと思った時でさえ断念したのに。
それにただでさえ勝手に出ていった息子が親友を自殺に追いやったなんて知ったら親は何て思う?
考えると鳥肌が立ってきた面と向かって説教をされるのも嫌だけど、悲しまれるだけなのも嫌だ。
僕のことはほっといて欲しい。僕は家族とは関係のないところで生きていたいんだ。
気が滅入ってると、彼女は励ますように言ってくれた。
恐らく彼女は自分に対しても言っていたんだと思う。
「罪を償う方法は他にもあるはずよ。あの人がやりとげられなかったことを受け継ぐとか。考えてみましょうよ。」
他の方法。
それがあるならそっちの方がいい。
4月4日(水) 晴れ
バイトも奥田が生きてた頃のように力を抜いてやることができた。
稼ぐことばかり考えるより、慣れた仕事を適当にこなす方が気楽でいい。
ただ、時々深い自己嫌悪が襲ってくるのが悩みの種になってる。
小バエが飛んでるのを見ただけで自分を投影させてしまって思わす涙が出てきた。
休憩室でこっそり泣いてたのは店長もバイト仲間も知らない。
明らかに僕は精神的におかしくなってきてる。
奥田の死を無視し続けたツケが今になって回って来たのかもしれない。
お金に取り憑かれた後は自己嫌悪。奥田の呪いなんだろうか?
虫。虫。虫。目をつぶると奥田が僕を「虫」と呼んでいる。
僕はなじられるがままで言い返すことができない。
謝って許されるものじゃない。罪を償わなければいけない。
とは言っても「罪を償う方法」が見つからない。
彼女は「徹君がやりとげられなかったことを受け継ぐ。」と言ってたけど
奥田は何かやってただろうか。ソバ屋の仕事を受け継ぐ?
それは何か違う。もっとこう、あいつが熱くなってたような、何か。
奥田。お前は何をやっていた?
4月5日(木) 晴れ
彼女に相談するとネットの話になった。
「奥田が前にやってたことって何だろうね。」
「罪滅ぼしのために何ができるかってこと?」
「うん。」
「まず杉崎さんのところで働いたよね。でも亮平君は今のままバイトを続けて欲しいな。」
「大丈夫。同じ過ちはもう繰り返さないよ。他には何があったっけ。」
「あと趣味と言えばネットかな。なんだかんだで徹君も楽しんでたよね。」
「そうかな。僕らが勝手にやってただけじゃないのかな。」
「それは違うわ。亮平君が恋人募集をしようって話にも乗り気だったし、
処刑人がどうだってなった時も結構気にしてたよ。」
「あれは僕たちがネットを口実に仲良くなるのが羨ましかったからだったと思ったけど。」
「その気持ちはあったと思うけど、基本的にはネットが好きなのよ。
亮平君は知らないかも知れないけど、一緒に暮らしてたからよくわかるの。
仕事から帰って来たら必ず私にネットの経過報告聞いてたし、風美さんだっけ?
あの人の呼び出し作戦の時もメールの文章考えてくれてたりしてたのよ。」
知らなかった。あいつがそんなにネットに情熱を燃やしてたなんて。
言われてみれば納得できる気もする。ネットで恋愛を成功させてからは完全にネット信者になった。
僕らの作戦に参加したがったのも純粋に面白そうだからってのもあったかもしれない。
(もっとも、あいつが自分で考えた作戦には大したものは無かったけど)
「ネットも考えてみてよ。私も一緒に罪滅ぼしをしたいから。」
ネットか。それもいいけど、問題は何をやるかだ。
目をつぶって奥田の幻に問いかけた。お前は何をやりたい?
奥田は冷たい視線を僕に送ったままずっと黙っていた。
やっぱり答えてくれないか。
4月6日(金) 晴れ
ネットと言えば僕はホームページを持ってたんだっけ。
なんとなく思い出しただけだったけど、それが意外な方向に進んだ。
バイトから帰って来たときに思いつき、彼女になんとなく言ってみた。
「そう言えばさ。僕はホームページを持ってたんだよね。
今思い出したよ。なんかもうはるか昔って感じ。」
「あ、そうだったね。処刑人を追うって言うんで始めたんだったよね。
私も言われて思い出した。しばらくそれどころじゃなかったからね。
ねぇ。あれって今どうなってるかな。ちょっと見てみない?」
「うん。」
久々にパソコンを立ち上げてネットに繋いだ。
「お気に入り」にはまだ「WANTED処刑人」が残ってた。
「なんか思い出すな。三人でネット談義をしてたよね。」
「処刑人なんて下らない噂を真剣に話し合ったりしてね。」
「でも熱くなってホームページまで作ったじゃない。」
「誰が作ろうって言い出したんだっけ。」
「確か徹君だった気がするけど・・」
「ちょっと待った!美希ちゃん、これ見てよ!」
惰性的に掲示板にアクセスした時だった。もの凄い量の文章が目に飛び込んできた。
書き込みの量が半端じゃない。二人して画面を凝視してその内容を確認した。
「報告!処刑人登場してましたよ!」
「処刑はリクエスト制らしいッスよ。」
「処刑人を追わなくていいのか?」
画面をスクロールさせて下の方に行くと、「転載」と題してこんなものまであった。
********
彼らは弱き者を苦しめる罪人である。
よって死刑の判決が下された。
しかし彼らにも猶予を与えたい。
諸君らにお願いする。
処刑して欲しい者を選んでくれ。選ばれた者から処刑を始める。
彼らの運命は君らに託されるのだ。
誰を真っ先に殺すべきか?メールを待つ。
失格教師 岡部和雄
鬼畜女王 牧原公子
能無下女 板倉聡美
淫売女狐 細江亜紀
寄生蛆虫 田村喜久子
********
岡部君と牧原さん。それに板倉さん。知った名前が連なってる。
彼女と顔を見合わせた。お互いあっけにとられて何も言えなかった。
僕らの知らない間に何が起こったんだ。
4月7日(土) 晴れ
混乱したままバイトに出かけても仕事はほとんど手に着かなかった。
考えることは処刑人のことばかり。情報が氾濫してる。
メール。そうだ、メールの確認を忘れてた。帰ったらやらないと・・
家に帰ったらすぐにメールチェック。十何通も届いてた。
いずれも掲示板の書き込みと同じ様な内容。
「処刑人を追わないんですか?」
どれもこれも処刑人。なぜ今ごろになってこんなに盛り上がってるんだ。
空白の期間に何があったのか予想する間もなく、事態はどんどん先へ進む。
書き込みが増えてた。「処刑人がまた登場しましたよ!」
中には「転載」と称してこんなことを書き込む奴もいた。
********
鬼畜女王逃亡により次のターゲットを募集する。
失格教師 岡部和雄
鬼畜女王 牧原公子(逃亡中:見つけ次第処刑予定)
能無下女 板倉聡美
淫売女狐 細江亜紀
寄生蛆虫 田村喜久子
********
美希ちゃんがため息を漏らした。
「まさかこんなことになるなんて・・。」
僕もどうしたものかと慌てふためくばかりだった。
以前は処刑人の情報が少なすぎて困ってたのに。
今度は情報が多すぎて処理しきれない。
何が起きてるのかつかめないのが一番怖い。
僕らが面白半分で始めたことが、何かとんでもない結果を引き起こしたんだろうか?
処刑人が登場したって。噂じゃなく、まさか本当に実在してるのか。
取り逃がした風美。奴は実在してる。あの時あいつをもっと追っていれば良かった。
本当に処刑人が出てくるなんて。僕らはどうすればいいんだ。
混乱に陥って何も手を付けられなかった。
処刑人、本当にいるのか?
4月8日(日) 晴れ
久々にネットに繋げてから二日。僕らはようやく覚悟が決まった。
「処刑人追跡も徹君のやり残したことと言えるかもしれない。」
「それで罪滅ぼしになるかな?返って自分たちだけ楽しんでるようなことにならないかな?」
彼女は目をつぶって首を横に振った。
「こればっかりは徹君にしかわからない。でも、私たちは何かやった方がいいと思うわ。
前は単なるネットのお遊びだったけど、これからは意味がかわる。真剣にやる必要があると思うの。」
「奥田の為に?」
「うん。そして私たちのために。ねぇ思い出してみてよ。
私たちはこの『処刑人追跡』を投げ出した時点で徹君への裏切りが始まったのよ。
今ネットに戻ることは、あの頃に戻るのと同じ意味かもしれないわ。」
「処刑人問題を完全に解決することで、あの頃の僕らも報われる。」
「その通りよ。」
こうして処刑人の追跡を再び開始することにした。
処刑人。お前に誰かを処刑されたわけじゃない。けど僕はお前を追う。自分のために。
実在してるかどうかは僕にだってわからない。
僕らは答えが欲しいだけなんだ。お前が、何なのか?
彼女の言うとおり、この答えを探すのを放り投げてから僕らの関係は壊れ始めた。
もしあのままKを追ってたら?ネットに没頭したままだったら、僕は彼女に手を出してたか・・?
色々な考えが巡る中、僕はホームページを更新した。
やるべきことは多かったけど、とりあえず管理人の名前だけ変更しておいた。
新たな決意を込めるために。今度は投げ出さないように。
新しいハンドル名は、「虫」
美希ちゃんは顔をしかめて「リョーヘイのままがいいよ。」と言ったけど
これは自分を戒めるためだから無理にでも使わせてもらう。
虫。アンダーグラウンドっぽくていいじゃないか。
全てが解決してあの頃の僕らも救われたら名前を戻してもいい。三人仲良くやってた時につけた名前に。
でも今は、奥田にさげすまれる「虫」だ。
美希ちゃんにはわからないかもしれないけど、これは親友を裏切った罰なんだ。
罪滅ぼしが終わるまで、僕は虫のままでいる。
奥田。冷たい目で睨まれ続けたままで構わない。
処刑人の正体がわかったら報告するよ。お前だって知りたいだろ?
だからその時まで。
僕の生き様を見ていてくれ。
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第6章