絶望世界 もうひとつの僕日記

第1部<内界編>
第8章


第29週

6月4日(月) 晴れ
手持ちの情報を美希ちゃんと整理した。
処刑人の携帯メールアドレスは握ってる。(番号じゃなくてしっかり変えてるのが腹立つ)
処刑人の被害者となってる「細江亜紀」のメールアドレスも握ってる。
ただし、こっちに関してはフリーメールのアドレスなのであまり期待はできない。
処刑人の周りで何が起きてるのか大体は掴んでる。
処刑人像に関してもある程度は知ってる。
イジメられッ子の女子高生。精神異常。
ネットに流出した処刑人のターゲットのリストもある。
実際に死んだ三名とまだ生きてる二名。
そしてその人達のメールアドレス。かつての僕のメル友だった可能性が高い。
あとは処刑人の手下を名乗る「風見」だけど
あいつは掲示板に人が増えてから全く来なくなってしまった。
真偽を問わない細かい情報ならまだ色々あった。
とまぁ考えてみると僕はカナリの情報を握ってることになる。
なのになんで居場所にまでたどり着かないんだ。
肝心な部分が欠けてる。


6月5日(火) 晴れ
居場所を突き止めるにはどうすればいいんだ?
ネットではここが一番の課題となる。ハッキング技術とかを持ってれば可能かもしれない。
でも僕には無い。美希ちゃんにも無い。
他に頼れる知り合いなんてのもいない。
今ある知識だけでなんとかしようと頑張って考えてはみたけど
無知な二人で頭をひねったところですぐには良い案が出てくるわけがない。
今できることをやるしかないと思って密告者こと細江亜紀にメールを送った。

「あなたは何処に住んでるんですか?場所を教えていただければすぐにでも助けに行きます。」

ストレートな内容でズバっと聞いた。
返事がくれば僕はバイトをサボって本当にすぐにでも行くつもりだ。
騙すつもりはない。


6月6日(水) 曇り
案の定返事は来なかった。
今更正直になったところで信じてくれないってことか。
前は確かに思惑があって色々動いてた。
相手の言葉の裏を推測したりおいしい情報だけもらおうと画策したり。
「すぐに来て欲しい。」という要望ものらりくらりとかわしてた。
僕の方が相手を信用してなかったんだ。ネットだからと警戒しすぎた。
そうやって僕は徐々に信用を失っていったんだと思う。
と、後悔したところで何も先へは進まない。
メル友募集の掲示板や自分のサイトの掲示板を覗いて回ったけど
「処刑人」の書き込みも無ければ「密告者」の書き込みも無い。
停滞してる。あっち側では確かに何か大変なことが起きてるのにネットでは静かなままだ。
誰もパソコンの電源を入れる暇がないほどひどいことになってるのか?
それとも敢えて書き込まずに僕が焦るのを見てほくそ笑むつもりなのか?
それは無駄だ。僕は掲示板に書き込んだりして「焦ってる姿」を見せるつもりはない。
ただし、リアルの僕は焦ってる。
どうすればあっち側へ行ける?


6月7日(木) 雨
ハッキングとかの技術が無い以上相手に知られずにこっそり住所を探し当てるのは不可能だ。
メールの「ヘッダ情報」なるものを見ても僕らにはサッパリだった。
うまく地名でも載ってればわかるのに、そんなにうまい話は無い。
となれば、結局のところは相手に聞くしかないじゃないか。
僕は血迷ったようにまたメールを書いてしまった。

「本当にお返事が頂けないので正直驚いています。
それほどお怒りになられてたのですね。僕の方に不手際があったのなら謝ります。
過ちを償いたいので是非あなたを助けたいと思います。
細江さんはどこにお住いなんですか?住所を教えて下さい。
僕も多少の危険は覚悟してます。だから僕をそちらに行かせて下さい。」

美希ちゃんは「ちょっとやり過ぎじゃないの?逆効果になるかもよ。」と言ってたけど
僕としてはこんな時はがむしゃらにぶつかるのが一番だと思う。
たぶん。


6月8日(金) 雨
やっぱり返事は頂けなかった。
どうしてだ。僕なりに誠実にしてるつもりなのに。何がいけないんだ。

「一度切り捨てられた関係を元に戻すのは難しいわよ。
ましてや顔も見えない相手なんだし。喧嘩別れしたらそれまでよね。
また仲良くなりたいんだったらよっぽど相手にメリットを与えるか・・
あとは脅すかってところかしら。ま、これはよほどの弱みを握ってないとダメだけどね。
でも根本的な問題としてメールを見てないってのがあるかもしれないわよね。
細江さんのメールアドレスってフリーのやつなんでしょ?ブラウザで見るヤツ。
もうメールを見てない可能性が高いわよね。」

美希ちゃんの声を聞きながら僕はとてもひどいことを考えていた。
彼女の話の中にあった言葉がずっと引っかかった。
脅す。脅せば返事をくれるかもしれない。
返事どころか、住所も進んで教えてくれる。間違った情報をつかまされたらまた脅しなおせる。
かならずあっち側に行ける。
細江さんから住所を聞き出せるほどの脅しのネタは・・・・
いや、それはいけない。間違ってる。全うにやろうとした矢先じゃないか。
これでまた余計なことをしたらさらに信用を失ってしまう。
違う方法を考えるんだ。ちゃんとした方法を。
これ以上泥沼にハマってはいけない。


6月9日(土) 晴れ
その場のノリってのは怖い。
最初は悩んでただけだった。

「脅してでも住所は知りたいとは思うけどさ。さすがにできないよね。」
「そうよね。そもそも脅すネタなんてのもある?よっぽどのことじゃないと反応してくれないわよ。」
「いや、それが一応脅せるネタってのはあると言えばあるんだけど・・」
「うそ。そんなのあった?どんなネタ?」
「考えてみればすごく簡単な話なんだけど・・
細江さんってさ。処刑人に自分が『密告』してるのがバレるの嫌がってたよね。」
「あ、そういえばそんなこと言ってた。」
「密告がバレたら何されるかわからないって。」
「すごい。すごいすごい。それってかなり重いネタじゃない!」
「うん。でも根本的に脅すって行為がどうかと。」
「それは問題ないんじゃない?勝手に関係を断ってきたあっちが悪いんだし。
それに気を付けてれば自分が細江亜紀であることくらい隠してたはずよ。
言われたからって認めるのは軽率すぎるわ。もう関係を断ち切るからと思って口が軽くなってたのね。
そのくらいのミスにつけ込んだってお互い様だと思うけどな。」
「そうかな。」
「そうだよ。だって何もお金を脅し取ろうって話じゃないんでしょ?
むしろ助けにいくんだから良いことよ。まぁ脅すって行為は少し抵抗有るかも知れないけど・・
特に問題ないわよ。」

問題ない。最後の一言で決まった。
脅して住所を聞き出したっていいじゃないか。
「メールだと見てくれない可能性があるから掲示板の方がいいと思うわよ。」ってことで
すぐに掲示板に書き込んだ。

「密告者さん。僕の要望に応えてくれないと処刑人にあなたの正体とこれまでの行動を全部バラしますよ。」

書き込んだ直後は特に罪悪感は感じてなかった。
美希ちゃんとどんな返事がくるか本当に返事がくるかとかでけっこう話も盛り上がった。
彼女は「良いことをするために必要悪よ。」と言う。僕もそう思う。
なのにこの後味の悪さはなんだろう。


6月10日(日) 曇り
自分がどんどん嫌な人間になていくのがわかる。
せっかく正直になれたと思ったのに。また逆戻りしてしまった。
それもかなりひどい方向に行ってしまってる。
細江さんは掲示板だけはまだ見てたようだった。

「虫さん。一時でもあなたに頼った私がバカでした。
処刑人にバラすのはヤメテクダサイ。こう言えば満足ですか?
さっさとあなたの要望とやらを言ってください。」

僕は間違いなく細江さんを追い詰めてる。
ただでさえ処刑人とトラブってるのにネット側からも脅しをかけられてる。
かわいそうだとは思う。けど、いいんだ。
顔も見たこと無いヤツに気を使う必要なんて無い。
自分のことだけ考えればいい。僕は処刑人に会いたい。
それでいいじゃないか。



第30週
6月11日(月) 晴れ
メールで要望を伝えてあげた。

「そんなに構えないで下さい。脅すような真似をして申し訳ないとは思うんですが
何も僕は悪いことをしようと思ってるんじゃないんですよ。
せっかく知り合ったあなたを助けたいだけなんです。
それにはそちらの居場所も知りたいし、まず何が起きてるのかも教えて欲しいんです。
返事を頂けたってことはまだご無事なんですね。安心しました。
詳しい住所を教えろってワケじゃありません。
普通のオフ会みたいな気楽な気持ちでお願いします。
突然伺うのは失礼だと思うので一度二人で会ってみませんか?
その上で処刑人Sと闘いましょう。」

思いっきり脅しておいて何を言ってるんだって感じの文章になってしまった。
かと言って「助ける」のがメインなのに「教えないとひどいことになるぞ。ヒヒヒ。」なんてのも嫌だ。
美希ちゃんは「別にそっちでもいいんじゃない?今更どっちだって同じだと思うけど。」と笑ってた。
確かにそうだけど根本的に僕は悪役になりきるのは苦手だから。
ちょっとくらい偽善っぽくてもこっち方が気持ち的に楽だ。
中途半端だと思われたって元々そういう性格なんだから仕方ないよ。
できる限り悪い部分は押さえたい。


6月12日(火) 曇り
しっかりとメールで返事が来た。

「こっちから一方的に関係を断ったことに関しては謝ります。
謝罪だけじゃ許してくれませんか?
虫さん。あなたの狙いがイマイチよくわかりません。
そりゃ最初に『来て欲しい』と頼んだのはこっちの方ですが
もしかして何か誤解してるのでしょうか?
どうしても会わないとダメですか?」

僕はメールの内容がイマイチ理解できなかった。
こいつは何をわけのわからないことを言ってるんだ。
僕は処刑人に会いたい。だから細江さんを利用してるだけなのに。
頭をひねってると美希ちゃんが笑いながら解説してくれた。

「細江さん、何か勘違いしてるわね。
というか昨日送った亮平君のメールの文章が悪かったのかもしれないけど・・・
この人ね。亮平君に下心があると思ってるのよ。」

納得。そりゃ細江さんは女で僕は男だ。
二人で会おうなんてデートに誘ってるようなものじゃないか。
脅して「二人で会いたい。」だなんて言ったらそりゃ警戒される。
うまく別の言い回しをしないと・・・って、他にどんな言い方があるんだ。
変な誤解は勘弁して欲しい。


6月13日(水) 晴れ
ハッキリ言ってやったものの、どうも前と変わらない気がする。

「何か誤解してるかもしれませんが、僕は単純に処刑人に会いたいだけです。
処刑人と闘うってことは、あなたを助けることに繋がるでしょ?だからそう言ったんです。
勘違いしてるのはそっちだと思いますが。
別段なんの下心もありませんよ。二人で会うのが目的ではないんですから。」

大体なんでこんなところでつまづかなきゃいけないんだ。
あっちだって処刑人と何かトラブってて余計なメールなんかしてる暇ないんだろ?
なんだか突然人が変わったように変なことを気にしやがって。
美希ちゃん曰く「ネットの人って豹変しやすいのかもね。」とのこと。
現実の自分とネットの自分を使い分けていれば、素が出ればネット越しだと「豹変」したように見える。らしい。
それは僕も同じことがいえるかもしれない。
散々協力的な態度をとっておきながら、今では脅迫まがいのことをしてる。
お互い様。とは言えこのままじゃ僕の目的が達成されない。
もどかしい。


6月14日(木) 曇り
わさとじらしてるようにしか思えない。

「虫さんの言いたいことはわかります。でもそんな簡単に信じることもできませんよ。
脅しながら会いたいなんて言われたら下心があるとしか思えません。
少し待ってくれませんか?全てが落ち着いたらこっちから連絡しますから。」

だからそれじゃ遅いんだって。
僕は「今何が起きてるか」が知りたいんだ。
美希ちゃんも「あっちで何が起きてるのか見えないと不安よね。」と漏らしてた。
そうだよ。何かの拍子で僕らの存在が処刑人の耳に入ってるかもしれないじゃないか。
こうしてる間にもどんどん状況が変わっていってるに違いない。
情報は早く仕入れないと意味がないんだよ。

「言いたくない気持ちはわかりますが、言わないとどうなるのか忘れてしまったのですか?
いつまでもグダグダ理由をつけて逃げられては僕も強硬手段をとるしかありません。
それとも処刑人に正体がバレようがもはやどうでもいいってことですか?
それならそれでいいでしょう。ただ、とりあえず『密告』はしますけど。
いきなり住所とか言うのが嫌ならまずはそちらの状況からお聞かせ下さい。
このくらいなら言ったって問題ないですよね?」

早く教えろ。


6月15日(金) 雨
やっと口を開いてくれた。

「すいません。教えます。だから『密告』は待って下さい。
こちらはかなりひどいことになっています。
Sが本格的に『処刑』を始めたんです。関係ない人まで巻き込んで人を傷つけ始めました。
ただし、無差別に暴れ回ってるのではないんです。
ある朝、誰かの椅子の上に画鋲が置いてあったり、
酷いときには上履きの中にどこから持ってきたのはわからないけどハムスターの赤ちゃんまで仕込んでました。
知らずにそれを履いた女の子は泣いてましたよ。
そうやってどんどん周りを巻き込んでるのに、私と田村喜久子は何の被害も受けてません。
私たちの近くに居る人が被害にあってるんです。
明らかにわざとです。周りの人は薄々Sが本当は誰を狙ってるのか気付いてます。
今ではみんなこう思ってるはずですよ。『さっさとSにやられちゃいなさいよ。でないとこっちに被害が及ぶから』
えげつないやり方ですよね。周りから攻めて追い詰める。
狂人のくせにそんなこと思いつくなんて。
そうゆう事情で、Sは今私たちの行動をしっかり見張ってると思われます。
だからヘタに応援を呼ぶような素振りを見せたら、助っ人が来る前にやられるに決まってます。
密告なんてもってのほかです。即日で殺されてしまいますよ。
お願いだから冗談半分でも『密告』はやめてください。」

ようやく事態を把握できて僕は満足した。
なるほど。確かに酷いことになってる。
今はSが「様子見」の段階だから無事ってわけなのか。
細江さんと田村さんは周りの目に耐えられなくなるまでは無事でいられるのか。
そうやって精神的に追い詰める「処刑」なのか。
それとも我慢できなくなったところをさらに追い詰めて殺すのか。
いずれにしろロクなことにはならない。
考えてみればただでさえそんな状況なのにネットからも脅されてるっていうのは
細江さんもつくづくかわいそうな人だ。僕の方を信じてくれれば問題ないのに。
下心なんてないんだから。


6月16日(土) 曇り
かなりおかしな方向に進んできた。
なんでこんなことになるんだ?僕はどこかで道を間違えたんだろうか。

「虫さん。昨日のメールでこっちの事情はわかって頂けたかと思うんですが
送ったあと私も色々考えたんですよ。そこで今日、結論が出ました。
やっぱりあなたに助けてもらうことにしました。
でも、助けに来るっていうのは少し変な言い方ですよね。
虫さん。あなたはSを殺すつもりなんですか?まさかそんなことはできませんよね。
だからあなたが『助けに行く』とか『処刑人を倒す』とか言うたびに違和感を感じてたんです。
じゃぁ何で再び虫さんに助けを求めることにしたのか。
それは、あなたに来てもらうんじゃなくて、私がそっちに行きたいんです。
私はこれ以上Sからのプレッシャーに耐えられません。
田村さんには申し訳ないんだけど、私は全てを捨ててここから逃げ出すつもりです。
虫さん。私を助けてくれるって言いましたよね?
助けて下さい。ちゃんとそれなりのお礼はさせてもらいます。
下心を満足させてもらっても構いません。だからお願いします。」

こっちに来たいだって?
冗談じゃない。いや、そうだった。細江さんは知らなかったんだ。
こっち側には美希ちゃんがいることを。
メールのやり取りも全部、「虫」こと僕が全部一人でやってたと思ってるんだ。参謀の存在も知らずに・・
僕も彼女がいるだなんてことは漏らしたことなかったし、漏らすつもりもなかった。
それがこんな結果になるなんて。
こっそり美希ちゃんの顔を見るとかなり不機嫌な顔になってた。
目が合うと僕は慌てて何度も何度も首を横に振ってしまった。
「助けない。助けない。」
彼女はわざとらしくソッポ向いてしまった。気まずい。
「で、どうするの?」
僕の方が聞きたいよ。どうしたらいいんだろ。
こっちに来たい、か。そんな発想思いも寄らなかった。
こうなると「会うだけ」ってのは難しくなる。会ったらそれは「受け入れる」と思われるだろう。
それに、痛いところも付かれた。処刑人を倒すって言ったって、何も殺すワケじゃない。
じゃぁ具体的に僕は何をすればいいのか?
単純に「処刑人を見たい」ってだけで、その後のことなど何も考えてなかった。
また脅して住所を教えてもらうだけに留めるか?
でもあんな覚悟決めてる細江さんに脅しなんて通用するか?
僕は単なる好奇心だけだけど、あっちは命がかかってる。
楽しみながらどうこうできるレベルじゃなくなってきた。
畜生。深く関わりすぎたかもしれない。
けどこれでまた全部捨てて別のアプローチを考えるのも嫌だ。
何のために脅してまで細江さんとメールを再開したのかわからなくなるじゃないか。
答えが出ない。


6月17日(日)晴れ
相手の意図が読めると、次に取るべき行動が見えてくる。
今日はまさにそれを地で行ってた。

せっかくバイトが休みだってのに僕は一日中ゴロゴロしながらメールの返事をどうするか迷ってた。
相変わらず買い物以外で外に出ない美希ちゃんも一緒に寝転がってた。
友人もいない。近所づきあいもない。外界へはネット越しでしか接触しない。
そんな環境だからこそ、内側に対するエネルギーが相当なものになってるに違いない。
今日の彼女の冴えっぷりは目を見張るモノがあった。

「返事何て書けばいいかな。あんなこと言われたんじゃ会うに会えないよね。」
「別にいいのよ。私に気を使わなくても。」
「いやいやいや。そうゆう問題じゃなくって・・。例え一人だとしても迷うよ。」
「そうかしらね。細江さんの言うように本当は下心があったりするんじゃないの?」
「そんなことないって!下心がどうだとかなんて、言われるまで思いも寄らなかったよ。」
「言われるまで、ね。相手のせいにする気?」
「違う違う。最初っからそんな気もなかったし今でも無いって。」
「どうかしらね。私がいなかったらオイシイ話に飛びついてたのかも・・・。」
「飛びつかないって。あっちが勝手に言ってるだけだよ。」
「・・・・・待って。」

冗談交じりで意地悪なことばっか言ってた彼女が突然真剣な顔になった。
僕があっけに取られて黙って彼女の顔を見つめてた。一人で何かしきりに頷いてる。
しばらくすると結論が出たのか、くるっと僕の方に顔を向けてきた。

「ねぇ。まさか、これを狙ってたんじゃない?」
「何を?」
「オイシイ話よ。自分の身体で亮平君を釣ろうと思ってるのよ。」
「え?え?どうゆうこと?」
「わかんない?つまりね。いきなり下心がどうだとか言い始めたのは、『それもアリ』って思わせる為なのよ。
細江さんは私の存在を知らないわけでしょ?だから男を釣るのに一番いい方法を考え出したってわけ。」
「じゃぁあの『誤解』はわざと・・・」
「そう。いきなり『私の身体を捧げますから助けて下さい』って誘うのも突然すぎるでしょ?
だからその前に布石を打って、話の流れをそっちに持ってってたのよ。この人、とんだ策士ね。」
「僕を誘うつもりでそんなことをしたってことだね。でも、どうしてそんなことする必要があるんだろ。
僕はもう『助けに行く』って宣言してるんだから。普通に言ってくれても問題ないのに。」
「たぶん状況が変わったせいよ。助っ人が来たくらいじゃ何も解決しなくなったから。
それに細江さんはその場から逃げ出したいんでしょ?でもただ逃げただけじゃ寝場所が無いわよね。
だから受け入れ先にネットで知り合った男を利用しようと思ってるのよ。」
「まさか最初っからそのつもりで『密告』を?」
「それはたぶん違うと思う。やっぱり状況がせっぱ詰まってきたからじゃないかな。
縁を切ったもののどうしようもなくなってるところに再びメールが届いた。
脅すとか色々言ってるけど、逆にこれを利用すればここから逃げられる。むしろこれはチャンス・・・
そんな風に考えた。ってのはどう?」

納得。この一言に尽きる。
あとは次の行動に移るだけだ。相手の意図がわかったおかげで話し合いもサクサク進む。
そしてある計画を思いついた。その走りとしてまずはメールに返事を書いた。
内容は、「会ってもいい。」
罠には罠で返す。



第31週
6月18日(月) 晴れ
さっそく返事が来た。
「ありがとうございます!じゃぁもう具体的な話に入ってもいいですか?
いつお会いできるでしょうか。私はできるだけ早い方がいいんですが
虫さんの都合はいかがでしょうか?」

僕もすぐに返事を書いた。
「そうですね。こっちも受け入れ体制を整えなくちゃいけないんでほんの少しだけ待って下さい。
僕にもバイトやら私生活があるんで、今すぐってわけにはいかないんですよ。
ただ、必ず今週中には会えるように調節します。
二、三日以内にはまたメールしますから。もうちょっとだけお時間を下さい。」

バイトを休むのなんか前日までに店長に言えば大丈夫。
美希ちゃんに関しては予定なんてまるで無いからいつでもオッケー。
あとは場所とかも決めて、最後の取引を行う時間も必要だから・・
うん。今週中には会える。


6月19日(火) 曇り
「わかりました。時間は後にしてとりあえず会う場所はどこにしますか?
早めにそれだけ決めてしまいましょう。私が直接そちらに行っても構いません。
虫さんは東京の人でしたよね?私も関東在住なのでいこうと思えばすぐ行けますから。」

いきなり本題に入ってきた。
これで北海道やら大阪やらここから行ける距離じゃなかったら大笑いだった。
僕も東京だと言ったって都会の真ん中に住んでるわけじゃない。
千葉との境でギリギリ東京といったところ。
一応関東圏内であればどこでも行こうと思えばいける。それはあっちと変わらない。
で、いきなりこっちに来てもらっても困る。それでは僕の目的が果たせない。
罠、というほどのものじゃないけど、最後の取引をしないといけない。

「関東のどこら辺なんでしょうか?あの、どうせ会うのなら最後にこちらからもお願いがあります。
一目だけでもいいんで、処刑人『S』をこの目で見たいんです。
僕もずっとネットで追っかけてきたので気になって仕方なかったんですよ。
だからどうにかお願いできませんか?」

もちろん会ったからといって細江さんを受け入れるつもりは無い。
うまいこと理由をつけて拒否するつもりだ。
会う時には美希ちゃんにも一緒に来てもらうつもりだし。
申し訳ないけど受け入れるのは無理だよ。逃げるのなら別の所へ行ってくれ。
とは口に出さずに何となく受け入れるような素振りだけする。
我ながら卑怯な手を使ってるな。


6月20日(水) 雨
「私は神奈川県在住です。虫さんがこちらに来るのですか?
会うのは危険過ぎますよ。Sがどれだけ危ない人物かは散々言ったと思いますが。
あなたが思ってるほど甘い相手ではないですよ。
身近にいる私が言うんだから間違い有りません。会っても絶対後悔すると思います。
何度も言いますが私はここから逃げたいんです。
でも逃げたからと言って住む場所もないからあなたを頼ってるんです。
もちろんその分ご奉仕はしますから・・・
そんなにSに会いたいのなら私が彼女がどんな人間なのかを細かく説明するのじゃダメですか?」

受け入れるってやっぱり一緒に住むことまで考えていたのか。
一時的なねぐらの確保ってつもりではないらしい。
そうなってくるとこうして騙してるのが少し罪悪感が出てくる。
けど、ここは心を鬼にして自分のスタンスを貫いた。

「僕はどうしても『処刑人』に会いたいんですよ。
会うだけなら一日あれば大丈夫でしょ?細江さんを受け入れるのはその後でも全然平気じゃないですか。
この条件をのんでくれないようならこの話は無かったことに。
問答無用で処刑人にもあなたの名前を密告します。僕はそれくらいのつもりでいます。」

間違いなくここが細江さんを口説き落とす正念場だ。
だから最後は強気で一気にカタをつける。
これでどうだ。


6月21日(木) 曇り
「足下見るおつもりですね。ひどい人です。
でも今は仕方有りません。今回は条件をのみます。
その変わりに絶対私を受け入れて下さいね。
ただ、私はわざわざ危険な目に会いたくないので
Sに会うならご自分で会いに行って下さい。
彼女の住所を教えますから。適当に見張ってれば必ず会えるでしょう。
遠目で見るだけの方が無難だと思いますが・・・そこら辺の判断は任せます。
用事が済んだら私と会って下さい。それでいいですか?
オッケーなようならSの自宅の住所を教えます。
あと最後にこれだけは言わせて下さい。
絶対に後悔しますよ。」

来た。美希ちゃんに同意を求めると「これで十分よ。」とのこと。
許可が出た。さっそく承諾の返事を書く。

「わかりました。約束は必ずお守りいたします。
住所を教えてくれればすぐにでも行きますよ。用事は早く済んだ方がお互い都合がいいでしょう?
明日までに教えてもらえれば土曜日にでも見に行くつもりです。
あと何かとご心配されてるようですが、トラブルがあれば自分で何とかするので大丈夫ですよ。
後悔するようなことがあればそれは自分のせいですので・・・
気にせずお待ち下さい。」

なかなか理想的ではある。
これなら堂々と美希ちゃんと見に行ける。
その後本当に「約束」を守るかは知ったことじゃない。
一度はあっちの都合で勝手に切られたんだ。それをそのままお返しするだけ。
それが嫌なら、どんなに危険でも僕がSに会いに行くのに同行するべきだったんだ。
この時は確実に僕が現れるんだから。僕に会える最大のチャンス。
これを自ら逃した細江さんは選択を間違えた。そっちこそ僕を甘く見過ぎてる。
ネットでの駆け引きはどこが正念場なのかをちゃんと見極めなきゃいけない。
自分勝手なのはお互い様。あとはどこで利害が一致するかだけだ。
と、こんな感じで自分に言い訳しつつ明日のメールを楽しみにしている僕がいる。
会えそうで会えなかった宙ぶらりんな日々からようやく解放される。
やっと会えるな。処刑人さん。


6月22日(金) 晴れ
ここに至るのにどれだけ時間を費やしたんだろう。
処刑人のメールアドレスを入手したり、処刑人の被害者とメール交換してみたり。
何度も惜しいところまで来てたのに、いざ会おうとするとはぐらかされたりでうまくいかなかった。
それがようやく報われた。
今日、「S」の住所が届いた。「本名はその場でご確認下さい。」とのこと。
明日の昼頃、処刑人の元へ押し掛ける予定だ。
学校から帰ってくるくらいの時間を狙って見張る。
バイトの休みも難なくもらえたし、気兼ねなく処刑人に会いに行ける。
細江さんは最後まで「後悔しても知りませんよ。」と書いてたけど
別にそれほど心配する必要は無いと思う。
なにしろ僕は処刑人に顔を知られてないんだから。
僕一人じゃなくて美希ちゃんも一緒にいくし。

色々計画も立ててみた。
処刑人らしき人物が来たら携帯にメールを送ってやるか。
道に迷ったフリをして声をかけてみるとか。
いきなり「処刑人!」と叫んで逃げるなんてもの。
やりたいことはたくさんある。
でも相手を確認しないことには何とも言えない。
本当にヤバそうなヤツだったら見るだけで済ますかもしれない。
「なんだかドキドキするね。」と美希ちゃん。僕なんか心臓がバクバク鳴りっぱなし。
細江さんはもう切り捨てる予定だけど、そんな罪悪感よりも明日の楽しみの方でいっぱいだった。
まさか明日、急遽細江さんも登場なんてことも有り得るか?
僕が切り捨てるつもりなのを察して、このイベント自体罠か?
そんな考えも沸いてきたけど、よくよく考えるとそれはあまりうまくない。
細江さんだって僕の顔は知らないんだから。よほど露骨に張り込まない限りはバレはしない。
それらしき人物に声をかけられても、他人のフリをすれはいいだけだ。
そのほかに何にか気になることは?
ない。全く問題ない。
あとは行くだけ。ああ、明日のことを考えると緊張してきた。
なにをしよう。何を見よう。何て言えばいいんだろう?
・・・今夜は眠れそうにない。


6月23日(土) ハレ
処刑人の住む町へ繰り出した。
細江さんの情報によると、ヤツが住んでるのは川崎。
神奈川県内でも東京に近いところだからわりと行きやすかった。
僕も美希ちゃんも遠出するのは久々だったからちょっとした旅行気分だった。
処刑人ってどんなヤツなんだろう。そんな話で盛り上がりながら。
乗り換えやら地図で住所を確認しながらウロウロしたりで
結局そこにつくまで二時間近くかかった。

そのマンションを発見したのは11時過ぎ。
昼頃にはSが来るだろうってことでしばらく現場近くで待機することになる。
Sの家は上の方の階だからあまり露骨に待ってると怪しまれる。
現場に張り付くのは難しそうだって話になったけど、その前にまずやることがあった。
本名の確認。下の名前はわからなくても名字くらは知っておく必要がある。
名前がわからないとどの部屋がSの家なのかもわからないし、
何よりこればっかりは多少の危険を冒しても知る価値はある。
ここまで来たら確認できるものは全部知りたくなるのは当然の話。
処刑人の住んでるマンション。この道を毎日処刑人が通ってる。
この近くに処刑人の通ってる学校が。細江さんたち被害者ももしかしたらこの近くに住んでるかも・・
僕も美希ちゃんも好奇心でいっぱいだった。
マンションだから一階に全住人の郵便受けがある。
そこで部屋番号と照合すればそこに住んでる人の名字がわかる。
Sは名字なのか。下の名前なのか?
見に行ってる最中に「S」が帰ってきたら怖いから、二人一緒に見に行った。
住人にあやしまれないように、友達の家を探すようなフリをしてた。
さりげなく郵便受けに近づく。周りには誰もいない。
これ以上ないチャンスだった。
急いで住所のメモを取りだした。順番に部屋番号を確認。
一階じゃない。二階。三階。四階。
四階だ。部屋番号を目で追っていく。
数字が増えてって、段々近づいて・・・

ロビーに美希ちゃんの悲鳴が響き渡った。

僕は彼女を引っ張って大急ぎでその場から走り出した。
じっくり確認しようなんて気にはならない。
その映像はしっかりと頭の中にこびりついてる。
お互いその家を訪問してみようなんて考えはこれっぽっちも無い。
部屋の前で見張って、「処刑人」が帰ってくるのを待つなんてもってのほか。
第一、誰が来ると言うんだ。
冷静に考えるとその場で確認しなければならないことはたくさんあった気もするけど
とてもじゃないけどその時はそんな余裕無かった。
逃げなきゃ。それしか考えてなかった。
別に逃げる必要なんてなかったかもしれない。
けど、あの場で、あいつの名前が出てくるなんて。
僕も彼女も、逃げることしか考えられなかった。
今でもそうだ。あそこに改めて訪問する気なんてなれない。
正直、かなり混乱してる。細江さん?処刑人?何がなんだって?
知るか。
この現実を前にしてどこをどう整理しろと言うんだ。
目をつぶると今日見た映像がハッキリ浮かび上がってくる。
銀色の郵便受け。色んな人の名前。
郵便受けには名字だけ載せる人もいれば、ご主人のフルネームを載せる人もいるし、
中には家族全員の名前を載せる人だっている。
その家はまさに家族全員の名前が載っていた。
別に全員の名前が載ってなくても十分その名字だけで察することはできたのに。
運がいいのか、悪いのか。
しっかりそいつのフルネームが載っていた。

奥田徹

何も言えない。何も考えられない。
この名前を見ればそこが誰の家なのかすぐわかる。
ひょとすると同姓同名なのかも、なんて考えはこれっぽっちも無い。
そうであって欲しいけど、そんなわけにはいかないだろう。
ここは素直に受け入れるしかない。
「細江さん」から教えてもらった住所は、奥田の実家だった。

家に帰り、呆然としたままパソコンの電源を入れた。
「細江さん」に聞かないと。これは一体なんなのか。
教えてもらった住所のところには「S」なんて文字は欠片も見つからなかったぞ。
あったのは、死んだ親友の名前。
なんでお前がこの名前を知ってるんだ。
ネットに繋ぐと、こっちが送るよりも先にあっちからメールが届いてた。
「細江さん」じゃない。差出人不明のメールだった。

「だから後悔するって言ったのに。」

美希ちゃんは僕の隣で震えてる。
僕も震えたい。


6月24日(日) 晴れ
これまでのことが急に虚ろに思えてきた。
ネット上で色んなやりとりをしてきて、何人もの人と会話して・・・
それらは全部パソコンの中で行ってきた。
実際声を出して喋ったわけじゃない。
そうだよ。散々ネットにハマってた割には、僕は誰にも会ってない。
これまでの人とは誰とも顔を合わせていない。
密告者・細江さん。ターゲットの田村さん。殺された牧原さんに岡部先生に板倉さん。
そして処刑人S。
全部嘘だったのか?何もかもが作り話だったのか?
例え作り話だったとしても、そこには誰かがいたはずだ。
キーボードを打って、僕にメールをくれてた誰かが。
誰だ?

奥田。お前の名前がなぜこんなところで出てきたんだ。
奥田は死んだはず・・・・だよな?
もうそれすらもあやふやになってきた。
美希ちゃんは寝込んでる。僕もマトモに起き上がる気にはなれない。
誰か説明してくれよ。どこまでが嘘で、どこまでが本当のことなのか。
僕らにはなにもわからない。
わからない。
ワカラナイ。



第32週
6月25日(月) 曇り
バイトは休んだ。とてもじゃないけど働く気になれない。
ネットに繋いでみる。自分のページにアクセスすると、ちゃんとそこには「WANTED処刑人」のデータがあるし
メールのやり取りを遡ってみても、確かに過去のメールは残ってる。
掲示板にもみんなが書き込んだあとがある。
「密告者」もいる。「処刑人」もいる。ネットの中では。
全てはネットの中での出来事だった。
現実は違う。
密告者・細江さんのメールアドレス。
風見のメールアドレス。「K」のアドレス。「ケイ」のアドレス。
「ARA」さんのアドレス。「紅天女」さんのアドレス。「渚」さんのアドレス。
そして「処刑人」の携帯のメールアドレス。
これらアドレスは誰のだ。
返事をくれたのは誰だ。
今送っても届くのか。
何がいけなかったんだろう。


6月26日(火) 晴れ
今日もずっと家にいた。
家の中は重苦しい空気が立ちこめてる。
お互い口には出さないけど、思ってることは一つ。
奥田。お前は生きてるのか?
あり得ない。奥田は死んだはず。
じゃぁ僕とメールのやり取りをしたのは誰だ?あいつに僕の知らない友人なんていたか?
それともやっぱり、死んでないのか?
葬式は?あの葬式はなんだったんだ?
どこかで生きてるのか?
あのマンション。部屋まで行けば、奥田が迎えてくれてたのか?

二人で話し合えば少しでも答えが見えてくるかも知れない。
でも、どっちも口を開かない。話せばいいのに。
話せない。


6月27日(水) 曇り
ネットで何が起きようと、いつでも切り捨てることができる。
どんな事件に巻き込まれたって、逃げてしまえば大丈夫。
相手にこっちの顔は見えてないんだから。
そう思ってた。
違った。相手は僕のことを知ってた。
もし仮に・・・あのマンションが奥田の実家でなく、同姓同名の人だったとしても
僕と「奥田」の関係を知ってる人物でなければ、僕をあの場に導けなかったはずだ。
もしかして美希ちゃんの存在まで筒抜けだったのか?
僕らは踊らされてた。それはわかる。
けど何のために?
奥田。これは何だ?
僕らのことが許せないのか?
それならハッキリ言ってくれよ。目の前に出てきて。姿を現して。
謝るから。土下座だって何だってする。
お前の望むことなら何でもするから。
だからこんな・・・真綿で首をしめるようなことはやめてくれ。
意味の分からないまま振り回すのはやめてくれ。
罠ばかり張って、僕らがそれにハマるの黙って見てるだけなんて。
ひどいよ。


6月28日(木) 晴れ
先に口を開いたのは美希ちゃんだった。
「徹君のお墓参りに行かない?」
僕も同意した。なんとなくそれが今の僕らがまず一番始めにしなければならないことにも思えた。
気まずいままずっと何もしないわけにはいかない。
美希ちゃんがまず突破口を開いてくれたんだ。このままやれることはやっておこう。
杉崎さんに電話した。
電話は自然にかけることができた。亡き友人の墓参りに行くために場所を聞く。
ごく自然の行為だ。何も気兼ねなんかする必要ない。
奥田の眠ってる場所と、そこへの行き方。
杉崎さんは丁寧に教えてくれた。
僕らが墓参りに行く気になったことに関しては特に何も聞かれなかった。
聞かれても正直に答えることなんてできないけど。
受話器を置く直前、思わずこの言葉を口走ってしまった。
「杉崎さん。奥田は本当に死んだんでしょうか?」
杉崎さんは「はぁ?」と聞き返した。
「当たり前じゃないか。変なこと聞くねぇ。死んでなきゃお墓なんてないはずだよ。」
その通り・・だ。葬式だって死ななきゃやる必要はない。
適当に言葉を濁して電話を切った。
美希ちゃんも僕らの会話を聞いてた、ずっと無言で本当に聞いてたのかはわからない。
「明日、さっそく行ってこようか。そんなに遠くない場所だよ。」
僕が話しかけると彼女は「うん。」と小さく頷いた。
とても弱々しい声だった。


6月29日(金) 曇り
またちょっとした旅になった。
ただし、先週とは全然事情が違う。
電車に乗ってる間、僕らは何も話さなかった。

お盆でもない平日に墓参りなんかするのは僕らだけだった。
人っ気の無い墓地でしばらく二人で奥田の墓を探した。
探すのは単純作業で簡単だった。墓石を順番に見ていって「奥田」の文字があるか確認するだけ。
思ったより早く見つかって驚いたくらいだった。
「奥田徹」
ご丁寧に墓石にまでフルネームが刻まれてた。
僕はそれを見て確信した。
死んでる。奥田は間違いなく死んでる。
持ってきた花を添えて手を合わせた。
何しに来たんだろう。わかってたことじゃないか。
奥田は死んだ。僕らの裏切りに絶望して自殺したんだ。
手を合わせて何になる。許しを乞うのか。
許されるわけないのに。奥田。僕らに罰を与えたいか?
処刑したいのか?
そうなんだろうか。今のところはまだ罰を受けてない。
罪を改めて認識されられただけだ。
処刑はこれから始まるのか。それとも別の・・・

突然叫び声が上がった。
びっくりして目を開けると、美希ちゃんが墓にしがみついてた。
そして墓を・・・・掘り起こそうとしてた。
僕が止めても必死になって墓を暴こうと暴れてた。
彼女はずっと叫んでた。
僕は彼女の身体を押さえながら、自分でも驚くほど冷静に彼女の言葉を聞いていた。

「嘘よ!死んだなんて嘘だわ!ねぇ。このお墓の中には骨なんて無いのよ。
確かめてみればわかるはずよ。絶対骨なんかないのよ!徹君は生きてるのよ!
亮平君。掘らせてよ。お願いだから掘らせてよ!
掘らせて。絶対骨は無いから。こんなの嘘なんだから。
そうよ。みんなぐるなのよ。杉崎さんだって嘘ついてるんだわ。徹君の両親だって息子が生きてるのを知ってるんだわ。
あの葬式は嘘だったのよ。みんなね。徹君が私たちに復讐するのを手伝ってるのよ。
ほら。思い出してみてよ。誰も徹君の死体なんか見てないのよ。
全部杉崎さんから聞いた話じゃない。徹君に協力してるだけなのよ。
嘘なのよ。全部嘘なのよ。誰も本当のことを教えてくれないのよ。
みんなで騙してるんだわ。私たちのことを。そして笑ってるのよ。
徹君はずっと私たちのことを見てたんだわ。自分たちの犯した罪をちゃんと覚えてるのか。
見張られてるのよ。杉崎さんだけじゃないわ。みんなよ。みんな本当は徹君が生きてるのを知ってるのよ。
私たちだけが知らないのよ。みんなで協力して私たちのことを騙してるのよ。
亮平君。あなたのバイト先の店長さんだってぐるなのよ。
隣に住んでる人も、私が買い物に行く時に道ですれ違う人も。みんなみんなぐるなのよ。
裏ではみんな徹君の指示を受けて行動してるのよ!
ねぇお願いだから掘らせてよ。このお墓の中には誰もいないんだから。
誰も死んでないんだから。掘ったって問題ないでしょ。掘らせてよ。掘らせてよ・・・・!!」

彼女が泣き付かれて身体の力が抜けてきた時、僕はようやく声をかけることができた。
とても小さな声で。絞るようにして言った。
「そんなことないよ。」
何が「そんなことない」んだか。自分でも言ってる意味がわからない。
ただ、それしか言葉が見つからなかった。
彼女なかなか墓石から手を離そうとしなかったけど
なんとかなだめて引きずるようにしてその場を離れた。
彼女はずっと「みんな嘘なのよ。」と言い続けてた。
家に帰ってまで言ってる。
そして僕はそのたびに「そんなことないよ。」と言う。
何かが壊れた。


6月30日(土) 雨
何がいけなかったんだろう。もう一度自分に問いかけてみた。
彼女の目は光を失い、宙に向かって昨日から同じ言葉を呟き続けてる。
僕は昨日から何も食べてない。食欲がわかない。
僕もギリギリのラインだ。何もかも放り出して発狂してしまいたいけど
彼女の面倒も見なければならない。だから、僕までおかしくなるわけにはいかない。
何でこんなことになてしまったんだ。
ちょっとインターネットにはまっただけで。
ただがパソコンじゃないか。
誰かに会ったわけじゃない。全ては画面越しの出会い。画面越しの会話。
この家で、この家にいるだけで全ては事足りた。
外に出る必要なんてなかった。
必要最低限。バイトと買い出し。外に出る理由はそれしかない。
遊びたいならパソコンの電源をつければいい。
他人と話したいならネットに接続すればいい。
それで十分楽しめてたんだ。それの何が悪かったんだ。
・・・・あの時の選択か。
奥田が死んで、世間に顔向けできなかった。
だから僕らは家に篭もった。
美希ちゃん。君を外に出すのは嫌だったし、何より僕自身も外に出たくなかった。
賢明な判断だと思ってた。ほとぼりが醒めるまで大人しくする。
その結果がこれだ。
全てのエネルギーが内側に向けられてた。趣味も。情報収集も。他人とのコミュニケーションも。
全部家に中で済ます。パソコンがあればそれができたから。
でも違ったんだ。僕らは外に出るべきだったんだ。
堂々と外を歩き、世間の冷たい目に耐えなければならなかったんだ。
それが当然の制裁だったんだ。それを逃げてしまったから、今頃になって、一気に。
いや、そもそも「世間の冷たい目」なんてのは幻想だったのかもしれない。
奥田徹という男が自殺した。それを知ってる人がこの世に何人いる?
そしてその中で、奥田の自殺に僕と美希ちゃんが関係してると推測できる人は何人だ?
ゼロだったかもしれないじゃないか。
「冷たい目」で見る人なんて存在してなかったのかもしれない。
今となってはそれを確かめることはできないけど。

中にいたからだ。外に出ようとしなかったから、こんな目に会ってしまったんだ。
わからないことが多すぎる。なら、自分の目で確かめに行くしかないじゃないか。
早くからそうしていれば、奥田の名前にもすぐにたどり着いてたかもしれない。
僕とメールのやり取りをしてた「誰か」にも会えてたかもしれない。
機会はあったはず。外に出てれば。
篭もってたせいで、幾つもの機会を取り逃がした。
篭もってたからだ。
篭もってたのがいけなかったんだ。


7月1日(日) 快晴
日陰の中で生きてきた。
熱い日差しに身をさらすのが嫌だった。
光の中に身を寄せると、自分の姿がハッキリ見えてしまうから。
自分の姿を見られたくなかった。こんな恥まみれな僕を。
「世間の目」が怖かった。
家にいたって良かった。美希ちゃんがいたから。
一人だったら孤独に耐えられなかったかもしれない。
二人だから平気だった。篭もった生活でも満足してた。
それで十分生きていけた。
普通に過ごしていた。

けどそれは、今日までだ。
もう「普通」に過ごすことはできなくなってしまった。
どれだけ悩み、どれだけ凄い決意をしても、それは所詮決められた範囲の中でのことだった。
外に出ないことを前提とした選択だった。
そしてそれは、生活に支障を与えるようなことでもなかった。
何もしないでも生きていけたし、少し変わったことをしたくらいでは生活は変わらなかった。
今は違う。何もしないままでは生きていけない。
壊れた美希ちゃん。壊れた僕の心。
取り戻さないと。
簡単な話だ。わけがわからないまま答えを探すのを諦るか。
答えを探し、真実を見つけるか。
そんなのどっちを選ぶか決まってる。
だって、美希ちゃんが先に選んでしまったから。
考えるのを放棄して生ける屍になってしまったから。
僕は、答えを探す方を選ぶしかないじゃないか。
僕だってできれば何もしないで生きていきたい。
だけど二人揃ってそれをやってしまったら、本当に飢え死にしてしまう。
それもアリか?いや、ナシだ。

どんなにつまらない人生でもいい。何でもいいから生きていたい。
死にたくない。今はその「つまらない人生」すら失おうとしてる。
それを阻止するためには、見えてなかった世界へ飛び出すしかない。
何が起きているのか。僕らはどこにいるのか。全てをこの目で確かめる。
僕らのささやかな世界を守るために。やるべきことはただ一つ。
殻を打ち破り、そして。

外へ・・・!


第2部<外界編>
  第9章