絶望世界 もうひとつの僕日記

第2部<外界編>
第12章


第45週

3月18日(月) 曇り
家に帰る途中、店に寄っておいた。
わがまま言って春休みをもらったお詫びをしたけど杉崎さんは全然気にしていなかった。
実家の方では毎晩僕がご飯を作ってたからカンは鈍ってない。
明日から現場に復帰するのも問題なさそうだ。
アパートに戻るとすぐに横になった。お腹が減ってたけど眠気の方が上だった。
少し疲れた。


3月19日(火) 晴れ
厨房の熱気を浴びてると仕事をしてる感覚に浸れる。
僕の日常生活は変らない。他人のために料理を作る。それを繰り返せばいいだけのこと。
出前で原付に乗ってるとき、実家で自転車に乗ってたのを思い出した。
荷物を運ぶならやっぱり原付の方が楽だった。
家用にも欲しかったけど今はお金に余裕が無い。
しばらくは厳しそうだ。


3月20日(水) 曇り
体が仕事を覚えると頭は別のことを考えててもちゃんと作業が進む。
料理も単なる作業だと思えるようになれたのは、それなりにできるようになった証拠だろう。
他の仕事はもうできないと思う。また新しく覚える気にはなれない。
料理ができることは何かと役に立つ。けど別に料理を極めたいとは思わない。
この店でずっと仕事をするのもいいかもしれない。気心知れた場所だから。
外に出るのは私生活だけでいい。


3月21日(木) 晴れ
携帯が鳴った。田村さんからだった。
「あの、早紀はいつ破滅してくれるんでしょうか?もう春休みになっちゃいましたよ。」
もうすぐだよ、と答えて電話を切り、また仕事に戻った。
家に帰たあとふと思ってネットに繋いでみた。
掲示板を見ると一つだけ書き込みが増えていた。
「みなさん、進行状況はいかがですか?報告求む。」
誰も返事を書いてない。田村さんの書き込みだけが寂しく画面に浮かんでる。
この子だけまだ取り残されてる。


3月22日(金) 曇り
また田村さんから電話があった。
「すぐっていつですか?」
「何のこと?」
「昨日言ってたじゃないですか。早紀が破滅するのはいつかって聞いたら、すぐだって。」
「ああそのことね。まだなんだ。でももうすぐだよ。」
「だからそのすぐっていつなんですか。」
「うーん、ごめん。実は冗談。嘘だったんだ。」
「嘘?何が嘘なんですか?」
「全部。」
そのまま電源ごと切り、仕事に戻った。
春休みに入ったせいか、客層は家族連れが多い。


3月23日(土) 雨
留守電が五件入ってた。全て田村さんだった。
メールも三件ほど届いてた。全て田村さんだった。
用件は全部同じ。「早紀はいつ破滅するんですか?」
気付いたら掲示板へもその言葉が書き込まれていた。
まだ誰も返事を書いてない。たぶん誰も書かない。
携帯の電源を入れると今でも10分おきくらいに電話が鳴る。
いつのまにか留守録センターの預かれるメッセージ量もいっぱいになってた。
消してもすぐ次のが入る。


3月24日(日) 晴れ
田村さんに電話した。
「やぁ。ごめんね、連絡してなくて。」
「別に構いません。それより早紀はいつ破滅するんですか?」
「そのことなんだけどね、実はみんなリタイアしちゃったんだよ。」
「・・・え?」
「遠藤さんも秋山君も川口も、もう飽きちゃったって。帰っちゃった。」
「帰ったって・・・ゲームはどうなったんですか?」
「そりゃ参加者がいないんじゃゲームはナシだよね。」
「じゃあ早紀は?早紀の破滅は?」
「こうなったら田村さんが直接やるしかないんじゃないかな。」
「師匠!まだ師匠がいるじゃないですか。」
「その呼び方はもうやめて欲しいな。本名で呼んでよ。」
「奥田さん!奥田さんはまだやめないですよね?帰らないですよね?」
「それがね。僕も何というか、みんなと同じで・・・飽きちゃったんだ。だからもうやめようと思う。」
「そんな・・・待って下さい。奥田さんまでいなくなっちゃったら・・・本当に・・・」
「ごめん。冷たいようだけどもうこれっきりにする。」
「待って!切らないで!嫌ですそんな・・・お願い・・・もう少しだけ・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・一緒に・・・・・・・また一人だなんて・・・・・。」
「・・・・・わかった。」
「え?」
「わかったよ。僕は残る。」
「本当ですか!やったやったやったありがとうございますありがとうございます。」
「うん。いいよそんなに言わなくても。」
「はい。でも良かった・・良かった・・・嬉しいです・・・・・。」

本当に嬉しそうだった。



第46週
3月25日(月) 晴れ
仕事中に携帯電話を気にするのは悪い癖かもしれない。
けど休み時間に少しくらい電話をするくらいなら。
杉崎さんは僕がしょっちゅう電話するのを別に気にしない。
今日も電話してたら「友達が多くていいね。」と冷やかされた。
実際のところは特定の人としか話してないけど、別にそこまで説明する必要も無いと思う。
仕事は順調だから問題ない。


3月26日(火) 曇り
田村さんから電話があった。
「奥田さん聞いて下さい!大変なことになりました。」
「どしたの?落ち着いてよ。」
「早紀が、早紀がウチに電話してきたんです。」
「ホント!?どんな話したの?」
「会話はしてないですできないですよ。最初はお母さんが出たですけど頼んで切ってもらいました。」
「なるほど。」
「どうしようとうとう私がターゲットにされちゃった奥田さん早く早紀を殺して下さいよぅ。」
「待って。すぐすぐってワケにはいかないから。対策を考えるよ。」
「ありがとうございます。で、あの、また電話来たらどうすればいいかな。」
「同じように切ってもらうしかないね。自分で電話に出ちゃ駄目だよ。」
「はい。わかりました。」

かなり怯えていた。


3月27日(水) 曇り
今日も田村さんから電話があった。
「大変です!今日も早紀から電話がありました。完全に私のこと狙ってますよ!」
「大丈夫、落ち着いて。会話はしてないよね?」
「はい。してません。またお母さんに頼んで弾いてもらいました。」
「いいね。」
「また目覚めちゃったんですよ。どうしよう私がゲームに勝っちゃったりしたから。変に刺激しちゃったから。」
「状況を改めて教えてよ。前にゲームに勝った時ってどんな感じだった?確かあっちから言ってきたんだよね?」
「そうなんです。いきなり『私、処刑人でもいいよ』とか言って。
そのあと牧原さんとか板倉さんとか岡部先生とか細江さんのこととかごめんなさいとか謝って。」
「自分は処刑人だっていう意識はあるってことだよね。それに『処刑人でもいいよ』ってことは・・
今まで罠にはめてたのもとっくにバレちゃってるんだろうなぁ。やっぱり。」
「そうですよねやばいですよ殺されますよぅみんなみたいに。」
「いや、大丈夫。今は僕がいるから。」
「ありがとうございますありがとうございます。」
「けどとりあえず何かした方がいいね。こっちも戦う意志を見せないと、黙ってやられるだけになる。」
「どうすればいいですか?」
「よし。宣戦布告しよう。」
「どうするんですか?」
「田村さん。勇気を出して電話するんだ。こっちには強力な味方がいるから手を出しても無駄だって言えばいい。」
「・・・・・・電話するんですか?」
「そうだよ。だって今は春休みでしょ?学校であえないんじゃ電話しかないよ。」
「私が・・・・ですか?」
「うん。僕がいきなりしても意味ないと思うんだ。君は直接言ってこそ効果がある。
大丈夫だって。イザとなったら僕が駆けつけてあげるから。安心して。」
「本当に来てくれますか?」
「絶対。約束するよ。」
「わかりました・・・。」

声は弱気なままだった。


3月28日(木) 雨
今日は僕から電話した。
「どう?もう電話した?」
「まだ・・・してないです。」
「駄目だよ早くしなきゃ。」
「そう言われても・・」
「早くしないと家に襲いにくるかもよ。もしくはこっちが外に出るのを伺ってるのかもしれない。」
「いや・・・・!」」
「平気だって。一言言うだけなんだから。」
「あの、奥田さん。一緒に居てください。隣に居てくれたら私、電話できます。」
「一緒に?ああ。それは別に構わないけど。」
「ホントですか!?ありがとうございます!あの、じゃあ、すぐ・・・じゃ駄目ですか?」
「そりゃ随分急だね。まぁいいけど。丁度木曜は仕事も休みだし。」
「それを早く言って下さいよ!来てくださいいますぐ来てください御礼は何でもしますから。」
「わかったわかった。今から行くよ。」

結局今日は一緒に居て勇気付けただけで、肝心の電話はしなかった。
帰り際に手を握られた。しばらく目を合わせたあと、田村さんは僕をどこかに引っ張っていこうとしてた。
手を離すと寂しそうな顔をした。「大丈夫。危険になったらまた飛んでくるから。」と言って僕は帰った。
少し吐き気がした。


3月29日(金) 曇り
今日ついに電話したらしい。
声に興奮が混じってた。
「言いました。私、言いましたよ!」
「やるじゃん。で?何て言ってやったの?」
「奥田さんの言ったとおり、『私には強力な味方がいる』って言ってやりました。へへへ。ちゃんと言えましたよ。」
「あっちは何か言ってた?」
「早紀ったら何も言えずに怖気づいてました。効果アリですよ。間違いなく。」
「いいねぇ。じゃぁこれでまたしばらくは平気だね。じゃ・・・」
「いやでもまだ安心できないですよ。早紀のことだからこれくらじゃ効果ないですよ。」
「さっきは効果アリって言ったじゃん。」
「それとこれとは別ですよぉ!奥田さんもう少し知恵を貸してくださいよ。」
「知恵って言ってもなぁ。僕はそろそろお役御免じゃないかなぁ。」
「待って!まだ残ってくださいよお願いします。イザとなったら駆けつけるって言ったじゃないですか。」
「うん。もちろん駆けつけるよ。けど今は大丈夫だよ。あっちにもクギを差したんだから。」
「逆に刺激しちゃったかもしれないですよ!いや絶対そうだよ。間違いなく。早紀はまだまだ私を狙ってるよ!だから。」
「わかってるわかってる。大丈夫。まだ残るよ。」
「やったぁ!ありがとうありがとうありがとう。」
「いいよそこまで言わなくても。」
「うん。でも良かった・・良かった・・・嬉しい・・・・・。」

甘ったるい声が聞こえてきた。


3月30日(土) 曇り
今日の田村さんは昨日にも増して甘い声をしていた。
「どうしたの?何かあった?」
「ううん、今日は何もなかったよ。何となく電話してみただけ。」
「そうなんだ。」
「えへへ。本当は奥田さんの声が聴きたかったの。」
「そうなんだ。」
「・・・・ねぇ奥田さん。奥田さんって彼女いるの?」
「何だよ唐突だなぁ。」
「いいから教えて。彼女いる?」
「えっと、前はいたよ。」
「へーえ。その人はどうしたの?もう別れちゃったの?」
「うん。別れたっていうか、死んじゃったんだ。」
「あ・・・ごめんなさい。」
「いいよ別に。もうとっくに立ち直ったから。」
「大変だったんですね。」
「まぁね。でもその代わりっていう言い方は変だけど、その時支えてくれた人がいたんだ。」
「え?じゃぁ今は?」
「うん。その人と付き合ってる。だから彼女はいるよ。」
「そうなんだ・・・・・。」
「うん」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・その人とは別れ話とかないんですか?」
「無いよ。彼女は今でも僕の支えだから。」
「そうなんだ・・・・・。」
「ショックだった?」
「うん・・・・かなり。」
「ごめんね黙ってて。」
「ホントだよ。もっと早く言ってくれなきゃ。今更そんな・・・・・・・・・・・・・。」
「そんな、何?」
「・・・・・うんん。何でもない。平気。」
「あまり平気そうじゃないけど。」
「平気だよ・・・・私は大丈夫だから・・・・・・。」
「泣いてるの?」
「泣いてないよ・・・・・・・・・・。」
「泣いてるじゃん。」
「・・・・・・・・・・・・・・・いじわる。」

そこで電話が切れた。


3月31日(日) 晴れ
どんな会話をしたのかあまり記憶にない。田村さんのベタつく声の感触だけが耳に残る。
随分長く話したきもするけど、覚えてるのは例の部分だけ。
「大切な話があるの。」
「何?」
「奥田さん。私、あなたのことが好きです。」
「・・・・。」
「だって、頼れるのはあなたしかいないから。私の境遇をわかってくれる人はあなただけだから。」
「僕には彼女がいるって言ったよね?」
「でも好きなんです。どうしようもないんです。お願い。私を守って・・・。」
「・・・・。」
「お願い・・・・お願い・・・。」
「いいよ。」
「・・・・・え?」
「守ってあげる。最後まで付き合うよ。」
「ホントに!?」
「うん。だけど君もちゃんと覚悟して欲しいんだ。僕には彼女がいる。
でもそれはそれで置いておいて君と付き合う。どんな意味かわかるね?」
「浮気・・・。」
「・・・・。」
「私は構いません。あなたが一緒にいてくれるなら、どんな形でも。」

最近電話が終わると携帯電話を放り投げる癖がついてしまった。
家でやる分には構わないけど、今日は仕事場でその癖が出てしまってひどいことになった。
幸い杉崎さんには気づかれなかった。ただ、コンクリートの床に叩きつけたからかなり傷がついてしまった。
機能は正常に動いてるからそれだけが救いだった。
まだ電話は通じる。



第47週
4月1日(月) 晴れ
一回の電話で話す時間が異常なほど長くなった。
「そう言えばずっと気になってたことがあったんだ。いや大したことじゃないけど。。」
「何?何でも聞いていいよ。」
「本当に僕たちだけしか頼ってない?他のサイトでも同じように助けを求めてるとか。そうゆうことしてる?」
「してないよ!本当に。」
「そっか。ならいいんだ。」
「でもどうして?私、疑われるようなことした?」
「そうじゃない。ただ思っただけだよ。ネットには大勢の人がいるわけだから、他にも処刑人を追ってる人とか
いるんじゃないかなって考えてたんだ。もしいれば僕らだけじゃなくてその人にも助けを求めることも有り得るかなって。」
「奥田さんたちだけだよー。けどね。今だから言えるけど、他の人に助けを求めた時もあったよ。」
「そうなんだ。で、その結果は?」
「全然駄目。相手にもしてくれない。一人だけ話を聞いてくれた人はいたけど・・・結局その人とも縁が切れちゃって。」
「一応いたんだ。すごいじゃん。その人ってどんな人?会ったりしたの?」
「してないです。顔も知らない。でもネットじゃちょっと有名かも。えへへへ。奥田さんも知ってるかもよ。」
「僕が?まさか。僕ら以外に処刑人を追ってる人なんて知らないよ。」
「いーや、絶対知ってます。だって私達の話題に出てきたことあるもん。」
「えー?誰だろう。わかんないや。」
「正解教えて欲しい?」
「教えて欲しい。」
「どっしよっかなぁー。教えようかなぁ。やっぱやめよっかなぁ。」
「いいじゃん教えてよー。気になるよー。」
「えへへ。そこまで言うなら教えてあげる。正解はね、『虫』さん。知ってるでしょ?」
「ああ、最初に処刑人探すサイトを立ち上げたって人か。へー。虫さんと話したことあるんだ。」
「メールと掲示板でだけですけどね。奥田さんその頃はまだ知らないでしょ?」
「うん。僕も途中からだったからね。で、どんな感じだったの?」
「結構相談に乗ってくれてたよ。会う話にまで行きそうだったんだけど・・・私ね。まだネットを始めて間もなかったから
実際合うのが怖くて途中で止めちゃったの。それに名前も他の人の名前使ってたりしたから気まずくて。」
「へぇ。途中でねぇ。まぁそんなことがあったんだね。」
「そうなんですよ。そんなこんなであっちもサイトを更新しなくなっちゃったりして疎遠になって・・
今は奥田さんだけが頼りですよ。やっぱり実際会ってくれる人じゃないと信用できないですよね。」
「そうだね。」

会ったからって信用できるとも限らない。


4月2日(火) 曇り
「昨日の話、もう少し詳しく教えてくれない?」
「どの話?たくさんお話したからどれかわかんない。」
「ほら、前の管理人と話したってヤツ。」
「虫さんのこと?いいよ。どんなことを教えて欲しいの?」
「そうだね。まぁ虫さんの話というか・・・田村さんがネットを始めたきっかけとか。そこら辺からがいいな。」
「本当に初めからの話になっちゃうよ?」
「いいよ。」
「うん。私ね、最初はパソコンなんてやるつもりなかったの。機械に弱かったから。
牧原さんとか板倉さんはパソコン教室で色々遊んでたけど、私と細江さんは後ろから見てるだけだったの。」
「本当?今からじゃ考えられないね。」
「でしょ?私も信じられない。でもほら、牧原さんもいなくなって板倉さんと岡部先生が死んじゃって・・・・
早紀の仕業なのは明らかだったわ。そんなことするの早紀しかいないもん。あの時は本当に怖かった。」
「それはわかる。でもどうしてネットに処刑人の書き込みがあることに気付いたの?」
「すぐ気付いたわけじゃないの。だって私は直接早紀のイジメに関わってたわけじゃないから。
自分が狙われるとはあまり思ってなかったの。けどもしかして・・・って感じで何となく様子を伺ってたの。」
「それがしっかり狙われてたと。」
「そう!すぐにネットが関係してるとはわからなかったんだけど、丁度その頃携帯によく変なメールが届いてたの。
確か『あなたネットでひどいことになってるよ』とかそんな感じで何度か。」
「メールねぇ。」
「うん。それで早紀の後をつけたりしたらパソコン教室に出入りしたり携帯でメールしてたりしてて。
帰りに後をつけたら漫画喫茶に行ってる時もあった。今考えてみればあれはインターネットをやりに行ってたのね。」
「なるほど。それで自分も始めたわけ。」
「牧原さんとかがやってたのを思い出して自分でやってみたの。そこで『お気に入り』とかに入ってるサイトを巡ってた。」
そしたら見つけちゃったのよ!早紀の書き込み。私を名指しで。確かどっかの出会いサイトだったよね。
あーもう思い出しただけで怖くなる。あんなみんなが見てるところで私の名前が晒されてたなんて。
だからイタズラメールとか届いてたのよね・・・・。怖い怖い。」
「怖いね。」
「えへへ。こんなに話したのは奥田さんが始めてだよ。」
「それはどうも。じゃあついでにもう一つ聞いちゃおう。虫さんのサイトはどうやって見つけたの?」
「それも誰かのイタズラメールでアドレスが届いたの。細江さんにも届いてたよ。
細江さんは携帯だからこのページは見れないとか言って諦めてたけど、私はそのアドレスパソコンに転送してから見たの。」
「すごいじゃん。」
「えへへ。あ、そういえばあのメールは差出人が書いてあった気がしたけど・・・何て名前だったかなぁ。」
「イタズラメールでもちゃんと名乗るやつがいるんだ。」
「結構居たよ。ほとんど覚えてないけど、虫さんのサイトのアドレスを教えてくれた人だけは覚えてたの。
そのサイトにいる人が送ってくれたのかと思ったから探してみたのよ。いなかったけど。
えっと、どんな名前だっけ・・・・ごめん。忘れちゃった。カザミとかそんな人だったかな?」
「やっぱりそう・・・・・まぁいいや。十分わかった。それよりありがとう。話してくれて。おかげで君への理解が深まった。」
「えへへ。相手のことを理解するのって大切だよね。私も奥田さんのこと色々知りたいなぁ。」
「また明日ね。今日はもう遅いから寝よう。」
「うん。またじっくり聞かせてね。」
「おやすみ。」
「おやすみ。」


4月3日(水) 晴れ
今日の田村さんは異常なほどテンションが高かった。
「叫んでる!叫んでるわ!ねぇ聞こえる?この声!この声!」
「え?何?いきなり言われてもわかんないよ。」
「いやああ!!まだ叫んでる!殺される!殺されるよぅ!」
「叫んでる?誰が?誰かそこにいるの?」
「助けて助けてお願い助けて。早く来て!お願い!」
「落ち着いて。何が起きてるの?叫んでばかりじゃわからないよ。」
「止んだ!良かった聞こえなくなった・・・・・ああ・・・・でもまだいる・・・・・。」
「誰がいるの?教えて。話してくれ。」
「ヒィ!今目が合いそうになった!こっち見てるよぉぉ!!怖い・・・・・怖いよぅ・・・・・・。」
「大丈夫だから。ね。落ち着いて。まずは落ち着くんだ。」
「あああああもうまだ見てるさっさと帰って!ほらさっさと行って!行くのよ!」
「お前頭おかしいだろ。」
「あ!帰ってく!やった!やりましたよ奥田さん!ああ良かった・・・やっと帰った・・・。」
「おお。良かったね。」
「はい。」
「で、誰が来てたの?」
「早紀に決まってるじゃない!あの子が家の前に来て私の名前叫んでたの!ホント頭おかしいよあの子!」
「早紀が叫んでた?」
「はい。早紀が私の叫んでた『田村さーん』とか言ってどうしようとうとう家にまで来ちゃった殺されるよ殺されちゃう死ぬ。」
「殺しはしないよ。」
「殺すわよねぇ奥田さん私怖いこのままだと死んじゃうお願い一緒にいて明日お仕事休みでしょ?会おうよお願い助けて。」
「いいよ。」
「ありがとう!これだから奥田さん好き私の言うこと何でも聞いてくれる。」
「ははは。誉めすぎだよ。」
「そんなことないよここまで頼りになるのは奥田さんだけだよ。」
「前に虫さんがいたでしょ。」
「あれは駄目よ私の言うこと全然信じてくれないんだもんやる気がないんだもん。
それにうまいこと言って逃げてばっかり。中途半端なのよだからこっちから切ってやったの。」
「うーん厳しいねぇ。」
「ネットだけで何とかしようなんて人は駄目なのよ。でも奥田さんは違うよ親身になってくれるしとっても優しいし。」

どうも耳の調子がおかしい。
ムズムズする。


4月4日(木) 晴れ
別にどこかに出かけるというわけもなく、ずっとファミレス話し込んだ。
食事を取ったりドリンクを頼んだりしてかなり長い時間居ついてた。

「今日ねここに来るときにもね早紀がいたの話し掛けてきたの怖かったすごい怖かった。」
「ホントに?よく無事だったね。」
「もう必死に逃げてきたの。怖かった・・・ねぇ怖かったよ・・・・・。」
「大丈夫。今は僕がいるじゃないカ。」
「えへへ。ありがとう。奥田さんは優しいから好き。」
「いやいや誉めすぎだヨ。」
「そんなことないよう。ねぇねぇ。じゃぁ、奥田さんはどう?」
「何が?」
「奥田さんは私のこと好き?」
「ああ。まぁ、ね。もちろんスキダヨ。」
「わぁい!嬉しいなぁ」
「はは。なんだか恥ずかしいネ。」
「いいじゃん好き同士なんだからー。えへへ。なんだかいいよね、こうゆうの。楽しいよね。」
「そうだネ。」
「そういえばねそういえばね。早紀の話しなんだけどね。昨日だけじゃなくその前の日も前の前の日も来てたらしの。
ずっと家に居たけど気付かなかった。どうもお母さんが気を使ってくれて帰してくれてたみたいなの。」
「へぇ。」
「お母さん様様だよー。でもね私もいつ襲われても対抗できるようにこっそり一応準備してるんだよ。ナイフ買っちゃった!」
「へぇ。」
「ホントは奥田さんにも内緒だったんだけど特別に教えてあげるね。そのナイフね。結構切れるやつですごいんだよ。
厚めの封筒とかもザクって切れちゃったの。これなら早紀もひとたまりもないよね!壁とかもスパスパ切れちゃった。」
「へぇ。」
「ああゆうのがサバイバルナイフっていうのかな。あまり名前とか見ないで買って・・・・」
「へぇ。」
「冷蔵庫にあったお肉もザックリ切れたからかなりの・・・・」
「へぇ。」
「手首とか切るといいのかな・・・・・・・・・」
「へぇ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「へぇ。」
・・・・・・・・・・・・・
「へぇ。」
・・・・・・・・・
「へぇ。」
・・・・
「へぇ。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・電気消していい?・・・・・・・・・・・
「うん。」
・・・・・・・・今だけは彼女さんのことは忘れてね・・・・・
「うん。」

ファミレスの後どこかに行った気がしたけど
あまり良く覚えてない。


4月5日(金) 晴れ
腕に残ってた何かの感触は時間と共に消え失せた。
僕の仕事は大量のカツオ節を寸胴に入れて煮干を入れて昆布をいれて醤油を加えてダシを作ること。
包丁を握ってネギを切ってソバを茹でて寝かせた出し汁を温めてそれらを丼に放り込んで客に出す。
カレーも作る。カツ丼も作る。野菜炒め定食も作る。
杉崎さんの作った親子丼と天丼とざるソバを原付に乗せて客のところまで届けたりもする。
今日もその繰り返しだった。たぶん明日も、明後日も。
これが僕の生活。岩本亮平の生活。
鏡を覗くと疲れきった貧相な青年の顔が写ってた。
自分の中の最低限のマナーとして髭だけはきちんと毎朝剃っている。髪も色をつけることなく黒いまま。
それを怠ったからといって誰かに怒られるわけじゃない。
でもそれをしないと「いい加減な人間だ」と思われる気がしてならない。
僕はもともと、人の評価を気にする弱気な人間だから。

僕を「奥田さん」と呼ぶ人が居る。
その時僕は「奥田」になる。髪は茶色く染めて、その人と会う日には髭も剃らない。
ダテメガネをかけて服装も普段着ないような服を着る。
かつて生きてた別の「奥田」の格好を真似ただけ。
僕はこの格好をオシャレだとは思わない。でも僕を「奥田さん」と呼ぶ人は「かっこいい」と言う。
そこだけは未だに理解できない。
この格好をしてる時に鏡を見るのは嫌だった。
ガラス窓に映りこんでるのが見えただけで目をそらす。そこに写ってるのは僕じゃないから。
「奥田」を見てそれを僕だと気付いた奴もいる。
僕は自分で鏡を見ても他人にしか思えない、そいつは僕と「奥田」が同一人物だと見抜くことができた。
僕はそいつをすごいと思う。もうそいつとは縁が無くなってしまったけど。

岩本亮平でいる時よりも「奥田」の時の方が彼女を強く思い出す。
死んでしまったあの子との思い出は奥田の記憶と共に引き出される。
彼女は確かに僕のものになった。でも、死に別れて以来時間が経つほどその確信が揺らいでいった。
不安になった。彼女は本当に僕のものだったんだろうか。
「奥田」になれば彼女の気持ちがわかるかもしれない。
奥田と一緒にいたあの頃、彼女はどんな思いだったのか。それが少しでも理解できるかもしれない。
そんな淡い期待は今でも僕の中に消えないでいる。
「何のためにこんなことしてるんだろう」
その疑問が沸いてはいつも同じ答えにたどり着いた。
もう一度あの子に会うためだ。


4月6日(土) 曇り
「今日ね。早紀から電話がかかってきたの。それでね。奥田さんのことを聞くのよ。早紀のくせに。
『強力な味方って誰なの?』だって。信じられないよね。私の奥田さんにそんな口聞くなんて。
だから私言ってやったよ。あなたに知る権利なんてないって。奥田さんもそう思うでしょ?
そうそう、それにあの子嘘ばっかつくの。『殺そうと思ってない。』だって。
ひどいよね。そうやってうまいこと言って近づくんだから。
誰がそんな誘いにのるかっての。ねぇ奥田さん。しかも友達だなんて言うのよ。早紀がよ。信じられる?
友達だなんてカケラも思ったことないってのにね。バカよね。ホント。
でも奥田さんがいてよかった。えへへ。本当だよ。奥田さんがいてくれなきゃ私ここまで強気になれなかったもん。
ねぇまた会おうよ。いいでしょ?あ、でも彼女さんにバレないようにちゃんと予定たてなきゃね。
大丈夫だよ。私、わきまえてるから。奥田さんに迷惑かかるようには絶対しないから。
だってね。私もう奥田さんなしじゃ生きていけない。こうやってお話してるだけでも幸せなの。
ねぇもっとお話しよ。何か聞きたいことある?何でも聞いて。え?どんな人かって?処刑人にやられた人たち?
えっとね。誰から話せばいいかな。まず細江さんからいくね。例の施設に入っちゃった子。
腕に「処刑人済」って刺青彫られちゃったの。かわいそう。けど自業自得かな。
なんだかんだであの子も早紀へのイジメに加わってたから。牧原さんとかの後ろにいつもくっついてたの。
ある意味一番酷いかもね。自分は手を下さずに後ろから見て楽しんでたんだから。
そうそうそのイジメで一番酷かったのは牧原さん。あの人が中心になって早紀をイジメてたんだよ。
パソコンとかもいじれる人でしょちゅうパソコンルームで遊んでたなぁ。
あの人は失踪とかになってるけど絶対もう殺されちゃったてるよ。絶対。
けど牧原さんは死んで当たり前だよ。私あの人大嫌い。他のみんなも嫌ってたよ。
正直に言うとね。最初にあの人が死んだ段階ではみんなで喜んでた。
不謹慎だと思わないでね。本当に嫌な人だったんだから。
明らかに間違ったこと言ってても絶対意見を変えなかったり。そのくせ寂しがりやでみんなで行動したがるんだよね。
たぶん誰かをイジメないと自分がイジメられるってわかってたんじゃないかな。だから早紀をイジメ始めたんだと思うよ。
でもそんなのイイワケだよね。まぁそれに便乗した板倉さんも結構悪い人だったよ。
あの人も殺されて当然って感じだったよ。牧原さんに吸い付いてばっか。
そのくせ牧原さんのことは影で嫌ってるし。タチ悪いよね。
性格としては悪いことしたくても自分ひとりじゃできない。でも複数ならできる、みたいなタイプ。
牧原さんも実はそんな感じだったのかも。だからあの二人が一緒になれば相当酷いことも平気で出来たワケ。
岡部先生はね。私あまりよく知らないんだけどまぁ生徒に手を出しそうな人ではあったね。
というか牧原さんと板倉さんと細江さんと仲良かったの。みんな映画が好きで、放課後残って話し込んでたりもしたよ。
だからアレだろうね。「自分は生徒に人気がある」とか勘違いしちゃったんだよ。
先生が殺されたのはイジメを見てみぬフリをしてたから早紀に逆恨みされたって説もあるけど私は違うと思う。
逆にね。変に早紀を助けようとしたのよ。助けて恩を売ってそれでオイシイ思いを・・・なんて考えてたんだよ。
そんなバカなことするから殺されちゃうのよ。余計な真似しなきゃ死ななくて済んだのにね。
こうやって考えるとみんな死んで当然の人ばっかだね。
その中そんな人腐るほどいるよねぇ。ウチの学校もそうだよ。牧原さんたちだけじゃない。みんな腐ってる。
ウリやらクスリやらで本当にやってるんだから。どうしようもないよね。最近の若者って。なんて、私が言ってみたり。
他に聞きたいことある?どんなことでもいいよ。早紀のことでも話そうか?もっとお話しようよぉ・・・・」

大量の言葉が耳に流れ込み、その一つ一つを理解するために僕は頭をフル回転させた。
知ってる人の名前が出るたびに背中が緊張し、どんな話になるかと構えて聞いてしまうのは今も同じだ。
悪口しか言われないとわかっていても、酷くなじられた時には胃の奥から怒りの波がやってくる。
どこにも吐き出すことはできない。それは全ての崩壊を意味するから。だから僕は諦めることを覚えた。
しかし最近、その諦めすらも通り越した別の次元へと足を踏み入れてしまった。
限界が近づいてきてる。


4月7日(日) 曇り
携帯電話を投げつけるところを杉崎さんに見られた。
「そんなころしたら壊れるよ。」と真剣な顔をして注意してくれた。
手が滑っただけです、と僕は答えた。杉崎さんは明らかに納得してなかったけど「気をつけるんだよ。」と言ってその場を後にした。
この人の親切がなかったら僕は今ごろ実生活でも壊れてたと思う。

どうせどこかで破綻する。そう思ってるといくらでも無謀なことができた。
破綻したらそれまで。僕の人生はあの子の思い出と共にそこで終わってた。
でも僕は僕なりに必死に考え、不器用だったかもしれないけどなるべく破綻しないようにと道を選んできた。
どうせ破綻するとは頭にあっても、「ここまでやったけど駄目だった。」と言えるくらいにはやってみようと思った。
これは試練だった。うまくやり遂げることができればあの子は再び僕の前に現れてくれる。例え一度死んだ人であっても。
今、ここまで来たという現実だけが僕の前にそびえたつ。
それが幸福なのか不幸なのかわからない。別に誰かにそれを判定してもらいたいとも思わない。
僕はあの子に会いたいだけだから。

「ねぇ。私早紀を殺すわ。やられる前にやった方がいいもん。奥田さんと一緒ならできると思うの。
あなたが私に勇気を与えてくれたから。私今なら何でもできる。ね、奥田さん。どうやってやろうか?」

僕の「浮気相手」の言葉が遠くに聞こえる。
とても距離が離れたところにいる、僕のことなど全く知らない人が何も考えずに叫んだ言葉だった。
けどそんな言葉でも僕の思考に少しは影響を与えたようだった。
この試練の最後はここかもしれない。このイベントを突破できれば試練はクリア。
ラストイベントとは得てしてこうなのかもしれない。
ずっと守ってきたもの。できれば失わずにいたかったもの。それを守り続けるか、失ってでも自分の願いを叶えるか。
大切なものは二つ得ることができない。僕は、どちらかを選ばなければならない。
覚悟を決めるのに数秒を要した。願いをかなえるためにここまで来たとはいえ、そう簡単に切り離すことはできない。
わずかな間にいろんな思い出が頭を駆け巡った。
楽しいこととか、悲しいこととか、そうゆう類のものではなかった。
ただ事実だけが、過去の出来事だけが走馬灯のように蘇る。
子供の頃の記憶から始まり、小学校、中学校、一年前、数ヶ月前・・・今に至った。
走馬灯を全て見終えた段階で、最後にもう一度自分の意志を確認した。
変わりない。僕には迷ってる時間なんて無いんだ。

早紀。僕のために死んでくれ。



第48週
4月8日(月) 晴れ
打ち合わせと称してやたら喋りかけてくる奴がいる。
人を殺そうとするのに準備も何も無い。必要なのは覚悟だけ。
捕まるとかそんな話をされても僕には遠い世界のことにしか聞こえなかった。
課題が与えられたときはいつも緊張する。
僕を「奥田」と呼ぶ人たちに早紀と一緒の姿を晒すたびに胃が痛くなった。
早紀の横では不安を隠すために饒舌になった。
視線を感じるとなるとすぐ反対側の方に顔を向けた。
人を刺したときにも手が震えてた。
最後の課題ともなるとその緊張は計り知れない。
僕はうまくやれるだろうか。


4月9日(火) 曇り
ずっと守ってきたものを最後に自分の手で壊す。実に僕らしい試練だ。
途中僕には無理だと何度思ったか。
普通に生活しててもいつかあの子が戻ってくるという甘い考えに何度逃げたくなったか。
死んだ人を蘇らせるのはそんな簡単じゃない。
彼女を失った時のあの喪失感が僕を支える。
真実が語られてる途中から予感がしてた。その話が終わるとき、僕は何かを失うんだと。
予感は最悪の形で実現した。僕は一番大切なものを失った。唯一愛した人を。
涙を流しながら醜いほど訴えた。消えないでくれ。死んじゃいやだ。子供のように何度も何度も懇願した。
それでも彼女は消えてしまった。
殺した奴を憎んだ。そいつをその場で殺したくなった。
しかし憎み通すことはできなかった。
誰が悪いのか悩んだ。考えてもわからず、叫んだ。頭を抱えて泣きじゃくった。
そんな中で、かつての親友が自殺した理由が少しだけ理解できた。
僕も死のうと思った。

今の彼女は僕が死ぬのを止めてくれた。
彼女との出会いにはとても感謝してる。同時に憎んでもいる。
あの子を殺した人間に、僕は助けられた。
矛盾した感情が体の中を這いずり回り、やがて僕は試練を超えなければあの子に会えないのだと悟った。
随分時間がかかってしまったけどクリアまであとあと少しだ。

渡部美希。
もうすぐ君に会える。


4月10日(水) 晴れ
明日は仕事も休みだから実家に帰れる。
変な奴も一緒だけど仕方ない。それも試練の一環だから。

遠藤、川口、秋山。
電話も来ないし掲示板への書き込みも見られないからもうどこかへ行ってしまったんだろう。
奴らが手を下してくれてれば楽だったかもしれないけど、それでは試練にならない。
ちゃんと僕がやらなければならないように設定されるんだ。
あいつらは一体何だったんだろう。
僕の人生を邪魔するためにしか存在してなかった。
一通りのことを終えたら目の前から消えてしまった。残った一人も直に処分する。
僕を不安にさせ、困らせたから障害としては優秀だった。
あいつらを見て僕は世の中に無駄な人間がいることを知った。
家に篭ってる時には気付かなかった。
ネットで会話相手となる時は画面越しにはそこには確かに人間がいるものだと意識してた。
けど現実に会うと人間にすら見えず、思ってた以上に希薄な存在で驚いた。
共に行動して得ることをできた情報は全て知ってることで、僕には何の利益にもなってない。
現実を意識できたのは「田村喜久子」に初めて会った時。それも次第に薄れた。
あとは「細江亜紀」を実際にこの目で見た時くらいだった。
あいつらと一緒にいることは僕にとって消耗でしかなかった。
一度今の彼女にそのことを話したら「歪んでる。」と言われたことがある。
そうなんだろうか。もしそれが本当なら、僕が今の彼女を愛せないのはそこに理由があるのかもしれない。

例え歪んでても僕のこの意見には彼女も賛成してくれると思う。
早紀はかわいそうな奴だ。
何も知らないまま、実の兄に殺されるんだから。
かわいそうな奴だ。
本当にかわいそうな奴だ。
かわいそうな・・・


4月11日(木) 曇り
「浮気相手」を外に残し、僕は実家に戻った。
奴はご丁寧に立派なナイフを用意して、僕に装備させてくれた。

僕が家に入った時には早紀は既に学校から戻ってた。
母親もいた。最近は父親がちゃんと働いてるから、母親が家にいることが多かった。
早めに事を済ませたかったけど、できれば親の居る前ではしたくなかった。
今更なんの意味のなさないことかもしれないが、それが僕に残された最低限のモラルだった。
居間で適当に談話して時間を潰す。
仕事の話をすると早紀は喜んだ。料理に興味があるようだった。
お弁当にはどんな料理を作るといいか教えると目を輝かせてメモを取っていた。
自分が作ったやつの味も一度見てもらいたいと頼まれ、僕は少し悲しくなった。
早紀は変わった。僕が実家を出た頃は「処刑人」としてふさわしいほど陰気な奴だった。
夏に一度戻った時もまだ陰気なままだったのに。ここ最近急激に変化した。
先月久々に会った時の早紀は、普通の人間になっていた。
まずマトモに会話するようになった。僕の話に相槌を打ち、興味があることはちゃんと聞いてくる。
身内と一緒に歩くのを恥ずかしがらなくなった。帰りに自転車で送った時も何も反抗しなかった。
恋人ができたとは考えられない。では友達ができたのか。
奴らが早紀を囲ってたから友達ができるとも思えない。
ただ単に成長しただけなんだろうか。早紀が成長するとも考えがたい。
いずれにしろ、もう死ぬのだから関係ないか。
そう思ってそれ以上考えるのはやめた。

夜になった。
親も寝静まり、早紀も部屋で寝てるようだった。
僕はバックからナイフを取り出し、音を立てないよう気をつけながら隣の部屋に向かった。
まだ終電には間に合う。手短に済ませて早く自分のアパートに戻りたかった。
隣の部屋までは数メートル。廊下で誰かと鉢合わせることはない。
手にしたナイフだけが暗闇の中でぼうっと白く光ってた。
ドアの前に立ち、そっと中の様子を伺った。
声が聞こえた。
電話をしてるのかと思ったけど、それは有り得ないことだとすぐに気付いた。
早紀に電話相手はいないはずだから。友達などいないはずだから。
息を殺してドアに耳を当てた。
しんと静まり返った空間に、ドアの向こうから早紀の小さな声が聞こえてきた。
それは話し声ではなかった。


・・・・・・・早紀。お前はなぜ泣いてるんだ。


その瞬間、頭の中に早紀との記憶が舞い戻ってきた。
子供の頃二人で木に登ったことから、つい最近一緒に携帯を買いに行ったことまで。
そしてそれは早紀と一緒にいた時の記憶だけでなく、早紀のことを意識した僕の記憶まで蘇らせた。
自分の妹が処刑人の濡れ衣を着せられてると知った時の驚き。
自分の妹は処刑人と呼ばれても仕方ないような言動だったと知った時の悲しさ。
自分の妹を奴らと一緒に罠にハメる覚悟をした時のやるせなさ。
ああ、早紀。僕は全て知ってたんだよ。
奴らのゲームに参加するよりも早く、僕はお前が皆の言う「処刑人」であることを知っていた。
僕はもうとっくに真実を知ってるんだ。
あの子と引き換えに手に入れてたんだよ。
奴らが気に食わなかった。だからできればお前も守ってやりたかった。
手を下すなら、僕がやる。
ついさっきまでそう思ってたんだ。
けどお前のその姿を見て・・・・
なぜだ。なぜ泣いてるんだ。
なぜ一人で、部屋で、泣いてるんだ。
意味がわからない。

僕は頭が混乱し、自分がナイフを握ってることすら怖くなり、慌てて部屋に戻った。
ナイフをバックに押し込めた。視界から見えなくなるまで上から服を詰め込んだ。
バックも毛布でぐるぐると何重にもくるみ、足で押しのけた。
足から離れると急激に不安になって、また毛布の塊を掴み取った。
今度は肌身はなさず、一晩中抱え込んでいた。
眠れなかった。早紀が泣いてる理由がわからなかった。
自分が何をするべきなのかもわからなかった。
どうしていいのかわからなかった。
理解できたのは一つだけで、その考えは僕をさらに混乱させた。

なんてこった。
僕はあの子に会いたい。
なのに、早紀も殺したくない。


4月12日(金) 晴れ
家を出ると見知らぬ女が寄ってきた。
「一晩中何してたのよ!私、ずっと待ってたのに!」
こいつは何を言ってるんだろう。
僕の耳元で不愉快な音をわめき散らす。
早紀がなんだって?処刑人?誰が処刑人だって?
早紀が処刑人?
馬鹿言っちゃいけない。早紀は処刑人じゃない。
僕の妹が処刑人なわけないじゃないか。
僕の妹を馬鹿にするのか。

僕が言い返すと、その女の表情が見る見る変わっていった。
「奥田さん。何言ってるの・・・」
「奥田」という言葉を聞いて、僕は目の前の女が「田村喜久子」であることを思い出した。
そいつから借りたナイフが僕の鞄に入ってるのに気付き、また怖くなった。
慌てて取り出し持ち主に返す。僕の手はガタガタと震えていた。
無言でナイフを押し付けられて田村喜久子は口をあんぐりとあけてナイフと僕の顔を交互に見た。
何か言おうとしてたけど無視して僕はその場を走って逃げ出した。
後ろから「奥田さん待って。」と叫ぶ声が聞こえた。声はなかなか遠くならない。追ってきてる。
携帯が鳴ったから宙に放り投げた。放物線を描いてアスファルトの地面に落下した。
壊れたら彼女が怒るから拾いに戻った。壊れてなくてほっとした。
また鳴ったので電源を切った。また放り投げようとしたけど電源を切れば放り投げる必要がないことに気が付いた。
後ろに聞こえてた奴の声はいつの間にか聞こえなくなってた。
電車に乗る時は何度も後ろを振り返った。
みんなが僕を見ていた。
みんなが僕を笑ってた。
僕はひざを抱えて座り込み、早く自分のアパートのある駅に着くように願った。

体が火照って額からは汗がダラダラ流れていた。
家にに着くとすぐ冷たい水を顔に浴びせた。
鏡を見るとそこには死んだ魚のような目をしてる変な男が映ってた。
上着を脱いで床に寝転がった。昨日から一睡もしてなかったせいか、横になったとたん強烈な眠気に襲われた。
意識が遠のく中、誰かが僕に話し掛けた。「携帯を貸して。」
・・・?僕はポケットから携帯を取り出し、差し出した。
「後は任せて。」
再び声が聞こえた時には、僕の体はほとんど夢に浸っていた。


4月13日(土) 曇り
朝目覚めると、寝違えたらしく首が痛かった。
少し寝すぎた。顔を洗って着替えるともう仕事の時間だった。
朝ご飯も食べずに家を出て、店まで走っていった。
昨日の無断欠勤を謝ると杉崎さんはいつもの調子で「別にいいよ。」と許してくれた。
迷惑をかけた分を取り返すようにと、休憩時間無しで働きとおした。
仕込みをして、料理を作り、原付に乗って出前を運び、店に戻ったら皿洗い。
気が付くと夜になってた。

店から出ると彼女が待っててくれた。
見られると恥ずかしいからと言って、彼女はいつも店から少し離れたところで待ってる。
一緒に歩き、他愛も無い話を繰り返す。
今日は蒸してるとか。今日はこんな客がいたよとか。店のテレビで流れてた曲が気に入ったんだけど、題名がわからないとか。
会話が途切れたふとした拍子に、彼女が全く違う話題を口にした。
「喜久子ね。自殺するかもしれない。」
僕はへぇ、と答えてそれ以上何も言わなかった。
彼女の横顔をじっと眺めてみた。
夕日が当たって頬が赤らんでる。前方にまっすぐ視線を投げかけるその瞳は、いつもと同じように潤んでいた。
よく笑う。顔をしかめる。むくれる。怒る。悲しむ。彼女の表情は豊かで、明るい。
僕には眩しすぎた。横にいるだけでじわじわと火傷してしまう。
あの子は違った。あの子は僕と同じように暗闇が似合ってた。
彼女の顔から視線を外し、空を仰ぎ思った。

僕は試練に失敗した。
美希ちゃんにはもう会えない。


4月14日(日) ハレ
仕事に行くとみんな顔が猿になってた。
杉崎さんも奥さんもお客さんもみんな猿になってた。
ヨボヨボの猿もいれば子連れ猿もいる。生まれたての猿を抱えた雌猿もいた。
自分の姿を鏡で見たら顔だけ虫だった。
みんなは哺乳類なのに僕は脊椎動物ですらなかった。

仕事が終わると彼女と一緒に帰る。
彼女は不思議な生き物になってた。基本的には人間だけど、頭に角が生えて顔には目が何個もある。
これは鬼と言えばいいんだろうか。
家に着いても彼女は不思議なままだった。
僕も虫のままだった。虫と鬼が同じ屋根の下に居る。
僕は彼女と一緒に住んでる。

晩御飯を食べながら彼女と話をした。
早紀がね。泣いてたんだ。あいつはかわいそうな奴だ。
だから殺せなかった。殺したくない。
でもそのせいで僕はもう美希ちゃんには会えないんだ。
彼女は十個くらいある目をパチパチさせながら聞いていた。
「私に会って後悔してる?」
その質問には答えられなかった。
こうして目の前に「処刑人」がいる。当初の目的は達成できてる。でも。
しばらく黙ったあと、僕は漏らすように呟いた。
美希ちゃんに会いたい・・・
彼女は首を横に振り、ため息をつきながら言った。
「それはもう無理よ。あの子は死んでしまったんだから。」
気付いたら僕は泣いていた。

彼女が言う。
「後悔しないで。亮平さんは早紀を守ったんだから。
放っておけば早紀が破滅してたし、真実にたどり着けばあの子を失う。
どっちかだったのよ。いずれどちらかを選択しなければならなかったのよ。」
だからこそ、早紀を殺せば美希ちゃんにまた会える。そう思った。
でも殺せない。妹は殺せない。守りたい。
彼女の言う通り、あの試練の中で僕は早紀を守り通した。最後の選択の時も結果的に守ったことになる。
確かにこれだけは誇れる。こんな僕でも一つは良いことをしたんだ。
早紀を守った。はは。

この小さな成果だけが僕に死を思い留まらせる。



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