絶望の世界A −もうひとつの僕日記−
第2部<外界編>
第15章
第57週
6月10日(月) 曇り
今日もノルマを欠かさずメールを送る。
新規開拓も続ける。世の中にネットをやる人がいなくならない限り市場は永遠だ。
しかしマンネリ化してきたのも事実。
どうも当初に比べると届くメールの数も減ってきた気がする。
こちらから切ったわけでないのに自然消滅してしまう。
チャットに誘える奴が減ってきた。
真昼間からチャットをできるくらいのヒマな奴とはもうやり尽くした感が出てきた。
であれば話が長くなる奴もターゲットに見据えた方がいい。
まだまだ生贄は必要だから。
6月11日(火) 晴れ
何人か親しくなってる奴はいる。
その中の一人に「ARAさん、他の名前で僕とメールとかしてないですよね?」と聞かれた。
そいつとは四人のキャラをきちんんと確立してからやり取りするようになったし
メールのログを読み直してもそんなに会話が被ったこともなかった。
さらにそのあとARAとやりとりしてる奴らから同じようなメールが二通も届いた。
どれも「ARA」を疑ってる。どこかで噂になってるのは確実だった。
この前の奴は死んだから噂を流すことはできない。
仮に奴だったとしても、その時は疑うどころでない騒ぎになるはず。
噂の出所が気になった。
6月12日(水) 曇り
新規の奴にまで「ARA」あてに疑いのメールが届く。
これまでにも「どうせ業者だろ。」とか「男なんだろ。」等のひやかしは何度も来てたが
「他の名前を名乗って同じ人間とメールしてんだろ。」とここまで具体的なものは始めてだった。
間違いなく誰か気付いたやつがいる。そしてそれをどこかで伝え合ってる。
「渚」「紅天女」「ケイ」はまだ無事だった。「ARA」だけだ。
昨日「ARA」を疑ってた奴らに「どこでそんなこと噂聞いたの?」と聞いた。
その後来た返事を読むと、中に「処刑人」の文字があった。
そいつにはまだ処刑人の噂を伝えてない。
変な伝わり方としてるようだが、処刑人の噂も広まっていた。
どうもどこかのサイトでその噂が出回ってるようだった。
そのアドレスを教えてもらえないかとお願いしておいた。
6月13日(木) 曇り
そこは出会い系サイトの情報交換掲示板だった。
僕もそこで新規のメル友を開拓したことがあった。
変わり栄えの無い連中が思い思いに書き込み、無駄な賑わいを見せている。
過去ログをあさって問題の書き込みを発見した。
********
ARAって奴知ってる人いる?こいつネカマだから気をつけろ。
オフに誘ってくるけど行ったら待ちぼうけ喰らうぞ。
おまけに処刑人がどうだとか抜かすかなりの電波野郎だ。
みんな騙されるなよー。
********
随分ふざけた奴がいるものだと思ったら
投稿者名を見ると先週の痩せ男の名前だった。
日付は奴が疑いのメールをよこした日の近く。
実際ARAとやり取りしてる人間が見たら疑惑を抱くだろう。
アドレスを教えてくれた奴には返事を書いた。
「私のメル友だったんだけど、やたらオフに誘ってきたりしてしつこかったから断ったの。
そしたら私の知らないところであんなこと書いて・・・どうも逆恨みされちゃったみたい。
酷い人っているんだね。私はちゃんと女だよ。一応(笑)」
それ以外のARAを疑ってる奴にも事情を説明して
掲示板に書かれてることは嘘だと否定した。
皆それで納得したようだった。
6月14日(金) 曇り
掲示板への反応は後を絶たない。
書き込み自体は一週間以上前のものだが、何かと転載されている。
どうも切ったメル友たちの仕業のようだ。
「俺もこいつとメールしたことある!オフに誘ったら処刑人が怖いとか言って断られたぞ。」
「僕もこの人知ってます。オフの約束すっぽかされました。」
「被害が出てるってことは本物のネカマってこと?」
「つーか処刑人って何?知ってる奴いる?」
「一時期どっかで処刑人ってのが流行ってたよね。それのことじゃない?」
既存のメル友たちもARAを疑う奴が増えてきた。
処刑人の名前を出す奴も増えてきた。
噂が加速していく。
6月15日(土) 雨
過去の処刑人を知る奴が何人か名乗りをあげてきた。
奴らの知ってる「処刑人」は全て早紀のことだ。
本当の「処刑人」に踊らされ、暴走してしまった哀れな僕の妹。
ネットでここまで有名になってるとは本人は知る由もないだろう。
早紀は処刑人じゃなかった。僕がめぐり合ったあの「本当の処刑人」すら僕らの想像したものとは違った。
皆が抱いてる幻想、期待。それに答えられる「処刑人」はここにしかいない。
掲示板で処刑人の話題が蒸し返されるのにあわせ、
四人の女性へも処刑人の噂を流しては切り捨てたメル友から再びメールが届く。
「処刑人を知ってるんですよね?詳しく教えてください。」
「思い出しました。僕も処刑人知ってます。以前流行ってたやつですよね。」
「今日はあなたにお伺いしたいことがあってメールしました。『処刑人』についてなんですが・・・」
みんな思い出せ。
聞いたことある奴、見たことある奴。
どんどん思い出していけ。
6月16日(日) 曇り
「ARA」はもう使えない。
ネカマ疑惑が後を絶たず、自然とみんな離れていく。
どんな言い分けも強力な噂の前では無力だった。
ARAは死んだことにした。メル友募集もしない。誰にも返事を書かない。
最後にメールをくれた奴が面白いサイトを作っていた。
「処刑人伝説再加熱に便乗してこんなの作ってみました。
ARAさんも良かったら見て下さいな。ネカマも歓迎ですから(笑)」
そのサイトを見たとき、僕は妙な既視感を覚えた。
どこかで見たことあるような。どこかで聞いたことあるような。
それもそのはず。見れば見るほどそっくりだった。
「WANTED処刑人U」
・・・・・・僕のサイトのパクリだ。
僕が作ってたあのサイトもまたそれなりに有名だったのかもしれない。
掲示板には早速書き込みがされている。
「パクリじゃねぇかよ!」「前と同じ管理人??懲りないねぇ。」「阿呆なもの作るなボケ。」
下らないと思えばいい。有りえないと思えばいい。
「処刑人」の名が広まればそれでいい。
誰かが気付いてくれるだろう。
今度は違う。今度のは本物だと。
あの子なら気付くだろう。
第58週
6月17日(月) 雨
「WANTED処刑人U」の管理人は「シャーリーン」
割と古くから処刑人の追っかけをしてたようだ。
違う名前で僕とメール交換してる時は特に何も言ってなかった。
知ってればもっと吹き込んでいたのに。
奴のやってることは僕とかわらない。
再び噂を集めましょうとか情報求めますとか。
違いと言えば集めた噂が僕の吹き込んだもの以外は
早紀が本当にやった事実だということくらいだった。
猿どもの間では有名な早紀。
哀れだ。
6月18日(火) 雨
この「WANTED処刑人U」は悲しいくらい相手にされていなかった。
掲示板は意味の無い発言で荒らされ、猿どもが横行する。
多くが「処刑人なんて今時流行らない。」と思っている。
それでも少しは「噂」の提供がなされていた。
「シャーリーン」はその一つ一つと丁寧に拾っては細々と更新している。
僕も少しでも彼の役に立つよう情報提供をした。ファンレターも送った。
噂は追うことをやめたらそこで消えてしまう。
今、少しでもみんなの意識にあるうちに進めなければならない。
噂が現実に変わるとき、気付く者をできるだけ多く。
多く集め、そしてまたそこで。
6月19日(水) 雨
どれだけの人が「処刑人」を知ってるんだろう。
早紀のおかげで、名前だけなら聞いたことある人なら大勢いるはず。
しかしその中で処刑人の存在を本気で信じてる奴は皆無だ。
誰がネットの下らない噂を信じるか。
せいぜい冗談半分で噂を集めたサイトを作るくらいだ。
本気で信じてる奴がいたら、本気で処刑人を探し出そうとす奴がいたら、そいつは単なる馬鹿だ。
けどもしそんな馬鹿がいたら・・・
かつての僕は本当に「処刑人」に辿り着いてしまった。
単なる冗談のつもりがいつのまにか真実になってた。
「シャーリーン」はどうだろう。
お前はどこまでやるつもりなんだ。
信じる信じないはどうでもいいんだ。
処刑人に関係するサイトを維持してくれればいい。
誰でも見れるにしてくれてればいい。
あの子が探しやすいように。
6月20日(木) 曇り
メールでの処刑人普及活動はそろそろ最終段階へと進むべきかもしれない。
「WANTED処刑人U」の更新された情報に
「同一人物が違う名前を使って処刑人の噂を流してる。」というものが加わった。
掲示板では僕の作り上げた女性達の名前が連なってる。
抱えてたメル友たちも返事が少なくなりつつある。
このままいけば誰もマトモに相手にしてくれなくなるだろう。
そうなればいい。
僕はメールを送り続けた。女の子のキャラなど気にせず処刑人の噂を流した。
その都度名前を変えては新規でも片っ端からメールも送った。
処刑人、処刑人、処刑人。ひたすら流し続ける。
みんなもっと処刑人を知ってくれ。
処刑人の噂を流してる奴がいる、ということを知ってくれ。噂の出所を探してくれ。
「処刑人」の自作自演だということに気付いてくれ。気付け。
僕がここにいることを。
6月21日(金) 曇り
メールは最早マトモに返信してくれる人などいなかった。
無視されるか罵倒を浴びせられるかどちらかだ。
「WANTED処刑人U」の掲示板にも書かれてる。
「処刑人メールがやたら届くんですけど。」
「どっかの馬鹿がスイッチ入っちゃってたみたいだね。」
「管理人さん。あいつをやめさせてください。」
僕のことが話題になる。僕のことを気にしてくれる人たちがいる。
そう思うと僕はますますやめられなくなった。
迷惑という形であっても人の記憶の中に入り込みたい。
そして僕の話をして欲しい。
多く語られればそれだけ可能性が高まるから。
抑えきれない何かが僕の中で膨れ上がった。
時間が限られてると察してるのか、もうその勢いは止められなかった。
荒々しくキーボードを叩く手から、張り付くほど見つめてる画面から叫び声が聞こえる。
続けろ。弾けるまで。
6月荷に日(土) 雨
メールだけに飽き足らず僕は掲示板にまで「処刑人」の情報を流した。
名前を変えては思いついた噂をばら撒く。
すぐに「こいつ自作自演。」という返事が来た。
恐らく見るところを見れば全て同一人物の書き込みであることはバレてしまうのだろう。
そんなのおかまいなしだった。
一日中パソコンにかじりつき、メールを流しては掲示板に書き込むのを繰り返した。
迷惑がられてる。呆れられてる。
場違いな書き込みは誰も真面目に答えようとする人はいなかった。
だからといって僕の力では止めることはできない。
手が勝手に動くだけじゃない。意識すら自動的に動く。
僕の全てが何かに向かって突き進んでいた。
叫びたくなるほどの衝動が僕の中に渦巻く。
抑えきれなくなるのは時間の問題だ。
早く。早ク。
6月23日(日) 雨
僕の投稿した書き込みには「オフ会やろーぜ。」が連呼されていた。
そこにいる者たちが反応する。
「いいよ。勇気があるならな。」「ホントは来る気ないくせに。」「勝手にやればぁ?」
確実に僕を見てる奴がいる。
処刑人を見ているのは全ての人ではない。限られた人数の、その場限りのギャラリーでしかない。
それでも構わない。一人だけでもいい。
周りで見てる奴がいる。名乗らなくとも、その場に来る奴はいるはずだ。
僕はそいつらに伝えたいんだ。
「シャーリーン」自身も来る気はあるようだ。
「オフ会ですか。私は賛成ですよ。ネタとしても使えるし、イベントがあるのは楽しいですからね。」
オフ会。口に出して言ってみた。
耳の奥に不愉快なほど響き渡る。オフカイ。なんだこの言葉は。
急激に怒りを覚えた。
気が付けば理不尽なほどネットに関わる全てのことが嫌いになっていた。
「シャーリーン」って何だよ。何でそんな名前なんだよ。
ハンドルネームって何だよ。なんでみんなわざわざ変な名前つけるんだよ。
紅天女って何だよ。ARAって何だよ。渚って何だよ。ケイって何だよ。処刑人って何だよ。
顔が熱くなり、パソコンの画面を見てるだけで目が痛くなった。
目をつぶると猿達の顔が思い浮かんだ。
鬼の顔も浮かんだけど、猿の波に押されてすぐ見えなくなった。
猿だ。猿どもだ。人間なんていない。
ここにいるのは人じゃない。
第59週
6月24日(月) 曇り
会いたいと連呼した。
その場にいる全員と会いたかった。
パソコンの中の小さな叫びはどれだけの人に届くだろうか。
「処刑人」なんて所詮は奴が作り上げた幻想に過ぎない。
もしかしたら僕と僕に関わる人たちだけの中で終わるはずだったのかもしれない。
僕が広げてしまったんだろうか。
一度広がったものは止まらず、誰もやめるにやめられなくなった。
それが例え収拾のつかないものであっても、誰も止めることはできなかった。
本人は自然に消えるのを望んでたのかもしれない。
僕が晒し者にしてしまったんだろうか。
取り返しのつかなくなった時になって初めて、奴は全てを明かしてくれた。
願いをかなえることができず、奴も最悪の選択肢を選ぶことしかできなかったんだ。
であれば、あの子を失ったのは僕もせいでもある。
全てを白紙に戻すことはできるだろうか。
6月25日(火) 曇り
掲示板に集まるのは僕の乱雑な書き込みを煽る奴達とそれを見て楽しむ野次馬。
少なくともそいつらは「処刑人」の名を目にしてる。
早紀の「処刑人」を知ってる連中は今でも覚えているのか。
人の記憶まではわからない。
実際のところ「処刑人」を聞いたことあるという奴はどれくらいいるんだろう。
一度はその名を目にしたことはあっても、既に忘れ去られてる可能性もある。
想像以上に有名かもしれない。それともとても小さな世界なのかもしれない。
いずれにしろ、できるだけ多くの「処刑人」を知ってる奴らの前に
僕は姿を現さなければならなかった。
今ここにいる僕こそが、「処刑人」だと教えるために。
下らない噂など聞かなくていい。
真剣に探そうなんて思わなくていい。
その名を頭の片隅に置いてくれるだけでいいんだ。
願わくば少しだけ興味を持って・・・その場に来て欲しい。
みんなで見ればいい。
人々の記憶に残る、「真の処刑人」誕生の瞬間を。
見て欲しい。
6月26日(水) 雲り
気が付けば誰からもメールが届かなくなっていた。それでも構わない。
「シャーリーン」が掲示板を仕切り、とうとうオフ会を企画してくれた。
何時するのがいいか要望を聞いて回ってる。
僕はできるだけ多く人が集まるよう週末がいいと主張した。
平日の真昼間からヒマをしてる僕のような奴だけでは足りない。
学生も社会人も無職もみんなみんな来て欲しかった。
一番騒いでる僕の主張をみんなは応援してくれた。
「あのガイキチさんのご要望どおりにしてあげた方がいいんじゃないすか?」
「言い出しっぺのこいつがメインみたいなもんだからな。」
「言うこと聞いてあげないとまた荒らし始めると思いますよ。」
複数の名前を使い分けても僕の書き込みは全て見破られていた。
呆れられてるのが目に見えてわかった。
それは別に僕の書き込みに対しては何の影響も与えなかった。
結局掲示板の七割以上は僕の書き込みで埋まり、オフカイの日程も週末になりそうだった。
「シャーリーン」がその方向で話を進めてくれてる。
僕の望みどおりに進んでる。
6月27日(木) 雨
一つ、これまでとは違う噂を流した。
先月あたりにメル友に殺された奴がいると。
死んだ奴のハンドルネーム、死んだ奴が住んでた場所。
僕が知ってる限りの情報を流した。
そして最後に「これには処刑人が関わってるらしい。」と添えた。
夜にはみんなが反応してた。
「また馬鹿なことを。いい加減にしろ。」
「つまんないからもうやめろ。」
「こんなヨタ話相手にしちゃ駄目ですよ。」
罵声を浴びせられる中、誰かが違う発言をした。
「それ、聞いたことありますよ。マジで死んだ人がいるんですよ。」
この発言がきっかけで、同調する者が何人か現れた。
自分も聞いたことあると。殺されたのは一人だけじゃないらしいと。
既に何人も殺されてるらしいと。警察も動いてるらしいと。
それを信じる者、信じない者が入り混じり、掲示板ではちょっとした論争が展開された。
僕の手から離れての出来事だった。
6月28日(金) 曇り
「シャーリーン」の決定により「WANTED処刑人U」の掲示板に集まるメンバーで
日曜日にオフ会が開催されることになった。
参加は自由。ただ指定の時間、指定の場所にそこにくるだけでいい。
元々寂れたサイトなので、そんなに多くは集まらないかもしれない。
それでも僕は行くしかなかった。
一人でも僕を見てくれる人がいれば、僕は喜んで行く。
あの子はまだ来ないと思う。けどもうそんなに時間は残されてない。
もしかしたら今回のオフカイが最後のチャンスになるかもしれない。
僕自身の生活にも限界が来ていたから。
お金はほとんど残ってない。電気代も水道代も払ってなかった。
直に止められる。電気がなければパソコンができない。
それまでに。それまでに成し遂げなければならない。
使命を果たせなければ、僕はあの子に会うツテを失ってしまう。
どこかで間違え、ロクに生きることができなくなった僕は
あの子にもう一度あうことだけが生きがいだった。
会えるまで死にたくなかった。
6月29日(土) 雨
あの子の存在がここまで大きくなったのはなぜだろう。
失い方が悪かったのかもしれない。
あまりに突然で、中途半端で、理解できなくて。
永遠に失われたと言われても僕は信じることができなかった。
今でも信じてない。有りえない。消えただなんて。
それともそんなこと関係無いのか。
おざなりだけど、失ったことであの子の存在の大きさに気付いただけなのか。
ふとかつての親友のことを思い出した。
奥田はあの子のことをどれくらい想ってたんだろう。
死にたくなるほどだから、相当のものだったのかもしれない。
人の何かを信じられなくなったことで、絶望する気持ちは理解できる。
どれだけ説明されたところで、潰えた気持ちは戻らないだろう。
けど、だからって死ぬことはなかったんじゃないのか。
僕は今でもそう思う。
僕なら闇を抱えてでも生きる。
明日のオフ会で僕はどこまでできるだろう。
やるしかないのは分かってる。でも不安なのは今も変わらない。
本当にあの子に会えるのか。何か行動するたびに、僕はこの不安に悩まされる。
そんな時はあの子を失った時のことをを考えるようにしてる。
あの子を殺した直後、「処刑人」の最初の言葉。
「こっちではA。あっちでは∀。」
こっちのAをひっくり返して、あっちの∀になるのなら・・・正しいのはこっちの「A」の方だろ。
そこまで深い意味は無かったのかもしれない。
だけど僕のこの勝手な理論は、悩んだ時にいつも僕の心を支えてくれる。
あの子はもう側まで来てるかもしれない。
6月30日(日) 雨
雨だった。
傘を持った人が渋谷のハチ公前にたむろしている。
その中に混じり、僕はずっと立っていた。
約周りを見渡しても誰が「WANTED処刑人U」のメンバーなのかわからなかった。
誰か来てるのかもわからない。僕と同じように、集団に紛れて様子を伺ってるのかもしれない。
でもみんな僕のことだけはわかるはずたっだ。
約束の時間になった。
僕は今朝掲示板に予告した通り、腕時計を見るフリをして腕をまくった。
おおげさにめくり、腕にマジックで大きく書かれた文字がみんなに見えるようにした。
「処刑人済」
しっかり見えるよう、僕は体をゆっくり回してどの方向にいる人にもアピールした。
メンバーには伝わってるはずだった。
その時間、その場所で「処刑人済」という字が書かれた腕を晒す者がいたら、それが僕だと書いておいたから。
掲示板を荒らし続ける張本人である僕だと。噂を流し元である僕だと。
顔を上げて人々の様子を伺った。
それぞれ携帯電話をいじったり、固まって会話をしていたりして
人の腕なんて見向きもしない人がほとんどだった。
その中で一人、目が合った。
相手もしっかりと僕の目を見てる。そして何か驚いたような顔をして口をパクパクさせていた。
そいつは引き寄せられるように僕の側までやってきた。
側まで来ても口をパクパクさせていた。何か喋っているようだった。
周りの雑踏に紛れて聞き取りづらくなっている。僕は耳に神経を集中して奴の言葉を聞いた。
「なんで、なんでアナタがそんなことしてるんですかッッ!!」
随分太った奴で、側にいると恐ろしいほど体臭が匂った。
汗をダラダラ流し、ひたすらなにかをわめいてる。
「サキちんはどうしたんだよ!」
「ボクは影でサキちんを守るためにあれを作ったのに。」
「サキちんとはまだ一緒にいるの?」
「サキちんはそろそろ許してくれそう?会いに行っても大丈夫?」
「サキちんは、サキちんは、サキちんは・・・・」
「てゆーかアナタ、サキちんの何なワケ?」
僕はその饒舌な豚に向かって吐き捨てた。「お前こそ、誰だ。」
豚はなぜか嬉しそうな顔をして醜い口を大きく開いた。
「ボクすか?ボクはシャーリーンすよ!でもアナタはもうボクの本名知ってるんすよね。
てかまた殴らないで下さいヨ!前にも言いましたけどボクはちゃんとサキちんの友人で、名前はえんど・・」
「シャーリーン」という名に反応して僕の手は自動的に動いていた。
抜いたナイフはすぐ鞄にしまった。
手に少し血がついたのはハンカチでぬぐい、そのハンカチはポケットにしまいこんだ。
僕はくるりと踵を返し、駅に向かって早歩きで歩いていった。
人込みの中に入るにつれ歩く速度が自然と早くなった。
しまいには走っていた。駅の改札を通り、電車に滑り込むまで走った。
電車に乗っても尚、僕は誰かに追われてるんじゃないかと怯えていた。
無事家に着いたのは奇跡なのかもしれない。
僕はすぐパソコンの電源をつけ、「WANTED処刑人U」の掲示板を見た。
そこには今日の出来事が書き連なれてた。
「すげえ!本当に人刺しやがったよ!みんな見たか?」
「見た見た!俺は遠くからだたけど、人が倒れたのは見えた。」
「本当なの?くそう俺も見に行けばよかった。」
「つか誰もあいつを尾行しなかったの?見てたんなら追えよ〜。」
「刺された人死んじゃったのかな?叫び声も何も聞こえなかったけど・・・。」
「死んだらヤバイだろ。ってゆうか今も充分ヤバイけど。公開殺人みたいなもんだしなぁ。あいつ即効捕まるんじゃねぇの?」
「マジで処刑人が登場しちゃったみたいだな。電波人間コワイコワイ。」
今、噂は現実となった。
第60週
7月1日(月) 晴れ
猿どもが騒ぐ。
僕ことで騒いでる。
僕の姿を見た奴がいる。
その場にいるみんなが僕の姿を想像してる。
でも誰もわかってない。僕がどこにいるのか。
誰もこのアパートのドアを叩いてくれない。
僕はここで待ってるのに。
あの子が来るのを待ってるのに。
やるべきことはやった。
なのに来ない。
まだ来ない。
7月2日(火) 曇り
僕はじっと部屋の中で座り込み、あの子が来るのを待っていた。
ご飯を買いに行く気にはならなかった。外に出る気がしない。
一昨日から何も食べてない。第一お金ももうわずかしか残ってなかった。
少しずつ不安が募ってきた。
あの子は本当に来てくれるだろうか?
もし、もしこのドアが叩かれても、それが全然違う奴だったら・・
その可能性があるのは重々承知している。
これは最期の大博打。失敗する可能性だってゼロじゃない。
ちゃんとわかってたはずなのに。
この賭けに負けることなど想像していなかったからか?
戻れなくなった今、不安が急激に膨らんできた。
足りないんだろうか。僕はまだ使命を果たしきれてないんだろうか。
やり残してるんだろうか。
7月3日(水) 曇り
何が足りないんだ。
あの子が来ない。どうして。
もう来たっていいだろう。
僕はくすぶった気持ちを抱えたまま待ちつづけた。
お腹が減ったけど食べるものは何も無かった。
まだ水は止められてない。蛇口に口をつけむさぼるように水を飲んだ。
とにかくのどが渇いていた。
ネットで状況を確認した。騒ぎはまだ収まっていなかった。
むしろ話が膨らみ、僕のことが大量に書き連ねられていた。
僕の姿を見た奴は何人かいる。そいつらが情報を交換し合い、より正確な像が固まっていく。
そこに頭のキレる奴らの予想が混じり、確実に僕に近づいていた。
とても大きな波がやってきていた。
7月4日(木) 雨
何も食べてないのに吐き気がした。
トイレに駆け込み、吐くと胃液しか出なかった。口の中が酸っぱい。
話は「WANTED処刑人U」に収まりきらず、他のサイトまで及んでいた。
掲示板に貼られたリンク。そのリンク先の掲示板に貼られたリンク。
広がる。僕が。処刑人が。止めどなく。果てしなく。広がっていく。
しかし何かが違う。これは僕の望んだ形じゃない。
広まってるの「処刑人」の噂ではなかった。
僕。僕自身の姿が語られていた。
永遠に続くリンクのスパイラル。終わり無く見知らぬ人々に語られる、僕。
最早どんな形が理想的なのかわからなかった。
あの子は「処刑人」を探してる。だから噂になるのは「処刑人」でなければならない。
けど僕はあの子に会いたい。僕の噂が広まり、あの子が気付いてくれれば
いやでも処刑人=僕であることに気付いた時に初めて合いに来てくれるのか
僕自身の噂などあの子は興味がないのかけど僕のことだとわかればあの子も会いに来て
だから処刑人の噂なのか僕の噂なのかはどうでもよくていやよくなくてむしろそれが重要で
あの子が探してるのは僕だけど処刑人で処刑人なんだけど実は僕で僕だから合いに来くれ・・・
ああああああああああああああああ
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
aa
7月5日(金) 雨
ネットに繋がらなくなった。
サポートセンターに電話しようとしたら電話が通じなかった。
部屋の隅に大量に放置されてる郵便物をあさった。
何十回も引っ掻き回してると電話局からの通知が来てるのを見つけた。
料金滞納。警告。電話を止められる。
その期限が今日だった。
もちろん僕に手持ちのお金などなかった。
水道をひねった。
水が出た。出ることは出たが勢いが衰えてる気がしてならなかった。
今のうちの飲んでおかなければ死ぬ。
頭の中がその考えていっぱいになって水をむさぼり飲んだ。
何度もむせたけど飲み続けた。
パソコンを立ち上げた。ネットに繋がらないか再度試した。
やっぱり繋がらない。もう一度同じ手順でやってみた。駄目だった。
パスワードを変えてもIDを変えてもアクセスポイントの番号を変えても
モデムをインストールしなおしてもモジュラージャックを抜いて差して
本体を叩いてモニタを叩いて蹴って地面に叩きつけても
ネットには繋がらなかった。
パソコンは壊れた。
7月6日(土) 曇り
誰かが僕を追ってくる
一日ネットができなかっただけで押し寄せる不安
パソコンの画面には今にも掲示板が表示されそうだ
書き込み一つ一つが想像できてしまう
何も映らないはずの画面にぼんやり文字が浮かんでくる
顔も見えない猿どもの卑しい声が聞こえてくる
・・・あの人殺し野郎の顔見た奴いる?
・・・見た見たすげぇ貧相な顔してた。青白くて髪もボサボサだった。
・・・俺も見たよー。暗い感じの奴でな。眼鏡とかかけてないけど目がドロンとしてくまができてたな。
・・・野郎は何処に逃げたんだろうな。
・・・早歩きで駅の方に向かってたよ。途中で見失ったけど。
・・・僕は改札に入ってくとこまで見てました。山手線の品川方面のホームに行きました。
・・・つか、あの後殺された奴どうなった?
・・・しばらくしたら救急車が来てた。なんかもう死んだっぽかったよ。
・・・刺されたのは変なデブ。目を開けたままピクリとも動かなかった。怖かった。
・・・死んでるじゃん!つか、ネット殺人鬼恐るべし。マジで人殺すなんて信じられんね。
・・・殺人鬼じゃなくて処刑人な。
・・・んなのどうだっていいじゃん。処刑人だろうが何だろうが人殺しには変わりねぇよ。
・・・新聞載ってないのかな?誰かチェックしてる人いない?
・・・マスコミには公表しません。なぜなら騒ぐと犯人が逃げるからです。
・・・犯人が気付かれないようじわじわ囲い込んで追い詰めるってワケですねッ!
・・・そうかなぁ。あれだけの事件なら新聞載ってもいと思うけど。
・・・警察はもう犯人に目星がついてるという事実
・・・犯人あいつだろ?処刑人がどうだとか騒いでこの板を荒らしてた奴。処刑人の噂とかいいながら本人が処刑人。
・・・そりゃアクセスログたどれば一発でバレるわな。馬鹿だね。
・・・一時流行った処刑人と同一人物かな?なんか罪を裁くとかなんとか
・・・あれの影響された別人じゃないのか?結局前のはデマだったんだろ?
・・・処刑人はデブだけじゃなく他にも既に何人か殺してるという事実
・・・速報!!!!!処刑人逮捕!!!!
・・・マジすか?どんな人だったんすか?
・・・冗談に決まってるだろアホ。逮捕されたらそれこそニュースになるって。でも時間の問題なんだろうなぁ。
・・・本人まだここ見てたりしてね。自分が話題になってるの見て喜んでみたり
・・・有り得る。画面に向かってニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべてみたりな。
・・・おーい、処刑人見てるー?(←手を振りながら)。早く逃げた方が良いよー!君、警察に身元割れてるよー!
・・・処刑人。お前もう終わりだよ。
強烈な現実が僕を襲う頭に巣食う全身を支配する。
あの子は来ないこのままここにいてもあの子は来ない
来るのは警察だ警察が僕を逮捕しにくる僕を捕まえに来る
ここにいては駄目だ捕まっては駄目だ
あの子にあえなくなる一生会えなくなる
ここにいては駄目だここにいては
逃げなくては今すぐ
ここから逃げなくては
7月7日(日) 雨
何もかも壊してしまった。
この部屋にはもうガラクタの山しか残ってない。
テレビもパソコンもこたつもクーラーも壁も床もここで過ごした僕の日々も全て壊した。
何か大切な思い出が詰まってた気がしたけど、このガラクタの中からは何も見つからなかった。
この部屋で一緒に過ごした人はもういない。
戻ってくる気配も無い。だからこの部屋を残しておく理由は無い。
わずかな荷物を手にもって、僕は最後に電球を壊した。
力強く打つとカバーごとパリンと音を立てて割れた。
破片が地面に落ちてくる。床にちりばめられた多くのゴミの中に溶け込んだ。
電気が消えると外からわずかな光が差し込んできた。
雨が降ってるせいで光はとても弱々しかった。
ガラクタの山が鈍く光る。ゴミ以外何物でもない。
僕はそこに唾を吐き、「じゃあな。」と別れを告げた。
戻れる場所は一つしかない。
僕が生まれ育った場所。腐りきった家庭だけど、今僕が身を寄せれるのはここしかない。
電車の中で何回思いとどまっただろう。
外で過ごせないだろうか。野宿でもいいんじゃないか。
都会の中にいればどうにだって生きていけるんじゃないか。
それでも僕は家の中にいたかった。どこでもいいから、僕の居場所を確保したかった。
そこにあの子が来るかもしれないから。
実家のドアは重かった。
親は出かけてた。変りにドアを開けてくれたのは早紀だった。
早紀が驚いた顔をする。僕は平静を装って「ただいま。」と言った。
「あれ?おかえり。珍しいね。」と早紀が言う。
早紀の声は胸の奥に響いた。何故だか分からないけど涙が出そうになった。
早紀にだけは今の僕を見られたくなかったのかもしれない。
僕は目を合わせることもできず「しばらく実家に戻ることになった。世話になるよ。」とだけ言って自分の巣へ急いだ。
部屋に入ると疲れがどっと出て、すぐにベットに倒れ込んだ。
長い間放置してたはずなのに、思ったほどホコリは溜まってない。
無駄なところで几帳面な親が掃除してくれてたんだろう。
僕なんかの部屋を綺麗にする必要ないのに。
僕のような人間にベッドなんか必要ないのに。
僕なんか人間ですらないのに。
虫なのに。虫は虫らしく床を這ってればいいんだ。
地を這って、かすれた声で助けを求めて、そして踏まれてしまえばいい。
臭い体液を吐き出して。醜い内臓を破裂させて。おぞましい死体晒して。
死ねばいい。僕なんか死ねばいい。
もう死ぬよ。
→第2部<外界編>
第16章(最終章)