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世界 エピローグ

Final week 「影の世界」
11/28 晴れ
俺はなぜこんなコトをしてるんだ。理由なんて無いな。
ただ早紀のパソコンに電源を入れてみたら、不思議と何か文を書く気になった。それだけだ。
さて何を書こう。静かになったこの早紀の部屋で、俺は何を書く?
今日の事でも書くか。日記みてぇだな。

居間にいると、二階から誰かの声が聞こえてくる。
ちょっと音を大きめにしたテレビでもついてる様な感じだ。俺にはそれがテレビじゃないコトは分かってた。
俺は二階に上がった。ドアの前まで来るとその向こうで何て言ってるのかよく分かる。
アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ・・・
機械の様に声が漏れる。その言葉に最早なんの感情も籠もってなかった。
俺はその部屋は無視して隣の部屋に行った。
カギを開けるとものすごい臭いがした。死体の臭い。
別段その臭いは苦にならなかった。俺自身何か欠けてるせいだろうか。
俺の妻がその臭いの元を抱えてブツブツ何か言ってる。何と言ってるのかは知らない。
俺は彼女に話しかけた。
「亜佐美。」
何の反応もない。相変わらず早紀の死体を抱えて笑ってる。
「亮平がお前の名前呼んでるぜ。」
やっぱり反応はない。俺は話を続けた。
「亜佐美が濁ってアザミか。お前がいじめられッコだった時のアダ名だったよな。」
亜佐美がピクン、反応した。早紀に話しかけるのを止めた。
「何の因果だろうな。人形に名前つけるのは普通だけど・・・・よりによってアザミとはな。」
亜佐美はもう笑ってなかった。
「亮平と人形が会話するところ見たことあるんだけどな。あれはもう出来の悪い腹話術って感じだった。
いや、ママゴトか?自分で喋って自分で答える。あれで本人は会話してるつもりなんだぜ。ひでぇよな。」
話しながら俺は息子の狂った姿を思い出していた。
無様だ。何回思い出しても無様だ。
けけけと笑ってみた。けけけ。仕方ねぇんだよ。俺と亜佐美の子供だぜ?
亜佐美が何か呟いた。今度ははっきり聞き取れた。「早紀・・・。」
ああ、早紀か。何も死ぬコトなかったのにな。畜生。駄目だ。また感傷的になっちまう。
今、そこにいる早紀は、もう・・・・・
「腐りかけてる。」
言っても無駄だった。亜佐美は再び早紀に話しかけ始めた。
そんな亜佐美の姿を見て、俺は昔を思い出した。
いじめられていた亜佐美。相談に乗ってた俺。
そうだ。そうだった。亜佐美を救う為に、俺は精神科医を志したんだった。
彼女に心のケアを。
けけけと笑った。昔はマジメだったよな。いつから俺は、こんなになっちまったんだろう。
少しだけ、悲しくなった。

さて、いつまでも思い出に浸ってるわけにはいかない。
いい加減早紀の死体をどうにかしないと近所にバレちまう。
俺は亜佐美から早紀を引き離した。亜佐美は嫌がったが、昔話をしてやって黙らせた。
医者になって、こういうのだけは得意になった。けけけ。亮平が居たら逆効果だけどな。
早紀の死体を抱えて部屋を出るとき、亜佐美が涙目になって俺を見てた。目が合った。
「すぐに戻る。」
それだけ言って俺は部屋を出た。

カギはかけなかった。


11/29 曇り気味
亮平はメシを持っていったら勝手に食べる。喋りながら食べてるが食ってるだけマシだ。
アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、アザミ、・・・・・・・良くも飽きず話せるな。
昨日の夜なんか声が枯れてるのに口だけ動いてた。けけけ。壊れてやがる。
それでもいい。メシさえ食えれば生きていける。
問題は、亜佐美だ。
早紀を奪ったら今度は腑抜けになっちまった。鬱病・・・・以上だな。完全に精神が破綻してる。

今朝の事だ。
メシを目の前においても見向きもしない。
「食え。」
俺がそう言っても何も反応しない。ハムとチーズのサンドイッチ。レタスも入れてある。
朝飯としてはマトモな方だろ?食パンの耳も切って食べやすくしてある。
「食わなきゃ死ぬぞ。」
サンドイッチを手に持って亜佐美の目の前に持っていった。
亜佐美は唸って首を振った。嫌がってる。
俺はニコニコしながらサンドイッチを一口かじった。
「うまいぞこれ!ほら、お前も食ってみろよ!」
亜佐美の口元にサンドイッチを当ててみた。口が半開きのまま。食べようとはしない。
無理矢理口の中に押し込んだ。顎に手をやってなんとか噛ませた。
飲み込まれることなく吐き出された。ボロボロと、ぐちゃぐちゃになったパンやハムが落ちていく。
俺はそれを拾い上げて自分で食べた。本当に、今日はうまく作れたんだけどな。
口を動かしてるウチに何か違和感を感じた。何か入ってる?
ちょっと口から取り出してみた。ああ、やっぱり何か入ってる。この黒いのは・・・・・・・
俺は思わず叫び声を上げて亜佐美を見た。
そして、亜佐美の口をこじ開けた。そこには異様な光景が広がっていた。
歯に、おぞましく、絡みつく、無数の、髪の、毛。
急いで亜佐美の口から髪の毛を取り除いた。かなりの量があった。危ねぇ。まさかこれで窒息はしねぇよな。
塊から毛を一本取り出してよく見てみた。
・・・・・・・・・・・・・・畜生
この毛の長さ。早紀の髪だ。昨日の夜から口に入れてたのか。
亜佐美に朝食を食べさせるのは諦めた。

夜は夜でまた苦労した。
無理矢理。嫌がる亜佐美の口に無理矢理ぬるいおかゆを流し込んだ。水も飲ませた。
なんとか吐き出さないように食べ終えた時には、もう床はびしょびしょだった。
亜佐美はシクシク泣いていた。あまりに泣くので、俺はまた昔を思い出した。
いじめられて、俺に泣きついてきて、俺は「大丈夫。」と言ってやって・・・・・
そんな昔の事、もう忘れちまったぜ。
それでも記憶は蘇る。忘れていた、重要な、大切な、忘れてはいけない思い出が。
俺は首を何度も横に振り、深いため息をついた。
やっぱり、忘れる事なんかできねぇ。
押入からアルバムを出して、早紀の写真を取り出した。
爽やかに笑う俺達の娘、早紀。
その写真を亜佐美に与えた。亜佐美はぅぅぅと唸って写真を握った。
今でもキーボードを打つ俺の後ろで、亜佐美は早紀の写真を眺め続けてる。
俺は後ろを振り返り、一言だけ語りかけてやった。

大丈夫


11/30 晴れない
あいつが病院にかつぎ込まれてきた。確か名前は・・・・・そうだ。「風見」だ。
やたら亮平に会いたがってた奴だ。結局会っても何もできなかったくせに。
その風見が、自分の腹をナイフで刺したらしい。傷は浅くなかったが死ぬほどでは無いそうだ。
で、なんでそんな奴がウチの病院に来るんだよ。普通のトコ行け普通のトコに。
そんなわけにはいかない事はわかってる。愚痴ってみただけだ。
風見は現在、意識を取り戻していない。だが直に目覚めるだろう。
母親が妙な事を言っていた。腹を刺したのには俺が関係してるとか。
パソコンに日記がどうたらとかよく分からない事を言っていた。
最後まで話をややこしくしてくれるな、あいつは。
もうそっとしといてくれよ。俺は亜佐美と亮平の世話で忙しいんだよ。
もちろんそんな事は言えず、笑顔で対応しておいた。
フロッピーディスクに保存したものがあるから今度持ってくるとか言ってたな。
知るかよ。勝手に持ってこい。
何か言いたげだった母親を制して俺は言ってやった。
「私の事も書いてありましたか?たぶん酷い書き方されてるんじゃないですか?」
母親は少しびっくりした顔になった。図星だろ。俺は奴にロクな対応してなかったからな。
俺はきゅっと肩をすくめて外国人みたくオーバーアクションでお手上げのポーズを取った。
「カウンセラーは、嫌われるんですよ。」
嘘だよバカ。
母親は納得した顔で頷いていた。けけけ。お医者サマサマだぜ。
これで俺の事がどんな風に書かれてたとしても、俺への信用は保ったままでいられる。
そんなもんだ。狂った息子より、医者の言うことの方が正しいんだよ。
確か風見は母親に連れてこられたんだったな。最初は嫌がってたっけな。
なら、なおさら俺の方を信用するだろう。病院に連れてくるなんて、息子を信用してない証拠だ。
俺はけけけと笑った。
俺も、息子を信用してないぜ。

その息子は今日も飽きずに壊れてる。機械の様に喋り、機械の様にメシを食う。
いいぜ、それで。機械人間でも、人間は人間だ。生きてる。身体には血が流れてる。
亮平。どんなに狂ってても、お前には生きる権利がある。俺が、保証してやる。
いや、こう言うべきか。よく今までマトモに生きてくれた。
早紀もだ。お前もよく生きてくれた。精神が破綻した時期もあったが、よく耐え抜いた。
誉めてやるべきだ。
俺は亜佐美にそう言った。亜佐美は早紀の写真を舐めるように眺めてる。
たまに早紀の名を呼ぶ声が漏れる。そのたびに俺は早紀はもう死んだ事を教える。
そして、亜佐美は首を振る。
受け入れろ亜佐美。早紀は死に、お前は狂ってる。お前だけじゃねぇ。
亮平も狂ってる。そして、俺も。

安心しろ。みんな狂ってる。


12/1 雨だ
うぜぇ。あのガキ。
カイザー・ソゼなんて大層な名前名乗りやがって。K.アザミなんて名前も使うな。何様のつもりだ。
日記自体は病院で読むことが出来た。フロッピーへの入れ方がよくわからずプリントアウトしてきたそうだ。
印刷が分かるならフロッピーの使い方くらい分かれ。けけけ。オバチャン世代にゃ無理な話か。
母親の前で読み明かした。
俺は首を何度も横に振り、深いため息をついた。
「酷い妄想ですね。ここまで進行してるとは。」
母親が俺を見る。半信半疑って目だな。俺は続けた。
「私自身は誠意を尽くしていたつもりでした。けど、風見君はそう受け取ってくれなかったようですね。
妄想の中で、嫌いな人をより酷く描くのはよくある事です。今回はそれを文章化し、さらに書いてるウチに・・・
それが現実だと思ってしまったんでしょうね。だからこんな結果に。見抜けなかった私にも、責任はあります。」
くどくどそ説明してやると母親はまた納得した顔になった。
母親としても息子の行動がよく分からなかったのだろう。「妄想」という言葉で、全てが説明できる。
俺自身も「カイザー日記」の内容はイマイチ把握しきれてない。インターネットがどうだとか。
全てガキの妄想だ。自分勝手な空想で、自分の理想を描いてるだけに過ぎない。

だが、全て現実だった。

早紀。お前は何故あんなガキに身体を。恋人がいるのは構わない。だが、アレは無いだろ。
そして知り合うきっかけとなったのは、どうやら「希望の世界」らしいな。
覚えてるぜ。お前が珍しく俺になついてきた時だ。
「私、ホームページ作ったんだよ。お母さんに手伝ってもらったの。お父さんも見てよ。」
早紀らしいなかなかイイ出来映えだった。誉めてやると早紀は嬉しそうに笑った。亜佐美の若い頃に似ていた。
俺は自分のパソコンを持ってないから見たのはそれっきりだ。俺がほのぼのした気分になったのも。
あの時早紀が言った言葉は今でもハッキリ思い出せる。
「これで、彼氏できないかなぁ。」
親の前でそんな事言うんじゃねぇ。そんな事を思ったっけな。俺も、一応「お父さん」だったんだ・・・・。
それで、望みが叶った事はなんとなく察していた。
そしてフラれた事も。早紀。お前はそれで狂っちまったんだろ?

それが今、風見の日記によって否定されつつある。
もはや早紀を汚した事やアザミの名前を勝手に使った事なんかはどうでもイイ。
俺が気になるのは、早紀と亮平の関係だ。
あの二人に、何があった?畜生。風見の日記だけじゃ信じ切れねぇ。
「僕の日記」。そうだ。それを見つければ。そこに全ての答えが有る。
家にも有るのか?早紀がワタベと名乗ってフロッピーを持ってきたらしいじゃねぇか。
この家に、あるって事なのか?
残念ながら今日中に探す事は出来そうにない。
さっき亜佐美の失禁の後始末をしてる時、病院から電話がかかってきた。
風見が、目覚めた。目覚めて死にたがってると。
どんな状況なのかは行ってみないとわからない。死にたがってるって何だよ。
行くしかない。とにかく行って、話はそれからだ。
亜佐美すまない。少し出てくる。俺は後ろを振り返ってそう言った。
亜佐美は今日もぅぅぅと唸りながら早紀の写真を眺めてる。
隣の部屋じゃ亮平がアザアザ言ってやがる。こっちの部屋に聞こえてくるほどの元気はもう無い。
行ってきます。俺は少し声を荒げて言ってみた。

行ってらっしゃいと言ってくれる人は、いない。


12/2 今日も雨降ってやがる
風見は狂っていた。
意味不明の事をわめきながら腹の傷を自分で開こうともがいていた。
奴は、未だ自分の妄想から抜けきってない。
数人がかりで手を押さえ、ベルトで風見の動きを完全に拘束した。
それでも暴れ続けている。飛び跳ねてる。顎を突き出し、手をバタバタさせて、必死に叫んでいる。
そうか。お前は、光の世界へ飛んで行くんだったよな。
身体を固定されてもなおも蠢くその姿は、とても醜くかった。
早紀と一緒に飛んでいく?ふざけるな。汚れた妄想に早紀を登場させるんじゃねぇ。
早紀がお前と一緒に逝ってくれるなんて、妄想だ。早紀は一人で逝った。お前も、一人で、逝け。
鎮静剤やら拘束具やらでなんとか大人しくなった時には、もう明け方だった。
目が覚めればまた暴れ出すだろう。俺は舌打ちをして、家路についた。
外は寒かった。コートを着てくるのを忘れた。亜佐美にかけてきたんだった。
亮平にも何か着せてやれば良かったな。今頃凍えてるかもしれねぇ。
俺は急いで帰った。

案の定、亮平は部屋の片隅で毛布にくるまってガタガタ震えていた。
部屋に暖房はあるが、今の亮平にはそれを扱うことはできない。
俺の毛布を一階からもってきてかけてやった。暖房もつけた。亮平はぉぉぉと呻いて二重の毛布にくるまった。
すぐに寝息が聞こえてきた。すまねぇ。寒くて眠れなかったんだな。
ふとノートパソコンが目に付いた。昨日の事を思い出した。
ああそうだ。「僕の日記」を探すんだった。
今思えば、この時ノートパソコンに目が行ったのも、フロッピーが入ってないか確かめたのも、
全てが運命だったのかもしれない。・・・・・・・・・・俺は「僕の日記」を見つけた。
そして、読んだ。

毛布にくるまりスヤスヤと眠る亮平に向かって、俺はノートパソコンを振り上げた。
亮平が寝返りを打った。ゴロン、と顔がこっちに向いた。
その顔は、決して狂気を纏ってはいなかった。腕が震えた。
亜佐美も恐らくこれを読んだだろう。だから、亮平を刺したんだ。
あいつは俺にその理由を言わなかった。俺も聞かなかった。俺は勝手に推測していた。
亜佐美の中に溜まってた何かが爆発しただけだと。いつかはその時が来るとも覚悟していた。
亮平の死を隠す時だって、俺は冷静だった。
しかし、今でも俺は冷静でいられるだろうか。この腕を振り下ろさないでいられるだろうか。
俺は叫んだ。ノートパソコンを亮平にぶち当てた。
全てがスローモーションだった。
ゆっくりと、ゆっくりと腕を下ろし、パソコンを亮平の頭へ向けて、下ろした。
黒い物体がゆっくりと降りていく。それを掴んでいる俺の手は、もう震えていなかった。
コツン、と軽い音がして、パソコンは亮平の頭に当たった。
んん、と少しだけ顔を歪め、また寝返りをうった。
そして、何事もなかたように、再び寝息を立て始めた。

俺は亮平を殴れなかった。

歯を食いしばった。ギリギリと音が立った。亮平。お前は。俺は。お前は。俺は。俺は・・・・。
自然と足が動いていた。何処へ行くんだ俺は。亮平の部屋を出た。
隣へ。早紀の部屋へ。ここには今、亜佐美がいる。
ドアを開けた。亜佐美が俺のコートを着て座ってる。
もうボロボロになってしまった早紀の写真を持ち、亜佐美はそこに座ってる。
俺は横に座った。亜佐美が俺のことを見た。小さな叫び声を上げた。
けけけ。俺、よっぽど酷い顔してるんだな。
亜佐美が俺から逃げようとした。腕を掴んだ。亜佐美は怖がってまた叫び声を上げた。
俺の手を振り解こうと必死にもがいていた。俺は離さなかった。亜佐美はさらに叫んだ。
しばらくドタバタやってるウチに、亜佐美は急に暴れるのを止めた。
俺の顔をじっと見た。何かを察したらしい。口が何か言おうと動いた。言葉は出てこなかった。
亜佐美の手が動いた。スッと俺の目の前を通り越して、上へ。俺の、頭の上へ。
頭の上で、亜佐美の手がゆっくりと動いた。
亜佐美は俺の頭を撫でていた。

俺は、泣いていた。
亜佐美に撫でられると、余計に涙が溢れてきた。涙は拭わなかった。
しばらくこのままで居ようと思った。このままでいたいと思った。
ずっとこのままでいるわけにはいかない。それは分かってる。
けどな。少しくらいいいじゃねぇか。
ちょっとくらい、このままでいさせてくれ。
それから少しの間、俺は亜佐美に身体を預けて、眠った。

泣きながら眠った。


12/3 aaa
早紀は妊娠してたかもしれない。その考えに至ったのは、今朝だった。
「僕の日記」を読み返し、改めて確認した。どうしても気になるところがあった。
早紀が狂ってた頃の日記の部分。身体は早紀なのに、心が亮平だった時。
心は男で、身体が女。
なら、アレはどうしてたんだ。月に一度はあったはずだ。
心が男であったなら、アレの処置はできないはず。男として生きるには、あまりに大きすぎる障害だ。
女ならわざわざあの日の事を日記に書いたりはしない。だが男なら?
排泄は男女共通だ。ナニがついてるかついてないかの問題で済む。しかしアレとなると、そうはいかない。
身体が異常な事態になってるのに、何も触れずにいられるか?
そこで出た結論がこれだ。アレは、なかった。
つまり、妊娠していた。
腹を刺した事が中の子供にどんな影響を与えたのかは想像するしかない。
ただ、早紀の腹は大きくなっていなかった。
早紀は知ってたのか?
俺は何か残されてないか探してみた。あっけなく見つかった。
早紀の机の中にあった線香。箱にはまだ何本か残ってる。何本かは使ったってことか。
・・・・・これが何を意味するのかわからない。考えたくもない。
風見の日記だと、早紀は「虫」の記憶と早紀の記憶、両方持ってたって事だったな。
当然、自分にアレが来てなかったのも知ってたって事だ。
早紀が自殺した本当の理由が分かった気がした。
そりゃ風見なんかに言うわけねぇよな。

俺は一階へ降りた。足取りはかなり重かった。
倒れるように階段を下りていく。手すりを握ってないと、転げ落ちそうだった。
一階に着いた。フラフラと台所へ。何も考えてなかった。無意識の内に歩いていた。
冷蔵庫の前に来た。ブゥゥンと低い唸っている。台所に電気はついてない。雨戸は閉めっぱなし。
真っ暗だった。
冷蔵庫の扉に手をかける。手に力を入れた。扉が開いた。冷蔵庫の中がパッと明るくなる。
光の中で早紀が座っていた。俺が、座らせたんだ。
何故自分がこんな事をしたのかわからねぇ。早紀の死体を保存する理由なんて、無いはずなのにな。
ただ、なんとなく、そうしてしまったんだ。
早紀の顔に手を触れた。冷てぇ。当たり前だ。俺は早紀に語りかけた。
なぁ早紀。お前、子供の父親に心当たりあったんだろ?
例えば、トオルとヤった時にはゴム付きだったが、亮平の時には・・・・・・・・
止めだ。余計な推測なんかしても無駄だ。
何のために早紀は一人で逝ったんだ。全てを抱え込んで逝った意味が無くなるだろ。
それに、妊娠してなかったもしれないじゃねぇか。単に日記に書き忘れてただけかもしれねぇ。
そう思え。
冷蔵庫の扉を閉めた。早紀は再び暗い箱の中へ消えていった。
けけけ。狂ってる。俺は狂ってる。狂ってるぜ。
俺は笑った。

病院へは夜行った。帰ってきた今はもう、真夜中だ。
病院に着くと、すぐに風見の居る部屋に直行した。何の迷いもなかった。
風見の部屋に来た。奴のうめき声が聞こえる。目は覚めているようだった。
周りを見渡してみた。洒落た見舞い品などは何もなかった。けけけ。俺が持ってきてやったぜ。
家から持ってきた果物の詰め合わせをベッドの横に置いた。
俺は果物ナイフを取り出した。
風見を拘束していたベルトを外すと、奴はまた暴れ始めた。醜い。
ナイフを目の前に置いてやった。奴は歓喜の叫び声を上げ、凄い勢いでナイフを掴んだ。
そして、自分の腹に刺した。
うひいいいいいいいいいいいと叫び、涙を流した。顔は笑っていた。
目は充血し、ナイフを持つ手にはさらに力がこもるのが分かった。
駄目だ。それじゃ駄目だ。それだけじゃ、死ねないぜ。同じ事を繰り返すだけだ。
俺は風見の手に自分の手を重ね、力を込めた。俺が、手伝ってやる。
ナイフがさらに風見の腹に食い込む。風見がまた叫んだ。
笑顔だった。涙を流しながらも、それは恍惚とした表情だった。
・・・・・こいつ、喜んでやがる。
俺はありったけの力を込めた。ナイフは刃の部分はおろか、柄の部分まで腹に埋まった。
うひうひうひうひうひうひと、風見は気色悪い声を漏らした。
奴は勃起していた。シーツ越しからでもはっきりわかった。この変態が!
お前は、これ以上、俺達に、関わるんじゃ、ねぇ。
ナイフをズズズと動かした。徐々に腹が割かれていく。そのたびに風見がうひいうひいと喜んだ。
切れ味の悪いナイフだったが、無理矢理肉を掻き分けた。風見は嬉しがってた。
奴の顔は涙と、汗と、鼻水と、よだれと、体液にまみれていた。笑顔のままで。
突然腰がビクンと跳ね上がった。顔が紅潮していた。・・・・・・・・イキやがった。
奴の左手がナイフから離れた。ゆっくりとシーツの中に入っていき、股間をゴソゴソいじっていた。
少しするとシーツから手が出てきた。汚ねぇ汁をからませて。
あろうことか、その手でそのまま腹の中をいじくり始めた。血と精液が混ざり、異様な色になった。
自分で自分の内臓を掴むごとに、奴の顔は喜びに満ちあふれた。

俺は深呼吸をして、ナイフをしっかりと握りなおした。
あばよ。夢見る中坊野郎。てめぇが描いた妄想の中で、死ね。
一気に腹を引き裂いた。
腹から胸にかけて、パックリと裂け目ができた。
血が吹き出た。シーツは赤く染まり、奴の体も、俺の手も、真っ赤になった。

風見は絶命した。


12/4 冬空
風見の不気味な微笑みが未だ目の裏から離れない。
俺は、人を殺した。この感触は一生消えないだろう。
死体はそのままにしておいた。

さて、このままくすぶってるワケにはいかない。風見の死体が見つかれば、俺はマズイ事になる。
いくら奴が狂ってたとしても、あんな死に方すれば他殺だってわかっちまう。
あの母親も腑抜けとは言っても、さすがに息子が死ねば何らかの疑問を抱くだろう。
「カイザー日記」の内容を思い出すはずだ。そして、俺を疑うだろう。
けけけ。もう遅いぜ。もう逃げる準備は済ませてある。あとは、行くだけだ。
早紀の遺体をスーツケースに入れるのは苦労した。なんとか入ったものの、あんな窮屈ではかわいそうだ。
落ち着いたら、手厚く葬ってやらないとな。
亮平を部屋に連れてきて身支度をさせた。なるべくマトモに見えるように。
亜佐美の着替えは手間取ったが、なんとか見栄え良くしてやった。
まだ30代半ばの亜佐美は綺麗に見えた。もちろん、それでも狂ってる。
こうして荷造りをしていると、亜佐美と逃げたあの日の夜を思い出す。
赤ん坊の亮平を抱え、雨の中二人で走った。
何処に行くのか分からなかった。行き先にアテなんざありゃしなかった。
それでも俺達は生き抜いた。俺は医者になり、亜佐美は二児の母になった。
必死だった。俺達には何も無かったんだ。帰る場所も。逃げる場所も。
やがて平穏を手に入れた。代わりに何かを失った。
亜佐美の心は離れていき、早紀も、亮平も、俺に懐かなくなった。
俺はそれでも構わなかった。生きてこそだ。それ以上何を望む。
亜佐美の浮気を察しても何も言わなかった。それが本来あるべき姿なんだ。何も言えなかった。
しかし今、全てをゼロからやり直す日が来た。
医者の身分も、この家も、未練はまったくありゃしない。
また最初に戻るだけだ。亜佐美と、亮平と、あの日と同じメンバーで。
狂って生まれてくるべき子供達が、揃って立派に生きてくれた。10数年。満足だろ。
今ではこれだ。早紀は死に、亮平は狂った。
早紀は俺達の希望だったのかもしれない。それが消えた今、俺達は再び逃亡者になる。
「お兄ちゃん。」
亜佐美の声が聞こえた気がした。
妹と、呪われた息子を抱え、俺はもう一度走り出す。
影の世界に。

そろそろ行くか?亮平と亜佐美に話しかけた。
亮平がぅぅぅと唸った。そして、俺の腕に噛み付いた。
それを見た亜佐美は、もう片方の腕に噛み付いてきた。
キーボードが打ち辛い。けけけ。痛ぇ。
二人が俺を上目遣いで睨んでる。そうか。お前等、今の世界から出たくないんだな。
歯が服を突き破り、直接腕に食い込んだ。二人は更に顎の力を強めた。
無駄だ。俺がお前達を連れていく。この世界から引っ張り出してやる。
どう抗おうと連れていく。ここには何も無い。なら、行くしかねぇだろ。
俺達の希望はもうお空だぜ?
二人は口を離さなかった。服に血が滲み始めた。

俺は窓越しに空を見上げた。闇が広がり真っ暗だ。
早紀、そこから見てるがイイ。惨めに生きるこの俺を。ウジ虫のごとく這う無様な俺を。
けけけ。そうだ。俺は虫だ。哀れむ余地も無いほどに、醜く足掻いて這い回る。
見ろ。これが俺だ。全ての元凶。呪われた血を振りまき続け、それでも生にしがみつく。
聞け。俺の魂を。
光る希望など砕け散れ。
影の中こそ相応しい。
人のカタチをした虫だ。それが俺だ。さぁ見ろ俺を!
影から声が溢れ出る。

俺は虫だ。

だが、生きる。




「光と影の世界」
−完−


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