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希望世界 プロローグ

プロローグ


第0週「覚醒」

4月17日(月) 雨も上がった
あれからもう一週間は経ったか。
最近また少し寒くなってきやがった。12月ごろを思い出す。
こうして落ち着くと、どうしても何かを書きたくなるな。
自分用のノートパソコンも買った事だし、あの時の事でも書いてみるか。
亮平が目覚めたあの日の事を。
あれは、何日だったかな。確か12月4日に逃げたんだった。
それからか。

・・・・・・・12/5
徹夜で車を動かしてた。
助手席の亜佐美は眠り、亮平も後部座席で横になっていた。
二人とも疲れ切っていた。服が千切れるまで噛むからだ。おかげで腕がまだ痛む。
目的地など考えていなかった。とにかく遠くに行きたかった。
何処をどう走ったのかはもう覚えていない。
だが本当は、心の奥では何処に行くつもりなのかは決まっていた気がする。
そしてわざと、そっちへ行くのに遠回りをしていた
前とは少し違うな。前は散々悩みながらも、まっすぐあそこに向かったんだった。
それが、今となっては「実家」になってしまったワケだ。

昔に比べて随分と印象が違う。
それこそ電車に何時間も乗っていた気がするが、今じゃ二時間もしないで着く場所だ。
車なら徹夜で走らなくったって着く。
でもどうしても真っ直ぐ向かうのには気が引けた。
逃げ込むのは二度目だ。普通に「帰省」気分で行くのとは違う。
まぁ、亜佐美はあのころとあまり精神状態は変わってないかもな。
これまでがいい状態過ぎたんだ。むしろ戻った感じだろう。
亮平は、完全に壊れちまったが。

明け方。とうとう着いてしまった。
ドアを叩くとき、昔を思い出して緊張感すら覚えた。
しばらくすると、ドアが開いた。
「叔父さん。」
こうやって呼ぶのは久しぶりだ。早紀や亮平が居る前では絶対に言わなかった。
突然の訪問に驚く叔父に、一言だけ説明した。
「また、逃げて来た。」
それだけで十分だった。

俺達は「実家」に戻った。


4月18日(火) 晴れてる
晴れの日だと亜佐美の調子も良くなる。
丘に登って小田原の海を見せてやると子供のように喜んでいた。
亮平も誘ったが来なかった。記憶が戻ってからというものの、どうもあいつの考えてる事がわからない。
今日も家でノートパソコンでもいじってるんだろうな。
叔父も最近では俺達が何をしてたのか聞かなくなった。
何度も横浜に戻る俺達に、何かを感じていることは確かだ。
どうでもいいけどな。もう終わったことだ。

さて今日も昨日の続きでも書いてみるか。

・・・・・・・12/6
亮平も亜佐美もほとんど眠ったままだった。よほど疲れていたらしい。
たまに起きてメシとか喰わせてやった。
叔父の家にいることには何のリアクションもなかった。
亮平は相変わらずブツブツ呟いてたし、亜佐美も力無く目を開けてボンヤリ過ごしてた。
場所の感覚がなかったのかもしれないな。
俺の方がもっと疲れているはずだったが、全然眠れなかった。
布団に転がってると、「健史。」と叔父が声をかけてきた。
サシで飲むことになった。随分久しぶりのことだった。

叔母は黙ってその場に座っていた。
聞きたいことも色々あるだろうに。大人しい老婆は俺に何も聞かなかった。
俺の「おふくろ」だが、叔母は未だに俺に気を使う。
当然と言えば当然か。俺の過去を知りつつも、彼女は他人なのだから。
「今度は何をやらかした。」
「親父」が先に口を開いた。俺は一言だけこう答えた。
「患者を殺してきた。」
叔母は驚いた顔をして俺を見たが、それでも何かを言うようなことはなかった。
逆に叔父は落ち着いていた。ただため息をついただけだった。
ここで全てを話したらさすがに落ち着いてはいられないだろうな。
叔母もこれ以上キツイ話だと発狂してしまいそうだ。
だがこれだけは言って置かなければならなかった。
「辛い目に会ってね。早紀も、死んだ。」
早紀の死を知った叔母はワっと声を上げて顔を伏せた。
叔父も体をわずかに震わせていた。何か言いたいんだろう。
見ててわかる。俺に語りかけることのできる言葉を必死に探してる。
そんなモノなど、無いんだけどな。
三人とも黙ったまま、酒だけが進んだ。

少し酔いが回り、軽い眠気が襲ってきた。
もう寝よう。叔母がいそいそと片づけを始めた。
叔父も少し酔ってるのか、頬が赤らんでいた。
「なぁ健史。」と部屋に戻ろうとする俺に話しかけてきた。
「お前、まだ知りたくないのか?」
これだ。この話があるから「実家」には帰ってきたくなかった。
以前は叔父も事情を知ってたからかばってくれたのに
俺が大人になってからは、やたら俺と奴を会わせたがるようになった。
「あいつが今どこにいるかなんて知りたくもないし、その話は聞きたくもない。」
ハッキリと告げ俺は寝室に戻った。
心の中では、叔父に向かってこう呟いていた。

俺の「親父」はアンタだ。奴はもう関係ない。


4月19日(水) 曇
亜佐美の調子も随分と良くなった。自分だけでもマトモに飯を食えるようになった。
回復ついでにレンタカーを借りてもらってドライブに出かけた。
亮平はやっぱり来なかった。
横浜に戻ってみた。放火犯が現場に戻る心境ってこんなもんか。
今戻るのは危険だとわかっていても、つい足を運んでしまう。
ヤツらがどうなったのか少しだけ気になった。
俺が犯した罪は何だろう。遠藤を狂わせ、川口の目をエグり、渡部をブタ箱行きにした。
風見の件は病院の事勿れ主義の連中がうまく処理してくれたようだ。
特に報道されたりはしなかった。
ということは。俺は世間的に罪に問われているのは、川口への傷害だけか。
遠藤の件で俺が犯人と思われることなんて無いしな。
渡部は捕まっただろう。川口は何か言うかな?
一人じゃ何もできんだろうな。
心地よい気分でドライブを楽しめた。

今日も昨日を続きを書く。良く覚えてるよな俺も。あの時の事は忘れられねぇからなあ。

・・・・・・・12/7
二人の狂いっぷりに叔父と叔母はあまり動揺しなかった。
かつて亜佐美がおかしくなっていた時も看病してたしな。
亮平も心は女だったからあまり凶暴にはならなかった。
狂ってることには変わりないが。
早紀のことを相談したら、さすがに驚いた。
亡骸がまだ車にある。いい加減なんとかしないとこの広い家でも匂いが充満してしまうかもしれない。
早紀の亡骸を見て、叔父は深いため息をついて首を何度も何度も横に振った。
叔母は泣き崩れた。しかたないさ母さん。これも運命だったんだよ。
さて、葬儀場に行くわけにはいかない。どうするべきか。
俺は火葬がいいと思った。そうすれば骨が手元に残る。
「ウチの庭でやってもいいよ。」と叔母が言ったが、俺はどうもしっくりこなかった。
場所としてはかなりイイ。町はずれだし周りも田圃ばかりだ。
だが、山の頂上とかがいい。自然の中で早紀を逝かせてやりたい。
「無理だ。」叔父が言った。「山での煙はマズイ。」
言える。ヘタに山火事だと騒がれたら困る。早紀をさらし者にはしたくない。
かといって煙を抑える努力もしたくない。煙は天まで上らせたい。
「やっぱりウチでやった方が。」
叔母の意見に決定した。

叔父も叔母も、早紀が自殺であったことに「それだけでも救いだ。」と言っていた。
俺も、誰かに殺されたのであれば発狂していたな。
もっとも、風見は殺してしまったが。
細かいことは聞かれなかった。もう懲りたのだろう。醜い現実を詮索するのを。
俺は以前亜佐美と逃げてきた時、それに至るまでの経緯を事細かく喋ってやった。
あの時は二人とも相当気分を悪くしていた。気が狂いそうになるほど。
俺は今でもその細かい状況を覚えている。
あれ以来俺は、嫌なことを忘れずに綴ることができるという不愉快極まりない特技を覚えてしまった。
忌まわしき場所から飛び出し、電車に乗り込んだ。
とにかく上京しようと東京方面に向かった。気付いたら横浜だった。
その段階ではもう心は決まっていた。小田原の叔父のところへ逃げ込もう。
奴の血の繋がる人のもとに逃げ込むのは屈辱だった。
でも他に行くところなんてあるわけなかった。
俺の選択は正しかった。
わずかな期間だったが、二人は俺達が大人になるまできちんと育て上げてくれた。
それでいい。それだけで満足だ。

奴はそれすらしてくれなかったのだから。


4月20日(木) 雨だ
雨の音を怖がっていた亜佐美だったが、今は平然としてる。
日が経つにつれ正常になりつつある。前の時でも回復したんだ。今回も大丈夫だろう。
しかし最近落ち着いてきたせいか、叔父がまたあの話を持ってくる。
俺は会いたくも知りたくもないと何度もいってたのに。
俺が聞きたくないと断ると一応はあっさり引き下がってくれる。
それでも今日は一言嫌な言葉を残してくれた。
「生きてはいるんだから。」
あの野郎。懲りずに生きてやがるのか。
死んでも知らせなくてもいいと言っておいたのに。よりによって生きてる報告か。
いっそあの時殺してやれば良かった。
俺と亜佐美を苦しめた元凶だ。
あんな奴がかつて父親だったと思うだけで吐き気がする。
今日はもう奴の事を思い出すのは止めだ。

昨日の続きだ。段々作家みてぇな気分になってくるな。

・・・・・・・12/8
早紀を葬るために必要なものの準備を進めた。
花とか色々買いあさるうちに、なんとなくのイメージはできあがった。
まずは椅子に座らせよう。花を抱えさせて、ドレスを着せて、化粧もしてやりたいな。
純白のドレスが燃えていくのは綺麗かもしれない。
早紀はの遺体はまだ腐りきっちゃいなかった。保存状態には気を付けておいたからな。
それでもそろそろ手を打たないと酷くなる。
皆早紀の匂いなら平気なのだが、少し離れてるとはいえ隣の家にまで感づかれるとマズイ。
とりあえず一通りのモノを買い終えた。

いざ早紀をドレスアップしてやろうとした時、不覚にも亜佐美に見られた。
亜佐美は家中を徘徊していた。叔母がつきそっていたのだが、部屋のドアが開いたままだった。
慌てて叔父がドアを締めようとしたが、亜佐美は悲鳴をあげて早紀に寄ってきた。
俺は亜佐美の口を押さえ、なんとか黙らそうとしたが手を強く噛まれた。
「早紀を隠してくれ!」俺は叫んだ。
叔父と叔母は隣の部屋に早紀を運び、俺は暴れ回る亜佐美を床に抑えた。
落ち着け。今は落ち着くんだ。
何度もそう囁いた気がする。
噛まれた手からは血がにじみ出ていた。
早紀はじきに燃える。もう会えなくなる。でもな。
認めろ。早紀は死んだんだ。死んだ。
話さない。動かない。生きてない。
亜佐美は涙を流していた。
送ってやろう。綺麗に送ってやろうじゃないか。
俺も半泣きになっていた。

亮平は別の部屋の隅で相変わらず独り言ばっかり言っていた。
その姿を見て俺は何とも言えない感情が沸いてきた。
この状態でも亮平はまだ早紀の事を覚えているだろうか。
改めて早紀を送ってやる時、亮平はどんな表情になるのか。
ボロボロになった人形に、亮平はもう興味を示していなかった。
俺が取り上げても何も言わなかった。

これも早紀と一緒に燃やすか。


4月21日(金) 今日も雨
嫌な話を聞いた。どうして叔父が最近奴の話をしたがるのかわかった。
「あっちは会いたがってるぞ。」、か。
今会ったら殺してしまうかもしれない。
それだけは強く言っておいた。
川口の目をエグった感触は今でもまだ手に残っている。
あいつは殺すにも値しないほど弱かった。渡部もだ。
俺自身のあいつらに対する恨みは殺すようなものじゃない。
早紀への関わりを強制的に断ってやることができればそれで良かった。
ガキは懲りれば同じ事はしない。
渡部は今ネットに接続できる環境ではないし、川口ももう嫌になってることだろう。
「殺したい。」と言ったのは亮平だった。
遠藤を刺した時も「僕がやりたい。」と言ったから直接遠藤の家に行かせた。
それは失敗してしまったが、結局三人ともそれぞれ崩壊を迎えたから良しとしよう。

例の続きを書く。今でも鮮明に覚えてることばかりだ。

・・・・・・・12/9
早紀のドレスアップを完成させた。叔母が化粧を塗ってくれた。
皮膚はかなり変色していたので、分厚い化粧をして真っ白な肌にしてもらった。
まるで人形のようになった。しかし綺麗な人形だ。
着物を着せればもっと似合ったかもしれない、と白いドレスを着せたことを少し後悔した。
ドレスでも十分似合ってはいたが。
真っ赤に塗られた口紅が特に際だっていた。全然嫌にならない、むしろ壮麗な際だち方だった。
大人っぽいな。それが正直な感想だった。
濃い口紅はなぜか「魔性の女」というイメージを誘った。
表情はもう無いはずなのに、なぜか早紀は笑ってるように見えた。
化粧のせいだろうか。タダ単に気のせいだったのだろうか。
今となってはもうわからない。

庭に椅子を置き、叔父と一緒に早紀を座らせた。
亜佐美はまた暴れないように叔母に任せてある。亮平は気にしなくても部屋に座り込んでいた。
花は名前もわからないものだった。
花屋で綺麗所を選んできたつもりだ。白いドレスに赤や紫の色とりどりの花はとても似合っていた。
早紀は気に入ってくれただろうか。
燃やすのが勿体ないぐらいだった。
外は寒かった。ドレスだけの早紀には寒いだろう。
他の準備が進むまで俺のコートをかけてやった。
コートをかける。これだけの事。
ただこれだけの行為を終えた瞬間、目から止めどない涙が溢れてきた。
早紀との思い出が凄い勢いで蘇ってきた。
叔父の家。そうだ。ここで早紀は生まれたんだ。
叔父の計らいで俺の戸籍は以前の家からは移されていた。
亜佐美と俺は従兄妹同士になっていた。従兄妹なら結婚できるらしい。二人で籍を入れた。
これは叔父が役所に勤めて無くても可能だったのかはわからない。
叔父は言ってくれた。「細かい事は考えなくていい。お前は亜佐美だけを・・・。」
そこで生まれたのが早紀だ。
腕に抱いた早紀はとても暖かかった。
走馬燈のように早紀が成長していく様が蘇っていた。
叔父が後ろから「大丈夫か?」と聞いてきた。
俺はまだ泣いていた。
振り向かず、早紀の膝に顔を埋めて、ただ一言「しばらくこのままでいさせてくれ。」とだけ言った。

そのまま夜になっても、俺は早紀から離れられなかった。
叔母がもってきれくれた毛布にくるまり、ずっと早紀にしがみついていた。
「明日に延期させてくれ。」
叔母は黙って頷いてくれた。
早紀の化粧が剥がれるか心配だった。明日きちんと塗り直してやるからな。
一晩中早紀と一緒にいるうちに、こんな事まで考えた。
俺も早紀を失って平然としてられなかったな。

そして夜が明けた。


4月22日(土) 晴れた
亮平がネットで妙な情報を見つけた。
いきなり「これ。」と言ってノートパソコンの画面を見せてきた。
どこぞのあやしげな掲示板。少年犯罪者の顔写真が流出してたりするアングラな所だ。
犯罪者をモチーフにしたアイコラやどこぞの有名人の性癖やらの情報の中に、それは紛れていた。
神奈川県警をなじる書き込みだった。「まだある!報道されてない県警の不祥事。」
発言者が集めてきた県警の不祥事情報の数々。
何々高校の女子に手を出したとかカツアゲ現場を見てみぬフリとかくだらないものばかりだった。
が、その中にこんなものがあった。
「横浜では18歳の女を放火の疑いで捕まえ様ようとした時、女の恋人に襲われて逃げられたらしい。
その恋人も18歳で、火炎瓶をパトカーに投げ込むなどの無茶するとんだガイキチ君。
そんなガイキチ君にやられちゃう県警はダウソ。弱すぎ。ちなみにその女と男は今でも逃げてるそうだ。」
その後もまたダラダラとした県警をなじる言葉が羅列されていた。
この情報が確かなものかなんて何処にも保証は無い。
ただ、これがガセだとも言いきれない。となると。
奴ら、逃げたのか。
亮平は何も言わずにまた部屋に引っ込んでしまった。
俺も特に何も言わなかった。
逃げたからって、どうにかなるようなことじゃない。
いずれ捕まるのがオチだろう。
俺達がココにいることなんざ知る方法は無い。

続き。ああ、この日か。

・・・・・・・12/10
早紀の足下にガソリンを撒いた。直接早紀にかけるようなことはしなかった。
化粧も塗り直し、より一層綺麗になった。
亜佐美と亮平にも早紀を送ってもらいたかった。
だから二人にも、早紀を燃やすところを見せる。
叔母に頼んで亜佐美を連れてきてもらった。亮平は勝手についてきたが相変わらずの様子だった。
亜佐美は早紀を見てまた暴れそうになったが、俺が直接抑えてやった。
亮平は早紀を見て独り言をやめた。叔父が抑えそうになったが俺はそれを制した。
暴れはしなかった。ただじっと、黙って早紀を眺めていた。
虚ろな目だった。亮平の心は、早紀を見ても壊れたままだった。
全ての準備は整った。

火は叔母につけてもらった。俺だときっと火をつけられないから。
足下のガソリンが、マッチが落ちた所からサっと火が広がっていった。
白いドレスがパチパチと音をたてて燃え始めた。
亜佐美はまた暴れそうになったが、俺に抑えられて動けなかった。
黙って見送ろうじゃないか。
叔父も叔母も、そして俺も黙って早紀の燃える姿を見つめていた。
徐々に早紀が灰になっていく姿は、何処か神秘的なモノを感じた。
こうして人が段々と燃えていく姿を見るのは、普通はあり得ないことだろう。
早紀の白い肌から火が上がり、まるでロウソクのように溶けていった。
色とりどりだった花も、バラバラの人形も、音を立てて燃え上がる。
皮膚がただれていくのはグロテスクであるはずなのに、早紀の場合には美しささえ感じた。
俺は誰に言うことなく呟いた。
ああ。早紀が逝っちまう。とうとう、逝ってしまうのか。
その時突然、俺の横からひとつの影が飛び出した。
亮平だった。
いきなりのことに止めることができなかった。
亮平は既に半分以上燃えた早紀に抱きついた。
ジュゥ、と音をあげて亮平の肌が燃えた。
助けようとしてるのか。一瞬そう思った。
イヤ違う。亮平は早紀を助けようとしてるわけではなかった。
燃えさかる早紀の顔に、頬を寄せ、口づけをしていた。
亮平の顔が目に見えてただれていく。
叔父がそれを止めさせようとそた矢先、亮平の声が聞こえた。
「早紀。」
火に包まれて顔がよく見えなかったから、どんな表情をしてたのかわからなかった。
早紀。もう一度その声が聞こえた。
俺も、叔父も、叔母も、亮平についた火を消すことを忘れていた。
亮平が早紀を抱きしめた。もうほとんど灰になった早紀は、ボロボロと崩れた。
骨の形が見えてきた。煙は天まで昇っていた。
俺は思いだしたように亜佐美を叔父に任せ、亮平を火から離した。
用意していた水を亮平にかけ、その表情を伺った。
顔はもうぐちゃぐちゃに焼けただれていた。だが、口元は笑っていた。
亮平はその場に座り込んだ。顔を上げ、立ってる俺に語りかけた。
「早紀が燃えた。」
早紀は完全に燃え尽きて炭と骨だけになっていた。
叔母が骨壺に早紀の黒い骨を回収している。
炭が意外と残っていたが、収納すると見た目ほどの量はとらなかった。
叔父に抑えられた亜佐美は大人しくなっていた。鬱状態になって動かない。
亮平に目を戻すと、恐ろしいほどの無表情になっていた。
おそるおそる聞いてみた。
「お前、記憶が戻ったのか。」
ゆっくりと頷いた。
無表情のまま、俺に顔を向けた。
「早紀に戻れと言われたから。」
そうか。俺もまた、頷いた。

こうして亮平は、元の人格に戻った。


4月23日(日) 日差しがきつくなってきた
叔父はもう奴の話をしなくなった。もう諦めたらしい。
横浜まで様子を見に行った。奴らが本当に逃げたのか確認したかった。
渡部の家を通ったが、外からは中の様子なんてわからなかった。
公衆電話から渡部の家に電話してみた。
「美希さん、いますか?」
どなたですか、と男の声が聞こえた。
高校で美希さんを教えていた者です。
浪人生活の勉強について相談されてたんですが最近連絡来なくなったもので。
とっさに出た嘘のわりにはまぁまぁ良くできた方だったかな。
「今でかけてるんです。しばらくは戻りません。」
そうですか。いつ頃戻られますでしょうか。
相手はは答えに詰まった。まぁこのくらいでイイだろう。
「ではまたかけなおしますので。」
次は川口の家に電話した。
・・・・誰も出なかった。弟はまだ入院中だよな。両親は何をやってるんだ?
いずれにしろ、川口は家にはいないってことか。
もしかすると昨日の情報は本当なのかもしれない。
まぁいい。
仮に俺達の元に来るようなら、迎え撃つまでだ。
もし来たらの話だが。

俺にはまだやらなければならないことがある。
記憶の戻った亮平を、また「正常」にしてやらなければならない。
心のケアなどという野暮ったい言葉は使いたくないが、今の亮平にはこれが必要だ。
俺はもう狂気から逃れられない。
亮平。せめてお前だけは違う道を行ってくれ。
早紀を失った俺達には、お前しか希望を託せる相手がいない。
俺とが亜佐美がずっと憧れてた。せめて普通の人生を送りたい。
辛すぎることが多すぎたから。
亮平。お前はまだ若い。
これからならまだ間に合うはずなんだ。
生きていればいい。確かにそうだ。
だがもうそれは、俺だけでイイ。

お前は俺の、上を行け。

例のは今日で最後だ。

・・・・・・・12/11
包帯撒きにされた亮平は、俺が持ってきた亜佐美のノートパソコンをいじっていた。
「希望の世界」にアクセスしていた。
しばらく画面を眺めた後、おもむろに画面に口づけをした。
パソコンごと抱きしめる。画面が唾液によってキラリと光った。
その様子を見ていた俺は、黙って横に立っていた。
亮平は俺には気にせず、ずっと「希望の世界」の画面への愛撫を繰り返していた。
やがてカチャカチャとマウスをいじり始めた。サイトの中へ入っていったようだ。
すると、ボソっと声を上げた。掲示板を見ていた。
「こいつら早紀を汚してる。」
風見はもう殺したよ。俺は言ってやった。
全ての記憶が戻ってる亮平には、風見の話も理解できたらしい。
「あいつは死んで当然だ。」
早紀とやってるトコを見たのを思い出していたのかもしれない。
「でも。」
亮平は俺の方に顔を向け、画面を指さしながらこういった。
「まだ二人いる。」
画面を確認することなく、俺はその二人がわかってしまった。
渡部と遠藤か。この二人もまた「希望の世界」を汚し、さらにロムも続けてるかもしれない。
「奴等も消したいか。」
俺は亮平に聞いてみた。
ゆっくりと頷き、一言だけこういった。
「殺したい。」

俺は自分たちの事を思い出していた。
亮平は学校でイジメられた。俺達の場合、その相手は実の親だった。
俺と亜佐美は、実の親から虐待を受けていた。
それで亜佐美はおかしくなり、俺は亜佐美を連れて逃げてきた。
亮平が誰の子かは考えないようにしている。
亜佐美は親からだけでなく、どこぞの他人からも体を捧げさせられていた。
あいつら、亜佐美を売ってやがった。
それだけじゃない。父親に至っては、自分でも手をつけていた。実の、娘に。
耐えきれなくなった亜佐美。俺に泣きついてきた。
俺は亜佐美を守る決心をした。
気付いたら、俺自身も亜佐美と。
そして亮平は生まれた。
誰の子なんてわかりっこなかった。
いや、俺の子だ。
俺の子だと信じている。
育てたのも俺だ。亮平は、俺の息子だ。

亮平は早紀の魂がこもった「希望の世界」を汚す奴等を殺したいと言った。
ならば殺してやろうじゃないか。
親はどうあるべきなのか。俺は自分の親からは学ぶことはできなかった。
息子の願いを親が叶える。これは普通のことじゃないのか?
歪んだ願いを叶えてやるのは「普通」じゃないのかもしれない。
だが、俺にはこれしかやってられることは無かった。
亮平の願いを叶える。それが親として、俺の出来る全てだった。

亮平の頬に手を乗せた。火傷のせいか、少し熱いように思えた。
亮平の心が手から通じてきたらいいなと思った。
手は温かい。だが心までは伝わってこなかった。
この言葉が亮平の耳に入るようにと祈った。

放つがいい。お前の想いをすべて。


第2部<迎撃編>
 第5章「溝」