「解放」-5

4月27日(金) 晴れ
目をつぶると幼い頃の記憶が今のことのように蘇ってきます。
父に連れられて行った見知らぬ人の家。
頭を下げて分厚い封筒を受け取る父。父はそれで帰ってしまう。
残された私は見知らぬおじさんに身体をいじり回される。
父の名を叫んでも誰も助けには来ない。身体に激痛が走る。気を失う私。
迎えに来てくれたのは母だった。母に酷い目に会わされたことを報告するとなぜか怒られた。
「このことは誰にも言っちゃいけません」
私は外に出るのが怖くなった。またあのおじさんの家に連れて行かれるのが嫌だった。
父は無理矢理連れ出そうとしたけど、母が止めてくれた。
「無理に連れていくとこの子外でわめき散らすかもしれないわよ」
誰にも言わないのに。私はちゃんと約束を守るよ。
お母さん、私を信用してくれてないんだ。
父は私を外に連れ出すのを諦めたけど、逆にもっと嫌な目にあわされた。
「言うこと聞かないお仕置き」と称して、あのおじさんと同じことをした。
それから何度か、同じことをされた。
いつも家に二人きりになった時だった。母が兄を連れて外に出ていった時は、必ず。
そして私は妊娠した。
兆候を感じて私はこっそりと病院へ行くとその事実を告げられた。
その時から私はおかしくなりはじめた。
何も知らない兄に助けを求めようとした。でも言えなかった。
だから私は自分の世界に閉じこもり、身代わりを立てた。
兄を誘惑したのはこの頃だったかもしれません。
父と、父に連れて行かれた見知らぬおじさんから酷い目にあわされたことを告げて・・
見知らぬおじさんは複数ということにして話を少し大げさにして・・あの人に身を寄せた。
そうして彼と直接関係を持つことで、私の中で「ケンジ君」が完全なものとなった。
ケンジ君に後を任せると、兄は私を救うことを考えた。
妊娠してたことはお腹が膨らみ初めてから気付いたのかも知れません。
お腹の中で子供が育つにつれて、私はせっかく閉じこもったのに再び表にでなければならなくなった。
男の「ケンジ君」には子供が産めない。だから私が。でも私は表に出るのを拒否した。
兄は私が「ケンジ君」のまま出産を行ったら精神が崩壊すると思って、私を元に戻すのに必死になった。
時間がない。まさに兄の言ったとおりでした。
腹痛と頭痛に悩まされた頃、兄の心配をよそに「ケンジ君」は自ら自分の使命に気付いた。
かつて兄が誘ってくれたこと。両親を消す。
身重のまま兄と共に実行に移したけどそれは失敗に終わった。
首を絞めたものの父は途中で目覚めてしまい、私は突き飛ばされ、兄は殴られた。
父の首を絞めた時点で「ケンジ君」は消えてしまっていた。
私は戻っていた。出産のために。
突き飛ばされて倒れ込んだと同時に陣痛が始まった。
兄が何か叫びながら私を風呂場に連れていく。母がやってきて兄を追い出す。
母が泣きながら何度も謝ってたけど、私ずっと「許せない」と思ってた。
出産。
それからしばらく私は寝かされたままだった。
父と母と兄の3人が生まれた子供をどうするか話し合ってたのは覚えてる。
話し合いというより怒鳴り合い。たびたび殴り合う音も聞こえてた。
私が動けるようになるまで回復したある日、兄が真っ赤に染まった手をタオルで拭きながら部屋に入ってきた。
大きなリュックを背負い、赤ん坊を抱き上げ、寝ていた私に言った。
「さあ亜佐実、目を覚ませ。一緒に行こう。この子と共に。」
雨の中、私たちは逃げ出した。
「お兄ちゃん」と私が呼ぶと兄は笑いながら答えてくれた。
「大丈夫。きっとなんとかなるさ」
あれは全て過去のこと。
十数年前の出来事だった。狂気のままこの家に戻ってきた私は、再び同じ状態に陥った。
父と母に再びあってしまったことが引き金になったんだと思います。
過去の幻影にとらわれていたんだとわかると、いろんな疑問が一気に解決しした。
「タケシ君」は何だったのか?
心の中で作り上げた幻だなんてとんでもない。
タケシ君はあの時の兄そのものです。全ては過去に一度あったことだから。
私は思い出していただけだったんです。数ヶ月にも及んで。
ただ、私の身体はあれから10数年も経ってしまい、妊娠もしていません。
だから腹痛と頭痛の痛みだけが蘇り、意味の分からないことになってました。
会話が噛み合わないのも当たり前です。
かつて同じ質問をしていたら「タケシ君」も答えることができるけど、そうでなかったら答えられるわけがありません。
「タケシ君」は実在してたんだから呼吸音が聞こえたり触った感触があって当然。
私の身体に刻み込まれた触感の記憶が、「タケシ君」に触れるたびに再生されていた。
でも父と母の会話は紛れもなく現実。今この目に映ってる部屋も現実。
私は過去の夢と、目に前ににある現実との間をうろついていたんです。
かわいそうな「ケンジ君」。そんな状態だったら混乱しても仕方ないわ。
過去の幻だって全てが正確に再生されてたわけでもなかった。
現実に戻されて「タケシ君」が消えたりもしてた。
最後には過去の夢にとらわれてずっと苦しんでた。父を殺す「使命」はずっと昔のことだったのに。
私が、「ケンジ君」が生きていたのは・・・そう。
狭間の世界。

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