絶望世界 もうひとつの僕日記

第12週


2月5日(月) 晴れ
オフ会の日取りはすぐに決まった。
Kが「土日は混んでるから平日にしよう。」と言うので金曜日にした。
場所はもちろん渋谷ハチ公前。
待ち合わせは渋谷でしかやったことない僕としては他の選択肢は無い。
時間は例によって午後3時。映画見るにしてもこれくらいが丁度いい。
早速美希ちゃんにメールを送るように伝えた。
「オッケー。じゃあこっちの作戦も考えなきゃね。」と美希ちゃんもノリノリ。
そう。これからが本番。当日いかにしてKに処刑人のことを語らせるか。
それを考えなきゃいけない。というか実はこれが一番難しいんじゃないか?。
オフ会に誘い出すのはいいけど、処刑人の名を出した途端逃げられたら元も子も無い。
それどころか返り討ちってこともあるんじゃないか。
うわ。思ってた以上に難しそうだ。そう思って美希ちゃんにも協力を促した。
「じゃあ一緒に当日の作戦を考えよう。」
「それは亮平君の仕事よっ。私はメール担当だからっ!」
有無を言わさず僕が考えることになった。
最後には「頼りにしてるから!」と爽やかに言われてしまった。
彼女は自分の思いついたものに関しては素晴らしい情熱を発揮するが
なにやら小難しそうな問題に関しては人に押しつける癖があることを改めて認識させて頂いた。
それでも彼女の言いなりになる僕。頑張ったところで見返りなどないのに。
構わないけどね。


2月6日(火) 曇り
僕が考え出した作戦は以下の通り。
Kには僕の携帯の番号を教える。
僕は完全に「三木」となってオフ会にも僕が直接出向く。
美希ちゃんはハチ公前の人混みの中ちょっと離れた所に紛れ込んで僕らの様子を見守る。
その後は美希ちゃんは僕らを尾行。
映画館の場所はすぐわかるから見失わないように注意するだけでいい。
僕の方はKを普通のメル友として応対。
美希ちゃんとのメールの記録を読み返して話題に違和感が無いようにする。
映画を見た後は喫茶店か何かに入る予定。美希ちゃんはこっそり僕らの近くの席にいてもらう。
ファミレスとか人が多いところだとうまく座れないから避けた方がいい。
じっくり腰を落ち着けたところで本題に突入。処刑人の話題を振る。
うまく「処刑人の噂を聞いたことのある第三者」を演じたいところだけど奴が逃げ出す可能性は十分にある。
そこで、逃げ出しそうになったら美希ちゃんにも来てもらい奴を囲む。
そうなったら僕が「WANTED処刑人」の管理人&かつてのメル友であることも
今回の計画のことも全てバラしてしまっていいだろう。
ここまで来れば奴も腹をくくって話してくれるはず。
うん。これで行こう。我ながらナイスな作戦。
まさかKの奴もこんな綿密な計画が仕組まれてるとは思いも寄らないだろう。
美希ちゃんに作戦概要を送って僕の携帯番号を教えるように指示した。
作戦は美希ちゃんにも「すごーい!」とお褒めを頂いたし。
なんかいよいよって感じがしてきた。


2月7日(水) 雨
ケイさんが会う前に名前を教えてくれた。
「本名は風美って言います。ハンドルのケイはカザミの頭文字Kなんです」だと。
意外とかわいらしい名前でびっくり。もっともこれが本名であるかはまだ疑問だけど。
美希ちゃんは「僕のミキは本名です。」などと返答してた。嘘は言ってない。
オフのスケジュールは承諾してくれたし後は会うだけ。
僕の方は特別に準備するものは無いけど、携帯がいつ鳴るかだけが気がかりだった。バイト中に鳴ったら困る。
みんなの前で「はい、三木です。」とか言うのは嫌だったけど幸いなことに電話はかかってこなかった。
電話と言えば美希ちゃんがあのことを気にしてた。
「あっちの携帯の番号ちゃんと繋がるかな。」
風美さんは自分の携帯番号を教えてくれた。確かに素直すぎるかもしれない。でもそれは警戒してない証拠だと思った。
うまく事が進んだら風美さんに何を聞くか話し合った。
まず本当に掲示板荒らしの「K」であるか確認。でもこれは否定されそうだ。
そうなったら問答無用で質問を続ける。牧原さんと岡部君と板倉さんについても聞かなきゃいけない。
あと肝心の処刑人の正体も。結構聞くこと多いな。
全部答えてくれるかわからない。でもできるだけ絞りとりたい。
「なんだかんだでここまで来るのに時間かかってるもんね。絶対成功させようね。」
美希ちゃんの言葉に同意して二人で作戦の成功を誓った。
二人でやればきっと大丈夫。


2月8日(木) 晴れ
今日は僕だけ暇だったのでお昼に奥田のソバ屋としゃれ込んだ。
明日に控えた作戦の決起会。今の内から気合い入れとかないと。
美希ちゃんも注文取りやら配膳やら色々頑張ってた。
奥田は厨房の方にチラチラ見えた。修行の最終段階らしい。
二人が休み時間になるのを待って、久々に三人で食事をした。奥田の修行は日曜日には終わるそうだ。
「もうすぐ終わるから。そしたら俺もその作戦に参加させてくれよ。」
そう意気込んでたけど残念ながらオフ会は明日。
それに奥田は今から入ってきてもネットの状況とかよくわかんないんじゃないかな。
奥田だってそのことはわかってるだろうに。
僕と美希ちゃんが楽しそうにしてるから輪に入りたくなったのかもしれない。
なんて考えてたけど、できればこっち側には来ない方がいい。
なんだかせっかく眩しい道を歩み始めた人をまたダメ街道に呼び戻すみたいだから。
奥田は奥田で頑張ってくれ。僕らはダメなりに頑張るさ。
親友として心の中でエールを送っておいた。(恥ずかしくて口には出せない)
さて、明日は待ちに待ったオフ会。美希ちゃんと最終的な打ち合わせもして準備万端。
あとはもう行くだけとなった。
本当によくここまでこぎつけたもんだ。これも全部美希ちゃんのおかげかな。
彼女に感謝しつつ、明日の成功を祈った。
待ってろ風美さん。必ず処刑人のことを聞き出してやるからな。
僕と美希ちゃん。二人でね。


2月9日(金) 晴れ
オフ会。渋谷は寒かった。
美希ちゃんと僕は万全の装備でハチ公前に向かった。
時間は少し早めで。相変わらず人の多い場所。
ここなら美希ちゃんが紛れ込んでてもバレないだろう。
僕はハチ公前に立った。遠くには美希ちゃんが見えた。
あまり駅の方までは行かないように言ってある。お互いが見える位置で。
3時前になるとさすがに緊張してきた。僕は頭の中でずっとセリフを考えてた。
まず会ったら第一声はどうしようか。リョーヘイであることを明かす時には何て言うか。
じっとしたまま緊張だけが高まっていった。
美希ちゃんの方は植木の後に隠れたり交差点の方に行ったりと、何度も居場所を変えてた。
やっぱり彼女も落ち着かないらしい。
3時になった。携帯はまだ鳴らない。
今回は特にお互いの目印は無い。頼りは僕の携帯だけ。
でも約束の時間。美希ちゃんとちらっと目が合った。こっちから電話するべきか?
確認したかったけど、美希ちゃんと接触するわけにはいかない。
もしかしたら風美さんはもう来てて、僕の様子をうかがってるかもしれないから。
周りを見渡すと多くの人が待ち合わせをしてる風だった。
女子高生。サラリーマン風。僕と同じ様なさえない男。女の子のグループ。
何人かは携帯を片手に腕時計をチラチラ見てたりもする。
なんだかどれも怪しかった。本当に、もうこの中に紛れ込んでるかもしれない。
色んな人が入れ替わりやってくる。電話をかけようとしてる人がいるたびに目を見張った。
でもまだ来ない。3時5分になった。
右隣にはかっこいい眼鏡かけた男の人が突っ立ってた。左にはちょっと綺麗な女の人。
向かい側には女性二人組がおしゃべりしてる。
その横にはお洒落な感じの男が一人。さらに横にはくたびれた服を着た男。
とにかく人が多い。美希ちゃんはハチ公のすぐ後まで来てた。心配そうな顔をして。
3時10分。携帯は鳴らない。もしやまたすっぽかされたのか?でも今回は電話を持ってる。
僕は意を決して電話をかけようとした。
携帯を取り出したその瞬間、鳴った。
ディスプレイにはしっかりと「風美さん」の文字。
すぐに取った。「もしもし。」ブツっと切れた。
はあ?と僕は拍子抜けしてしばらく携帯を見つめてた。
そしたらまた鳴った。今度も「風美さん」から。
今度も素早く取った。「もしもし。」ざわざわと雑踏の音が数秒続いたあと、またもやブツリと切れた。
意味がわからない。電波が悪いのか?それともまだ電車の中とか・・
そう考えてる時の僕の顔はものすごく間抜けだったと思う。
待ち合わせてる人からの意味不明の電話。戸惑う僕。
ああ。その時すぐに気づけば良かったんだ。
自分が間抜け面をさらしてることを。そしてそれが何を意味するのかを。
今になってみれば実に馬鹿らしい単純なことだった。
でも僕は作戦とかなんとか、とにかく僕らが奴を罠にはめてると思ってた。
そのおごりが、自分たちの方こそ罠にかかってることを気づかなくさせてたんだと思う。
腹が立つ以前に恥ずかしい。どう考えても僕の方が馬鹿だった。
しばらく不思議に思ってると、また電話が鳴った。
またか?と思ったけど、今度は美希ちゃんからだった。
ハチ公の後を見ると彼女はもういなかった。別の場所に移ったらしい。
さっそく風美さんからの電話について話そうと思った。
「もしもし美希ちゃん?今さあ・・」
話そうと思った矢先、彼女の方がものすごい勢いでまくしたててきた。
「ねぇ、今となりにさっきの男いる?もう行っちゃった?あ!やだ!もう居ない!!」
突然のことに何の話か理解できなかった。
「さっきの男って誰?何の話?」
「さっき亮平君の隣にいた男よ!ほら、なんかさえない感じの人!あーもう行っちゃった・・。」
隣を見てもさっきの年下っぽい男は居なかった。
女子高生らしきギャルが電話でピーチク話してるだけ。
そういえばさっきの男、いつの間にいなくなったんだろう?
それでも美希ちゃんの話の意味はまだわからなかった。
「ねぇ美希ちゃん。今どこ?その男がどうしたって?」
「あ、それはね、今行くから。私ほら、見える?亮平君の向かいにいるよ。」
前を見るとスクランブル交差点の方から美希ちゃんが走ってくるのが見えた。
息を切らしながら僕のところにたどり着いた。
って会っちゃまずいよ。風美さんがどこで見てるかわからない・・
美希ちゃんは僕が口を開く前にものすごい勢いで話し始めた。
「さっきね。ハチ公の後に居るときね。後から亮平君の様子を見てたの。
そしたら電話来たみたいだったでしょ?で、じっと見てたらね。
なんか様子がおかしいなって思って。それで何だろうって思って近づいて見たらね。
隣の男の人がね。手を後に回して携帯持ってるのが見えたの。
変な持ち方って思ったらね。その男の人がね。ちらっと携帯見て操作してたの。
そしたらすぐに亮平君の方に電話来たみたいでね。私びっくりしてね。
男の人のこと見たらね。亮平君の顔チラチラ見てるのよ!
それでさ。私ピピンと来て、何なのかわかって。亮平君に知らせようと思ったんだけど。
すぐ話かけるとその男が逃げちゃうと思って。少し離れたところから電話しようと思って。
あっち行ってから電話かけたんだけどさ。あいつもう居なくなっちゃってて・・」
「ちょっと待って。」僕は美希ちゃんの言葉を制して言った。
「で、結局その男は何だっての?」
僕はまだ肝心なことが理解できてなかった。だからそんな素っ頓狂な質問ができた。
「え?わからない?」美希ちゃんは驚いて僕の顔を見た。
冷静になってみると、美希ちゃんの話で十分理解できるはずだった。
でも僕はまだ自分が騙されたことに気づいてなかった。そんな発想はなかった。
あれだけ情報の信憑性を疑うようにしてたのに・・
「わからない。」と僕は言った。美希ちゃんがなぜかすごく嬉しそうな顔をした。
たぶん自分だけが真実を明かしたことが楽しかったんだろう。
これ以上ないくらいニコニコしながら叫んだ。
「あいつが風美さんよ。ネカマだったのよ!!」

家に帰ってメールをチェック。美希ちゃんにも家に寄ってもらった。
新着メールが一件。風美さんから。開いてみるとたった一行だけ書かれていた。
「ばーーーか。」
美希ちゃんと二人で大爆笑した。
まさかネカマだったなんて。すっかり騙された。
処刑人の話どころじゃない。奴がオフ会に承諾したのは僕の間抜け面を見るためだったんだ。
最初っからマトモに会話するつもりなんてなかったんだ。
「なんか私たち、すっごい馬鹿だったね。」
「うん。全然気づかなかった。まさかネカマとは思わなかった。」
おかげで作戦はまたもや振出しに戻った。いつになったら核心に迫れるんだろう。
そう考えるとちょっとゲンナリするけど、今日のことにあまり悔しさはなかった。
爽快に騙されると、返って楽しかったりもする。
その後も二人で自分たちの馬鹿さ具合をネタにずっと笑ってた。
風美さんにはむしろ感謝しなきゃいけないかな。こんな面白い経験は早々できるものじゃない。
そうゆうことにしておこう。


2月10日(土) ・・・
奥田は明日で修行が終わる。
その前に美希ちゃんと二人で反省会をした。僕の家で。
それがまさかこんなことになるなんて。
僕は今とても混乱してる。何が起きたのか。いや、起きたことは覚えてる。
けどどうしてそうなったのか。それが僕にはわからない。
ただ一つハッキリしてるのは、それはもう起きてしまって、二度と元には戻らないということ。
壊れたお皿をくっつけても、必ずヒビは残る。どうしてだ。どうしてこうなってまったんだ。
Kも逃がしちゃったしこれからどうしよう。それを相談するつもりだった。
でも昨日のオフ会の興奮はまだ醒めてなかった。
作戦は失敗に終わったけど、全然残念な気持ちにはならなかった。
二人で何かをすること自体が楽しかったから。
「ネカマだったなんて大笑いだね。」
「なんかちょっとした冒険みたいだったよね。」
他にも反省点をあげては二人で笑ってた。
二人で笑い合うのは楽しかった。とても楽しかった。
正直に言うと、美希ちゃんと一緒に笑ってるのが楽しかった。それは認める。
そしてなんてこと無い拍子だった。美希ちゃんが言った。
話が一段落して、笑い過ぎて涙が出てるのを手で拭きながら。
「徹君といるより、亮平君といた方が楽しいな。」
僕はその言葉に驚いて美希ちゃんを見た。
いくらなんでもそれはダメだよ。美希ちゃんは奥田の彼女だろ?自分の彼をそんな風に言っちゃ・・
目が合った。彼女はもう笑ってはいなかった。
真剣な顔をしてた。そしてもう一度口を開いた。
「本当だよ。」
言った。確かに言った。
こたつの中で足が触れた。慌てて引っ込めると座り位置をずらすと今度は手が触れた。
引っ込めようとした。でもダメだった。僕は彼女の手を握ってた。
目は合ったまま。僕は何も言わなかった。彼女は頷いた。拒否してない。
微笑んだ。とても優しい感じで。彼女の目には僕が映ってる。
僕の中で何かがあふれ出てきた。ちょっと前に奥に押しやった感情が。一気に。
こたつを押しのけた。足が引っかかった。強引にどけるとコップが倒れた。
お茶がこぼれた。残りは少しだった。畳にまではこぼれてこない。
気にしない。座布団をテレビの前に放り投げた。
二人が横になるスペースができた。何も言わずに美希ちゃんは自ら体を横たえた。
目を閉じて待っている。僕は何をすべきなのか分かった。
息づかいが荒くなる。乾いた唇。舌で舐めてしめらせた。
欲望に従った。

美希ちゃんが帰った今、僕は途方に暮れている。
夢心地に浸ってると言ってもいいかもしれない。
体にはまだあの時の温もりが残ってる。使ったティッシュはまだゴミ箱の中に。
それは確かに起きたことだった。
・・・美希ちゃんに童貞を捧げた。間違いようのない事実。
心の底では望んでたことかもしれない。望みが叶い、本当なら手放しで驚喜してるところだろう。
けど僕はとても混乱してる。だって、彼女は、美希ちゃんは。
僕の親友・奥田の女。
僕はそれを知っている。彼女もそれを知っていた。
それでも僕らは結ばれた。なぜそんなことができたのか。
わからない。
僕には何もわからない。


2月11日(日)
この三日間は激動だった。
どれも楽しい思い出であるはずだけど、今は思い出したくない。
奥田の免許皆伝のお祝いには行けなかった。
お誘いの電話がきたけど体調が悪いなどと嘘をついた。
奥田と話すのは苦痛だった。美希ちゃんとは話せない。
彼女は僕との関係のことを言ってない様子だった。
奥田は「風邪なら仕方ないな。また今度改めてやろうな。」と普通に話してる。
知らぬが仏とは良く言ったもんだ。これが逆なら僕は・・
やめよう。もう何を考えたって無駄だ。起きてしまったことを後悔したって先には進めない。
でも、先って何だ?僕らの関係に先はあるのか?
美希ちゃんはあの関係に何を求めていたんだろう。
一度きりの遊びのつもりだったのか。それとも本気で僕と。
考えまいとしても次から次へと思考が巡っていった。
布団にくるまって目をつぶっても全然寝付けなかった。何時間も何時間も悩み続けた。
やがて僕は一つの結論に達した。僕が苦悩から脱出できる、唯一の結論。
あれは、彼女が誘ったものなんだ。
思い出してみると確かにそうだ。美希ちゃんから誘惑してきた。
だから僕は悪くない。むしろ僕は被害者だ。
僕が罪悪感で悩む必要なんてないんだ。
僕のせいじゃない。僕は悪くない。悪くない。

悪くない、はずだ。


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