絶望世界 もうひとつの僕日記

第15週


2月26日(月) 晴れ
奥田に相談を受けた。
毎晩の作戦会議があやふやなまま終わったと思った矢先のことだった。
ゆっくりテレビを見てるところに携帯が鳴った。

「今いいか?」といつも通りの少し高圧的な話し方に戻ってる。
「どうしたんだよ。」
「いや、ちょっと相談したいことがあってな。」
「なんだよ相談なんて。」
「まぁ、お前も分かってると思うけど・・美希のことなんだけど。」
「・・ああ。」

相談と聞いた時点ですぐに察しはついていた。でも僕はその相談には乗りたくなかった。
僕と美希ちゃんの関係がバレる可能性もある。ひょっとしたらもう気付いてるのか?
一瞬のうちに最悪の事態まで想像が広がって冷や汗まで出てきた。
でも奥田の相談は、僕の心配などと全く別の方向だった。
「あいつとはまだ完全に仲直りしてないんだよ。なぁ亮平。どうしたら元に戻せるかな・・。」
あんなに致命的な喧嘩までしたのに。こいつはまだ関係が修復できると思ってる。
僕は呆れてしまって話も真剣に聞かなかった。適当に相槌打ってただけ。
僕にどうしろと言うんだ。


2月27日(火) 晴れ
僕の人生において親友と呼べるのは奥田だけだ。
横浜にいた頃の友達などはもう連絡すらとってない。
自分の家に友人を招く気になったのは奥田が初めてだった。
同じ波長。ダメ人間同士。変わり始めたのは美希ちゃんと出会ってからだ。
メル友なんて実際に会ってもロクなもんじゃない、ネットの奴らなんざ信用できない、
散々文句言ってたのがいつの間にはネット肯定派に変わってた。
あれは去年の今頃だったかもしれない。美希ちゃんを「彼女」として紹介されたのは。
それから奥田は徐々に生き方に対して真剣になっていった。
二人が同棲を始めた時ハッキリと分かった。奥田は間違いなく真面目になろうとしている。
僕だけが取り残されたと思ってた。けどそれは正確じゃなかった。
美希ちゃんもまた、取り残されたんだ。
彼女が好きだったのは「ダメ人間」の奥田。今の奥田は、違う。
幸せになろうと努力した結果、逆に嫌われてしまうなんて。
皮肉な話だけど、これが現実だ。
奥田。二人の仲はもう戻らない。お前が変わったからだよ。
しきりに美希ちゃんのぎこちない態度を説明する親友に向かって僕はそう言ってやりたかった。
親友として言ってやるべきなのかもしれなかった。
言えなかった。


2月28日(水) 曇り
奥田が美希ちゃんとの仲を修復しようと努力すれば、
僕と美希ちゃんが二人きりで会う機会が無くなるのは必然だった。
段々不満になってきた。奥田はまだ諦めてないのか?
作戦会議の名目で三人集まる機会が無くなってしまった。
奥田の相談も電話のみ。頼むから美希ちゃんの声も聞かせてくれ。
何度もこっそり彼女に電話しようかと携帯を握ったけど
そのたびに奥田に探られるんじゃないかと不安になってやめてしまう。
電話はあっちの状況がわからないからやりずらい。
僕がこうして悩んでるというのに奴は平然と「相談」してくるのが不快感を倍増させる。
「ネットのやつもさ。こっそり進めてるんだよ。」
「俺の作戦が成功したら美希も喜んでくれるよな。」
往生際が悪い。いっそのこと「無駄なことはよせ。」と言ってやろうか。
キッパリ諦めさせた方が幸せかもしれない。
傷口が広がらないうちにサッサと別れた方がいい。
同棲までしてから別れるのは辛いだろうけど、このまま続くわけがない。
仮に何かの拍子で二人の仲が戻ることがあったら・・
冗談じゃない。
それは僕が、許せない。


3月1日(木) 雨
仲直りに必死になってるのを見ると僕の方が焦ってしまう。
僕らがないがしろにしたネットの問題を奥田は一人で解決するつもりだ。
大丈夫だとは思ってももしかしたらという気持ちはぬぐい去れない。
僕では辿りつかなかった処刑人。奥田が見事に正体を突き止めたら?
美希ちゃんの心を取り戻すには十分な魅力だろうか。
彼女はまだ、ネットに興味を抱いてるだろうか。
気になる。本人に直接聞いてみたい。
何か理由をつけて美希ちゃんと二人すことはできないか?
それに関して奥田は憎いほどスキを見せない。
「仕事の時間も全部美希に合わせるようにしたんだよ。お互いじっくり話せるしさ。」
僕への嫌がらせ以外何物でもない。
もしかして奥田は全てを知ってて敢えてそんなことをしてるのじゃないか、とすら思えてくる。
できるだけ僕と美希ちゃんを会わせないように、話をさせないように。
・・なんかそうとしか思えなくなってきた。
ヤバイぞ。僕もこのまま余裕ぶってる場合じゃない。
元々僕に自信なんて無いんだ。自分に魅力があるとは思えない。
美希ちゃんが僕に惚れてくれたのも一時の気の迷いだったりしたら!
何か何か手を打たないと。


3月2日(金) 晴れ
奥田より先にネットの問題を解決してやろうと思ったけど僕にそんな良い作戦なんか思いつく分けなかった。
三人の中で一番優秀なのは美希ちゃんだった。僕にできるわけがない!
他に奥田の優位に立てるもの。美希ちゃんの心を奪うもの。無い。
僕の支えは美希ちゃんの「亮平君の方がいい。」という言葉だけ。
僕自身に誇れるものは何もない。ダメ人間という共通点くらいか?
考えれば考えるほどこのままでは僕の方が不利なことに気がついた。
前は自分のダメさを認めてたから奥田に彼女がいようとあまり嫉妬はしなかった。
今は違う。彼女を取られたくない。彼女は特別だ。ダメさを認めてくれる人なんて他にいない。
恐らくこれからの人生にも現れないだろう。美希ちゃんを逃したら、僕に彼女は一生できない。
他に女の子はたくさんいるだなんて考えるのは無理だ。
美希ちゃんは一人しかいない。僕を好きになってくれる人は彼女だけ。
奥田なんてマトモな人間なんだかたあっちこそ他の女を捜すべきだ。
奴は僕の一生で一度のチャンスを踏みにじるつもりだ。ダメ人間に舞い降りた小さな幸せをむしり取るのか!
僕は嫌だぞ。彼女は絶対渡さない。奥田の彼女だったのは昔の話だ。今は僕のもんだ。
僕のもんだ僕のもんだ僕のもんだ僕のもんだ僕のもんだ僕のもんだ僕のもんだ。
美希ちゃんは僕の女だ。


3月3日(土) 晴れ
バイトなんかに行ってる場合じゃない。
家にいてどうしたものかと散々悩んだ。じっとしてると不安になって皿洗いをした。
朝食にパンをのせた小皿を卵焼きの大皿。コップが一個。
すぐに洗い終えてしまいそうだったのでゴシゴシ丹念に洗って時間を持たせた。
水を切って布巾で拭いて棚に片づけても何も思いついていなかった。
手持ちぶさたになったので部屋の片づけをした。
こたつの横に敷きっぱなしの布団を久々に畳んで押入に突っ込んだ。
万年床が無くなると部屋が少し広くなった気がした。
いつもはちゃんと朝になったらちゃんと片づけてたのに。
なんで敷きっぱなしにしてたんだろうと思った美希ちゃんと真っ昼間から
寝転がってた時以来あのままだったことを思い出した。
彼女と話したい。そのことで頭がいっぱいになると素晴らしい作戦を思いついた。
早速受話器を掴んで奥田家に電話。
美希ちゃんだけいる、という状態は無い。二人居るか、二人とも仕事かのどっちかだ。
今日は運良く二人ともいる日だった。
「おう。どうした。」といつもの声が。
僕だと分かった途端に声が低くなるのは近くに美希ちゃんがいるからだな。
用件は決まってる。すぐに本題へ。

「いや、ちょっとさ。なんか美希ちゃんと仲直りしたがってたじゃん。」
「あ、その話か。なんだよ。なんかいい作戦思いついてくれたか?」
「うん。作戦というか・・・今、美希ちゃんいる?」
「いるよ。テレビ見てる。」
「そうか。実はさ。僕が美希ちゃんに直接説得やろうかと思って。」
「ホントか!?」
「うん。まぁ。僕から説得したらうまく行くかもって思ってさ。」
「おお。そりゃ大歓迎だよ。是非やってくれよ!こっちから頼みたいくらいだ。」
「じゃ、ちょっとかわってくんないかな。」

作戦は見事に成功。奥田の「亮平が話したいって。」というお馬鹿な声が聞こえた。
その次には「亮平君?」と美希ちゃんの声が。久々に声を聞いたら体中張りつめてた緊張が一気に解けた。
彼女もまたヒソヒソ話のように声を小さくした。
「大丈夫。徹君は自分からあっち行っちゃって聞いてないから。わざわざ気を使って話を聞かないようにしてくれてる。」
素晴らしい。おかげで心おきなく二人きりの会話ができた。
「声が聞きたかった。」「私もよ。」
以前の僕なら間違いなく吐き気を催してたような陳腐なメロドラマみたいな会話。
いざ自分の身となると、実に気持ちがよくわかるのは可笑しかった。
どんな恋愛ドラマも実体験が無かったからつまらなく思ってたんだ。
今は大丈夫。美希ちゃんがいる。
お互いの意志を確認した。僕らは互いのことが好き。間違いがない。
それで僕の胃痛はようやく収まった。
「徹君といると確かに生活はそんなに困らない。けど、やっぱり何かが違うのよ・・。」
彼女の感じてる違和感は僕が一番よく分かった。
美希ちゃんが望んでるのはパトロンじゃない。気持ちを分かつ相手だ。
僕だ。


3月4日(日) 晴れ
ついに言ってしまった。
これ以上叶わない望みを抱き続けるのは奥田にとっても不幸以外なにものでもない。
第一美希ちゃんが側にいるのにこっそり電話をする神経が良くない。
僕の家より一部屋多いって言ったって要ははワンルームにおまけ部屋がついた程度。
会話の内容なんて筒抜けなはず。こっそり相談なんてできるわけない。
奥田の話を詳しく聞くといかに致命的な関係になってるかがよくわかる。
「いや、なんか美希も分かってるんだよ。俺が電話するときはわざわざテレビつけるし。」
隣の狭い部屋に電話を引っ張り込んでコソコソ喋ってる奥田の姿が想像できた。
もうダメだよそれは。一緒に住んでて露骨にプライベートを分かつなんて。
それで僕は言っやった。

「奥田。二人がうまくいかない理由。僕にはわかるんだ。」
「お、お、何だよ。何がいけない?教えてくれ。」
「ハッキリ言ってもいいか?」
「構わない。」
「後悔するなよ。」
「おう。」
「お前が代わってしまったからだよ。マトモな人間になったからだよ。」
「え?ちょっと待て。そりゃどうゆう意味だ?」
「わからないかな。美希ちゃんはその、ダメ人間というか、変な言い方だけど傷の舐め合いみたいなのを望んでるんだよ。
奥田。お前は真剣に働くようになった。もう僕らはダメ人間三人組じゃないんだ。
お前は僕らを置いて日の当たる場所に行ってしまった。彼女はお前が眩しいんだよ。眩しすぎて耐えられなくなってきたんだよ。」
「・・・働き始めたせいで美希に構ってやれる時間が減ったってことか?」
「いや、そうじゃない。そんな単純な話じゃない。」
「一緒に生活するには誰かが収入を得なきゃいけないじゃないか。食べていくにはお金が必要だろ?
なんでそれが関係を悪化させる原因になる?」
「お前の言うことはもっともだ。けど、もっとこう、感情の問題なんだ。わかるか?」
「わかんねぇよ。」
「彼女には真剣に生きる人は似合わない。」
「じゃぁどうやって食べていくんだよ。誰かが働かなきゃ飢え死にじゃねぇかよ。」
「それは・・そうだけど・・。」
「同棲はまだ早かったってことか?若いうちはまだまだ遊んで暮らしたいってことか?」
「えっと・・・まぁ、そんな感じだと思う。」
「そうか。わかった。アドバイスありがとな。これで美希とマトモに話し合える。」

その後奥田から連絡は無い。
話し合いが長引いてるのか。話が決着してないのか。
僕にはわからない。


第16週