絶望世界 もうひとつの僕日記

第18週


3月19日(月) 晴れ
レジの打ち方は忘れていなかった。接客もいつも通りにできた。
人にはあまり会いたくない気分だったけどこれもお金のため。我慢するしかない。
お金と言えば実家に頭を下げにいくことも考えた。
ほとぼりが冷めるまでの数ヶ月、生活できるお金が有れば僕も外に出ないで済む。
飛び出してから何年経ったんだろう。陰気な妹の顔も今では懐かしい。
親父もいい加減職を見つけてるころだろう。母さんは相変わらず一日中仕事かな。
あれだけ働いてたら少しくらい僕に送るお金も・・・
頭を振って余計な考えを振り切った。
今更そんなことできるわけないじゃないか。大した理由も無く飛び出したくせに。
自分の金は自分で稼ぐ。ほら。あの頃に憧れてた生活が今まさに実現してるぞ。
もっとも、二人分稼がなきゃいけなくなるとは夢にも思っていなかった。
彼女は大人しくしてる。僕が心配するまでもなく彼女自身が外に出る気になってない。
良いことだ。


3月20日(火) 晴れ
時給を計算してみるとうんざりする。
コンビニバイトだけで二人分まかなっていけるかな?
少なくともこのままの状態は維持できる。
けど、それだけだ。僕はいい。でも彼女は女の子だから新しい服も欲しいだろうし化粧品だって。
いずれ外に出る気になったら出費がかさむのは目に見えてる。
そうなった時の為に、早いウチにお金を貯めておかないとダメだ。
泥臭い話になってきた。現実は厳しいな。
弁当を出しながらあれこれ考えてると嫌な考えが浮かんできた。
美希ちゃんの実家。娘が頼み込んだらお金をくれるかも。
弁当を放り投げた。ドサっと音をたてて中のハンバーグが曲がった。
ため息をついてラップ越しにいじって位置を戻した。
そんなの頼めるわけがない。
家に帰ると美希ちゃんがテレビを見てた。テレビ見るのも電気代がかかるな・・
すぐに思い直した。さすがに「テレビを見るな。」というのは残酷だ。
彼女は一日中家に居るんだから。外に出る方がお金がかかる。
テレビの電気代くらいは大目に見よう。


3月21日(水) 晴れ
お金の話を真剣に考えるようになった。
自然と実家から仕送りをもらうことに頭が行く。
早紀は今高校何年だ?春から二年だったかもしれない。
僕が飛び出た時はまだ高校受験の頃だった。
ということは、受験も済んだし今はあまりお金がかからないな。
あいつが服やらお洒落に気を使うとは思えない。小遣いなんて少なくていいよな。
稼ぎ頭の母さんには頼みづらいから親父に頼むか。
さすがに現役無職じゃないだろうし。いや、それでも親には合いづらい。
いっそのこと早紀に頼むってのも手だ。
散々考えてみたものの、どうしても実行する気にはなれなかった。
どうも「実家に戻る」という考えに耐えられない。
捨てた過去にはすがりたくない。嫌で捨てたもんなんだから。
そうするとまたあっちの「実家」に考えが行ってしまう。
僕は彼女の実家を知らない。三人の間で実家の話はタブーになってたから。
三人そろって自分の実家が嫌いだったんだと思う。
彼女の実家。僕と同じようにあまりお金持ちではないかもしれないけど
もしかしたらお金持ちなのかも知れない。
本気で頼んでみようかな。


3月22日(木) 晴れ
美希ちゃんの両親にお金を借りれないだろうか。
両親にあわせるくらいなら外に出てもいいかもしれない。
悩んでても仕方ない。もう言ってしまおうと思った。嫌なら嫌でいい。オッケーなら儲けもの。
お金のこととなれば彼女も真剣に聞いてくれるだろう。生活がかかってるんだから。
けどいきなり切り出すわけにはいかない。徐々にそっちに持っていく。
まずは自分の話から始めた。

「美希ちゃん。僕の実家って知ってるよね。」
「うん。結構前に話してくれたよね。妹さんのことまで教えてもらった記憶がある。早紀さんだっけ?」
「そうそう。陰気な妹でね。最近の危ない若者って感じで。そのうち引きこもるんじゃないかって勢いだったよ。」
「前も同じコト言ってたよ。ねぇ。やっぱり今はどうしてるかとかって気になる?」
「ちょっとは気になる。何考えてるかわからないからさ。まぁ犯罪に巻き込まれるようなことはないと思うけど。」
「そうゆうタイプの人って思い込みが激しいみたいだからね。」
「言えてるかもしれない。」
「実家が嫌になったのは妹さんのせい?」
「いや、それだけじゃない。もっと色々と・・」

結局僕の話ばかりでお金の話を持ち出すタイミングを失ってしまった。
昔のことを思い出してると、僕は本当にロクな理由で家を出てないことに気付いた。
実家が嫌いな理由も「色々あって」一人暮らしも「新しい生活がしたかった」
漠然としたものばかりで具体案が何もない。だから大学までドロップアウトしてしまったんだ。
でも美希ちゃんが「それだって大切なことよ。」と言ってくれたので良しとするか。
そう。色々あるんだよ。


3月23日(金) 晴れ
今日こそはお金の話を、と思ったけどどうも切り出すタイミングが難しい。
バイト中は客待ちの間ずっとシミュレーションしてた。
美希ちゃんが奥田と出会う前の頃を話を聞けたら実家の話に繋がる。
そこで探りを入れてあまり貧乏でなさそうならお金を借りる話を。
自分ではうまいこといけると思ったのに、いざやってみると昔話で終始してしまった。

「私も亮平君と似たような感じ。面白くない生活で、そんな生活送る自分が嫌でたまらなかった。
新しいところでやり直せたらいいなってずっと思ってたのよ。」
「奥田と会ったのはその時?」
「そう。新しい出会いがあれば何かが変わるかなって思って。
今の時代で全くの他人と出会うのと言ったらネットが一番でしょ?それでメル友募集してみたの。」
「そう言えば奥田も似たような目的でやってたな。大学もつまんなくて、女の子との出会いは皆無で。
ネットで女の子に出会えたらラッキーだよなって話してたんだよ。」
「だから気が合ったのかもね。」
「あいつ、最初はネットを馬鹿にしてたんだよ。こんなの遊びだよとか言ってたくせに。
いざうまくいくと途端にネット最高とか言い始めやがって。」
「私もうまくいくとは思ってなかった。こうゆうのって縁なんじゃないかな。
それでね。人間関係に悩まないで将来も気にしない。そんな流れるようなあなた達の生き方、私は憧れてたの。
付き合っていくうちに私もこんな生活したいなって思うようになって。
一緒に住んでくれるって言ってくれ時に思ったの私の『新しい生活をしたい』って願いが叶うと思った。」
「それで家を出た。」
「家を出るというより、過去を捨てるって感じよ。もうこれからは疲れない生き方できるって思ったのに。」
「でも今は・・。」
「過去を捨てるってとっても難しいよね。」

彼女はとても寂しいそうな顔をした。お喋りしすぎたのかもしれない。奥田の話を出したのはまずかった。
色々思い出してしまったんだろう。今は僕と暮らし、奥田は自殺してしまったという事実。
話を切り上げて二人してテレビを見てたけど、彼女の顔は曇ったままだった。
とてもじゃないけどお金の話なんてできない。


3月24日(土) 晴れ
美希ちゃんの方が積極的に話をしたがった。
ずっと家にいるから考えることも多いんだろう。外に出られなくて色々溜まってるものを吐き出したいんだ。
かなり深い話になった。

「亮平君は家を出る時、何かつてはあったの?」
「何もないよ。親に内緒でこのアパート見つけて。春休みのうちに引っ越した。」
「親御さんは何か言ってた?」
「全部決まってから一人暮らしするって報告したからね。呆れられて反対もされなかったよ。
ここの住所を教えろって言われたけどそれも無視して出てきた。」
「徹君もそんな感じだったのかな。」
「うん。だから僕らは気が合ったんだ。美希ちゃんの言った通り、僕らも『新しい自分』ってのになりたかったんだよ。
もっとも、ただ家を出ただけじゃ大した生き方にはならなかったけど。」
「でも仲間がいたって大切なことじゃない?人の縁って大切よ。」
「美希ちゃんも奥田と出会ったから家を出るのを決意したからね。」
「それも縁だと思ってる。巡り合わせって言うのかな。今なんてネットがあるからますますそうゆうのを感じるのよ。」
「そうだよね。少なくとも昔よりは赤の他人と巡り会う機会は増えたと思う。」
「逆に赤の他人だと思って安心してると実はよく知ってる人だったり。」
「あり得る。女だと思ってたら本当は男だったり。」
「赤の他人と思ってたら意外なところで自分と繋がってたり。」
「そんなことももう不思議じゃないのかもしれないね。ネットも良いことばっかじゃないんだ。むしろ危険なものだと思うよ。」
「その中で出会えた私たちは幸せなのかな。」
「幸運だよ。間違いなく。」

そう。親友が死んでお金にも困ってるけど、僕には美希ちゃんがいる。
例え外に出れなくても、側にいてくれるだけで僕は幸せになれる。それでいいじゃないか。
またお金の話はできなかったな。明日こそちゃんと切り出そう。
幸せをかみしめるのもいいけど、ちゃんと現実を見ないと。


3月25日(日) 雨
日曜出勤はめったにやらなかった気がするけど、生活のためには仕方ない。
一週間ぶっとおしで働くとさすがに疲れた。
来週もみっちりシフトを入れてある。お金を稼ぐのって大変だと身に染みて感じる。
家に帰って「疲れた。」と愚痴ってると彼女が思わぬコトを言った。

「ねぇ。お金に困ったら私も働くから。」
「それはいいよ。外に出て誰かに見られたら困るじゃないか。世間的にはまだほとぼりがさめてないかもしれない。」
「けどお金はあまり残ってないんでしょ?」
「大丈夫だよ。今の状態をキープすれば当分は食べていける。いざとなったら実家に頭を下げに行くよ。」
「そこまでしなくていいわよ。実家はもう捨てた過去なんでしょ?私だったら絶対できないな。」

僕の目論見はあっけなく崩壊した。
これで目的は達成されたけど話は続いた。しかも違う展開になっていった。

「まぁ頑張って働くよ。美希ちゃんには迷惑かけない。」
「ねぇ亮平君。外に出ない方がいいっていうのは私も賛成だし、贅沢はしなくたって全然耐えられる。
あなたの許可が下りればまた働きにでてもいい。杉崎さんなら事情をわかってくれるからまた働かせてくれると思う。」
「いや、だからそれはしなくていいって。」
「聞いて。あなたが働いてくれるのはすごく助かる。でもね、あまり根を詰めすぎないで欲しいの。」
「根を詰める?そんなことないよ。僕は適当に生きてるさ。」
「そう見えないのよ。まるで働くことで何かから逃げてるような」
「逃げるって。何から。」

彼女は僕の目をまっすぐ見つめた。
「徹君が自殺したこと、受け入れ切れて無いんじゃない?」
一瞬言葉を失った。何と答えていいのかわからなかった。
僕が奥田の死を受け入れてない?
僕は二人の生活費のことまで考えてたじゃないか。ちゃんと現実を見てるじゃないか。
頭が回りだしてやっと「そんなことない。」と答えることができた。
自信を持って答えたはずだけど、僕は彼女から目をそらしていた。
横から彼女のかすれた声が聞こえてくる。
「亮平君がその気になってくれないと、先に進めないのよ・・。」
先に?僕はちゃんと先に進んでるじゃないか。働くのは立派な進歩だよ。
なぜ彼女にはそれがわからないんだろう。
奥田は死んだんだろ?それくらい僕にはわかってるさ。
わかってる。間違いなく。
受け入れてる。


第19週