絶望世界 もうひとつの僕日記

第19週


3月26日(月) 雨
美希ちゃんが外に出ないで済むようにしてるのは僕のおかげじゃないか。
奥田の死を受け入れてないのはむしろ彼女の方だ。そんなこと気にする方がおかしいんだ。
酷い言いがかりだと思った。だから今日も反論した。
なんでそんな風に思うんだよ。僕のどこを見たらそうなるんだ。
淡々としてるように見えるのはバイトで疲れてるからだよ。
全然美希ちゃんが思ってるようなもんじゃない・・
「私がそう思ったのはね。」
話の途中で彼女が口をはさんできた。
「亮平君、徹君が死んでから一度も悲しい顔してないから。ひょっとしてそうかなって思っただけなの。」
この一言で僕は何も言えなくなった。
そういえば、美希ちゃんは目が真っ赤になるまで泣いてたのに。
僕は涙の一つもこぼしてない。親友が死んだってのに。僕は。
悲しくないんだろうか。


3月27日(火) 曇り
自分の感情がわからない。奥田は確かに親友だった。
色々あったけど、さすがに死んだとなれば悲しいに決まってる。
なのに涙は出てこない。どうして。
彼女は悩む僕に優しく言ってくれた。
「正直になって自分の心の中を吐き出そうよ。今なら言えると思う。
ねぇ。言いづらかったら私から話をしようか?私が言ったら亮平君も言ってくれる?」
僕は顔も上げずに黙って頷いた。
彼女は自分を落ち着かせるようにコホンと咳払いをしてから話し始めた。
「私はね。まさか自殺するとは思わなかった。あの人のことだから、黙ってどこかへ消えるかと思ってたの。
だから杉崎さんから連絡が来た時はショックだった。それで、自分が徹君を死に追いやったかと思うと、
罪悪感で一杯にになって・・悲しかった。」
「だからあんなに泣いてたんだね。」
「うん。私ね、自分に関係のない人が死んでも全然悲しくはならないの。
嫌いな人だったらむしろ喜んでしまうかもしれない。私って嫌な人間かな?」
僕は首を横に振った。ここで自分を装っても仕方ない。
それは人として当然の感情だ。誰も口には出さないだけで、本当はみんな思ってること。
「徹君のことは好きだった。変わったとは言っても、嫌いにはなってなかったの。
卑怯だと思ってくれてもいいよ。亮平君も徹君、二人とも好きだった。
けど亮平君の方をもっと好きになっただけで。単なる比較の問題なだけで。決して徹君のことを嫌いになんて・・」
僕は彼女の肩を叩いて「もういいよ。」と言ってあげた。
「僕は自分の気持ちをもう少し整理してみる。まとまったら言うから、それまで待ってくれないかな。」
既に涙目になってた彼女は目を押さえて頷いた。
さて。言ってみたものの僕に気持ちの整理なんてできるのか。
あの時に思ったことをもう一度思い出せばいいのか?
難しいな。


3月28日(水) 曇り
休みナシでバイトしてるせいか、最近思考力が落ちてきてる気がする。
自分の問題よりも、そもそも美希ちゃんはなんであんなことを言い出したのかを考えるようになってしまった。
奥田が死んだのを僕が悲しまなかったからって今の生活に影響があるのか?
ちゃんと働いてるし倹約もしてる。
致命的なほど貧乏ではないけど、将来を考えると貯金も頭に入れておく必要がある。
奥田の死を悲しんだところでこの状況が変わるとも思えない。
ならこんな議論は何の意味もなさないじゃないか。
そう思って僕はもう過去を振り返るのをやめてしまった。
第一あの時のことを思い出すのは気が滅入って仕方ない。
せっかく過去を振り切って働く気になってるのにまた蒸し返してちゃ世話ない。
美希ちゃんには悪いけど、僕には余計な議論をしてる暇は無いんだ。
明日もバイトは続くしそのためには身体を休めておかなきゃいけない。
それも全て彼女のためなんだからきっとわかってくれるだろう。
わかってくれるはず。


3月29日(木) 雨
僕が答えを曖昧にしてると少し口論になってしまった。

「もう奥田のことは忘れようよ。」
「そんなスッパリ忘れられないわ。亮平君にだって忘れてもらいたくない。」
「無理だよ。僕はもう忘れかけてる。」
「徹君が死んで悲しくないの?」
「悲しいさ。涙を流さなきゃ悲しんでないってことはないよ。」
僕は嘘をついた。
「それならいいんだけど。でもやっぱり。」
「美希ちゃん、なんでそんなにこだわるんだよ。もう終わったことじゃないか。」
「まだ終わってないわ。これからじゃないの。」
「これからって何が?」

彼女はうつむいて唇を噛んだ。少し考え込んだ後、顔をあげて言った。
「お願い亮平君。思い出して。今のあなたは前の徹君と同じようになってきてるのよ。
そうなって欲しくないの。私たち、これからでしょ?同じ過ちを繰り返して欲しくないの。」

この言葉は僕の頭に強烈な一撃を与えた。
強風が雲を吹き飛ばした後のように、ハッキリとこれまでの過ちが見えてくる。
お金、お金、お金。将来のため、彼女のためと言って僕はお金のことばかり考えてた。
奥田と同じ。そうだ。あいつは安定した収入を得るために就職の道を選んだ。
僕はどうだ?就職してないにしろ実家にお金を借りれないかとかネットはやめて倹約だとか・・
将来を見据えた人生計画。美希ちゃんはまさにこれを嫌ってたんじゃないか!
奥田はこれで失敗した。僕も失敗するところだった。
彼女にしてみれば奥田を蹴ってまでして一緒になった男が同じ運命を辿ったらたまらないだろう。
奥田を蹴っても僕がいた。でも僕を蹴ってしまったら、もう拠り所はない。
僕がショックで身を固めてると彼女は最後に言ってくれた。
「将来なんか気にしなくったって、ちゃんと生きていけるよ。」
その通り・・だ。


3月30日(金) 曇り
何を思ったかバイト帰りに杉崎さんの所へ立ち寄った。
美希ちゃんにはあんなに「挨拶に行くな。」と言ってあったのに、
僕は奥田のことを思いだすと居てもたってもいられなくなってしまった。
杉崎さんは僕の姿を確認すると相変わらずの人なつっこい笑顔で迎えてくれた。
「今日はどうしたんだい?岩本君も色々大変だろうに。」
「奥田のことでお世話になったお礼を言いに来たんです。」
杉崎さんは「いいよいいよ。」と言って手を目の前で振った。
「それより美希ちゃんは大丈夫なの?あの子、君には内緒で俺のところに何度か電話くれてたんだよ。
もし警察が来ても自分たちのことは言わないで下さいって。
女の子に泣いて頼まれたらそりゃぁ私らもその気になるよ。
約束はちゃんと守ってるから安心しなって言っておいてよ。」

美希ちゃんがそんな電話を。初耳だった。
帰り道、そのことを考えると無性に悲しくなってきた。なんだよ美希ちゃん。君も結構気にしてたんじゃないか。
彼女も警察に気を揉んでたことがわかって少し嬉しくなった。
わざわざ僕に「警察に言わなくていいかな。」なんて聞いたりしたくせに。
心配してるフリなんかして、やっぱり自分も嫌だったんじゃないか。僕に気を使ってくれてたのか?
確かに彼女が先に言ってくれたおかげで、僕の気は随分楽になった。
彼女が言わなかったら僕が弱気なことを言ってたかもしれない。
そんな気を使ってもらってる時に僕は。
奥田の死に対して思ってたことを思い出して、歩く速度が速くなった。
だめだ。それは思い出しちゃいけない。
気を抜くとフッっと出てきてしまいそうなその考えを、再び奥に押し込んだ。
とても口には出せない。いや、人として考えてもいけないことだ。
今考えることは、奥田と同じ過ちを繰り返さない。そのことだ。
それ以外考えるな。


3月31日(土) 曇り
杉崎さんに会いに行ったことを今日になって伝えると彼女は驚いた顔をした。
「なぜ?」と言わんばかりに口を開けてた。
奥田のことを思い出したら何かせずにはいられなくなって。
説明して杉崎さんとの会話の内容のことも話すと彼女は苦笑いした。
「お礼は私が言おうと思ってたのに。」ごめん。僕は素直に謝った。
とりあえずこれで美希ちゃんが心配してたことは解決した。
僕が奥田と同じ過ちに陥っていたこと。反省しなければいけない。
今の僕は至って冷静で、お金のことに悩んでた自分がむしろ恥ずかしいとさえ思ってる。
奥田が死んでから頭がゆだってたのかもしれないな。
その意味じゃ彼女の言うとおり、僕は奥田の死を受け入れてなかったんだ。
警察のことや自分たちの将来を考えることで、奥田の自殺を頭から追いやってた。
どうしてそんな風になったのかな。
僕も美希ちゃんと同じように自殺の報告を聞いてすぐに泣けば良かったのに・・
その理由を思い出して、僕は吐きそうになった。
あの時、悲しみの感情がわいてこないかわりに心の奥でどろどろとしたものを感じた。
昨日も出てきそうになった。必死に押し戻した。
でもこれ以上押さえ込むことができそうにない。
ああ。お金のことを考えてる時は余計なこと考えないで済んだのに。
冷静になったのがかえって仇になった。これを忘れたかったから他のことばかり考えるようにしてたんだった。
美希ちゃんにはこんなこと口が裂けてもいえない。
ただ、もう考えないようにすることはできなくなった。
もういい。認めよう。わかってたことじゃないか。
思うだけなら僕の勝手だ。これを認めて奥田の死を受け入れないと、先に進めそうにない。

奥田が死んで、僕は嬉しかった。
だから悲しくなかったんだ。
邪魔者が消えてよかった。これで美希ちゃんは僕だけのものになるから。
僕はなんて酷い人間なんだろう。でも、心の奥底で思ってしまったんだ。
誰にも言わないでおこう。これは、僕だけの秘密。
絶対言えない。


4月1日(日) 晴れ
今日僕はあの日に戻った。
目が覚めた時、僕は涙を流していた。
隣で寝てる美希ちゃんに気付かれないように、壁の方を向いて。
奥田の自殺を嬉しく思ってたことを認めたことで、あいつの自殺が現実として改めて認識させられた。
やっぱり僕が殺したようなものじゃないか。
彼女があれだけ泣いていた理由が今になってわかるなんて。
罪悪感に押しつぶされそうになる。
そのくせ「警察には言わないで欲しい」とか「美希ちゃんが僕のものになって良かった」とか
最低な考えもぬぐい去ることができない。泣きたくなる。奥田に対してだけじゃない。
最低な自分に対して。情けない。
どうしてもっとうまく対処できなかったんだろう。
自殺に追い込まずにうまく和解する方法だってあったはずだ。
恐れずに素直に言えば良かった。そうすれば最悪の結果は免れたはずだ。
けど僕は、わざわざあいつが傷つくような真似をした。
それでいて死んで良かったとさえ思うのは、全部僕の身勝手だ。
反省と自己嫌悪。止めどなく涙があふれてくる。
辛い。とても辛いし、苦しい。
これから逃れるために僕は「将来のこと」なんて別のことを考えてたんだ。
卑怯だった。美希ちゃんのようにすぐに認め、反省しなきゃいけなかったのに。
そして今も、泣いたって許してもらえないのに無駄に涙を流してる。
なんて醜いんだろう。ダメ人間なんて生やさしいものじゃない。
最低なくせに、自分の身だけは守ろうとしてる。自分だけは幸せになろうともがく。
それでも生きてはいたいんだろ?自己嫌悪に苦しみながらも。恥を重ね続けても。
虫だ。草の根に這う醜い虫だ。
どうしたら救われるんだろう。
どうしたら人間に戻れるんだろう。
奥田。どうしたら僕を許してくれる?


第20週