絶望世界 もうひとつの僕日記

第31週


6月18日(月) 晴れ
さっそく返事が来た。
「ありがとうございます!じゃぁもう具体的な話に入ってもいいですか?
いつお会いできるでしょうか。私はできるだけ早い方がいいんですが
虫さんの都合はいかがでしょうか?」

僕もすぐに返事を書いた。
「そうですね。こっちも受け入れ体制を整えなくちゃいけないんでほんの少しだけ待って下さい。
僕にもバイトやら私生活があるんで、今すぐってわけにはいかないんですよ。
ただ、必ず今週中には会えるように調節します。
二、三日以内にはまたメールしますから。もうちょっとだけお時間を下さい。」

バイトを休むのなんか前日までに店長に言えば大丈夫。
美希ちゃんに関しては予定なんてまるで無いからいつでもオッケー。
あとは場所とかも決めて、最後の取引を行う時間も必要だから・・
うん。今週中には会える。


6月19日(火) 曇り
「わかりました。時間は後にしてとりあえず会う場所はどこにしますか?
早めにそれだけ決めてしまいましょう。私が直接そちらに行っても構いません。
虫さんは東京の人でしたよね?私も関東在住なのでいこうと思えばすぐ行けますから。」

いきなり本題に入ってきた。
これで北海道やら大阪やらここから行ける距離じゃなかったら大笑いだった。
僕も東京だと言ったって都会の真ん中に住んでるわけじゃない。
千葉との境でギリギリ東京といったところ。
一応関東圏内であればどこでも行こうと思えばいける。それはあっちと変わらない。
で、いきなりこっちに来てもらっても困る。それでは僕の目的が果たせない。
罠、というほどのものじゃないけど、最後の取引をしないといけない。

「関東のどこら辺なんでしょうか?あの、どうせ会うのなら最後にこちらからもお願いがあります。
一目だけでもいいんで、処刑人『S』をこの目で見たいんです。
僕もずっとネットで追っかけてきたので気になって仕方なかったんですよ。
だからどうにかお願いできませんか?」

もちろん会ったからといって細江さんを受け入れるつもりは無い。
うまいこと理由をつけて拒否するつもりだ。
会う時には美希ちゃんにも一緒に来てもらうつもりだし。
申し訳ないけど受け入れるのは無理だよ。逃げるのなら別の所へ行ってくれ。
とは口に出さずに何となく受け入れるような素振りだけする。
我ながら卑怯な手を使ってるな。


6月20日(水) 雨
「私は神奈川県在住です。虫さんがこちらに来るのですか?
会うのは危険過ぎますよ。Sがどれだけ危ない人物かは散々言ったと思いますが。
あなたが思ってるほど甘い相手ではないですよ。
身近にいる私が言うんだから間違い有りません。会っても絶対後悔すると思います。
何度も言いますが私はここから逃げたいんです。
でも逃げたからと言って住む場所もないからあなたを頼ってるんです。
もちろんその分ご奉仕はしますから・・・
そんなにSに会いたいのなら私が彼女がどんな人間なのかを細かく説明するのじゃダメですか?」

受け入れるってやっぱり一緒に住むことまで考えていたのか。
一時的なねぐらの確保ってつもりではないらしい。
そうなってくるとこうして騙してるのが少し罪悪感が出てくる。
けど、ここは心を鬼にして自分のスタンスを貫いた。

「僕はどうしても『処刑人』に会いたいんですよ。
会うだけなら一日あれば大丈夫でしょ?細江さんを受け入れるのはその後でも全然平気じゃないですか。
この条件をのんでくれないようならこの話は無かったことに。
問答無用で処刑人にもあなたの名前を密告します。僕はそれくらいのつもりでいます。」

間違いなくここが細江さんを口説き落とす正念場だ。
だから最後は強気で一気にカタをつける。
これでどうだ。


6月21日(木) 曇り
「足下見るおつもりですね。ひどい人です。
でも今は仕方有りません。今回は条件をのみます。
その変わりに絶対私を受け入れて下さいね。
ただ、私はわざわざ危険な目に会いたくないので
Sに会うならご自分で会いに行って下さい。
彼女の住所を教えますから。適当に見張ってれば必ず会えるでしょう。
遠目で見るだけの方が無難だと思いますが・・・そこら辺の判断は任せます。
用事が済んだら私と会って下さい。それでいいですか?
オッケーなようならSの自宅の住所を教えます。
あと最後にこれだけは言わせて下さい。
絶対に後悔しますよ。」

来た。美希ちゃんに同意を求めると「これで十分よ。」とのこと。
許可が出た。さっそく承諾の返事を書く。

「わかりました。約束は必ずお守りいたします。
住所を教えてくれればすぐにでも行きますよ。用事は早く済んだ方がお互い都合がいいでしょう?
明日までに教えてもらえれば土曜日にでも見に行くつもりです。
あと何かとご心配されてるようですが、トラブルがあれば自分で何とかするので大丈夫ですよ。
後悔するようなことがあればそれは自分のせいですので・・・
気にせずお待ち下さい。」

なかなか理想的ではある。
これなら堂々と美希ちゃんと見に行ける。
その後本当に「約束」を守るかは知ったことじゃない。
一度はあっちの都合で勝手に切られたんだ。それをそのままお返しするだけ。
それが嫌なら、どんなに危険でも僕がSに会いに行くのに同行するべきだったんだ。
この時は確実に僕が現れるんだから。僕に会える最大のチャンス。
これを自ら逃した細江さんは選択を間違えた。そっちこそ僕を甘く見過ぎてる。
ネットでの駆け引きはどこが正念場なのかをちゃんと見極めなきゃいけない。
自分勝手なのはお互い様。あとはどこで利害が一致するかだけだ。
と、こんな感じで自分に言い訳しつつ明日のメールを楽しみにしている僕がいる。
会えそうで会えなかった宙ぶらりんな日々からようやく解放される。
やっと会えるな。処刑人さん。


6月22日(金) 晴れ
ここに至るのにどれだけ時間を費やしたんだろう。
処刑人のメールアドレスを入手したり、処刑人の被害者とメール交換してみたり。
何度も惜しいところまで来てたのに、いざ会おうとするとはぐらかされたりでうまくいかなかった。
それがようやく報われた。
今日、「S」の住所が届いた。「本名はその場でご確認下さい。」とのこと。
明日の昼頃、処刑人の元へ押し掛ける予定だ。
学校から帰ってくるくらいの時間を狙って見張る。
バイトの休みも難なくもらえたし、気兼ねなく処刑人に会いに行ける。
細江さんは最後まで「後悔しても知りませんよ。」と書いてたけど
別にそれほど心配する必要は無いと思う。
なにしろ僕は処刑人に顔を知られてないんだから。
僕一人じゃなくて美希ちゃんも一緒にいくし。

色々計画も立ててみた。
処刑人らしき人物が来たら携帯にメールを送ってやるか。
道に迷ったフリをして声をかけてみるとか。
いきなり「処刑人!」と叫んで逃げるなんてもの。
やりたいことはたくさんある。
でも相手を確認しないことには何とも言えない。
本当にヤバそうなヤツだったら見るだけで済ますかもしれない。
「なんだかドキドキするね。」と美希ちゃん。僕なんか心臓がバクバク鳴りっぱなし。
細江さんはもう切り捨てる予定だけど、そんな罪悪感よりも明日の楽しみの方でいっぱいだった。
まさか明日、急遽細江さんも登場なんてことも有り得るか?
僕が切り捨てるつもりなのを察して、このイベント自体罠か?
そんな考えも沸いてきたけど、よくよく考えるとそれはあまりうまくない。
細江さんだって僕の顔は知らないんだから。よほど露骨に張り込まない限りはバレはしない。
それらしき人物に声をかけられても、他人のフリをすれはいいだけだ。
そのほかに何にか気になることは?
ない。全く問題ない。
あとは行くだけ。ああ、明日のことを考えると緊張してきた。
なにをしよう。何を見よう。何て言えばいいんだろう?
・・・今夜は眠れそうにない。


6月23日(土) ハレ
処刑人の住む町へ繰り出した。
細江さんの情報によると、ヤツが住んでるのは川崎。
神奈川県内でも東京に近いところだからわりと行きやすかった。
僕も美希ちゃんも遠出するのは久々だったからちょっとした旅行気分だった。
処刑人ってどんなヤツなんだろう。そんな話で盛り上がりながら。
乗り換えやら地図で住所を確認しながらウロウロしたりで
結局そこにつくまで二時間近くかかった。

そのマンションを発見したのは11時過ぎ。
昼頃にはSが来るだろうってことでしばらく現場近くで待機することになる。
Sの家は上の方の階だからあまり露骨に待ってると怪しまれる。
現場に張り付くのは難しそうだって話になったけど、その前にまずやることがあった。
本名の確認。下の名前はわからなくても名字くらは知っておく必要がある。
名前がわからないとどの部屋がSの家なのかもわからないし、
何よりこればっかりは多少の危険を冒しても知る価値はある。
ここまで来たら確認できるものは全部知りたくなるのは当然の話。
処刑人の住んでるマンション。この道を毎日処刑人が通ってる。
この近くに処刑人の通ってる学校が。細江さんたち被害者ももしかしたらこの近くに住んでるかも・・
僕も美希ちゃんも好奇心でいっぱいだった。
マンションだから一階に全住人の郵便受けがある。
そこで部屋番号と照合すればそこに住んでる人の名字がわかる。
Sは名字なのか。下の名前なのか?
見に行ってる最中に「S」が帰ってきたら怖いから、二人一緒に見に行った。
住人にあやしまれないように、友達の家を探すようなフリをしてた。
さりげなく郵便受けに近づく。周りには誰もいない。
これ以上ないチャンスだった。
急いで住所のメモを取りだした。順番に部屋番号を確認。
一階じゃない。二階。三階。四階。
四階だ。部屋番号を目で追っていく。
数字が増えてって、段々近づいて・・・

ロビーに美希ちゃんの悲鳴が響き渡った。

僕は彼女を引っ張って大急ぎでその場から走り出した。
じっくり確認しようなんて気にはならない。
その映像はしっかりと頭の中にこびりついてる。
お互いその家を訪問してみようなんて考えはこれっぽっちも無い。
部屋の前で見張って、「処刑人」が帰ってくるのを待つなんてもってのほか。
第一、誰が来ると言うんだ。
冷静に考えるとその場で確認しなければならないことはたくさんあった気もするけど
とてもじゃないけどその時はそんな余裕無かった。
逃げなきゃ。それしか考えてなかった。
別に逃げる必要なんてなかったかもしれない。
けど、あの場で、あいつの名前が出てくるなんて。
僕も彼女も、逃げることしか考えられなかった。
今でもそうだ。あそこに改めて訪問する気なんてなれない。
正直、かなり混乱してる。細江さん?処刑人?何がなんだって?
知るか。
この現実を前にしてどこをどう整理しろと言うんだ。
目をつぶると今日見た映像がハッキリ浮かび上がってくる。
銀色の郵便受け。色んな人の名前。
郵便受けには名字だけ載せる人もいれば、ご主人のフルネームを載せる人もいるし、
中には家族全員の名前を載せる人だっている。
その家はまさに家族全員の名前が載っていた。
別に全員の名前が載ってなくても十分その名字だけで察することはできたのに。
運がいいのか、悪いのか。
しっかりそいつのフルネームが載っていた。

奥田徹

何も言えない。何も考えられない。
この名前を見ればそこが誰の家なのかすぐわかる。
ひょとすると同姓同名なのかも、なんて考えはこれっぽっちも無い。
そうであって欲しいけど、そんなわけにはいかないだろう。
ここは素直に受け入れるしかない。
「細江さん」から教えてもらった住所は、奥田の実家だった。

家に帰り、呆然としたままパソコンの電源を入れた。
「細江さん」に聞かないと。これは一体なんなのか。
教えてもらった住所のところには「S」なんて文字は欠片も見つからなかったぞ。
あったのは、死んだ親友の名前。
なんでお前がこの名前を知ってるんだ。
ネットに繋ぐと、こっちが送るよりも先にあっちからメールが届いてた。
「細江さん」じゃない。差出人不明のメールだった。

「だから後悔するって言ったのに。」

美希ちゃんは僕の隣で震えてる。
僕も震えたい。


6月24日(日) 晴れ
これまでのことが急に虚ろに思えてきた。
ネット上で色んなやりとりをしてきて、何人もの人と会話して・・・
それらは全部パソコンの中で行ってきた。
実際声を出して喋ったわけじゃない。
そうだよ。散々ネットにハマってた割には、僕は誰にも会ってない。
これまでの人とは誰とも顔を合わせていない。
密告者・細江さん。ターゲットの田村さん。殺された牧原さんに岡部先生に板倉さん。
そして処刑人S。
全部嘘だったのか?何もかもが作り話だったのか?
例え作り話だったとしても、そこには誰かがいたはずだ。
キーボードを打って、僕にメールをくれてた誰かが。
誰だ?

奥田。お前の名前がなぜこんなところで出てきたんだ。
奥田は死んだはず・・・・だよな?
もうそれすらもあやふやになってきた。
美希ちゃんは寝込んでる。僕もマトモに起き上がる気にはなれない。
誰か説明してくれよ。どこまでが嘘で、どこまでが本当のことなのか。
僕らにはなにもわからない。
わからない。
ワカラナイ。


第32週