絶望の世界A −もうひとつの僕日記−
第32週
6月25日(月) 曇り
バイトは休んだ。とてもじゃないけど働く気になれない。
ネットに繋いでみる。自分のページにアクセスすると、ちゃんとそこには「WANTED処刑人」のデータがあるし
メールのやり取りを遡ってみても、確かに過去のメールは残ってる。
掲示板にもみんなが書き込んだあとがある。
「密告者」もいる。「処刑人」もいる。ネットの中では。
全てはネットの中での出来事だった。
現実は違う。
密告者・細江さんのメールアドレス。
風見のメールアドレス。「K」のアドレス。「ケイ」のアドレス。
「ARA」さんのアドレス。「紅天女」さんのアドレス。「渚」さんのアドレス。
そして「処刑人」の携帯のメールアドレス。
これらアドレスは誰のだ。
返事をくれたのは誰だ。
今送っても届くのか。
何がいけなかったんだろう。
6月26日(火) 晴れ
今日もずっと家にいた。
家の中は重苦しい空気が立ちこめてる。
お互い口には出さないけど、思ってることは一つ。
奥田。お前は生きてるのか?
あり得ない。奥田は死んだはず。
じゃぁ僕とメールのやり取りをしたのは誰だ?あいつに僕の知らない友人なんていたか?
それともやっぱり、死んでないのか?
葬式は?あの葬式はなんだったんだ?
どこかで生きてるのか?
あのマンション。部屋まで行けば、奥田が迎えてくれてたのか?
二人で話し合えば少しでも答えが見えてくるかも知れない。
でも、どっちも口を開かない。話せばいいのに。
話せない。
6月27日(水) 曇り
ネットで何が起きようと、いつでも切り捨てることができる。
どんな事件に巻き込まれたって、逃げてしまえば大丈夫。
相手にこっちの顔は見えてないんだから。
そう思ってた。
違った。相手は僕のことを知ってた。
もし仮に・・・あのマンションが奥田の実家でなく、同姓同名の人だったとしても
僕と「奥田」の関係を知ってる人物でなければ、僕をあの場に導けなかったはずだ。
もしかして美希ちゃんの存在まで筒抜けだったのか?
僕らは踊らされてた。それはわかる。
けど何のために?
奥田。これは何だ?
僕らのことが許せないのか?
それならハッキリ言ってくれよ。目の前に出てきて。姿を現して。
謝るから。土下座だって何だってする。
お前の望むことなら何でもするから。
だからこんな・・・真綿で首をしめるようなことはやめてくれ。
意味の分からないまま振り回すのはやめてくれ。
罠ばかり張って、僕らがそれにハマるの黙って見てるだけなんて。
ひどいよ。
6月28日(木) 晴れ
先に口を開いたのは美希ちゃんだった。
「徹君のお墓参りに行かない?」
僕も同意した。なんとなくそれが今の僕らがまず一番始めにしなければならないことにも思えた。
気まずいままずっと何もしないわけにはいかない。
美希ちゃんがまず突破口を開いてくれたんだ。このままやれることはやっておこう。
杉崎さんに電話した。
電話は自然にかけることができた。亡き友人の墓参りに行くために場所を聞く。
ごく自然の行為だ。何も気兼ねなんかする必要ない。
奥田の眠ってる場所と、そこへの行き方。
杉崎さんは丁寧に教えてくれた。
僕らが墓参りに行く気になったことに関しては特に何も聞かれなかった。
聞かれても正直に答えることなんてできないけど。
受話器を置く直前、思わずこの言葉を口走ってしまった。
「杉崎さん。奥田は本当に死んだんでしょうか?」
杉崎さんは「はぁ?」と聞き返した。
「当たり前じゃないか。変なこと聞くねぇ。死んでなきゃお墓なんてないはずだよ。」
その通り・・だ。葬式だって死ななきゃやる必要はない。
適当に言葉を濁して電話を切った。
美希ちゃんも僕らの会話を聞いてた、ずっと無言で本当に聞いてたのかはわからない。
「明日、さっそく行ってこようか。そんなに遠くない場所だよ。」
僕が話しかけると彼女は「うん。」と小さく頷いた。
とても弱々しい声だった。
6月29日(金) 曇り
またちょっとした旅になった。
ただし、先週とは全然事情が違う。
電車に乗ってる間、僕らは何も話さなかった。
お盆でもない平日に墓参りなんかするのは僕らだけだった。
人っ気の無い墓地でしばらく二人で奥田の墓を探した。
探すのは単純作業で簡単だった。墓石を順番に見ていって「奥田」の文字があるか確認するだけ。
思ったより早く見つかって驚いたくらいだった。
「奥田徹」
ご丁寧に墓石にまでフルネームが刻まれてた。
僕はそれを見て確信した。
死んでる。奥田は間違いなく死んでる。
持ってきた花を添えて手を合わせた。
何しに来たんだろう。わかってたことじゃないか。
奥田は死んだ。僕らの裏切りに絶望して自殺したんだ。
手を合わせて何になる。許しを乞うのか。
許されるわけないのに。奥田。僕らに罰を与えたいか?
処刑したいのか?
そうなんだろうか。今のところはまだ罰を受けてない。
罪を改めて認識されられただけだ。
処刑はこれから始まるのか。それとも別の・・・
突然叫び声が上がった。
びっくりして目を開けると、美希ちゃんが墓にしがみついてた。
そして墓を・・・・掘り起こそうとしてた。
僕が止めても必死になって墓を暴こうと暴れてた。
彼女はずっと叫んでた。
僕は彼女の身体を押さえながら、自分でも驚くほど冷静に彼女の言葉を聞いていた。
「嘘よ!死んだなんて嘘だわ!ねぇ。このお墓の中には骨なんて無いのよ。
確かめてみればわかるはずよ。絶対骨なんかないのよ!徹君は生きてるのよ!
亮平君。掘らせてよ。お願いだから掘らせてよ!
掘らせて。絶対骨は無いから。こんなの嘘なんだから。
そうよ。みんなぐるなのよ。杉崎さんだって嘘ついてるんだわ。徹君の両親だって息子が生きてるのを知ってるんだわ。
あの葬式は嘘だったのよ。みんなね。徹君が私たちに復讐するのを手伝ってるのよ。
ほら。思い出してみてよ。誰も徹君の死体なんか見てないのよ。
全部杉崎さんから聞いた話じゃない。徹君に協力してるだけなのよ。
嘘なのよ。全部嘘なのよ。誰も本当のことを教えてくれないのよ。
みんなで騙してるんだわ。私たちのことを。そして笑ってるのよ。
徹君はずっと私たちのことを見てたんだわ。自分たちの犯した罪をちゃんと覚えてるのか。
見張られてるのよ。杉崎さんだけじゃないわ。みんなよ。みんな本当は徹君が生きてるのを知ってるのよ。
私たちだけが知らないのよ。みんなで協力して私たちのことを騙してるのよ。
亮平君。あなたのバイト先の店長さんだってぐるなのよ。
隣に住んでる人も、私が買い物に行く時に道ですれ違う人も。みんなみんなぐるなのよ。
裏ではみんな徹君の指示を受けて行動してるのよ!
ねぇお願いだから掘らせてよ。このお墓の中には誰もいないんだから。
誰も死んでないんだから。掘ったって問題ないでしょ。掘らせてよ。掘らせてよ・・・・!!」
彼女が泣き付かれて身体の力が抜けてきた時、僕はようやく声をかけることができた。
とても小さな声で。絞るようにして言った。
「そんなことないよ。」
何が「そんなことない」んだか。自分でも言ってる意味がわからない。
ただ、それしか言葉が見つからなかった。
彼女なかなか墓石から手を離そうとしなかったけど
なんとかなだめて引きずるようにしてその場を離れた。
彼女はずっと「みんな嘘なのよ。」と言い続けてた。
家に帰ってまで言ってる。
そして僕はそのたびに「そんなことないよ。」と言う。
何かが壊れた。
6月30日(土) 雨
何がいけなかったんだろう。もう一度自分に問いかけてみた。
彼女の目は光を失い、宙に向かって昨日から同じ言葉を呟き続けてる。
僕は昨日から何も食べてない。食欲がわかない。
僕もギリギリのラインだ。何もかも放り出して発狂してしまいたいけど
彼女の面倒も見なければならない。だから、僕までおかしくなるわけにはいかない。
何でこんなことになてしまったんだ。
ちょっとインターネットにはまっただけで。
ただがパソコンじゃないか。
誰かに会ったわけじゃない。全ては画面越しの出会い。画面越しの会話。
この家で、この家にいるだけで全ては事足りた。
外に出る必要なんてなかった。
必要最低限。バイトと買い出し。外に出る理由はそれしかない。
遊びたいならパソコンの電源をつければいい。
他人と話したいならネットに接続すればいい。
それで十分楽しめてたんだ。それの何が悪かったんだ。
・・・・あの時の選択か。
奥田が死んで、世間に顔向けできなかった。
だから僕らは家に篭もった。
美希ちゃん。君を外に出すのは嫌だったし、何より僕自身も外に出たくなかった。
賢明な判断だと思ってた。ほとぼりが醒めるまで大人しくする。
その結果がこれだ。
全てのエネルギーが内側に向けられてた。趣味も。情報収集も。他人とのコミュニケーションも。
全部家に中で済ます。パソコンがあればそれができたから。
でも違ったんだ。僕らは外に出るべきだったんだ。
堂々と外を歩き、世間の冷たい目に耐えなければならなかったんだ。
それが当然の制裁だったんだ。それを逃げてしまったから、今頃になって、一気に。
いや、そもそも「世間の冷たい目」なんてのは幻想だったのかもしれない。
奥田徹という男が自殺した。それを知ってる人がこの世に何人いる?
そしてその中で、奥田の自殺に僕と美希ちゃんが関係してると推測できる人は何人だ?
ゼロだったかもしれないじゃないか。
「冷たい目」で見る人なんて存在してなかったのかもしれない。
今となってはそれを確かめることはできないけど。
中にいたからだ。外に出ようとしなかったから、こんな目に会ってしまったんだ。
わからないことが多すぎる。なら、自分の目で確かめに行くしかないじゃないか。
早くからそうしていれば、奥田の名前にもすぐにたどり着いてたかもしれない。
僕とメールのやり取りをしてた「誰か」にも会えてたかもしれない。
機会はあったはず。外に出てれば。
篭もってたせいで、幾つもの機会を取り逃がした。
篭もってたからだ。
篭もってたのがいけなかったんだ。
7月1日(日) 快晴
日陰の中で生きてきた。
熱い日差しに身をさらすのが嫌だった。
光の中に身を寄せると、自分の姿がハッキリ見えてしまうから。
自分の姿を見られたくなかった。こんな恥まみれな僕を。
「世間の目」が怖かった。
家にいたって良かった。美希ちゃんがいたから。
一人だったら孤独に耐えられなかったかもしれない。
二人だから平気だった。篭もった生活でも満足してた。
それで十分生きていけた。
普通に過ごしていた。
けどそれは、今日までだ。
もう「普通」に過ごすことはできなくなってしまった。
どれだけ悩み、どれだけ凄い決意をしても、それは所詮決められた範囲の中でのことだった。
外に出ないことを前提とした選択だった。
そしてそれは、生活に支障を与えるようなことでもなかった。
何もしないでも生きていけたし、少し変わったことをしたくらいでは生活は変わらなかった。
今は違う。何もしないままでは生きていけない。
壊れた美希ちゃん。壊れた僕の心。
取り戻さないと。
簡単な話だ。わけがわからないまま答えを探すのを諦るか。
答えを探し、真実を見つけるか。
そんなのどっちを選ぶか決まってる。
だって、美希ちゃんが先に選んでしまったから。
考えるのを放棄して生ける屍になってしまったから。
僕は、答えを探す方を選ぶしかないじゃないか。
僕だってできれば何もしないで生きていきたい。
だけど二人揃ってそれをやってしまったら、本当に飢え死にしてしまう。
それもアリか?いや、ナシだ。
どんなにつまらない人生でもいい。何でもいいから生きていたい。
死にたくない。今はその「つまらない人生」すら失おうとしてる。
それを阻止するためには、見えてなかった世界へ飛び出すしかない。
何が起きているのか。僕らはどこにいるのか。全てをこの目で確かめる。
僕らのささやかな世界を守るために。やるべきことはただ一つ。
殻を打ち破り、そして。
外へ・・・!
→第2部<外界編>
第9章
第33週