絶望世界 もうひとつの僕日記

第48週


4月8日(月) 晴れ
打ち合わせと称してやたら喋りかけてくる奴がいる。
人を殺そうとするのに準備も何も無い。必要なのは覚悟だけ。
捕まるとかそんな話をされても僕には遠い世界のことにしか聞こえなかった。
課題が与えられたときはいつも緊張する。
僕を「奥田」と呼ぶ人たちに早紀と一緒の姿を晒すたびに胃が痛くなった。
早紀の横では不安を隠すために饒舌になった。
視線を感じるとなるとすぐ反対側の方に顔を向けた。
人を刺したときにも手が震えてた。
最後の課題ともなるとその緊張は計り知れない。
僕はうまくやれるだろうか。


4月9日(火) 曇り
ずっと守ってきたものを最後に自分の手で壊す。実に僕らしい試練だ。
途中僕には無理だと何度思ったか。
普通に生活しててもいつかあの子が戻ってくるという甘い考えに何度逃げたくなったか。
死んだ人を蘇らせるのはそんな簡単じゃない。
彼女を失った時のあの喪失感が僕を支える。
真実が語られてる途中から予感がしてた。その話が終わるとき、僕は何かを失うんだと。
予感は最悪の形で実現した。僕は一番大切なものを失った。唯一愛した人を。
涙を流しながら醜いほど訴えた。消えないでくれ。死んじゃいやだ。子供のように何度も何度も懇願した。
それでも彼女は消えてしまった。
殺した奴を憎んだ。そいつをその場で殺したくなった。
しかし憎み通すことはできなかった。
誰が悪いのか悩んだ。考えてもわからず、叫んだ。頭を抱えて泣きじゃくった。
そんな中で、かつての親友が自殺した理由が少しだけ理解できた。
僕も死のうと思った。

今の彼女は僕が死ぬのを止めてくれた。
彼女との出会いにはとても感謝してる。同時に憎んでもいる。
あの子を殺した人間に、僕は助けられた。
矛盾した感情が体の中を這いずり回り、やがて僕は試練を超えなければあの子に会えないのだと悟った。
随分時間がかかってしまったけどクリアまであとあと少しだ。

渡部美希。
もうすぐ君に会える。


4月10日(水) 晴れ
明日は仕事も休みだから実家に帰れる。
変な奴も一緒だけど仕方ない。それも試練の一環だから。

遠藤、川口、秋山。
電話も来ないし掲示板への書き込みも見られないからもうどこかへ行ってしまったんだろう。
奴らが手を下してくれてれば楽だったかもしれないけど、それでは試練にならない。
ちゃんと僕がやらなければならないように設定されるんだ。
あいつらは一体何だったんだろう。
僕の人生を邪魔するためにしか存在してなかった。
一通りのことを終えたら目の前から消えてしまった。残った一人も直に処分する。
僕を不安にさせ、困らせたから障害としては優秀だった。
あいつらを見て僕は世の中に無駄な人間がいることを知った。
家に篭ってる時には気付かなかった。
ネットで会話相手となる時は画面越しにはそこには確かに人間がいるものだと意識してた。
けど現実に会うと人間にすら見えず、思ってた以上に希薄な存在で驚いた。
共に行動して得ることをできた情報は全て知ってることで、僕には何の利益にもなってない。
現実を意識できたのは「田村喜久子」に初めて会った時。それも次第に薄れた。
あとは「細江亜紀」を実際にこの目で見た時くらいだった。
あいつらと一緒にいることは僕にとって消耗でしかなかった。
一度今の彼女にそのことを話したら「歪んでる。」と言われたことがある。
そうなんだろうか。もしそれが本当なら、僕が今の彼女を愛せないのはそこに理由があるのかもしれない。

例え歪んでても僕のこの意見には彼女も賛成してくれると思う。
早紀はかわいそうな奴だ。
何も知らないまま、実の兄に殺されるんだから。
かわいそうな奴だ。
本当にかわいそうな奴だ。
かわいそうな・・・


4月11日(木) 曇り
「浮気相手」を外に残し、僕は実家に戻った。
奴はご丁寧に立派なナイフを用意して、僕に装備させてくれた。

僕が家に入った時には早紀は既に学校から戻ってた。
母親もいた。最近は父親がちゃんと働いてるから、母親が家にいることが多かった。
早めに事を済ませたかったけど、できれば親の居る前ではしたくなかった。
今更なんの意味のなさないことかもしれないが、それが僕に残された最低限のモラルだった。
居間で適当に談話して時間を潰す。
仕事の話をすると早紀は喜んだ。料理に興味があるようだった。
お弁当にはどんな料理を作るといいか教えると目を輝かせてメモを取っていた。
自分が作ったやつの味も一度見てもらいたいと頼まれ、僕は少し悲しくなった。
早紀は変わった。僕が実家を出た頃は「処刑人」としてふさわしいほど陰気な奴だった。
夏に一度戻った時もまだ陰気なままだったのに。ここ最近急激に変化した。
先月久々に会った時の早紀は、普通の人間になっていた。
まずマトモに会話するようになった。僕の話に相槌を打ち、興味があることはちゃんと聞いてくる。
身内と一緒に歩くのを恥ずかしがらなくなった。帰りに自転車で送った時も何も反抗しなかった。
恋人ができたとは考えられない。では友達ができたのか。
奴らが早紀を囲ってたから友達ができるとも思えない。
ただ単に成長しただけなんだろうか。早紀が成長するとも考えがたい。
いずれにしろ、もう死ぬのだから関係ないか。
そう思ってそれ以上考えるのはやめた。

夜になった。
親も寝静まり、早紀も部屋で寝てるようだった。
僕はバックからナイフを取り出し、音を立てないよう気をつけながら隣の部屋に向かった。
まだ終電には間に合う。手短に済ませて早く自分のアパートに戻りたかった。
隣の部屋までは数メートル。廊下で誰かと鉢合わせることはない。
手にしたナイフだけが暗闇の中でぼうっと白く光ってた。
ドアの前に立ち、そっと中の様子を伺った。
声が聞こえた。
電話をしてるのかと思ったけど、それは有り得ないことだとすぐに気付いた。
早紀に電話相手はいないはずだから。友達などいないはずだから。
息を殺してドアに耳を当てた。
しんと静まり返った空間に、ドアの向こうから早紀の小さな声が聞こえてきた。
それは話し声ではなかった。


・・・・・・・早紀。お前はなぜ泣いてるんだ。


その瞬間、頭の中に早紀との記憶が舞い戻ってきた。
子供の頃二人で木に登ったことから、つい最近一緒に携帯を買いに行ったことまで。
そしてそれは早紀と一緒にいた時の記憶だけでなく、早紀のことを意識した僕の記憶まで蘇らせた。
自分の妹が処刑人の濡れ衣を着せられてると知った時の驚き。
自分の妹は処刑人と呼ばれても仕方ないような言動だったと知った時の悲しさ。
自分の妹を奴らと一緒に罠にハメる覚悟をした時のやるせなさ。
ああ、早紀。僕は全て知ってたんだよ。
奴らのゲームに参加するよりも早く、僕はお前が皆の言う「処刑人」であることを知っていた。
僕はもうとっくに真実を知ってるんだ。
あの子と引き換えに手に入れてたんだよ。
奴らが気に食わなかった。だからできればお前も守ってやりたかった。
手を下すなら、僕がやる。
ついさっきまでそう思ってたんだ。
けどお前のその姿を見て・・・・
なぜだ。なぜ泣いてるんだ。
なぜ一人で、部屋で、泣いてるんだ。
意味がわからない。

僕は頭が混乱し、自分がナイフを握ってることすら怖くなり、慌てて部屋に戻った。
ナイフをバックに押し込めた。視界から見えなくなるまで上から服を詰め込んだ。
バックも毛布でぐるぐると何重にもくるみ、足で押しのけた。
足から離れると急激に不安になって、また毛布の塊を掴み取った。
今度は肌身はなさず、一晩中抱え込んでいた。
眠れなかった。早紀が泣いてる理由がわからなかった。
自分が何をするべきなのかもわからなかった。
どうしていいのかわからなかった。
理解できたのは一つだけで、その考えは僕をさらに混乱させた。

なんてこった。
僕はあの子に会いたい。
なのに、早紀も殺したくない。


4月12日(金) 晴れ
家を出ると見知らぬ女が寄ってきた。
「一晩中何してたのよ!私、ずっと待ってたのに!」
こいつは何を言ってるんだろう。
僕の耳元で不愉快な音をわめき散らす。
早紀がなんだって?処刑人?誰が処刑人だって?
早紀が処刑人?
馬鹿言っちゃいけない。早紀は処刑人じゃない。
僕の妹が処刑人なわけないじゃないか。
僕の妹を馬鹿にするのか。

僕が言い返すと、その女の表情が見る見る変わっていった。
「奥田さん。何言ってるの・・・」
「奥田」という言葉を聞いて、僕は目の前の女が「田村喜久子」であることを思い出した。
そいつから借りたナイフが僕の鞄に入ってるのに気付き、また怖くなった。
慌てて取り出し持ち主に返す。僕の手はガタガタと震えていた。
無言でナイフを押し付けられて田村喜久子は口をあんぐりとあけてナイフと僕の顔を交互に見た。
何か言おうとしてたけど無視して僕はその場を走って逃げ出した。
後ろから「奥田さん待って。」と叫ぶ声が聞こえた。声はなかなか遠くならない。追ってきてる。
携帯が鳴ったから宙に放り投げた。放物線を描いてアスファルトの地面に落下した。
壊れたら彼女が怒るから拾いに戻った。壊れてなくてほっとした。
また鳴ったので電源を切った。また放り投げようとしたけど電源を切れば放り投げる必要がないことに気が付いた。
後ろに聞こえてた奴の声はいつの間にか聞こえなくなってた。
電車に乗る時は何度も後ろを振り返った。
みんなが僕を見ていた。
みんなが僕を笑ってた。
僕はひざを抱えて座り込み、早く自分のアパートのある駅に着くように願った。

体が火照って額からは汗がダラダラ流れていた。
家にに着くとすぐ冷たい水を顔に浴びせた。
鏡を見るとそこには死んだ魚のような目をしてる変な男が映ってた。
上着を脱いで床に寝転がった。昨日から一睡もしてなかったせいか、横になったとたん強烈な眠気に襲われた。
意識が遠のく中、誰かが僕に話し掛けた。「携帯を貸して。」
・・・?僕はポケットから携帯を取り出し、差し出した。
「後は任せて。」
再び声が聞こえた時には、僕の体はほとんど夢に浸っていた。


4月13日(土) 曇り
朝目覚めると、寝違えたらしく首が痛かった。
少し寝すぎた。顔を洗って着替えるともう仕事の時間だった。
朝ご飯も食べずに家を出て、店まで走っていった。
昨日の無断欠勤を謝ると杉崎さんはいつもの調子で「別にいいよ。」と許してくれた。
迷惑をかけた分を取り返すようにと、休憩時間無しで働きとおした。
仕込みをして、料理を作り、原付に乗って出前を運び、店に戻ったら皿洗い。
気が付くと夜になってた。

店から出ると彼女が待っててくれた。
見られると恥ずかしいからと言って、彼女はいつも店から少し離れたところで待ってる。
一緒に歩き、他愛も無い話を繰り返す。
今日は蒸してるとか。今日はこんな客がいたよとか。店のテレビで流れてた曲が気に入ったんだけど、題名がわからないとか。
会話が途切れたふとした拍子に、彼女が全く違う話題を口にした。
「喜久子ね。自殺するかもしれない。」
僕はへぇ、と答えてそれ以上何も言わなかった。
彼女の横顔をじっと眺めてみた。
夕日が当たって頬が赤らんでる。前方にまっすぐ視線を投げかけるその瞳は、いつもと同じように潤んでいた。
よく笑う。顔をしかめる。むくれる。怒る。悲しむ。彼女の表情は豊かで、明るい。
僕には眩しすぎた。横にいるだけでじわじわと火傷してしまう。
あの子は違った。あの子は僕と同じように暗闇が似合ってた。
彼女の顔から視線を外し、空を仰ぎ思った。

僕は試練に失敗した。
美希ちゃんにはもう会えない。


4月14日(日) ハレ
仕事に行くとみんな顔が猿になってた。
杉崎さんも奥さんもお客さんもみんな猿になってた。
ヨボヨボの猿もいれば子連れ猿もいる。生まれたての猿を抱えた雌猿もいた。
自分の姿を鏡で見たら顔だけ虫だった。
みんなは哺乳類なのに僕は脊椎動物ですらなかった。

仕事が終わると彼女と一緒に帰る。
彼女は不思議な生き物になってた。基本的には人間だけど、頭に角が生えて顔には目が何個もある。
これは鬼と言えばいいんだろうか。
家に着いても彼女は不思議なままだった。
僕も虫のままだった。虫と鬼が同じ屋根の下に居る。
僕は彼女と一緒に住んでる。

晩御飯を食べながら彼女と話をした。
早紀がね。泣いてたんだ。あいつはかわいそうな奴だ。
だから殺せなかった。殺したくない。
でもそのせいで僕はもう美希ちゃんには会えないんだ。
彼女は十個くらいある目をパチパチさせながら聞いていた。
「私に会って後悔してる?」
その質問には答えられなかった。
こうして目の前に「処刑人」がいる。当初の目的は達成できてる。でも。
しばらく黙ったあと、僕は漏らすように呟いた。
美希ちゃんに会いたい・・・
彼女は首を横に振り、ため息をつきながら言った。
「それはもう無理よ。あの子は死んでしまったんだから。」
気付いたら僕は泣いていた。

彼女が言う。
「後悔しないで。亮平さんは早紀を守ったんだから。
放っておけば早紀が破滅してたし、真実にたどり着けばあの子を失う。
どっちかだったのよ。いずれどちらかを選択しなければならなかったのよ。」
だからこそ、早紀を殺せば美希ちゃんにまた会える。そう思った。
でも殺せない。妹は殺せない。守りたい。
彼女の言う通り、あの試練の中で僕は早紀を守り通した。最後の選択の時も結果的に守ったことになる。
確かにこれだけは誇れる。こんな僕でも一つは良いことをしたんだ。
早紀を守った。はは。

この小さな成果だけが僕に死を思い留まらせる。


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