絶望世界 もうひとつの僕日記

第50週


4月22日(月) 晴れ
彼女の声で目がさめる。そろろそろ起きないと仕事に間に合わないよ、と。
最近は彼女が朝ご飯を作ってくれるようになった。
トーストをコーヒーを平らげて僕は今日も猿の餌を作りに出かけた。
何も変わりない一日。


4月23日(火) 曇り
今日のネギは形が不揃いだった。
杉崎さんは「その程度なら気にしないで出していい。」と言っていた。
その後も続けて包丁を握ってると野菜と一緒に自分の指をザックリ切りたい衝動にかられた。
「よせ。」と口に出して呟くとその衝動は腹の底へと転げ落ちていった。
足の先までたどり着くとそこで止まった。


4月24日(水) 晴れ
出前から帰るとき原付の調子が悪くなった。
エンジンのかかりがうまくいかない。足で蹴ってみるとブルルと少し反応した。
力を入れて蹴ってみると最初より良い反応が返ってきた。
キーをひねりながら何度も何度も蹴るとやがてエンジンは普通に動き始めた。
それでも僕は蹴り続けた。
通りすがりのおじさんが「もうエンジンかかってるよ。」と後ろから肩を叩いて教えてくれた。
僕はそのおじさん猿に御礼を言って店に戻った。
足が熱かった。


4月25日(木) 曇り
ゴールデンウィークに向けて定休日を返上しての出勤。
子供がグラスを落とし床一面に破片が散乱した。
杉崎さんがホウキとチリトリを持って床の掃除を始めた。
僕の足元には鋭い刃を持ったグラスの破片が転がっていた。
踏むと靴の裏のゴムの部分を貫通して僕の足まで食い込んできた。
鋭い痛みが体中に走り、靴下に血がにじむのを感じた。
一瞬、みんなの顔が人間に戻った。
休憩室で破片を抜き、杉崎さんの奥さんに傷口を消毒してもらった。
今も鈍い痛みが体中に残ってる。


4月26日(金) 晴れ
朝起きたら異常なほど足の傷口が痛んだ。
見ると傷口が開き血がダラダラと流れていた。
僕はもだえ苦しんで布団の上で暴れまわった。足に何かが入り込んでくるのを感じた。
それは足を辿り腹を上り体の中を這いずり回って脳までやってきた。
彼女が消毒液を持ってきてくれた時には血は止まり、僕も平静を取り戻していた。
彼女は休んだ方がいいと言ったけど僕は「大丈夫。」と言って仕事に出かけた。
杉崎さんにも心配されたけど、軽く痛みを感じるくらいで特に問題もなく動き回ることができた。
傷の方はもう大丈夫。


4月27日(土) 晴れ
包丁を持つたびに体が熱くなった。刃物を持つと何もかも切り裂きたくなる。
原付に乗ってる時はとそのまま壁にぶつかりたい誘惑にかられた。
客に愛想笑いを振りまくと頭に激しい痛みが走る。
猿の群がる輪の中で張り裂けるほど叫びたかった。
体中に満ちる膨大なエネルギーを僕は必死に押さえ込んでいた。
このどうしようもない衝動は何だろう。


4月28日(日) 晴れ
明日からは店もゴールデンウィークで一週間休みになる。
彼女が「そんなに長く家にいるのは久々なんじゃない?」と言った。
働くようになってからは始めてだ。
学生、アルバイトの頃は逆に時間が多すぎた。
下らないことで真剣に悩み、面白半分でどうでもいいことにも進んで足を突っ込んだ。
それが破滅への入り口だとも知らずに。
適当に働いて友人と酒を飲んでれば幸せだったけど、もうそれは過去の話でしかない。
僕は世の中というものを知らなすぎた。
「亮平さんは働きすぎよ。」
彼女が語りかける。そして肌に触れてくる。手を握った。
その先何をすべきなのかは知っている。
でも僕は無表情に壁を見つめ、彼女の行動を無視していた。
僕が何もしない、できないことは彼女も知っている。
だからそれ以上何もしてこない。何も言わない。
何も言えない。


第51週