絶望世界 もうひとつの僕日記

第56週


6月4日(月) 晴れ
四人の女は既に何十人とやりとりをしている。
会いたがる奴はこの前の奴らだけじゃない。何人オフの誘いがあったか。
当然そのたびに断る。みんな言い分けは一緒。
「処刑人が怖いから。」
馬鹿にした奴はそのまま縁が切れた。
処刑人のことを知りたがる奴にはひたすら噂を吹き込んだ。
それが終わればメールのやり取りをやめた。
毎日増えては消えていくメル友たち。
延々と繰り返す。


6月5日(火) 晴れ
膨大に蓄積されたメールは読まずに捨てられていく。
四人のキャラも確立し、会話もパターン化してしまえばあとは使いまわしの文章を送るだけ。
届くメールなど僕の興味の対象外だった。
一日中パソコンの前にかじりつくと肩が懲り、目と腰が痛くなる。
通信料も相当なものになってるはず。
そうした現実的な悩みなど全てどうでも良くなっていた。
作業を続けることだけが僕の使命だった。
足りない。
まだまだ足りない。


6月6日(水) 晴れ
あの痩せ男からメールが届いた。
「紅天女」あてに「お前は渚と同一人物だろう。ARAもそうじゃないのか?」と。
「そうだよ。」と一言だけで返した。
一時間もしないうちに「てめぇふざけるなお前のせいで俺は・・・」というやたら長いメールが送られてきた。
全部読み終わる頃には僕はこの男を殺したい気持ちでいっぱいになっていた。
僕の使命も知らずに好き勝手言う奴は許せない。
そんな奴はみんな死ねばいいと思う。
パソコンの画面に浮かぶ不愉快な文字を眺めてるうちに
こいつに死んで欲しいのなら僕が殺せばいいのだと気付いた。
とても簡単な話だった。


6月7日(木) 雨
一日に大量にメールが届く中、あの痩せ男からのメールがひときわ目立つ。
メールで罵声を浴びせてくるのあいつしかいない。
「決着つけてやるから顔を出せ。」と書いてあった。
何をどうがんばったところで奴には文章による攻撃しか出来ない。
個人情報を知られてると思って焦ってるのだろう。
僕が無視し続ければ奴は永遠に目に見えない恐怖に怯えることにあんるだろうか?
そこまではいかないだろう。いずれは忘れてどうでもよくなる。
であれば今しかない。
準備が必要かと思ったけど特別必要なものなど無かった。
前に一度やったことがあるから同じようにやればいい。
あの時の奴はどんな顔をしてたっけ?
思い出せなかった。顔も、声も、名前も。
はるか昔のことだから。


6月8日(金) 雨
メールひたすら謝ってみた。
奴は「許せない。」と一点張りで、メールのログを公開すると言って来た。
それだけは勘弁して下さいと言うと「顔を出せ。」と返事をよこした。
僕はそれに従い、早速明日会うことになった。
すっぽかされるのだけが心配だったけど、会いたがってるのは奴の方だからそれはないと思う。
今度は僕の素の姿を伝えておいた。男であることも正直に話した。
僕がやったのと同じように、待ちぼうけをくらう可能性もある。
それについては僕は全く問題ない。晒し者にされても僕は平気だ。
僕の負った使命の前に羞恥心などちっぽけなものだから。
明日のことが成功すればまた一歩先に進める。あの子に近づける。
うまくいくといいなと願った。



6月7日(土) 晴れ
人通りの少ないところへ誘ってきたのは奴の方だった。
駅で「お前か。着いて来い。」といわれてそこまで歩くのに僕らは一言も喋らなかった。
ビルの裏まで連れてこられたとき、奴が再び口を開いた。
「仲間呼んであるからな。抵抗しても無駄だぞ。」
僕は黙って頷いた。奴の目はとても真剣だった。
「わかってんよ。どうせ遊びのつもりだったんだろ?馬鹿が。調子に乗りすぎだ。」
「もう顔覚えたからな。俺の個人情報漏らしたら殺すぞ。」
「ネットを甘く見るなよ。てめぇみたいな馬鹿は何度も見てきたよ。そいつらみんな痛い目に会ってもらったけどな。」
「とりあえず今日はヤキ入れだ。いいか。てめぇが悪いんだぞ。」
相手が話をしてる間僕は何も言わなかった。
やがて奴は僕を殴り始めた。
僕が倒れても尚蹴り続け、何度も何度も罵声を浴びせてきた。
最後には唾を吐いて「二度と馬鹿な真似するんじゃねぇぞ。」と叫んでた。
その時僕は初めて「はい。」と声を出した。
奴は背を向けてその場を去ろうとした。

刺した後、少しひねって体に空気を入れてやるといいとどこかで聞いたことがあった。
ひねった瞬間、「ぐえ。」と鳥の鳴いたような声が聞こえた。
殺したというにはあまりに実感が無い。
本名はもちろん、どこに住んで、普段はどんなことをしてるのかなどまったく知らない。
こいつの名を口に出したことなど一度も無い。
僕は手に血がつかないように背中から慎重ナイフを抜き取り、鞄にしまった。

帰りの電車の中で、体に「処刑済」とでも刻んでおけばよかったと後悔した。


6月9日(日) 晴れ
洗ったナイフをパソコンの横に飾り、第一歩の達成を祝った。
もう「処刑人」はただの噂じゃなくなった。
あの処刑人のように知り合いを殺すような中途半端なものじゃない。
誰構わず殺す本当の殺人鬼だ。

一緒に住んでた人も去り、現実の生活も切り捨てた。
お金はあとどれくらい残ってるだろう?もうそんなに長くは持たないはず。
ここにいるのは僕一人。
残された時間の中で、僕は誰の力も借りずあの子を呼び戻してみせる。
そのためには処刑人を。あの頃の僕らが追ってた処刑人を。
僕がなる。僕がネットに巣食う殺人鬼になる。
そうすればきっと追ってきてくれる。
探し当ててくれるはず。
僕が見つけた処刑人はニセモノだ。本当の処刑人はここに。
僕だ。美希ちゃん。処刑人はここにいるよ。

早く僕を、見つけてくれ・・!


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