絶望の世界A −もうひとつの僕日記−
第60週
7月1日(月) 晴れ
猿どもが騒ぐ。
僕ことで騒いでる。
僕の姿を見た奴がいる。
その場にいるみんなが僕の姿を想像してる。
でも誰もわかってない。僕がどこにいるのか。
誰もこのアパートのドアを叩いてくれない。
僕はここで待ってるのに。
あの子が来るのを待ってるのに。
やるべきことはやった。
なのに来ない。
まだ来ない。
7月2日(火) 曇り
僕はじっと部屋の中で座り込み、あの子が来るのを待っていた。
ご飯を買いに行く気にはならなかった。外に出る気がしない。
一昨日から何も食べてない。第一お金ももうわずかしか残ってなかった。
少しずつ不安が募ってきた。
あの子は本当に来てくれるだろうか?
もし、もしこのドアが叩かれても、それが全然違う奴だったら・・
その可能性があるのは重々承知している。
これは最期の大博打。失敗する可能性だってゼロじゃない。
ちゃんとわかってたはずなのに。
この賭けに負けることなど想像していなかったからか?
戻れなくなった今、不安が急激に膨らんできた。
足りないんだろうか。僕はまだ使命を果たしきれてないんだろうか。
やり残してるんだろうか。
7月3日(水) 曇り
何が足りないんだ。
あの子が来ない。どうして。
もう来たっていいだろう。
僕はくすぶった気持ちを抱えたまま待ちつづけた。
お腹が減ったけど食べるものは何も無かった。
まだ水は止められてない。蛇口に口をつけむさぼるように水を飲んだ。
とにかくのどが渇いていた。
ネットで状況を確認した。騒ぎはまだ収まっていなかった。
むしろ話が膨らみ、僕のことが大量に書き連ねられていた。
僕の姿を見た奴は何人かいる。そいつらが情報を交換し合い、より正確な像が固まっていく。
そこに頭のキレる奴らの予想が混じり、確実に僕に近づいていた。
とても大きな波がやってきていた。
7月4日(木) 雨
何も食べてないのに吐き気がした。
トイレに駆け込み、吐くと胃液しか出なかった。口の中が酸っぱい。
話は「WANTED処刑人U」に収まりきらず、他のサイトまで及んでいた。
掲示板に貼られたリンク。そのリンク先の掲示板に貼られたリンク。
広がる。僕が。処刑人が。止めどなく。果てしなく。広がっていく。
しかし何かが違う。これは僕の望んだ形じゃない。
広まってるの「処刑人」の噂ではなかった。
僕。僕自身の姿が語られていた。
永遠に続くリンクのスパイラル。終わり無く見知らぬ人々に語られる、僕。
最早どんな形が理想的なのかわからなかった。
あの子は「処刑人」を探してる。だから噂になるのは「処刑人」でなければならない。
けど僕はあの子に会いたい。僕の噂が広まり、あの子が気付いてくれれば
いやでも処刑人=僕であることに気付いた時に初めて合いに来てくれるのか
僕自身の噂などあの子は興味がないのかけど僕のことだとわかればあの子も会いに来て
だから処刑人の噂なのか僕の噂なのかはどうでもよくていやよくなくてむしろそれが重要で
あの子が探してるのは僕だけど処刑人で処刑人なんだけど実は僕で僕だから合いに来くれ・・・
ああああああああああああああああ
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
aa
7月5日(金) 雨
ネットに繋がらなくなった。
サポートセンターに電話しようとしたら電話が通じなかった。
部屋の隅に大量に放置されてる郵便物をあさった。
何十回も引っ掻き回してると電話局からの通知が来てるのを見つけた。
料金滞納。警告。電話を止められる。
その期限が今日だった。
もちろん僕に手持ちのお金などなかった。
水道をひねった。
水が出た。出ることは出たが勢いが衰えてる気がしてならなかった。
今のうちの飲んでおかなければ死ぬ。
頭の中がその考えていっぱいになって水をむさぼり飲んだ。
何度もむせたけど飲み続けた。
パソコンを立ち上げた。ネットに繋がらないか再度試した。
やっぱり繋がらない。もう一度同じ手順でやってみた。駄目だった。
パスワードを変えてもIDを変えてもアクセスポイントの番号を変えても
モデムをインストールしなおしてもモジュラージャックを抜いて差して
本体を叩いてモニタを叩いて蹴って地面に叩きつけても
ネットには繋がらなかった。
パソコンは壊れた。
7月6日(土) 曇り
誰かが僕を追ってくる
一日ネットができなかっただけで押し寄せる不安
パソコンの画面には今にも掲示板が表示されそうだ
書き込み一つ一つが想像できてしまう
何も映らないはずの画面にぼんやり文字が浮かんでくる
顔も見えない猿どもの卑しい声が聞こえてくる
・・・あの人殺し野郎の顔見た奴いる?
・・・見た見たすげぇ貧相な顔してた。青白くて髪もボサボサだった。
・・・俺も見たよー。暗い感じの奴でな。眼鏡とかかけてないけど目がドロンとしてくまができてたな。
・・・野郎は何処に逃げたんだろうな。
・・・早歩きで駅の方に向かってたよ。途中で見失ったけど。
・・・僕は改札に入ってくとこまで見てました。山手線の品川方面のホームに行きました。
・・・つか、あの後殺された奴どうなった?
・・・しばらくしたら救急車が来てた。なんかもう死んだっぽかったよ。
・・・刺されたのは変なデブ。目を開けたままピクリとも動かなかった。怖かった。
・・・死んでるじゃん!つか、ネット殺人鬼恐るべし。マジで人殺すなんて信じられんね。
・・・殺人鬼じゃなくて処刑人な。
・・・んなのどうだっていいじゃん。処刑人だろうが何だろうが人殺しには変わりねぇよ。
・・・新聞載ってないのかな?誰かチェックしてる人いない?
・・・マスコミには公表しません。なぜなら騒ぐと犯人が逃げるからです。
・・・犯人が気付かれないようじわじわ囲い込んで追い詰めるってワケですねッ!
・・・そうかなぁ。あれだけの事件なら新聞載ってもいと思うけど。
・・・警察はもう犯人に目星がついてるという事実
・・・犯人あいつだろ?処刑人がどうだとか騒いでこの板を荒らしてた奴。処刑人の噂とかいいながら本人が処刑人。
・・・そりゃアクセスログたどれば一発でバレるわな。馬鹿だね。
・・・一時流行った処刑人と同一人物かな?なんか罪を裁くとかなんとか
・・・あれの影響された別人じゃないのか?結局前のはデマだったんだろ?
・・・処刑人はデブだけじゃなく他にも既に何人か殺してるという事実
・・・速報!!!!!処刑人逮捕!!!!
・・・マジすか?どんな人だったんすか?
・・・冗談に決まってるだろアホ。逮捕されたらそれこそニュースになるって。でも時間の問題なんだろうなぁ。
・・・本人まだここ見てたりしてね。自分が話題になってるの見て喜んでみたり
・・・有り得る。画面に向かってニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべてみたりな。
・・・おーい、処刑人見てるー?(←手を振りながら)。早く逃げた方が良いよー!君、警察に身元割れてるよー!
・・・処刑人。お前もう終わりだよ。
強烈な現実が僕を襲う頭に巣食う全身を支配する。
あの子は来ないこのままここにいてもあの子は来ない
来るのは警察だ警察が僕を逮捕しにくる僕を捕まえに来る
ここにいては駄目だ捕まっては駄目だ
あの子にあえなくなる一生会えなくなる
ここにいては駄目だここにいては
逃げなくては今すぐ
ここから逃げなくては
7月7日(日) 雨
何もかも壊してしまった。
この部屋にはもうガラクタの山しか残ってない。
テレビもパソコンもこたつもクーラーも壁も床もここで過ごした僕の日々も全て壊した。
何か大切な思い出が詰まってた気がしたけど、このガラクタの中からは何も見つからなかった。
この部屋で一緒に過ごした人はもういない。
戻ってくる気配も無い。だからこの部屋を残しておく理由は無い。
わずかな荷物を手にもって、僕は最後に電球を壊した。
力強く打つとカバーごとパリンと音を立てて割れた。
破片が地面に落ちてくる。床にちりばめられた多くのゴミの中に溶け込んだ。
電気が消えると外からわずかな光が差し込んできた。
雨が降ってるせいで光はとても弱々しかった。
ガラクタの山が鈍く光る。ゴミ以外何物でもない。
僕はそこに唾を吐き、「じゃあな。」と別れを告げた。
戻れる場所は一つしかない。
僕が生まれ育った場所。腐りきった家庭だけど、今僕が身を寄せれるのはここしかない。
電車の中で何回思いとどまっただろう。
外で過ごせないだろうか。野宿でもいいんじゃないか。
都会の中にいればどうにだって生きていけるんじゃないか。
それでも僕は家の中にいたかった。どこでもいいから、僕の居場所を確保したかった。
そこにあの子が来るかもしれないから。
実家のドアは重かった。
親は出かけてた。変りにドアを開けてくれたのは早紀だった。
早紀が驚いた顔をする。僕は平静を装って「ただいま。」と言った。
「あれ?おかえり。珍しいね。」と早紀が言う。
早紀の声は胸の奥に響いた。何故だか分からないけど涙が出そうになった。
早紀にだけは今の僕を見られたくなかったのかもしれない。
僕は目を合わせることもできず「しばらく実家に戻ることになった。世話になるよ。」とだけ言って自分の巣へ急いだ。
部屋に入ると疲れがどっと出て、すぐにベットに倒れ込んだ。
長い間放置してたはずなのに、思ったほどホコリは溜まってない。
無駄なところで几帳面な親が掃除してくれてたんだろう。
僕なんかの部屋を綺麗にする必要ないのに。
僕のような人間にベッドなんか必要ないのに。
僕なんか人間ですらないのに。
虫なのに。虫は虫らしく床を這ってればいいんだ。
地を這って、かすれた声で助けを求めて、そして踏まれてしまえばいい。
臭い体液を吐き出して。醜い内臓を破裂させて。おぞましい死体晒して。
死ねばいい。僕なんか死ねばいい。
もう死ぬよ。
→第2部<外界編>
第16章(最終章)
第61週