絶望世界 もうひとつの僕日記

第62週


7月15日(月) 晴れ
恐ろしい何かが芽生えた
僕の中で急激に成長してゆく
押さえ込まれ、一度は消滅したはずなのに
もう止められない
本能的に理解してしまった
頭の中で否定の言葉を繰り返しても
沸いてくるのは決定的な意志
駄目だ
何をどう考えてもそれが正しいとしか思えない
拒否する道理が見つからない
かつての僕なら止められたかもしれない
でももう駄目だ
人を殺した今では
関係無い人まで巻き込んだ今では
「処刑人」となった今では
止まらないぃぃ


7月16日(火) 晴れ
足が動く。隣の部屋へ行こうとする。
手で押さえ込む。足はなお踏み出そうと抗う。すごい力。
時間がないぞと誰かが叫んだ。
聞いたことある声だ。
早くしろとせかす。すぐ済むことじゃないか。サッサと済ませようぜ。
かつての「処刑人」を喰え。超えろ。
そしたら完成するんだ。お前は本当の「処刑人」になれるんだ。
俺達が求める「処刑人」だ・・
その声は奥田だった。
奥田の亡霊に向かい、僕はやめろと叫んだ。
違う。お前は処刑人なんてどうでも良かったんだ。
ただ楽しく、下らないことして遊びたかっただけなんだ。
処刑人なんて玩具に過ぎない。存在なんてこれっぽっちも信じてないんだ。
追ってるフリをするだけで良かったんだ。
当然だろうな。そもそも処刑人のウワサなんてのは無かったんだから。
処刑人なんてお前らがでっち上げたものなんだから。
僕をワナにはめて、影で二人して笑うためのものでしかなかったんだから。
奥田が笑った。笑いながら言い返してきた。
「だからどうした。今更そんなこと言って何になる。
もう戻れないところまで来ちまったってのに。
お前の妹が俺達の思惑通りに、いや思惑を超えて想像以上に動いてくれたおかげで
処刑人は実際に存在するものとなった。
周囲を巻き込み、冗談じゃ済まなくなった。
だから俺達も協力したんだよ。処刑人がより処刑人らしくなるように。
そんなことしたら収集つかなくなることなんて目に見えてたのに、な。」
僕は反論した。
なぜ止めなかったんだよ。お前が止めれば良かっただろ。
例えあの子がうろたえてたって、お前は冷静な判断を下せたはずだ。
どこかで止まってれば、僕だって、早紀だって・・・美希ちゃんだって。
お前だって死ぬ羽目にはならなかったはずじゃないか。
奥田は笑い続ける。
「止められなかったんだよ。考えてもみろよ。逆の立場で考えてみろよ。
親友と、親友の妹までワナにはめておいて、途中で『全部冗談でした』で済むと思うか。
全ては解決してからだ。全部終わってからなら笑って話せる時が来るはずだった。
それが来なかっただけの話だ。
解決なんて、終わりなんて無かったからな。泥沼だよ。
けどお前は良かったんじゃないのか?
俺が散々悩んでる中、お前はしれっと美希をモノにしやがった。
俺達の、俺の悩みなんか何も知らず。あの時ばかりは全部話しておけば良かったと思ったよ。
処刑人がどうだとかそんな話じゃないぞ。
はは。お前はもう知ってるんだったな。俺達が抱えてた闇を。
今思えば、処刑人遊びはその闇を・・・」
僕はうるさいと叫んで奥田の言葉をさえぎった。
奥田は話すのをやめなかった。
「亮平、お前だって失敗したじゃないか。
全部知った時、確かにお前は受け入れようとした。
けど結局は手放してしまっただろ。自分から。耐えられなくなって。
それがほら、今まさに挽回のチャンスが来てるんだ。
最後のチャンスだぞ。時間がないことくらいお前もわかってるだろ。
ここまで来ればやることは一つだろ。
ほら、早く完成させろ。『処刑人伝説』を。
『処刑人』はちゃんと実在してることを証明しろ。
そして過去を塗り替えろ。俺達は何かの冗談で処刑人を追ってたわけじゃない。
実在する『処刑人』を追ってたんだ。
これなら誰も傷つかない。誰も悩む必要なんてない。
冗談が冗談で済まなくなったことを嘆く必要なんてない。
俺達は最初から真剣だったんだ。
真剣に追わなければならない相手を、真剣に追っただけの話。
だからほら。さっさと消せよ。虚像の方を。
冗談であることをねじまげた本人を。
ニセモノの処刑人を。」

僕はいやだと叫んだ。
叫んだつもりだった。


7月17日(水) 晴れ
早紀が僕の元にやってきた。
一人で細々とご飯を食べてると早紀が居間に下りてきた。
早紀は当たり前のように僕の隣に座り一緒にご飯を食べ始めた。
隣に早紀がいるだけでとても緊張して、ご飯がうまく喉を通らなかった。
苦しさに耐えかねて席を立とうとした時、早紀が口を開いた。
「あ、そうだ。」
僕の方に顔を向けた。
「お兄ちゃん、奥田って人知ってる?」

かろうじて保っていた何かが、プツリと音を立てて途切れた。

早紀と目が合った。冷たい視線が突き刺さる。
何か答えなきゃいけないと思った。
できなかった。僕の身体はもう、自分の意志では動かなかった。
手も、足も、目も、口も、うまく力が入らない。
「田村さんにでも聞いたの?」
僕が聞き返したらしい。頭に言葉が響き渡る。
それは僕の声じゃないように思えた。
喉が勝手に震えて音を発していた。
「別に。何でもないから。」
早紀の顔は青ざめていた。僕の変化を察したのかもしれない。
慌てて部屋に戻る早紀。もっと言うべきことがあるだろう。
後を追おうと思ったけど、やっぱり足は動かなかった。

早紀が消えると、居間に光が差し込んできた。
とても綺麗な光が部屋に満ちる。
まぶしく輝くその光の中に、僕は何か見つけ出したようだ。
僕が手を伸ばしてる。見つけたものをつかもうとしてる。
どうやらつかめたらしい。僕の口元が少し笑ってた。
僕は喜んでる模様だ。


7月18日(木) 晴れ
晴れやかな気分だ。
僕の部屋の中が光ってる。
ついこの前までの苦しさはやがて来る解放への道のりでしかなかった。
もうすぐだ。途方も無かった道のりにもようやく終わりが見えた。
光ってる。僕の手まで、腕まで、足まで、全身が光ってる。
白くまぶしく光ってる。
光る僕は立ち上がり、隣の部屋の前まで歩いた。
歩いた後には光がこぼれた。
ドアを叩き、早紀に話し掛けた。
「早紀、どうしたんだよ。メシくらい食べろよ。」
決して妹の身体を心配しての言葉ではなかった。
中から「いらない。」というぶっきらぼうな声が聞こえた。
とても素敵な声だった。


7月19(金) 曇り
壁に耳を立て、隣の部屋の音を聞いた。
布団のすれる音、床のきしむ音、咳き込む音。
早紀の吐息さえ聞こえそうな気がした。
壁に手を当てると光で透けてベッドに横になる早紀の姿が見えた。
愛しい妹が不安に怯え、悩み、疲れ果てて眠っている。
僕に怯えてる。僕の闇を覗いたばっかりに。
かわいそうに。すぐにでも抱きしめてやりたかった。
昨日と同じように、早紀の部屋を訪問した。
「早紀、大丈夫か?体壊したのか?」
ドア越しに優しく声をかけてやると、早紀は「別に。」と答えた。
早紀の声は震えていた。不安を隠そうともしない。
筒抜けなのにもかかわらず、お前はまだその中でがんばるつもりか。
いつまでいるんだ。お前だって限界だろう?
ドアに手をかざし、「大丈夫。もうすぐだ。」と声をかけた。
早紀からの反応はなかった。聞こえてなかったのかもしれない。
早紀。もうすぐお前はその苦しみから解放される。
だから安心しろ。僕にまかせておけ。
なぜもっと早くそうしてあげなかったのか不思議でならない。
全ての仕組みを知っていれば、これが最も早い解決方法だったのに。
何かのルールに反するからだろうか。
そう思った途端、無性におかしくなった。
ルールって何だよ。そんなのどこにあるというんだ。
僕は自分が求めてるモノが手に入ればいい。
例え裏切ろうとも。


7月20日(土) 晴れ
語りかけるのも今日で最後になってしまった。
「早紀、一度ゆっくり話がしたいんだ。」
ドアの向こうに早紀に向かって、僕はそう言った。
しかし早紀には聞こえなかったようだ。
しばらく何の反応もなかった。
「おい早紀、聞こえてるのか?とても大事な話なんだ。」
早紀は無視を続けた。ガタガタと震えて身体を壁にぶつけてる振動が伝わってきた。
寝てるわけじゃない。呆けて聞こえてないだけなのか、返事をしたくないのか。
僕が思いをめぐらせていると、早紀の声が聞こえてきた。
「お兄ちゃん。あなたがカザミなの?・・・処刑人なの?」
僕は声を上げずに笑った。
あはは。何か勘違いしているぞ。
顔が崩落ちるほど笑ったけど、ドアの向こうにいる早紀には僕の顔は見えなかった。
カザミじゃないさ。カザミは奥田だよ。
カザミが奥田で僕は奥田。ははははははははは。わけがわからないね。

部屋に戻ると、僕の身にまとった光は一層輝きを増し、限界に達した。
身体が溶け出してしまいそうだ。この脳みごと。心ごと。
光に飲まれて真っ白に。
実行するのは明日にしてあげようと思った。
早く苦しみから解放してやりたかったけど、最後にもう少しだけ生きる実感をもたせてやりたかった。
早紀は気付いてるだろうか。その苦しみこそが生の証拠だと。
使命の果てが見えてしまった僕はもう・・・終わってる。
目的が果たされたら死ぬから。
この手にあの子が戻ってきても、そのまま生きていける権利など僕にはない。
さぁ。最後の仕事をしなくては。
早紀を。何も知らない哀れな自分の妹を。
自分の為だけに殺すんだ。
終わらせるんだ。
僕の手で。


7月21日(日) 晴れ
ナイフか何か用意しようか悩んだ。
早紀を相手に道具を使うのやめた。
僕のこの手で絞め殺そうと思った。
相変わらず早紀は部屋から出てこない。
部屋の中で僕に殺されるのを待ってる。
早紀の望みどおり今日で終わらせた。

ドアを叩いた。早紀は何も言わない。
「早紀、話があるんだ。」
反応が無い。ドアのカギはかかったままだった。
力を込めた。硬くロックされてそれ以上開かない。
「なぁ早紀。わかったんだよ。俺は何をすべきなのか。」
それはこのドアを開けることだった。
このドアを開けることこそが僕のすべきことだった。
「全ての罪を裁かなくてはならなかったんだ。」
僕の罪だ。僕は自分の罪を裁かなければならなかった。
「お前を例外扱いしてはいけなかったんだ。お前は被害者だが、同時に加害者でもある。
身に覚えがあるだろ?であれば、お前もまた裁かれなければならない。」
早紀を裁くこと。早紀に真実を伝えることは僕にとって最大の罪滅ぼしだった。
「本当はずっと前からわかってたんだけどな。今、やっと決心した。」
本当に。全てを知ったあの日。すぐにでも早紀に全てを伝えていればよかった。
それをしなかったのは怖かったからだ。
早紀が「処刑人」のままでも、いずれは忘れ去られる可能性があった。
忘れ、無かったことに、消してしまうこともできた。
けど真実を伝えれば、一生忘れられない傷を与えてしまうことになった。
ヘタすればそこで全てが終わるかもしれなかった。僕の人生も含めて。
だから怖かった。
今日はもう怖くない。僕は早紀に全てをぶつけることができる。
「早紀。お前への断罪が必要だ。ここを開けろ。」
早紀の罪はただ一つ。「気付かなかった。」こと。
奥田たちも、僕も、田村さんたちも含め、みんな完璧ではなかったはずだ。
ボロを出しかけたことがあったと思う。
勝手な言い分かもしれないが、そこで早紀自身が気付いていば何かが変ってたはずだ。

ドアノブに手をかける手の光が増した。
まばゆいほどの光がほとばしり、信じられないほどの力が沸いた。
ドアノブ少し引いてやると軽い音がしてドアが開いた。
ドアノブは壊れていた。ドアが半分開いた。
部屋の奥に早紀がうずくまっていた。
怯えた目で僕を見る。
なんだ。無視してたんじゃなくて、怖くて声が出せなかっただけか。
「お前を裁き、全てをゼロに戻す。」
早紀の罪は真実を伝えることで裁かれる。
「死」という絶対的な真実だ。
早紀の方に歩み寄る。
早紀は子供のように泣きじゃくり、震えていた。
何か言おうとしてるが嗚咽が邪魔して声にならない。
抵抗する様子もない。手が哀れなほど震えてる。
腰も抜けてるようだった。恐らくもう自分の意志で身体を動かせないのだろう。
早紀の首に手を伸ばす。
思いのほかやわらかい早紀の首筋に、僕は指先をめり込ませていった。
早紀が口を開く。しかし嗚咽が増すばかりでやはり声は出せない。
僕は指先に力を込めた。
早紀は絶望的な表情で目で助けを訴えていた。

早紀。お前もしかしてとっくに気付いてたのか。
気付いてたのに、怖くて何も言えず・・・・・

早紀の涙が僕の手の平を伝った。


第63週