絶望世界 もうひとつの僕日記

第63週


7月22日(月) 晴れ
早紀の死は僕たちを解放してくれた。
奥田。お前たちが始めたことは、決して冗談じゃなんかじゃない。
少なくともお前自身は最初から真剣だった。
どうにかしてあの子の闇を解放しようとしてたんだよ。

部屋の掃除をした。
奥田たちとの写真か何か出てくると思ったけど
よく考えたらあれはもうガラクタの山の中に埋もれていた。
この家には思い出のものは何もない。
奥田の遺志を継ぐため、まずは形からと料理人になる決意をした時
何が良いのかもわからず買った鍋は、真っ先に壊してしまったんだった。
杉崎さんたちは元気だろうか。ああいう普通の人たちこそ幸せに生きるべきだ。
僕らの抱えてるものなんか知ってはいけない。
巻き込んではいけない。
何の挨拶もせず別れることになるのは悪いなと思った。あれだけ世話になったのに。
心配をかけてしまってた。迷惑をかけてしまった。
死ぬ前に謝罪だけはしけおかなければと思った。
床に座り、あのソバ屋の方向に向かって土下座した。
今までありがとうございました。本当に感謝しています。
どうかお元気で。


7月23日(火) 曇り
身の回りの整理は終わった。
ここでやるべきことはもう無い。あとは行くべきところへ行くだけだ。
部屋を片づけてる最中、色んな事を思い出した。
ここに至るまでの道のりや、巻き込んでしまった人々のこと。自分のことも。

美希ちゃんを失ってすぐ、間髪いれずに別の女性と住んでた僕は
とても駄目な人間なのかもしれない。けどそれは仕方が無かったんだ。
まだ整理がついてなかったから。奥田の死、そして裏側を知らされたショック。
どれも僕をマトモな神経のままではいさせてくれなかった。
冷静になった時、まず気付いたのは仕事をしなければ二人で食べていけないという現実だった。
アルバイトでは稼げなかったし、いつ切られるかという不安もあった。
でもやっぱり一番大きかったのは奥田のことだと思う。
奥田の人生をなぞり、あいつの心を少しでも覗いてみたかった。
杉崎さんは快く受け入れてくれ、間もなく僕は料理人という仕事を好きになった。
現実的な生き方をしてると色んなことを忘れそうになった。
でも家に戻り、彼女の顔を見ると僕が抱えてる問題を強制的に思い出してしまう。
彼女はネットでの監視を怠っていなかった。
常に目を光らせ、事の成り行きに敏感に反応していあ。
田村さんが新しいグループの旗揚げをした時、真っ先に潜入するよう命じられた。
いや、僕は自ら進んで潜入したんだった。僕が一番警戒していたことだったからだ。
あの時はかなり緊張した。勝負どころだった。
彼女は変装なんてする必要ないと言ったけど、
僕は最悪の状況を考えてできるだけの対策はとっておきたかった。
もし思いのほか早紀と会うことになってしまったら、潜入作戦は全て水の泡だから。
他にも色んな心配をしていたけど、実際潜入してみるとそれほど難しいものじゃなかった。
まず僕はもっと大勢来るのかと思った。
けど僕の心配をよそに集まった外部の人間は三人だけだったし、それ以上増える様子もなかった。
さらに、田村さんはなかなか処刑人の真実に迫ろうとしなかった。
もったいぶって遊ぶだけ。こいつらは別に放っておいてもいいんじゃないかと思うほどだった。
もちろんそんな甘い状況は甘く続かなかった。
田村さんの遊びに深く関わるに連れ、当然早紀との接点も近くなった。
仲間の一人もお遊びの状況に耐え切れなくなって暴走を始めた。
あのグループ内ですら表と裏の状況が出来上がり、僕はその狭間に揺れた。
名前を思い出した。川口だ。
川口が集めてくる情報は僕は全部知ってることだったけど
細江さんに会うのは計算外だった。そんな簡単に会えると思ってなかったし、僕もすっかり忘れてた。
何か問題になりはしないかと心配になった。
けど彼女は「別に問題ない。」と言ったので川口に付き合うことにした。
実際、細江さんは特に何の情報も漏らさなかった。
川口の暴走は止まらず、やがて田村さんを手にかけた。
そして結局はメンバーみんなであの下らないゲームに付き合わされることになった。
ゲーム中何度も危機的状況に陥ったのに、最終的に僕は生き残ってしまった。
「変装」が効いた場面もあったし、ただ単に運が良かっただけの時もあった。
猿達の行動などで僕の抱えたどす黒い運命に影響を与えることはできななかったということだ。
あの時だって本当に早紀を殺すつもりだったんだ。
でもできなかったのは、僕が弱かったからなんだと思う。
その弱さで、僕は彼女すら手放してしまった。

そのせいで僕は完全に壊れてしまった。


7月24日(水) 晴れ
外はとても暑そうだ。
部屋の中も蒸し暑かったけど、僕は汗をかかなかった。
目をつぶり、部屋に寝転がる。
熱気が脳に進入し、僕の過去をかげろうの向こうに映し出した。

崩壊の始まりはやはりあの時だったのだろうか。
奴らがゲームを始めるとき、早紀の名が出たときだ。
知ってたとはいえ、やはりいざ奴らの口から早紀の名を聞くとショックだった。
非現実的に思え、頭がしばらく動かなかった記憶がある。
周囲の会話など聞かず、僕は静かに早紀を殺す覚悟を整えていた。
しかしそれは中途半端なものでしかなかった。
うまくいけば殺さずに済む可能性があったから。
その可能性に甘えていた。
実際、早紀を殺さずとも奴らを追い返すことができてしまった。
そうして僕の意思に全てがのしかかってきた時、僕はやり遂げることができなかった。
第三の選択肢があったことにも気付かず、僕はただ自分の失敗に、自分の弱さに嘆いた。
僕はその弱さを彼女のせいにした。
彼女は何も言わずに出て行った。そして二度と僕の元には戻らなかった。
その部分に関して、僕は心のどこかで悩んでたのかもしれない。
いくら美希ちゃんと彼女が別人とはいえ、彼女は僕を支えてくれてた。
美希ちゃんを追うのはやめ、彼女と暮らすのも悪くないんじゃないか。
この誘惑も、今では面と向かい、はっきり答えることができる。
そんな選択肢有りえない。美希ちゃんでなければ駄目なんだ。
僕にとっても、彼女にとっても。
それが全てを終わらせるゴールだから。

壊れた僕は、かつて奥田と美希ちゃんが僕にしたことをなぞった。
不特定多数に。何も知らずに踊らされる「僕」をひたすら増やし続けた。
その中の一人を殺した。名前も顔も知らない奴。
自分は人を殺せることを確認したかった。
川口を殺したのは「奥田」だ。しかも刺さなければならない状況だった。
そんなんじゃない。状況に流されない、無意味に人殺しができる。
このことを自分で確認したかたった。
自分自身には証明できた。
でも足りなかった。満足できなかった。
僕が自分で確認したことでなく、きちんとアピールしたかった。
処刑人が実在することを。そうしてまた一人殺した。
それが致命的だった。もうそれ以上の「殺し」はできなくなった。
僕の時間は決定的に削られた。
そして逃げた。早紀の元へ。
そこで気付いた。早紀こそが僕を終焉に導いてくれる女神だと。
事実、早紀は見事に僕を導いてくれた。

さて、そろそろ行くか。
早紀の示してくれた道へ。


7月25日(木) 晴れ
外に出ることは危険だとわかってる。
でも捕まる気はしない。早紀が見守ってくれてるから。
僕は外に出て、まっすぐ目的地に向かった。
電車に乗っても誰も僕を見ていない。誰も話し掛けてはこない。
敵はもういない。僕はビクトリーロードを進んでるのだから。
達成者だけが歩める道だ。
僕は大手を振って突き進んだ。

その場所に着いた。前に立ち、上を見上げた。
みすぼらしいオンボロのアパート。古びてるけど、大きさからすると部屋数は割とあるかもしれない。
表札を確認する。間違いない。
彼女はここにいる。

ドアを叩いた。返事がない。
もう一度叩く。返事がない。
さらに叩くと、「どちら様?」と女性の声が聞こえた。
僕は答えた。「あの、娘さんに会いたいのですが。」
「だから、どちら様ですか?」
警戒して低い声に変った。
僕はそんな声を無視し、ドンドンドンドンドンドンドンドンと何度も何度も何度も叩いた。
中で「だからどちら様なんですかッ。」と叫ぶ声が聞こえる。
僕はさらにドアを叩いた。
「やめてください!今行きますから!」
やがて家の中をドタドタ走る音が鳴った。

ドアが開く。
半分開いたところで、中年女性の不機嫌そうな顔が出てきた。
「一体何なんですか。」
僕はドアをこじ開け、中に入った。
「何するんですか!」
その女性が僕の腕をつかみ、玄関を上がろうとする僕を制した。
僕は女性の方に顔を向け、事実を告げた。
「あなたの娘さんに会いに来た者です。」
腕をつかむ女性の手に力が込められた。
「あの子はいませんよ!もういないんです!」
僕は力ずくで手を振り解いた。「あっ!」と小さく悲鳴をあげ、その女性は背中を壁にぶつけ、倒れた。
倒れても尚僕の方を睨む。「あの子はもう死んだのよ!」
僕は笑って答えた。
「大丈夫ですよ。僕は警察じゃありません。本当に、あの子の友人なんです。」
女性はまだ疑いの表情をやめなかったが、それ以上反論してくる様子も無かった。
ゆっくり起き上がり、開いたままになってたドアを黙って閉めていた。
僕はその場を後にし、玄関を上がった。

居間以外に部屋は二つあった。ドアがある。
その一つに赤い文字で「立ち入り禁止」と書かれてるものがあった。
ここだ。
ドアノブを回すとあっけなく回った。カギはついてないようだ。
僕はドアを開け、中に入った。
彼女はそこにいた。

「派手な登場ね。あんまりうるさくすると近所迷惑よ。」

「構わないさ。あの程度じゃ誰も文句言わないよ。」

「ああゆうのお母さんがうるさいのよ。静かにしろって。」

「なら警察にでも通報すればいいじゃないか。」

「いじわるね。できないことくらい知ってるくせに。」

「まぁね。そんなことしたらみんな捕まっちゃうもんね。」

「そゆこと。で、何?」

「何って?」

「いや、何しに来たのって意味。一応聞いておこうかなって思って。」

「わかってるくせに。」

「だから一応、よ。」

「なるほど。」

「うん。」

「今はカザミって名乗ってるんだって?早紀がそのようなことを言ってたよ。」

「まぁね。あとは真・処刑人とかかな。ってそんなこと聞きにきたの?」

「違うよ。」

「じゃあ・・・。」

「早紀を殺したんだ。」

「・・・・・・・・・・・・・そう。とうとうやったんだ。」

「ああ。だから僕もここに来る決心がついた。」

「うん。」

「用事というのは他でもない。あの子に会わせ欲しいんだ。」

「あの子・・・ね。」

「そう。渡部美希に会いたい。」

「前にも言ったんだけど・・・もう無理よ。美希は死んじゃったんだから。」

「違うね。最後の希望が残されてる。」

「最後の希望って?」

「君だよ。」

「・・・・ねぇ。もしそうだとしても、私がどうしても美希には会わせられないって言ったらどうするの。」

「会わせてくれるまでここで待つさ。」

「ここで?私の家よ。」

「構わないよ。一時は僕らだって一緒に住んでたじゃないか。」

「そう。じゃ勝手にすれば。」

「そうする。」

「・・・・。」

「・・・・。」

「本気みたいね。」

「もちろんだ。何度も言うようだけど、美希ちゃんを蘇らせることができるのは君だけなんだ。」

「最後の希望ってやつ?」

「ああ。」

「・・・無理よ。」

「無理じゃない。」

「そんなこと言ったって・・・・・・。」

「頼む、牧原さん。美希ちゃんに会わせてくれ。」


牧原公子が美希ちゃんに会わせてくれるまで
いや会えることができたとしても
僕はもう自分の家に帰るつもりなどない
ここより先に進むべき場所は無いから
ここが僕の人生の果てなのだから


7月26日(金) 晴れ
牧原さんは美希ちゃんに会わせてくれない。
僕はここ以外に行きようがないのでずっと居着いてた。

「隣の部屋にいるの、お母さんでしょ?僕のこと何も言ってこないけどいいのかな。」
「ああ、それは大丈夫。娘が人殺しだと知ってても警察に言わないような人だから。」
「なるほどね。」
「お風呂とかも勝手に入っていいよ。あのババアお昼は働きに行ってるし。」
「別にいいよ。ところで牧原さんはずっと家にいるの?」
「うん。待ってる人がいたから。けどもう来ないみたい。」
「・・・・早紀のことか。」
「うん。そうそう、そう言えば早紀ね、一度ここに来たらしいのよ。」
「へぇ。それは知らなかった。」
「私も。ババアから聞いて驚いた。まぁあのババアがいつもの調子で追い返しちゃったらしいけどね。」
「そうか。」
「うん。」
「・・・。」
「・・・・・早紀、死んじゃったんだね。」
「ああ。」
「あなたが実家に戻るなってことは予想ついてたの。それは早紀にも教えてあげたけど。」
「よくわかったね。」
「だってネットじゃ大変なことになってるのよ。チェックしてなかったの?」
「ああ。なんかそっちはもうどうでもよくなってね。」
「凄いのよ。どんどん情報が集まってきてて。もう岩本さんの外見とかバレバレよ。ネット、見る?」
「いやいいよ。そうなるとは予想ついてたから。」
「よく外歩けるね。私なら身を潜めちゃう。」
「堂々としてれば意外とバレないもんだよ。と言っても、時間の問題だろうけどね。」
「ここもバレちゃうかな。」
「いずれね。」
「じゃあ私も捕まっちゃうね。」
「このままならね。」
「やだなあ。取り調べとかされるのかな。。」
「されるだろうね。何て答える?」
「えっとねぇ。岡部っちも聡美も殺すつもりはありませんでした。
早紀のパソコンにメーリングリストのページを目立つようにおいて、早紀を誘導しました。
早紀が見事にハマってくれた時は嬉しかったです。この時は誰かを殺すとかそんなこと思ってませんでした。
みんなぐるになってMLで早紀を踊らせるだけでよかったんです。死んだことにするのは私だけでよかったんです。
でも岡部っちは早紀に何か吹き込みそうだったから刺すフリをして何も言うなって脅しました。
あの人は前々からダグラスが私だと気付いてるっぽかったから。ホントに気付いてたかは知らないけど。
でまぁ先生は死んだはずの私が姿を現したらパニクって暴れちゃいました。
夜だったし、叫び声を誰かが聞いたら嫌だなと思ってホントに刺しますよってもう一回脅したんです。
そしたらなんか刺さっちゃってました。暴れたせいで自分から刺さった形になったんだと思います。
聡美もそうです。死んだはずの私が出てきてびっくりしただけなんです。
面白がって追いかけたら橋から落っこっちゃいました。私はちょこっと足をすくっただけです。
あとは知りません。早紀がどう勘違いしようが私には関係ありません。こんな感じ、どう?」
「真面目に答える気ある?」
「うん。私はいつだって大真面目よ。」
「そうか。」
「うん。」
「・・・・。」
「・・・・。」

いつまでここに居れるだろうか。


7月27日(土) 晴れ
僕は待った。
必ず来ると信じてた。
僕にはもう信じて待つことしかできないから。

「ねぇ。いつまでこうしてるつもり?」
「美希ちゃんが来るまでだよ。」
「だからさ。あの子はもう死んじゃったのよ。もうこの世にはいないのよ。いつになったら認められるの?」
「美希ちゃんは死んでない。」
「死んだわよ。私が殺したんだもん。」
「死んでない。」
「・・・まあいいけど。同居人がいてもこっちは全然迷惑じゃないから。いつまでもいていいよ。」
「美希ちゃんが来たら行くよ。」
「行く?どこに?」
「もう決めてるんだ。最後はあそこに戻る。」
「外に出たら捕まっちゃうよ。」
「大丈夫。逃げるから。何が何でもあそこには辿り着く。」
「着いたらどうするの?それこそ逃げ場が無いわよ。」
「着いたらもう逃げる必要なんて無いさ。」
「死ぬつもりなの?」
「うん。だって僕は罪を犯し過ぎた。それに生きる価値のない人間だし。」
「そんなことないよ。死ぬ必要なんてないよ。」
「いや、もう決まってることなんだ。牧原さんはこれからどうするの?」
「私は生きていたいな。外にも出れない不自由な身だけど、それでも生きていたいの。」
「そうか。」
「うん。」
「・・・。」
「一緒に生きようよ。」
「何?」
「醜くったっていいじゃない。願いが叶わなくったっていいじゃない。こうしてここにいるだけで。」
「食事とかは?」
「ババアが勝手に買ってきてくれるよ。」
「お母さんが死んだら?」
「当分平気。そうなったらそうなった時に考える。それまでのんびりと暮らそうよ。」
「何をして過ごすんだよ。」
「テレビもあるしパソコンもある。ネット環境もある。ゲームはババアに言えば買ってきてくれる。」
「外部の人間が来るかもよ。」
「警察?ババアが追い返しちゃうよ。」
「もしお母さんが守ってくれなかったら?」
「ははは。大丈夫。娘を見捨てる親なんていないわよ。だから好き勝手できるよ。なんて、甘い考えかな。」
「甘い。それにとても醜い。」
「そうだよね。わかってる。けどもうどうしようもないの。この環境が私に染み付いて離れないの。」
「だから人を殺しても平気?」
「殺しても平気っていうのはちょっと違うかも。もっと根本的な・・そうね。他人に無関心なの。
自殺しようが、狂おうが、殺されようが私には何の感情も湧いてこない。
ただね。私が思い描いた通りにことが動くと、少し楽しい気分になれる。」
「その思い描いたことってのが人を死に追いやるようなことでも関係無い、と。」
「うん。結果はどうでもいいの。私の思い通りになるその過程が楽しいの。」
「タチが悪いね。」
「そうかな。」
「そうだよ。それに君は頭が良い。だから余計にタチが悪い。」
「頭なんか良くないよ」
「知識があるとかそんな話じゃない。君が他人に無関心なのは人の感情の流れが読めるからだ。
こうすればこの人はこう思うだろうな、こう動くだろうなってことが読めてしまうんだよ。
この人死んじゃうなとか、狂っちゃうなって予想できてれば、いざそうなってもショックは受けない。
全ての出来事が予想の範疇だから刺激が無い。つまらない。だから無関心になる。」
「そうなのかな。あんまそこら辺のこと考えたことないや。」
「僕はそう思う。」
「まぁ別にどうでもいいわ。そうだとしても今更何かが変るわけじゃないし。」
「君は今、あることが予想できてるはずだよ。」
「何?」
「僕が望んでることを知ってる。そして君はそれを実行できるのに、わざとやらない。」
「そうかな。」
「やらないのは、僕を生かせておけるからだ。別に聞かなくてもわかってたんだろ?
僕は願いが叶ったら死ぬだろうってことくらい、予想ついてたんだろう?」
「・・・・。」
「早紀も死に、いよいよ君の手駒は僕だけになった。
ねぇ。ここまで君の望み通りに動いたんだ、最期に・・・最期くらい僕の方の望み通りにしてくれよ。」
「・・・・。」
「・・・・。」
「・・・・少し考えさせてくれる?」

僕は承諾し、また待ち続けた。


7月28日(日) 晴れ
牧原さんが外に出ようと言い出した。

「待ってよ。僕らは追われる身なんだよ?外に出たらいつ捕まってもおかしくない。」
「あら。直に死のうとしてる人の発言とは思えないわね。」
「それは願いをかなえてからだ。ここまで来てそれができないんじゃ・・」
「単なるデートよ、デート。前はあまりできなかったから。」
「だからって何で今ごろ。」
「ねぇ。今でも回りの人は猿に見える?私の顔は鬼に見える?」
「あ、いや、それはもう大丈夫。そう言えばいつからだろう。気付いたらきちんと見えるようになってた。」
「たぶん達成した時からじゃない?処刑人なれた時よ。」
「そうかもしれない。」
「でしょ?だからほら、行こうよ。」
「待て。それとこれとは関係ない。」
「どうでもいいじゃないそんなこと。とにかく遊びに行こうよ。私遊園地なんか行きたいな。子供っぽい?」
「昨日まで部屋に篭ってるだけでも楽しいって言ってたじゃないか。」
「気が変ったの。せっかく晴れてるんだし。」
「気が変ったって・・」
「私いいとこ知ってるのよ。岩本さんの知らない間、奥田さんと結構行ってたんだから。」
「・・・。」
「ジェットコースターとか乗ったらスカっとするよ。あれ、もしかしてお金のこと気にしてる?
大丈夫。ババアの財布からとってきたのが結構あるから。しばらく遊んで暮らせるだけのお金は貯めてあるの。
ここに戻ってこなくても当面は生きていけるくらいね。ほら行くよ。起きて。早く、早く!」

叩き出されるようにして外に出た。
さっそうと歩く牧原さんの後ろを、僕は周囲の目を気にしながらついていった。
外は暑かった。考えてみればもう夏休みだった。
日焼けした子供達が走り回ってる。
電車に乗るとサーファーらしき人たちがボードを抱えておしゃべりしていた。
スーツの上着を脱いだサラリーマンがクーラーの下で気持きよさそうに涼んでる。
僕らのことを気にする人など一人もいなかった。
誰も話し掛けてこない。誰も僕を見ていない。

牧原さんは追われる身であることを忘れるくらい緊張感が無かった。
実際忘れてるのかもしれない。デート中、その話は全くしなかった。
僕も忘れそうになった。これまでの全ての出来事が遠い幻のように思えた。
追われてるなんて僕の勘違いなんだろうか。
夢を見てただけなんだろうか。
こうして遊園地でバカみたいに遊ぶ若者二人。
牧原さんが笑ってはしゃいでる。僕も楽しくて笑ってる。

あれ。僕が笑ってる。
どうして笑ってるんだろう。
どうして笑ってられるんだろう。

夜は近くのホテルに飛び込んだ。
たまたま空いてる部屋があったので即決してそこに泊まることにした。
牧原さんはよほど疲れてたのか、シャワーを浴びたあとすぐにベッドに入って寝てしまった。
僕はシャワーを浴びながら何か思い出そうとした。
けど遊びつかれたせいで何も考えられなかった。
ただ水の流れる音だけが聞こえる。
顔に当たる飛沫が心地よい。
熱い水が肌を刺激する。
水が足元を流れる。

流れる。


第64週