狭間世界 ボクの日記


第十二週「雷鳴」


3月26日(月) アメ
タケシ君に聞かれました。「どう?なんとなくわかってくれたか?」
ボクは首を横に振りました。あんな話だけじゃわからない。第一ボクは深く考えれるようにはできてないんだ。
タケシ君は残念そうに眉をひそめてがっくりとうなだれました。「そうか。やっぱり説明してやらないとダメなのか・・・。」
説明してくれるならその方が楽です。意味不明なカウンセリングや会話のすれ違いはもう嫌です。
ボクの憶測だってどれが正しいのかわかったものじゃない。
いっそのこと教えてよ。何が、どうなってるのか。タケシ君は全部知ってるんでしょ!
この時を随分待ちこがれてた気がします。タケシ君は渋い顔をしてゆっくりと頷きました。
「全部知った後も君が協力してくれるなら、教える。少しずつ話していこう。」
ボクは頷きました。


3月27日(火) ハレ
おじいさんに聞かれて話が中断されないように、ひそひそと話を始めました。
「余計な質問はしないで欲しい。こうして教えるのはもう時間が無いからだ。こんな方法、本当は混乱を招くだけなんだよ。」
タケシ君の前置きは長いです。少しずつなんだから混乱はしないと思います。考える時間はたっぷりある。
「考えると言うより、事実を受け止める時間だよ。」とタケシ君が横から口を挟んできました。
そうかもしれない。とにかく早く教えてよ。散々じらされた後にタケシ君は話し始めました。
「自分ではわからないだろうけど、君の中にはまだアサミは残ってる。俺はそれを解放させたいんだ。」
アサミさんが残ってる?ボクは何も感じないけど。反論しようと思ったけど余計な質問しないって約束を思い出してやめました。
「無意識でやってることって、記憶にないだろ?でも端から見ればそれらの仕草は全てアサミのものなんだ。
トイレの記憶、風呂の記憶、君はあまり覚えてないと思う。
細かいところで結構残ってるんだよ。今日はそこら辺のこと考えてみてくれ。」
言われてみればトイレに行くときの記憶って無い。トイレに入るのは覚えてるけど、気付けば用は済んで部屋に戻ってる。
意識して行ってみたけどダメでした。やっぱり記憶が飛んでしまいます。
別にこれは普通だと思ってたけど。どうもおかしいらしいです。
アサミさんのせいなんでしょうか。


3月28日(水) ハレ
自分の手を見つめると不思議な感じがします。ボクの手だけどボクのじゃない。アサミさんの手。
今日の話はそのアサミさんについてでした。
「アサミの話をしよう。これはそのまま君の誕生につながる。
アサミはとても辛い目にあった。それが何だったかは知らなくていい。とにかく、死にたくなるような地獄を味わった。
その時、アサミは自分の意識を遠のけようと思った。二重人格みたいになればいいと願った。
けどそれはできなかった。願ってなれるものじゃないからね。仕方なく彼女は別の方法、全くの他人になることにした。
私はアサミじゃない。私はアサミじゃない。ひたすらそう思ってたんだろう。思いこむうちにアサミは心の奥に閉じこもっていった。
そして目が覚めた時・・・望み通り、アサミはアサミじゃなくなった。アサミの記憶を失った、新しい自分になっていた。」
ボクは言いました。「それがボクなんだね。」
タケシ君は頷きました。「だからもう一度目覚める前のことを思い出してくれ。あのプールのイメージを。」
干からびたプール。アサミさんの水は消えた。だから隣のプールから水をもらった。
やっぱりこの身体は借り物だったんだ。アサミさんの身体にボクの意識があるだけ。隣のプールからもらった水。
じゃぁ隣のプールには誰の水が・・
タケシ君は照れくさそうにしてそっぽを向きました。「その話は明日にしよう。」
明日にします。


3月29日(木) アメ
あまり話したくなさそうだったけど、タケシ君は渋々今日の分の話をしてくれました。
「アサミは自分を他人と思いこむ時、身近な人の姿を思い浮かべた。君の言う『隣のプール』だ。
よく知ってるその人を自分に投影させたんだ。私はアサミじゃない。私はあの人だ、という感じだったんじゃないかな。
自分はその人だと思いこんだ結果、完全にその人に・・君になってしまったと言うべきかもしれない。」
そんなことができるんだ。自分のコトながらボクは感心してしまいました。
タケシ君は苦笑いしながら話を続けました。そんな表情をするタケシ君は初めて見た気がします。
「たぶんアサミは、その人に憧れを抱いてたんだろうよ。身近にいたその人と同じ様になりたいって思いがあったから
こんな風になってしまったんじゃないかと思う。俺にはそこまでわからないよ。答えは君の心の奥に眠るアサミだけが知ってる。」
その人は誰?間髪入れずに聞きました。ボクの元となってる人は。
無視されました。でもこれは「ずれ」のせいでは無いと思います。
タケシ君はわざとらしく咳払いして「アサミの話はこれくらいにしておこう。」と言って無理に話を終わらせたから。
答えてくれそうにありません。


3月30日(金) クモリ
話は最後の段階に入ったようです。
「散々難しいこと言ってきたけど、やらなきゃいけないことは簡単なんだよ。その身体をアサミに返す。」
それはつまり、ボクに消えろってこと?
タケシ君は目をつぶって考え込んだけど、数秒後には目をあけてハッキリと言いました。
「残酷なようだけど、そう言うことだ。」
消える。ボクが消える。
幻なのはボクの方だった。
記憶が無いのは当たり前。アサミさんはアサミさんで頭のどこかにいるんだから。
ボク自身の記憶はあまり大したものは無い。
タケシ君と一緒にお話したことと、おじいさんに殴られたことと、ご飯を食べたことくらい。
外に出たこともない。悲しい思いはしてないけれど楽しい思いもしていない。
消えてもいいようなことばかり。
けど、だからって。
「いつもまでもそのままではいられない。これだけは確かなんだ。
君が協力してくれなきゃひどいことになる。アサミは無理にでも戻ってくることになるだろう。
そしたらどうなる?君が残ってるのにアサミも出てこようとする。身体にも影響が出るだろうし、正気でいられるわけがない。」
どうしてアサミさんが戻ってくるってわかるの?
タケシ君はとても悲しそうな目をして、絞り出すようにして言いました。
「君の姿を見てれば、嫌でもわかってしまうんだよ。」
ボクは自分の身体を見たけど何もわかりませんでした。
アサミさんのこの身体。ボクのだけどボクのじゃない。
「君に『消えろ』とは言いたくなかった。自分で気付いてくれれば、自然と元に戻ると思ってた。
けど、いつまで経っても君が戻りそうに無いから・・・とにかくじっくり考えてくれ。」
アサミさんに身体を返す覚悟を決めてくれ、ということだね。
ボクが消えればタケシ君も消えてしまうというのに。変なこと言うな。
ボクが作り上げた人格がボクに消えろと言う。そもそもタケシ君がボクの作り上げた幻って考え自体が間違ってたのかな?
不自然なことが多すぎる。なんだか幻じゃなくて、本当に存在してる見たい。
幻はボクの方でボクはアサミさんの作り出した幻でアサミさんは・・?
誰が幻で誰が存在してるのか。ボクにはもうわからなくなってしまいました。
ただ、どうもボクの存在は間違ってるようです。
それだけは感じます。


3月31日(土) クモリ
タケシ君に迫られました。
「もう決意してくれた?」
ボクは何も答えませんでした。顔も上げずに黙ったままでいました。
まだ迷ってました。消えるのは嫌だって気持ちはあります。
けど、自分の存在があやふやになってきた今、このまま生きていけるとも思えません。
タケシ君の協力も得られそうにない。そのタケシ君の存在すらも何なのかわからない。
ハッキリした答えが欲しい。
しびれを切らしたタケシ君が声を上げました。
「頼む。もうこれは君だけの問題じゃないんだ。早くアサミを元に戻してくれ。
君がアサミと話してくれれば徐々に戻れるかもしれない。何もしなければ強制的に消える羽目になるぞ。」
タケシ君の言うことも素直に信じることができない。
かと言ってボクに何が正しいのか判断する力は無い。
アサミさん。あなたのせいだ。答えはあなたが全部知ってるんだ。
「思い出せ。蛇口から水の補給が無ければプールは干からびる。隣から汲んできた水は、ほっといても消えてしまうんだ。
うまく蛇口を治せば、アサミの水は少しずつ補充される。少しずつ君と混じり合っい意識を共有して、いずれアサミだけになる。
けど、このままだと干からびるより酷いことになる。水が暴発するんだ。出たがってるアサミの水が、一気に。
そうなればプールそのものを破壊してしまう。だから今すぐ蛇口の修理をして、アサミの水を出すんだ。」
タケシ君は焦ってるようでしたが、ボクはもっと焦りました。
蛇口の修理を、と言われても何をすればいいのかわかりません。
「感じてくれ。アサミの水がうねるのを。」
そんな抽象的なこと言われてもできるわけありません。
アサミさん。どこにいるんだよ。出てきてどうすればいいか教えてよ。
どこか心の奥底に。いるかもしれない。いないかもしれない。
何かが足りない。あの人のところへ行くのに。
できない。できないよ。タケシ君の言うとおりにできない。
どうすればいい
どうすればいい
どうすれば


4月1日(日) ハレ
一日経っても結局何もできませんでした。
ボクはボクのままだし、アサミさんの存在を感じることはできない。
「ごめんなさい。」ボクは謝りました。
タケシ君は「いいよ。」と寂しそうに笑いました。
「たぶん俺が肝心なことを話してなかったからだ。」
タケシ君がボクの前に座り込み、ボクの両肩を掴んで視線を合わせました。
「アサミには兄がいた。気弱な兄貴でね。ものごとをあまり深く考えない奴だった。」
突然何の話を始めたんだろう。ボクは耳を傾けました。
「アサミが憧れた人ってのは、その兄貴のことだ。アサミは一番身近にいた味方、兄のようになりたいと願った。」
そうだったのか。前からの疑問があっけなく解けてしまいました。
驚きよりも素直に「へぇ」と思いました。
けど話は続きます。
「自分の昔の姿を見てるようでね。照れ臭かったんだよ。」
ちょっと視線を落として片方だけ口元を上げてました。少し間をおいてから視線をボクに戻しました。
もう笑ってない。真剣な顔をして言いました。
「兄の名はタケシ。」
え?
「俺だ。君は俺の過去の姿なんだ。」
タケシ君はボクの反応を伺うようにボクの顔を見つめました。
ボクは一瞬頭が真っ白になってました。けど、彼の言葉を何度か頭で繰り返すウチにようやく意味がわかりました。
嘘だ!思わず叫んでしまいました。おじいさんが来ないかと心配になったけど、幸い声は届いてなかったようです。
ボクは声のトーンを落としてまくしたてました。
そんな。性格が違いすぎるよ。ボクはそんなに頭良くないし強くない。
「変わったからさ。俺の方がね。」
タケシ君はボクの肩をがっちり掴みました。
「いいか。俺は最初、アサミが助けを求めてたのに気付かなかった。
だからあいつは自分の中で助けを求め、俺が助けてくれるのを想像した。想像は膨らみ、膨らみ過ぎて・・君になった。
妹が酷い目にあってたことを知って、俺は変わった。救おうと思った。だがその時はもう、君になっていた。」
君のその仕草、セリフ回し。昔の俺にそっくりだよ。
畜生。なんで俺なんかになろうと思ったんだよ。あんな気弱で、何も考えてない奴に。」
ボクはタケシ君と目を合わせることができませんでした。
「なぁ、アサミは中にいるんだろ?教えてくれよ。なんですぐに言ってくれなかったんだよ。
おいお前。感じるだろ。お前の後に引っ込んでるアサミの存在を。アサミを出して出してくれよ。
頼むから、早く、アサミを出してくれ。お願いだよ!」
タケシ君はボクでボクはタケシ君の昔の姿で今のタケシ君はボクじゃないけどアサミさんの兄でアサミさんはボクで
ボクの中にアサミさんがいてアサミさんの中のボクがタケシ君でタケシ君のアサミさんがボクになってボクは
「早く戻って来るんだ!でないと、でないと・・・!!」
でないと?

突然強烈な痛みが頭を襲いました。
雷が落ちたようにその痛みは一気に全身を駆けめぐりました。
雷鳴がガラガラガラと凄い音を立てて頭の中に響きます。
お腹にビリビリと電撃が走りました。目の前が真っ白になっていく。
お腹が痛い。頭も痛い。全身が痛い。痛い痛い痛い!
タケシ君。どこにいるの?見えない。何も聞こえない。
アサミさん。そこにいるの?これはあなたの仕業?
痛いよ。苦しいよ。助けてよ。
ねぇ。誰か。いないの。

あ、女の子が。


第4章(終章)「夢と現」
 第13週「霧中」