世界 カイザー日記

カイザー日記 Chapter:14「ワタベさん」


11/7 曇り
ワタベさんと会った。とてもとても長い時間、話をした。
その話の全てが重要で、まとめようがない。かといって全部日記に書くと、長くなりすぎる。
でも、日記に書かないままにしておくことはできない。僕自身、あの話の全てを記録に残しておきたいと思ってる。
さてどうしようかと考えてるうちに、いいことを思いついた。
今日のことを何日かにわけて書く。どうせしばらく日記に書くような事なんて起きそうにないんだから。
渡部さんは今日、別れる前に言ってた。
「また会いましょうね。あなたにはここまで来れた『ご褒美』をあげなきゃいけないし。
でも、しばらく待っててね。一週間くらいかな。こっちにも色々整理しなきゃいけない事もあるから。
それまでは、普通の中学生しててよ。都合が良くなったらこっちから連絡するから。」
普通の中学生でいる間は、特に日記に書くことなんて無い。一昨日まででそれは証明されてる。
渡部さんの話全部を間違いなく覚えてるのか自身は無い。けど、その内容は忘れようがない。
ちょっとくらい表現が違ったところで問題は無いか。
そうだ。小説を書くみたいにすればいいんだ。その方がやりやすいかな。
じゃあさっそく今日の分を。さて、何処から書き始めようか・・・・

渡部さんの話@
今日の午後一時、時間ぴったりになるように東横線の改札前に向かった。
階段を上ろうとした矢先に声をかけられた。「カイザー君。」って。渡部さんだった。
とりあえず落ち着いた所で話をしよう、って事になって西口を歩いた。
ちょっと行った所にジョナサンがある、と言うのでそこに行くことに決まった。
ジョナサンに行く最中も少し話を。先に口を開いたのは渡部さんだった。
「どうだった?」といきなり聞いてきた。僕はその一言で、なんとなく把握できた。
渡部さんは、病院にいるのが亮平さんであることを知ってたんだ・・・・。
「僕も死にたくなりましたよ。」と答えた。
「簡単よ。これから自殺しますって書いてメールで送る。後は掲示板に何も書かなきゃいいんだから。」
実にその通り。たったそれだけで、渡部さんは死んだ事になった。
僕はふと思ったことを聞いてみた。「ここがゴールですか?」
「まだ。ゴールはもう少し先よ。」と渡部さん。そして、続けてこう言った。
「でも、ここまでちゃんと来てくれたんだから、何かお礼をしないとね。」
それが、渡部さんは顔を近づけてそう言ってきたから・・・・・・・なんだか・・・・少しドキドキした。
ああ、何を期待してるんだ僕は。
しばらく僕は顔を赤くして黙ってしまった。渡部さんはそんな僕を見て笑ってた。
そうして歩いてると、ジョナサンに着いた。そこで腰を据えて・・・・色々なことを聞いた。
亮平さんの事も。


11/8 雨
今日は特に何も起きなかった。だから昨日の続きを。

11月7日の渡部さんの話A
ジョナサンで適当にお昼ご飯を頼んだ。
「さて、何処から話そうか。何が聞きたい?」と渡部さん。
そうやって改めて言われると、何から聞いていいのかわからない。僕は少しとまどってた。
とりあえず渡部さん自身の事を聞いてみる事にした。
「なんで死んだフリなんかしたんですか?」
後々考えてみると、これは愚問だった。聞くまでもないことだった。
「それはね。死にたくなるほどショックを受けたから。スッパリ手を切りたくなったって言えばいいかな。」
実にその通り。僕も手を切りたくなった。実際、少し離れていたし。
よくよく考えれば分かることだ。それに渡部さんは・・・亮平さんとの関係を考えると・・・・・
僕以上に、「死にたく」なるはず。いじめっ子といじめられッ子。いやそれ以上の・・・
渡部さんは僕が黙ってるのを見ると、喋り始めた。
「彼女、見たでしょ?」
彼女?と思わず聞き返した。「そう、彼女。それとも『彼』と言った方がいい?」
彼女でいいです、と答えた。『彼』と呼ぶにはあまりに痛々しい。人格は女なんだから『彼女』と呼んだ方がいい。
ショックでした。そう言うと渡部さんはくすっと笑った。
そう言えば僕は聞きたいことがあったんだ。亮平さんの事以上に。もっと根本的な問題として。
「何で僕を亮平さんと会わせようとしたんですか?」
渡部さんは僕に「早紀さんを救って。」と言った。それは、亮平さんの所に行け、という意味でもあった。
渡部さんは少し寂しそうな顔をして答えた。「私の立場を察して。」とても痛々しい響きだった。
「ねぇ、私の立場になって考えてみて。もしあなたが私だったら、彼女のあんな姿を見て、正気でいられる?」
僕は答えられなかった。「私はね、耐えられなかった。死んだ事にして手を切ろうとしても・・・忘れられない。」
「あっちは私のことなんか忘れてて『初めまして』なんて挨拶するのよ。私はね、平静を取り繕ってはいたけどね、
心の中ではね、とても・・・・・とても動揺してたのよ。それでね、もうその時には決めてたわ。身を引こうって。」
ふうっと一息ついてから、また喋り始めた。僕が割り込む隙なんか無い。
「けどね、消えないのよ。あの人、笑顔だったのよ。目をつぶると見えるのよ。男なのに。女っぽい笑顔が。
それがね。辛いのよ。ねぇわかる?辛いのよ。どんだけ振り払っても、消えないのよ。私に微笑みかけてるのよ。
逃げ出したい。でも逃げても決して頭から離れない。分かってた。だから。だから。だから・・・・・・。」
渡部さんは僕の目をじっとのぞき込んだ。
「この気持ちを、分かち合える人が欲しかったの。」
目には涙を浮かべてる。「メール、見たでしょ。早紀さんを救って欲しいって。」
僕はゆっくり頷いた。渡部さんの目に溜まった涙はあふれそうだった。消え入りそうな声で、次の言葉が出た。

私を救って欲しかったのよ・・・・・・

僕の目を見る。そして、寂しげな顔から、ゆっくり笑顔に戻して、一言。
カイザー君。来てくれてありがとう。
両目をこすって涙を拭う渡部さん。僕は渡部さんに何も・・・・・・・・言えなかった。
何も・・・・。


11/9 晴れ
話の続き。

11月7日の渡部さんの話B
しばらく僕は何も言えなかったけど、そのままでいるわけにはいかなかった。
「渡部さん。」と僕は思い切って言ってみた。
何?とまだ目に溜まってた涙を拭いながら渡部さんは答えた。
「亮平さんは、死んだんじゃなかったんですか?」
言ってしまった。でも、これだけは聞いておかないと。日記を見た限りでは、あの人は死んでたはずだ。
渡部さんがふっと笑った。ああその事ね、と言わんばかりに。
「死んだことにされてたのよ。親の二人が共謀してね。・・・・2月の話よ。」
なんでそんな事を。僕は反射的にそう言ってしまった。これも愚問だった。
「妹を犯して、そのせいで妹は植物状態になって、さらには無理心中まで計って、・・・・・・それでも死ななくて。」
渡部さんはそこで一旦言葉を区切った。
「自分の息子がそんな事したら、あなたならどうする?」
僕なら・・・殺してしまうかもしれません。そう答えた。愛する娘を汚されたら、息子が相手でも、殺すかもしれない。
「そう。たぶんあの二人もそう考えたはずよ。都合のいい事に、薬のせいで目覚めないままだし。
けどね、状況を考えてみて。妹は少し変になってたけど、生きてる。兄は、目が覚めないまま。
妹が・・・早紀さんが死んでたら、恐らく兄は本当に殺されてたと思うわ。けど妹は生きてる。
最悪の状態ではなかったってワケ。だからと言って、息子の愚行は許せない。そしてなにより・・・・・
世間体ってのがあるでしょ。そんな狂った息子を抱えてるなんて知られたら、たまったもんじゃない。そう考えて。」
だから、世間では「死んだ」ことにしたんですね。僕は口を挟んだ。言わずにはいられなかった。
渡部さんはまた寂しそうな笑顔になった。
「その通りよ。薬を飲みすぎて、死んでしまった。そうゆう事にして、等の本人は目が覚めないまま、病院へ。」
岩本先生が根回ししたんですね。渡部さんはこくん、と頷いた。
「このシナリオは、親が医者だったからこそできた芸当ね。精神病院に勤めていると言っても医者は医者。
ベッド一つくらい難なく用意できたはずよ。こうして岩本亮平は目が覚めないまま、外では死んだ事にされた。」
さて、と言って渡部さんは一息入れた。「ここからが、最もあなたに聞いて欲しい所よ。」
僕はごくん、と唾を飲み込んだ。


11/10 曇り
11月7日の渡部さんの話C
「岩本亮平が、何故今のような状態になったか?そこが肝心。」
そうだ。何故、あの人は自分を早紀さんだと思うようになったんだ?
「それはね、私が『死にたく』なった原因でもあるのよ。」
少し俯き加減になった。
「あまりに、重くて、生々しくて、・・・・・・・狂ってて。私まで死にたくなるほど。」
渡部さんが僕の目をのぞき込む。「ねぇ、この狂ったお話を聞く勇気、ある?」
・・・・・ゆっくりとだけど、僕は頷いた。渡部さんと会うって決めた時に、その覚悟はできている。
「あまりに強烈な現実よ。」構いません。覚悟は出来てます。
渡部さんはこれ以上ないくらい真剣な顔になった。「わかった。じゃあ、聞いて。」
「6月20日。あの日記が終わった日。何が起こったのかはカイザー君も知ってるわね?
でも、その後は知らないでしょ。岩本早紀が自分のお腹を刺して、日記を書き終えて、気を失った。その後よ。
渚さんが部屋に入った。そこで、血塗れの早紀を見つけて、そして・・・・横のパソコンの画面を見た。
想像してみて。そこには、あの日記が写ってたのよ。愛する娘が、お腹を刺した理由が、そこにあったのよ。
渚さんはそれを見て・・・・こう思ったはず。早紀がこんな事になったのは亮平のせい。あいつのせいで早紀が。
日記を見てても分かったでしょ?渚さんは早紀をとても愛してた。けど、亮平に対しては全く反対。
早紀がおかしくなったのは亮平のせい。それは常々感じてたでしょうね。日記を見るまでもなく。
けど、そこで改めてその事を知らされて・・・娘が自分のお腹まで刺して・・・限界を超えちゃったんでしょうね。」
渡部さんはそこまで一気に話した。声が段々と涙声になっていくのがわかった。
「そこで、渚さんが取った行動。それは・・・・・・それは・・・・・・それはね・・・・・・・・・・・・。」
言うのが辛そうだった。僕は「それは?」と言ってその先を促した。
「それはね。諸悪の根元に、同じ目をあわせた。
つまり、寝たっきりの亮平のお腹を刺したのよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
絞るように喋ってた。痛い。この話はあまりに痛々しすぎる。
その話には、さらに痛い続きがあった。


11/11 曇り
11月7日の渡部さんの話D
「岩本亮平は寝たきりのまま、刺された。・・・・・・・・・・・それでも、やっぱり死ななかった。
それどころか、それどころかよ。渚さんにとって、さらに悪い方向に。」
渡部さんは少し震えてた。僕も何故か寒気がしてきた。
「・・・・・・・・・お腹を刺された刺激で、彼は目覚めてしまったのよ!」
背筋に悪寒が走った。僕はすっかり渡部さんの話に聞き入っていた。
「薬の後遺症なのかはわからないけど、彼は目覚めたとき、自分が誰なのかも分からない状態だった。
そこでね・・・・・・ねぇ。渚さんの事を軽蔑しないでね。あの人は娘を愛しすぎていただけ。
その事をようく胸に刻み付けておいて。すべては、愛する娘の為の行動よ。それだけは、覚えておいて。」
わかってます。だから続けて下さい。渡部さんは深いため息をついて、首を何度も何度も横に振って、言った。
「放心状態の彼に向かって・・・・・・渚さんは・・・・・・・・・・・・渚さんは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・ずっと、恨み言を言ってたのよ。早紀があんな事になったのは、アナタのせいだって。」
渡部さんは喋るのも辛そうだった。歯をキリっと食いしばって、目には涙をためて・・・・
「それで、それでね、彼は何度も『早紀』という名前を聞かされて、そのせいで、そのせいで彼は。」
渡部さんの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
それが自分の事だと思ってしまって・・・・・・自分の名をサキだと思いこんでしまったのよ・・・・・・・・・・・。
「彼」が「彼女」になった瞬間だった。
なんて、なんて皮肉な結果なんだろう。妹は自分を兄だと思いこんでて、その次は兄が自分を妹だと・・・
呪われてる。これが呪いじゃなくて何だって言うんだ。虫だ。虫の呪いだ。
虫と呼ばれた亮平さんの呪い。今のあの人は虫じゃない。サキさんだ。「虫」は死んだ。その呪いだ。
「そのあとは、流れるままよ。渚さんはもう抜け殻同然。全てを諦めて、『彼女』に話をあわせるようにしたの。
当の本人は色々理由を付けて父親の病院に移された。こうして父親の監視のもとで、生き続けてるってワケ。」
呪われてる。僕はそう呟いた。
渡部さんも聞こえたのか、すっと顔を上げて僕を見た。
「そう、呪われてる。この呪いからは誰も逃げられない。もし、解放されてるとしたら・・・・それは、死ぬ時・・・ね。」
僕は目をつぶってしばらく頭の中で渡部さんの話を整理した。
ああ、どう考えても呪われてる。「呪い」は便宜的な表現でしかないけど、これ以上良い言い方は思いつけない。
僕も、この呪いの中にいるんだろうか。渡部さんは、呪いの中で一人きりになるのが耐えられず、僕を呼んだ。
そして僕は・・・・・ああ、こうして渡部さんの話を聞いてる時点で、十分巻き込まれてるんだろうな。
僕は知らない間に泣いていた。気付いたら涙があふれてて視界がぼやけてた。
渡部さんも僕が泣いてる事に気付いたらしい。目を拭って彼女を見ると、またあの寂しそうな顔になってた。
少しだけ、笑って。


11/12 雨
11月7日の渡部さんの話E
ジョナサンから出る頃にはすっかり夕方になってた。
渡部さんと一緒に少し横浜をブラブラした。横に歩いてみると、渡部さんはそんなに背が高くない事に気付いた。
横顔を見た。少し化粧をして大人っぽく装ってはいるけど、幼さが抜けきってないかな、なんて思った。
渡部さんもまた、普通の女の子なんだ・・・・・・そんなことを考えてた。
「今日はありがとう。」と言って渡部さんが僕を見た。
「話したらスッキリした。」そうは言っても、渡部さんの表情は相変わらず寂しげだった。
僕は何と言っていいかわからずおどおどしてしまった。渡部さんはクスっと笑った。
「また会いましょうね。あなたにはここまで来れた『ご褒美』をあげなきゃいけないし。
でも、しばらく待っててね。一週間くらいかな。こっちにも色々整理しなきゃいけない事もあるから。
それまでは、普通の中学生しててよ。都合が良くなったらこっちから連絡するから。」
渡部さんがまた僕の目をのぞき込んで『ご褒美』なんて言うもんだから・・・・・
僕は顔が赤くなった。何を期待してるんだ僕は。くだらない妄想が頭から離れない。
僕のそんな姿を楽しんでるのか、いや、あの人がその時何を考えていたのかわからない。
渡部さんは、そんな僕を見て・・・・・またくすっと笑って・・・・・・僕の頬に・・・・そっと・・・唇を・・・・・・
ああもう書いてて恥ずかしい。とにかく渡部さんは僕の頬にキスをした。
それで「続きはまた今度ね。」とか言ってた。
その後は「じゃあね。」と言って別れた。僕も「じゃあ、また。」とか言って手を振った。
僕の顔は真っ赤だった。

本当に何を考えてるんだろう渡部さんは。あれが「ご褒美」のつもりだったのか?
でも「続き」って・・・・・もうわけがわかんないよ。とにかく先週の日曜日にはそんな事があった。
で、渡部さんからの連絡はまだない。
あれからずっと、僕の中ではくだらない妄想ばかり膨らんでた。
くだらないそんなのあるわけないとは思いつつも、想像せずにはいられない。
あんな事言われて期待しない男はいないよ。しかも僕は中学三年で、一番ああいうことに興味ある時期で・・・・
とにかく今は渡部さんからの連絡待ちだ。余計な事は考えるな。
亮平さんが何故「サキ」さんになったのか。その話を聞いた時のショックは何処に行ったんだ。
渚さんの、あまりに痛すぎる行動。真剣に受け止めるべきだ。その上で僕が今何をすればいいのか考えろ。
ああ、でも・・・


カイザー日記15.「終着地」