希望世界 虫の日記

第十九週 「虎視」


5月8日(月) 晴れ
父親は画面を鋭い目線で睨んでいた。
視線がそのままパソコンを突き抜けていそうな勢いだった。
「絶望クロニクル」の存在はこの男にとってもショックだったようだ。
「いつからあるんだこれは。」と愚かな質問をしていた。
そんなの僕が知るわけないじゃないか。僕は黙っていた。
「このシャーリーンってヤツは何者だ?」
今度は僕が答えないのを分かっていたらしく、画面を見据えたまま独り言を言った。
しばらく考えた後、「まさか渡部達の自作自演・・・。」と僕が抱いた疑問と同じ様なことをほざいた。
だからそれもあり得ない。無知な男にその可能性が無いことを延々と聞かせてやった。
過去ログを見てそれに納得したようだった。
も自分のパソコンでじっくり調べてみる。」と捨てゼリフを吐いて鬱女の待つ部屋に戻っていった。
結局何も分からなかったんじゃないか。
父親の焦りように祖父と祖母までもが「どうした何かあったのか。」と狼狽していた。
半開きのドアから顔を覗かせている。お前達には言ってもわからないような話だ。
何も言わずにドアを閉めた。


5月9日(火) 晴れ
今日はとても暑かった。
ネットのコトはもう父親に任せて、僕は部屋にクーラーを効かして寝ていた。
目を瞑るとネットの画面が現れては消え、現れては消える。
「希望の世界」がまず現れた。ここを汚す愚かな奴等は全て消せたと思ってた。
まだ足りなかった。
闇の中で幾つもの目が光り、「希望の世界」を視姦している。
ネットの中に居る限り、奴等から逃れることはできないのか。
消しても、消しても、次から次へとやってくる。
目が集まると「絶望クロニクル」が現れた。そこからこっちを見てやがる。
蛍の様な小さな光が「希望の世界」と「絶望クロニクル」を行き来するイメージが現れた。
ユウイチか。お前は何をしたいんだ。
幾つもの掲示板が現れて文字の羅列が滝のように流れてきた。ざわめく音まで聞こえてくる。
目だけの群衆とユウイチの光が交差する。音も高まった。うるさい。
全員消えてしまえばいいのに。

父親がノートパソコンとにらめっこしてるせいで母親が家をウロウロし始めた。
獣はちゃんと鎖に繋いでおけ。
僕の部屋にまで迷い込んで来たので追い返してやった。
しっしっと手を振ると素直に出ていった。こいつホントに獣だ。
また勝手に入って来られないよう、いつかドアにカギをつけなければ。
それはいつになるんだろう。
ふと思った。


5月10日(水) 晴れ
父親は引きこもり状態になっている。相当ネットにはまっているらしい。
がんばって「絶望クロニクル」の全貌を解明してくれ給え。ユウイチの動向の監視もな。
部屋には母親も一緒にこもってる。ウロウロしないように、とのことらしい。
家の中で動いているのは祖父と祖母。そして僕だけだ。
新しいペットボトルをとりに居間まで行った。
老人二人が何やら相談していた。僕のことを話していた。
「このまま一生外に出ないつもりなんでしょうか。」
「健史が許さないだろう。少なくとも亜佐美は回復したら外には出すようだが。」
「亮平はもう回復しているのでしょう?」
「しかしあの顔じゃぁ。」
「でもこのままではあまりにかわいそうですよ。せっかく心の方は治ったのに。」
「顔を出さずとも今の時代にはインターネットなんてものもあるから。家に居ても友達くらい・・・。」
「実際会うことだってあるでしょうに。」
・・・・・・・・・・・・・
しばらく立ち聞きしたあと、僕はこっそり部屋に戻った。
ペットボトルは後に取りに行った。
部屋に戻ると可笑しさが込み上げてきた。
クックックと声を抑えて笑っていた。二人の会話を思い出すと笑えてくる。
治ってない。治ってなんかないよ。
声が隣の部屋の父親に聞こえないように気を使った。
久々に愉しい思いをした。


5月11日(木) 曇
「俺達どうも勘違いしてたらしいぞ。」と父親から報告があった。
自分のノートパソコンに「絶望クロニクル」を表示させて僕の部屋に入ってきた。
「単純過ぎて気づかなかった。ちょっとこれを見てみろ。」
そう言ってトップページにある「希望の世界」へのリンク文字をクリックした。
カリカリと音が鳴ったあと、画面が切り替わった。
そこは文字だけだった。
「ページが表示されません」
父親の顔を見ると黙って頷き、説明を始めた。
このページは「希望の世界」と「NSC」のネットバトルを記録したものであるらしい。
リンクが切れてるのは「希望の世界」が引っ越した後は、もう追ってないから。
アングラで宣伝されてから、それを見た誰かが作ったものではなかった。
「NSC」の名残とでも言うべきか。
「希望の世界」のページがなくてもネットバトルの様子がわかるよう、掲示板のログ等でうまいことまとめられている。
これはあの頃に作られたと思われる。そしてその後の『希望の世界』の動向を知らないまま、今に至る。
「固ハンの奴とユウイチの話に若干のずれがあってな。それでもしやと思って気づいたんだ。」
なるほど。それでしばらく奴らの会話を張ってたのか。
よくやってくれた。一応の現状はこれで把握できた。
「奴等に今のアドレスをバレないようにしないとな。」
それはわかってるさ。よし。お前は引き続き見張っててくれ。
何か有ったらちゃんと僕に報告しろよ。
僕が言わずとも、奴は自分からそうすると言っていた。
この男、実に使える。


5月12日(金) 雨
下の階で騒ぎ声が聞こえたのこっそり降りてみた。
廊下で居間の会話を立ち聞きした。
ドアのガラス部分から中を覗き見した。
父親と祖母と祖父。三人の間で異様な空気が流れていた。
母親だけが一人ボケっと座り込んでいる。
「何度も言うように、一生このままの状態を続けるワケじゃない。」
「でも当分はこのままなのでしょう?」
「いつになったら自由にさせてやるんだ。」
「あいつが望めば今すぐにでも。」
「じゃぁアナタがお外に連れていってあげたら?」
「ダメだ。亮平が自分で望まないと。」
「亜佐美は連れていってあげてるじゃないか。」
「亜佐美はまだ自分の望みを口できるほど回復しちゃいないから。」
・・・・・・・・・・・
その後は不毛な論争が繰り返されるだけだった。
祖母と祖父は僕が外に出ないことを心配してるらしい。
そしてそれが父親のせいであると。ケケケ。
父親の自嘲気味な笑い方がうつった。
でも笑える。ケケケ。
あの二人は何か勘違いしてる。父親の方は分かっているようだが。
僕は外に出たくないんだ。だから出ないだけなんだよ。
僕は元々お外で元気に遊ぶようには出来ちゃいないんだ。
妄想を現実にするのが僕の仕事。
ケケケ


5月13日(土) 雨
ネットに繋いでると、部屋に祖父がやってきた。
僕は画面を見たままで、祖父のほうに顔を向けなかった。
勝手に祖父の方から話し始めた。
「今日、健史は亜佐美を連れてドライブにでかけてる。」
そう言えば朝から見ないと思った。
最も、僕は部屋からでないので普段も見ないのだが。
「亜佐美は外に連れていってもらうと、喜ぶようになった。」
へぇ。母親がきゃぁきゃぁ騒ぎながら車に乗り込む姿を想像した。
そしてすぐ消えた。僕には関係無い話だ。
「なぁ亮平。」
祖父が僕の横に座り込み、視線を同じ高さにしてきた。
僕の目にはまだ「湖畔専用BBS」が映っている。
「王蟲」が「みんなに会えるような機会が欲しいですね。」と書き込んでいた。
「ロロ・トマシ」が「シャーリーン様が企画しないとダメだろう。でないと誰も来ないさ。」とレスをつけている。
相変わらずウジウジ動いてやがるな。
「お前は外に出たくないのか?」
ユウイチはどうしてるだろう、と思った。
今一番怖いのは、ユウイチが「希望の世界」の現アドレスを奴等にバラすコトだ。
会話が噛み合わなくなったときに漏らす可能性もある。
「希望の世界」へ飛んでみた。掲示板に行くと、前のユウイチの書き込み以外増えてない。
むしろ教える方が自然だと思うが。アドレスを教えないユウイチが不気味だった。
「どうなんだ?亮平。」
僕は祖父の方に顔を向け、ニッコリと笑ってやった。
祖父は顔をしかめた。火傷のせいでよほどおぞましい顔に見えたんだろう。
笑顔のまま祖父を見据えた。じっと見つめてると、祖父は何も言わず部屋から出ていってしまった。
僕はパソコンの画面に目を戻し、ユウイチの言動を心配した。
僕が外に出れば、こいつらみんな死んでくれるのか?
画面の向こうにいる奴等に向かって微笑んだ。
消えろ。


5月14日(日) 晴れ
ネットに接続中、今日は父親が部屋に来た。
僕は画面に映った「絶望クロニクル」の湖畔掲示板を見ていた。
奴等の間でオフ会の話題が上ってる。しかし管理人の「シャ−リーン」が書き込まないので
その話はそれでオシマイだった。つまらない。
「亮平。」
いつもより澄ましたような声が耳に入ってきた。
掲示板を読み続けた。ユウイチはオフ会の話には興味を示していない。
ジャンクの方に行ってみた。少年犯罪のネタで盛り上がっている。
誰かが渡部さんのネタを振るかと思ったが、新しい情報は無かった。
父親が後ろから僕の両肩に手を乗せてきた。
僕の体が少しビクンとした。手の体温が、肩からどんどん伝わってくる。
とても熱い気がした。
「お前の望みは何だ。」
堅い口調で聞いてきた。僕は相変わらず画面を見つめたままだったが、
祖父の時のように笑いはしなかった。頭の中で父親の言葉が響く。
決まってるじゃないか。僕は思った。僕の望みは、あの時から変わらない。
早紀を。早紀の「希望の世界」を汚す奴の抹消。
潰しても潰しても沸いてくるウジ共。
目の前にある石の下を掃除しても、また別の石の下にしっかり居やがる。
僕はパソコンの画面を指さした。
「こいつらを皆殺しに。」
それが僕の望み。見つけたからには、潰さなくては。
父親は「わかった。」と呟き、部屋から去った。
僕の肩にはまだヤツの体温が残って火照ってた。
それからしばらく、僕は画面を睨み続けた。舐めるように見入る。
「ユウイチ」、「D.G」、「ミギワ」、「シス卿」、「紅天女」、「ロロ・トマシ」、「ダチュラ」、「王蟲」、「SEXマシーン」
そして「シャーリーン」。
早紀が創り出したキャラを名乗るのも許せなければ、
「希望の世界」をストーキングしてたコトも許せない。
みんな覚悟しな。
たった今、ヤツがやる気になった。
貴様等も渡部さんや川口や遠藤のように、全てを失うがイイ。
僕の望み通りに。
 シ
 ニ
 ナ


第20週「奈落」