希望世界 虫の日記

第二十週「奈落」


5月15日(月) 雨
父親が本格的に参入した。
母親を傍らに置きながらノートパソコンをいじっている。
僕も自分のパソコンで見てみた。湖畔での話題を適当に読んだ。
前にオフ会の話題が有ったので、それをうまく利用できないかと思った。
なかなか話は進まないが、途切れては無いようだ。
隣の部屋に行き、父親に報告した。
「なるほど。」と頷いた。
「居場所がわかってるユウイチから消そうかと思ったけどな。」
横でボケッとしながら座ってる母親が目障りだった。
「渡部たちが気づいてない今の方が、何も知ない奴等を消しやすいかもしれない。」
それはあるな。ユウイチを先に殺すと、何かの拍子でジャンク辺りにそれがバレることも有り得る。
そうなると奴等も警戒してオフ会などやっても来ないだろう。
渡部さんに知られると返り討ちにされる可能性も。
ユウイチも湖畔の奴等も、僕達の存在を知らない。
少しでも気づかれるとROMの意味が無くなる。「sakkyを守る会」と同じ手法だ。
水面下で行動。今がベスト。
今がヤり時。


5月16日(火) 晴れ
暑苦しくて目が覚めた。
昼頃まで寝ていたが、起きたときには汗がびっしょりになっていた。
得体の知れない不安感を感じた。
頭がスッキリしない。思考がひどく濁ってる。
ペットボトルの水を一口飲むと、少しだけ気分が良くなった。
また横になり、天井を見つめながらこれまでのことを考えてみた。
うまく行き過ぎじゃないか。
何もかもが都合良く進んでる。
ユウイチの登場から湖畔掲示板まで。見事なまでに都合良く現れた。
ユウイチが知らなかったことは、僕等も知らなかった事だ。
奴が質問することで、僕も知りたい情報を得てきた。
そしてたどり着いた「絶望クロニクル」
「希望の世界」をストーキングしていたサイト。実に僕の興味を引きそうじゃないか。
僕は誘導されてきたのだろうか。
湖畔の奴等の名前も、僕が嫌がるのをわかってて?
これらの不自然さを解説するには、自作自演という答えが一番妥当だ。
もしそうならその犯人は渡部さん達だろう。
しかしそれは有り得ない。彼女達はネットに繋げる環境にはいないはず。
それに第一、この膨大な情報量を自作自演するのは不可能だ。
ジャンクに至っては湖畔だけでなく多くの名無しカキコも存在している。
加えて、僕がここを見つけたのはユウイチが現れる前だ。
少なくとも何人かは存在してるはず。一人では無い。
でもこのタイミングの良さは何だ?
この調子だと、オフ会もすぐにでも開かれてしまいそうだ。
話の流れがオフ会開催へと進んでる。
考えすぎだろうか。
運が向いてるときって、こんなもんなのか。
トントン拍子でコトが進む時だってある。そうなのか。
釈然としないまま僕の思考は鈍っていった。
頭が、重い。


5月17日(水) 曇
湖畔掲示板でオフ会が企画された。

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1:10 オフどうよ ■ ▲ ▼

1 名前:ロロ・トマシ
投稿日:2000/05/17(水) 23:17
こうなりゃ俺達だけでもオフ会やるか?
シャーリーンも地下に潜っちまったようだし。

2 名前:王蟲
投稿日:2000/05/17(水) 23:56
いいですね。僕も一度ここのメンバーに会ってみたいです。
いつやりますか?僕はいつでも大丈夫です。暇人なんで(笑

3 名前:SEXマシーン
投稿日:2000/05/18(木) 00:13
オフ会俺も行きたい

4 名前:王蟲
投稿日:2000/05/18(木) 00:21
マジでやりますよね?日程はどうしましょうか。明日ってのはさすが急ですよね・・・

5 名前:ロロ・トマシ
投稿日:2000/05/18(木) 00:35
平日よか土日の方がいいかな。土曜日はどうだ。今週でも構わないぞ。

6 名前:王蟲
投稿日:2000/05/18(木) 00:45
20日ですか?僕は大丈夫ですよ。

7 名前:ミギワ
投稿日:2000/05/18(木) 01:09
あなた達本当に会うの?

8 名前:ロロ・トマシ
投稿日:2000/05/18(木) 01:13
20日な。オッケー。
>ミギワ
俺はいつも本気だぜ?(爆)

9 名前:王蟲
投稿日:2000/05/18(木) 01:24
了解しました。20日が楽しみです。時間と場所はどうしましょうか。
ここのメンバーって確か関東在住が多かったですよね。
やっぱ東京かな?

10 名前:シス卿
投稿日:2000/05/18(木) 02:03
HEY!20日でも急過ぎだ。もちっと時間に融通利かせてくれないか?兄弟!!
********

ウチは僕しか起きてないというのに。こんな夜遅くにも、奴等は元気に活動してる。
そしてとうとうオフ開催が決まった。
奴等はまだ会ったことが無い。僕がROMってるコトも知らない。
オフ会へ潜り込むにはベストの状態だ。確かにベストではある。
話の流れにわざとらしさは感じられないか?タイミング良すぎではないか?
疑って見ると演技の気もするし、素直に見ると本当の気もする。
疑いようはいくらでもある。信ずるに値する根拠も、いくらでも。
昼に寝過ぎたおかげで頭が冴えてしまってる。
眠れそうにない。


5月18日(木) 晴れ
********
1:7 緊急オフ決行 ■ ▲ ▼

1 名前:ロロ・トマシ
投稿日:2000/05/18(木) 02:47
5月20日横浜駅西口東横線改札前に集合。
午後5時ジャスト。暇な奴、来い。

2 名前:SEXマシーン
投稿日:2000/05/18(水) 10:50
急過ぎだっちゅーに。俺は行けない。

3 名前:王蟲
投稿日:2000/05/18(木) 17:02
僕は勿論オッケーです。
やっぱ急過ぎたかな?あんま集まらないかも・・

4 名前:紅天女
投稿日:2000/05/18(木) 18:21
残念!!20日には既に予定が。
また誘ってねー

5 名前:ユウイチ
投稿日:2000/05/17(木) 19:35
僕も予定入ってます。

6 名前:シス卿
投稿日:2000/05/17(木) 19:39
OH!SHIT!俺アウト!!

7 名前:ロロ・トマシ
投稿日:2000/05/17(木) 20:49
このままだと俺と王蟲の二人だけになりそうな予感。
********

「含みのありそうな待ち合わせ場所だな。」と言って、父親はケケケと笑った。
僕が抱いてる不安感を伝えた答えがこれだった。父親はずっと笑っていた。
「なぁ亮平。」
画面を見据えながら、さらにニヤリと笑みを浮かべた。
「もしこれが罠だったとしてもだ。何か問題有るか?」
僕は考えた。もし罠なら、来るのは恐らく渡部さん達だろう。
そして、待ち合わせ場所も単なる偶然の一致で、奴等が本当に何でもないようなヤツなら?
頭の中に、ハッキリと答えが浮かんできた。
そうかそうか。この男の言うとおりだ。
問題、無しだ。
渡部さん達なら返り討ちにするまでだし、知らないヤツでも消すワケだ。
数日悩んだ頭がスッキリ軽くなった気がした。
ユウイチも絶望クロニクルの奴等もどう出ようが関係ない。
この男なら見事に使命を果たしてくれるだろう。
僕もケケケと笑った。
父親もまだケケケと笑っていた。
二人して笑ってると、父親がフと眉をひそめた。
「そう言えば。」
僕は笑うのをやめた。
「ユウイチって名前。どっかで聞いたような気がするんだけどなぁ。」
散々頭をひねっていたが、結局思い出せなかったようだった。
僕には心あたりは無い。
母親がまたウロウロし始めたので話はそれで終わった。
父親はあの女に付き添い、僕は自分の部屋に戻っていつも通り水を飲んで寝転がった。
悩み事が解決したので今日はゆっくり寝れそうだ。
最初からあの男に全てを任せておけば余計な心配せずに済んだんだ。
改めて奴の有能さを認識した。
面倒なことは全て奴がやればいい。
僕はここで寝てるから。


5月19日(金) 曇り
明日に迫ったオフ会。父親が画面を見つめながら何か呟いた。
「このシャーリーンって奴、よっぽど早紀のことが好きなんだな。」
ケケケと笑って「絶望クロニクル」が表示されてる画面をトントンと叩いた。。
確かにそうだ。早紀。sakkyのことを散々付けまわしてこんなページを作った。
その割には「希望の世界」に押し入ってくる様子も無い。
ひっそりとsakkyを観察し、迷惑かけずひっそりと存在し続けている。
確かに、好きじゃなきゃこんなページわざわざ作れないな。
父親がマウスをいじるのを眺めながら、僕はシャーリーンについて考えた。
そもそもこいつは何者なんだろう。
「希望の世界」を汚す者にはかわり無いが、掲示板を見る限りでは存在が確認されてない。
父親がまた笑い声を上げた。
「待ち合わせの目印はベルだってよ。」
ケケケと笑った。僕もケケケと笑った。
「明日が楽しみだ。」と父親が言った。
僕も楽しみだよ。

自分の部屋に戻る前に、いつものようにペットボトルを取りに行った。
冷蔵庫をあさっていると祖母が近づいてきた。
「亮平。」
僕は顔を向けた。
「本当に、健史に任せっきリでいいの?」
僕は眉をひそめて首をかしげた。質問の意味がよくわからなかった。
それを察した祖母は言葉を変えて言いなおした。
「あなたの治療、私たちに手伝えそうな事無い?何か相談したいこととかあれば遠慮無くいって頂戴。」
僕は理解した。祖母は僕のことを心配している。
父親に任せておくと、ますます引き篭もりになるんじゃないかと思ってる。
「大丈夫。」
僕はそれだけ言い残し部屋に戻った。
祖父と祖母は、あの男の強さを知らない。川口の攻撃を軽くあしらったあの光景を知らない。
任せておけばいいんだ。奴は奴なりに僕の心を治療しようとしている。
僕の望み通りに動く、という形で。それくらい僕にも察しがついてるさ。
奴がこんなに動いてくれるは、僕の心を治療する為なんだ。
だから他が心配する必要は無い。父親に十分治療されてるんだから。
効果は無いけどな。
kekeke


5月20日(土)           雨

夜10時過ぎ、車が戻ってくる音が聞こえた。
父親はなかなか家に入ってこなかった。
何をやってるのか少し気になり、僕は車庫へ行った。
車庫の中は裸電球のみで照らされていて薄暗く、少しだけシャッターが開いてるのに気がついた。
車の中も明かりが付いてた。父親の影がゴソゴソ動いていた。
片方のドアは開いており、そこから父親の足が見える。
近づくと父親は僕の存在に気がついた。
「よう。丁度良いときに来てくれた。」
腕まくりをして雑巾を持っていた。バケツにはホースが突っ込んであって水があふれてる。
手招きして「ちょっと手伝ってくれ。」と言った。
父親の肩越しから車の中を除いてみた。

シートに血が飛び散っていた。

雑巾でゴシゴシと血をぬぐっている。
赤黒く染まった雑巾はバケツで洗われ、またシーツをごしごしと。
「これでこっちを拭いてくれ。」
バケツに掛かってたもうひとつの雑巾を僕に渡してきた。
僕はそれを受け取り、開けっぱなしのドアの内側にあてがった。
父親は中に入り込み、せっせとシートを拭ってる。何か洗剤を使ってた。
助手席の方にはノコギリやらナイフのようなものやらが転がっていた。
ドアの内側にも赤い液体が垂れている。所々に髪の毛もこびりついていた。
スっとひと拭きしてやると、雑巾に髪の毛が吸い付いていった。
「雨のせいで泥までついてやがる。」
シートの下には泥で足跡がついている。雑巾でそれを懸命に擦っていた。
ドアを拭き終わりバケツで雑巾を洗っていると、横にトランクと黒いゴミ袋が置いてあるのに気がついた。
僕がそれをしばらく見ていると、「ああ、それか?」と父親の声が聞こえてきた。
「そうそう。あいつら自作自演じゃなかったみたいだぞ。何てことない普通の奴だった。」
トランクから目が離せなくなった。隙間から、血が一筋垂れている。
「けどな。一人しかいなかったんだ。それでまぁとりあえずそいつだけでもってコトで。」
血は地面に伝って、バケツからこぼれた水と混じっていった。
「そのトランクは早紀を運んだヤツとは別モノだから。安心してくれ。」
一息ついた後、父親は再び作業に戻った。
作業をしながら話を続けた。
「ゴミ袋は触らないでくれな。破けるとマズイから」
僕は指先だけでゴミ袋を突いてみた。グニャリとした感触があった。
「トランクに入りきらなかったからさ。余計なのはそっちに移したんだ。」
余計なの?僕は聞き返した。
父親が中からひょっこり顔を出してケケケと笑った。
「足とか頭とか。」
僕は目を見張った。
「参ったよ。死体からも結構血は流れるんだな。そーゆーのってやっぱ時間とかで変わるんだろか。」
僕は黙って首をかしげることしかできなかった。
「おかげでシートが汚れちまったよ。漂白剤で落ちねぇかなぁ。」
父親はまた作業に戻った。
ゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ
音が頭に響いてくる。
僕は目の前にある元人間を眺め続けた。
すると急に、体が震えてきた。
絶えがたい恐怖感が襲ってきた。
父親はそれに気づかずゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシ続けてる。
トランクとゴミ袋。ここに詰まってる。
気持ち悪くなった。そんなはずない。そんなはずない。
僕が恐怖を感じるなんて。そんなはずない。
口の中で何度も呟いた。
穴に落ちていくような妙な気分になった。奈落の底に落ちていくような。
足元にポッカリ穴が空いて、そこからどこまでも果てしなく落ちていく。
僕はわけがわからなくなっていた。
頭のなかでは色んな声、映像、音がグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグル回っていた。
散々回ったかと思えば、すべてがサッと引き、一言だけが響いてきた。
昨日の祖母の声。「本当に、健史に任せっきリでいいの?」
空しく響いて消えていった。
トランクの中から声が聞こえてきそうだった。
ゴミ袋が動きそうだった。
そこから変なオーラが出て僕を包んでいるみたいだった。
思わず叫びそうになるのを口で押さえ、僕はフラフラとその場を離れた。
背後からものすごいプレッシャーを感じて涙まで出てきた。
僕が泣くなんて。
他人の死をこんな近くに感じたことは今までなかった。
荒木さんの時も焼け跡を見ただけだし、川口も目を抉られただけで、生きてはいた。
「希望の世界」を汚すヤツは皆殺しに。
それが僕の望みだ。
皆殺し。ベッドに倒れ込んだときに、この言葉が頭をよぎった。
殺すってことは、誰か死ぬんだ。
血が漏れてたトランクと黒いゴミ袋。
異様なまでのリアリティを感じた。怖いくらいの現実感。
もう戻れない。そう思ったとき、不思議なことに僕はケケケと笑っていた。
「皆殺し。」
口に出して言ってみた。指先にゴミ袋を触ったときのグニャリとした感触が蘇る。
今でも触ってるんじゃないかってくらい鮮明に蘇ってきた。
グニャグニャグニャグニャグニャグニャグニャグニャ
僕はケケケと笑った。無性に笑いたくなっていた。
もう戻れない。


5月21日(日)     晴     れ
父親は車に乗ってトランクとゴミ袋をどこかに捨てに行った。
「ここは小田原だぞ。ちょっと走れば腐るほど山がある。」
なんとかスカイラインだとかに行くと言っていた。
僕は部屋で自分の指を眺めてみた。
もう昨日の感触は残ってない。
散々と意味不明の恐怖におののいた後、急激に醒めていった。
怖さが身体を突き抜けていった感じだった。
それからは特に考えることなど無く、ただボケっと過ごしてた。
ネットに繋いでみる。湖畔掲示板ではいつも通りの会話がなされてた。

「昨日のオフ会どうだった?」
「今度あったら誘ってくれよ!!」
「オフ会レポートキボン」

王蟲とロロ・トマシは書き込んでなかった。
どちらかは死んでる。それが誰だかはどうでも良かった。
ジャンク情報BBSに繋いでみた。
相変わらずどうでもいいような情報が飛び交ってる。
僕はそこに一言書き込んだ。

********
1:1 報告 ■ ▲ ▼

1 名前:処刑人
投稿日:2000/05/21(日) 06:17
誰かが死んだ模様
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書いてみて気が付いた。
二つの掲示板の関係。ああそうか。これは表と裏なんだ。
ジャンクの存在意義がわかった気がした。

処刑人の書き込みはこれからも増え続ける。
しかしその度に膨大な情報量の中に埋もれ、流されていくだろう。
それでいいさ。二つ掲示板の間にある溝をわざわざ埋めてやる必要は無い。
「絶望クロニクル」
うまく構成されている。
シャーリーンが何者なのかはわからないが、有るモノは利用させてもらおうじゃないか。
僕はもう戻れない。僕がやめろと言わない限り、ヤツは突っ走る。
やめろと言うつもりは無い。
突き抜けた恐怖の先には、悟りに近いものがあった。
ネットの向こうにいる「普通の」奴等。
カワイソウニ。ずっとROMってれば狙われなかったのに。
何処かに「見た」証拠を作っちゃいけない。
川口同様、ROMるなら徹底的にROMらなければ巻き込まれる。
残念ながら僕は知ってしまった。
だから僕は、叶えたはずの願いをまた掲げなければならない。
また長くなりそうだ。ユウイチも居るしシャーリーンも居る。
存在が確認される限り、僕は何度でも望む。
あの男が何度でもやってくれる。

早紀を汚すヤツは死ね。


第2部<迎撃編>
 第6章「膜」
 第21週「裏側」