希望世界 続・虫の日記

第三十週「歯車」


7月24日(月) 晴れ
「希望の世界」が消えると、僕の中の早紀まで消えてしまった。
幾ら想像しても、「希望の世界」が消えたという事実がアタマをよぎり、早紀が、出てこない。
早紀の魂が消えてしまった。
二日経ち、ヤツの事も一応の区切りがつくと、いよいよその現実が身に染みてくる。
あれだけ必死に守ってきた早紀の魂。早紀の遺した「希望の世界」。
僕のパソコンでも駄目だった。何度も何度もクリックしても、ページは表示されない。
完全に消えてる。改めてそう思うと、身体がガタガタ震えてきた。
思わず画面にしがみついた。早紀、この中にいた早紀。
出ておいで、早紀。悪い冗談はおよし。
画面を軽く叩いてみた。でも何も変わらない。
それから何度も早紀を呼びかけても、消えたまま。
次第に僕は声を荒げていった。叫んでた。
強烈な寂しさが込み上げてきた。
早紀が、早紀が僕に何も言わすに去ってしまった。
早紀。どうしてだよ早紀。戻ってよ早紀。
涙は自然に流れ出た。考えてみると、今の僕が泣いたのは、これが初めてかもしれない。
それほど、ショックを受けていた。
鼻をすすりながらパソコンに抱きいた。
無機質な文字を写す画面にしがみつき、早紀を想った。
早紀早紀早紀早紀早紀早紀早紀早紀早紀早紀・・・・

祖母が僕の泣き声を聞きつけてきた。
「気持ちは分かるけど、落ち着きなさい。」などとドコか勘違いしてるような事を言ってる。
無視しておいた。
祖母をやり過ごすと、すごい勢いで冷静になってきた。
許さない。ただこの感情だけがフツフツと込み上げる。
早紀の魂を消しやがッた。
これは、許されることじゃない。
パソコンを置き、スッと立ち上がった。
カーテンを開けると、雨降る闇に僕の身体が映し出された。
焼けただれた顔。でも、荒木さんでも通じる・・・女でも通じる顔。
元は、女顔だったんだ。
早紀に似てる。僕の元の顔は早紀に似ている。
顔を窓に近づけ、その顔をじっと見つめる。
早紀だ。ここに映ってるのは早紀なんだ。
その顔と戯れるところを想像する。
アタマの中は段々濁ってきた。
窓の中に吸い込まれた。吸い込まれた奥は水の中のようでとても心地よい。
その異様な気持ちよさと、アタマの濁りの中で、僕は独り言を呟いた。
誰が消したのか知ってるぞ。
水に沈んでいく感覚の中、「ああ。」と思わず声が漏れる。
風見祐一。あいつの日記に書いてあった。
「希望の世界」のパスワードを、お前にメールで送ったんだってな。
いよいよ水の底に着くかという時、誰かが立っていた。
渡部さん。

ホコリまみれの床を見つめていると、笑いが込み上げてきた。
ケケケ
渡部さん。まだ僕らに横槍入れてくるのか。川口を失っても、まだヤル気なのか。
ブチ切れやがって。最後の最後に、とんでもない事しやがった。
ホコリを指でぬぐいながら床に文字を書いた。
闇の向こうで蠢く彼女に、僕からのメッセージ。

しね


7月25日(火) 曇り
渡部さんはわかってない。こっちはいつでも彼女を消せる立場にいることを。
これまで放って置いたのは、露骨に手を出してこなかったからだ。
僕らはここに逃げてきて、つつましく早紀の魂を守り続けてるだけ。
彼女達がこれ以上「希望の世界」に関わってこなければ、それはそれでいいと思ってた。
が、手を出してきた。もう黙ってるわけにはいかない。
渡部さん。今更「何の為にそんな事を?」等と愚劣な質問はしないよ。
僕らは「早紀の魂を守る」という崇高な目的で動いていたけど、
君ら俗物にはそんな立派なモノは無いだろう。
僕が荒木さんになったのも、別に渡部さんを殺すのが最終目的では無かった。
「希望の世界」から遠ざかってくれれば良かった。
その最も有効な手段が消すことだっただけの話。
運良く生き延びたのなら、大人しくそのまま引き下がってれば良かったのに。
もう駄目。許さない。
早紀の魂を消した罪は重い。
渡部さんは色々失った。弟も失ったし、川口も失った。
それだけじゃ足りない。もっともっと失って貰わなきゃ。
彼女を絶望の淵に立たせる方法を考えてると、楽しくなってきた。
何をしようか。ヤツがやったように、放火の件で警察に・・・いやいや、ご両親に事細かく説明してやろうか。
そんなんじゃもはや動じないか?もっと酷い仕打ちも考えよう。
やっぱり本人に対する直接の拷問?
どうしてくれよう。

早紀が出てこない今、渡部さんへの制裁を想像するのは自然の流れだった。
部屋でどうしてやろうかと考え込んでると、部屋の外では例のガイキチの泣き声が響いてきた。
祖母と祖父が二人がかりで説得してるのが聞こえる。
「健史はもういないんだよ。ほら、お前の好きなパソコンだよ。一人でお遊び・・・。」
オマエラが遊び相手をしてやりゃいいだろう。そう思った。
母親はわぁわぁ騒いで全然泣きやまなかったのでうるさかった。
多少胸の痛みを覚えたのは何かの間違いだろう。
気にせず頭の中で渡部さんへの攻撃を続けた。
ケケケと笑いながら制裁。
終わると違う笑い方になっていた。

ウフフ


7月26日(水) 曇り
ヤツの「葬式」が行われた。
僕は行かなかった。そんなダルい事などしたくない。
「ついでに」と早紀も正式に葬ることになった。
早紀と離れたくなかった。断固として反対したが、無理矢理持っていってしまった。
祖父と祖母は、きちんとしてやらないとカワイソウだ等とぬかし、今回ばかりは僕の言うことを聞かなかった。
一通りの言い争いだけで、結局僕はそれ以上突っかからなかった。
早紀の髪だけは、こっそり保存してあるから。
必要以上に争ってこれまで失いたくは無い。
焼けてボロボロになってる髪の中に数本、無傷の髪の毛が混じってる。
僕のタカラモノ。
僕の早紀。

家が少しドタバタしたけど、皆外に行ってしまうと僕は一人になった。
ガイキチ女も連れて行かれた。おかげで家の中がしんとしてる。
僕も誘われたけど「外に行きたくない。顔の傷を見られるから。」と言ったら無理強いをしなくなった。
一人になって、ヤツが燃やされるところを想像した。
早紀の時と違って、もっとしっかり、完全に灰になるまで焼かれるだろう。
残るのは、骨だけか。
僕はケケケと笑った。祖父も祖母も悪いヤツだ。
ヤツは刺されて死んだ。立派な殺人だ。
けどヤツ自身の殺人行為を隠蔽する為に、こっそり死体を始末しちまった。
非合法なら非合法なりに、ゴミで捨てられるとかロクでもない処理をされるべきなのに。
自分たちの息子だけ、「きとんと」処理するなんて!
単なる傍観者だと思ってたけど、自分たちに関わることだけはキッチリこなす。
良くない事だと黙って見てるだけ。いや、見ないフリ。
そんな事も自覚せず、今頃ヤツの骨をつまんでオイオイ泣いてることだろう。
偽善者め。

明日まで帰ってこない。静まり返ってる。
渡部さんは今どこにいるのか。そんなことを考えた。
川口家にいたことはヤツから聞いたが、それ以降は不明。
もしかしたらまだ川口家に居着いてるかもしれない。
嫌がらせに電話してやった。
電話には、誰も出なかった。虚しい呼び出し音が何時までもなっている。
いるんだろう?僕は話しかけた。受話器の向こうには、電話を睨み付ける渡部さん。
いるはすだ。弟まで殺されたんだ。どの面下げて家に帰れると言うんだ。
渡部さん、返事をしておくれよ。
無機質な音が響き続ける。川口の弟でもいい。誰か出ろ。
いくら語りかけても出ない。受話器を叩きつけた。
あの女、無視しやがった。

お仕置きが愉しみだ。


7月27日(木) 晴れ
三人が戻ってきた。
ガイキチ女はノートパソコン持たせてたので大人しかったらしい。
帰ってきてすぐは少し騒々しかった。
家にヤツがいるとでも思ったのらしく、ピィピィ騒いでた。
祖母が抱えてる白い風呂敷に包まれた箱の中に、探し人はいるのに。
出かけたのも、何をしてきたのかなんて理解してないだろう。
祖父も箱を抱えてた。それが誰なのか、直感で分かった。
早紀。
白い風呂敷に包まれた箱が二つ。なんともあっけなく収まったモンだ。
すぐにでも墓に入れるらしい。家に置いておこうなんて発想は無い。
あの偽善者どもは、世間と同じ事をするのが幸せだと思ってやがる。
早紀が墓に入るのを望んでると思うか?
望むわけない。早紀が望んでるのは、僕と一緒にいることだ。
骨は僕のベッドに置いておくべきだ。毎晩一緒に寝てあげる。
僕がその事を提案すると、奴等は必死に反対した。
「普通はお墓にいれてあげるものだから。」
普通じゃない死に方をしても、普通に葬るのが幸せだと言う。
愚かだ。
結局ここでも僕は引き下がった。

二つの箱。見てると変な気分になる。
早紀の肉体を失った時、散々泣いたから今更涙は出てこない。
しかしもう片方・・・ヤツは、先週まで生きていた。
動いてたし、話もした。肉もあった。
なのに今ではこんな・・・
そう思うと、急激に恐ろしい感情に襲われた。
それが何だか分かってる。でも僕は認めなかった。
気を抜くと涙が出そうになる。こらえた。必死にこらえた。
認めない。僕が、そんな事を思うなんて、認めない。
溢れそうになるのを押さえ、違うモノでどんどん上塗りしていった。
渡部さん渡部さん渡部さん渡部さんのことを考えよう渡部さんをどうするか考えよう
渡部さんでアタマを染めると、急激に楽になった。
落ち着いた。収まると、もうカケラも変な感情は出てこなかった。
普段と同じ僕に戻ってた。
いつもの僕。早紀と戯れてた僕。渡部さんを陵辱する僕。ケケケ
異常な僕。

明日は渡部さんの家に電話しようと思う。
ただ電話するだけじゃツマラナイ。ちょっと趣向を懲らそう。
どうせ始めに出るのは親だから、「普通」なのを。
クラス会のお誘いなんてどうだろう。
ある意味クラス会でもある。二人っきりの、同窓会。
同じクラスだった頃の記憶がないのが悔しい。
さぞかし楽しいクラス会になるだろう。
誘いに乗ってくれるかな?ケケケ。強制同窓会。
嫌でも行ってあげる。
残った二人で、愉しもう。

ラストダンスを踊ろうよ。


7月28日(金) 曇り
プルルルル プルルルル ガチャ

「はい、渡部ですが。」
「もしもし、美希さんいらっしゃいますか。」
「ええ。どちら様でしょう。」
「・・・居るんですか。」
「え?はい。美希ですよね。いますよ。」
「僕、高校で一緒だった岩本と言います。クラス会の件でお電話を・・・。」
「はーい。少々お待ち下さい。」

美希ー岩本君って人から電話よ
岩本君?うん今行く
クラス会の件だって言ってたけど
へぇ、クラス会やるんだぁ あ、お母さん。子機に回してくれる?
はいはい

チャリラリラリチャララン ピッ

「もしもしー岩本君?久しぶりー。なんかクラス会やるんだって?」
「・・・渡部さん?」
「うん。渡部よ。岩本君から電話あるなんて意外だなー。連絡網?」
「何とぼけてるんだ。」
「え?何?とぼけてるって・・・・・何が?」
「希望の世界を消しただろう。」
「世界を消した?あの、岩本君。言ってる意味がよくわからないんだけど・・・。」
「・・・なるほど。シラを切る気か。」
「ちょっと岩本君、ふざけてるの?クラス会はどうしたの?」
「川口はどうした?捨てたのか?」
「ねぇ何言ってるの。川口ってあの川口君?捨てたってどうゆう意味?別に付き合ってないよ。」
「死体は捨てたのかと聞いてるんだよ。」
「岩本君、イタズラはやめてくれない?死体なんて言わないで。川口君は普通に浪人生やってるはずでしょ。」
「マジメに答えろ。」
「いい加減にしてくれないと怒るわよ。私も浪人だからストレス溜まるの分かるけど、イタズラは駄目よ。」
「荒木さんを燃やしたのはどうするつもりだ。」
「ソレ笑えないよ。荒ちゃんちに不幸があったのは知ってる。岩本君、その頃には学校来てなかったよね。」
「放火魔め。」
「放火魔?うん。そんな噂もあったね。結局デマだったけど。単なる火の不始末なんだってね。」
「お前が燃やした・・・。」
「冗談はもうやめて!私だって親友の不幸に胸を痛めてるんだから。不謹慎よ!」
「・・・・。」
「ねぇ。クラス会ってのは嘘なの?イタズラでやってるだけなの?」
「・・・・。」
「答えてよ。ちゃんと説明してくれなきゃわからないわよ。」
「・・・・。」
「私だって、いきなり登校拒否だったコから電話来て戸惑ってるのよ。」
「・・・・。」
「ねぇどうなの?クラス会は本当なの?」
「・・・・。」
「お願い、岩本君。何か言って・・・。」
「僕は虫だ。」

ガチャン

渡部さん。
僕は騙されないぞ。


7月29日(土) 晴れ
彼女の狸芝居など周りから崩していけばいい。そう思った。
川口が浪人生やってる。と言うことは、まだ生きてるとって事だ。
そんな事はありえない。だから川口家に電話して確認してやった。

川口は居た。

「もしもし。川口ですけど。」
「・・・豊君いますか。」
「ああ、俺です。」
「・・・・。」
「もしもし。ドナタですか。」
「本当にユタカ君ですか。」
「俺です。」
「・・・・。」
「ドナタですか。」
「・・・・。」
「んだよ。イタズラかよ。」

プツリ
ツーツーツー

名乗るべきだと思い直した。
名前を出せば何かしらのリアクションがあるはず。
そうだ。弟もいるんだった。もしかしたら今のは弟の方なのかもしれない。
渡部さんと一芝居打ってるんだ。
そんなの少し話し込めばすぐにボロが出てくるさ。ケケケ
もう一回電話した。

プルルルル プルルルル プルルルル ガチャン

「もしもし。川口ですけど。」
「岩本です。川口ユタカは居ますか。」
「ああ、俺です。」
「・・・・・・岩本亮平、この名前を知ってるだろう」
「ドナタですか。」
「・・・・。」
「もしもし?」
「お前は弟か?ヘタな芝居はよせ。僕には分かってるんだ。渡部さんと口裏あわせて僕をハメようと。」
「イタズラかよ。」

ブツリ
ツーツーツー

それから何度も電話し直したが、もう誰も出なかった。
今日はそれ以上何もしなかった。
緊急作戦会議。奴等の陰謀をどう暴くか。
まだだ。もっと現実を突きつけてやらなければ。
騙されるな。チャチな嘘などすぐにバレる。
落ち着いて攻めれば崩すことなどカンタン。
・・・川口、実は生きてたとか?ヤツが殺し損ねてたとか。
え、でもあの態度は?僕のことを知らない等と。
いや、芝居だアレは。全部芝居だ。
では弟の可能性は?いや待て、そもそも渡部さんの母親も普通にしてたし
渡部さん放火魔は間違い?でも荒木さんが燃えたのは事実らしい、と、そうなると
ん?あれ?待て、落ち着け。僕が登校拒否児?
違う。僕は毎晩渡部さんを陵辱して愉しむ虫だ。
ほら今日だって。僕が顔を近づけたときの渡部さんの怯えよう。
渡部さんの恐怖に引きつる顔、タマラナイ。
ソソる、はず、なのに、

萎えた。


7月30日(日) 晴れ
恐ろしい事実に気付いた。
僕には、友達がいない。
知り合いすらもいない。
いや、いたことはいた。
渡部さん。考えてみると、学校に行ってた頃からの知り合いは渡部さんだけだ。
ある意味川口も知り合いだった。その弟も。
他は、ネットで知り合った奴等は、皆マトモな状態じゃない。
風見祐一は死んだ。遠藤智久は狂った。他には・・・ああ、僕の母親・岩本亜佐美も狂ってる!
会ってない奴でも、何人かは死んだはず。今更確認のしようが無い。
話したい。ネットのこと。渡部さんのこと。早紀のこと。
誰も話せる相手がいない。
唯一の相手、父親・岩本健史は死んだ。
渡部さんには、全て知らないフリをされている。

本当に渡部さんの罠なんだろうか。
全ては僕の夢だった、なんてオチは。
・・・・バカな。そんな事、あってたまるか!
罠だよ。罠。絶対罠だ。
でもその罠を暴くには、奴等に真実を認めさせなければならない
奴等が認めなくてもいい。誰か。僕以外の誰かが、これまでの事実を認めてくれればいいんだ。
僕の記憶は確かだ。間違いない。けど、その記憶を否定されたら・・・!!
酷い。事実がかき消される。誰にも知られない様に生きてきたのが仇になった。
僕の存在が否定される。
祖母と祖父。珍しく僕から話しかけた。
ヤツがネットで何をやってたか。家にいないとき、ドコに出かけてたのか。
今もっとも身近な他人に聞いてみた。ヤツの行動が現実にあった事を確認するだけでも、少しは楽になる。
と考えたのは浅はかだった。
「コンピューターの事はよくわからないから。」
「単なるドライブだって言ってたけど。」
非道い答えだ。

風見家の場所はわからない。遠藤が入院してる場所など覚えてない。
どちらも、知ってたのはヤツだけだった。
渡部家か川口家、どっちかに乗り込んでやるか。いや、でもそこで更に否定されたらどうする?
想像が付く。白々しく「どうしたのその顔?」とか言って。
弟に会わせろと言ったらどうなるか。決まってる。なんで会わせなきゃいけないの、と。
いくら頑張っても変人扱いでオシマイ。
川口家に行ったら?
怖い。川口が本当に居たら・・・!!
僕だけが噛み合わない歯車なのか。

母親の胸ぐらを掴んで何度もさすった。「早紀の死体を発見したとき、渡部さんも居たんだろ?」
わぁわぁ泣くだけで答えてはくれなかった。次第に嫌な気持ちになってきたので手を離した。
ヤツの骨。早紀の骨。もう家には無かった。
早紀の髪。それだけが、今の僕を支えてた。ついさっきまで。
祖母に捨てられてた。

怒ることを忘れ、ただ呆然としていた。


第31週「撃破」