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序章

第1章 「朝と夜」
 第1週 起床
 第2週 挨拶
 第3週 洗顔
 第4週 朝食

第2章 「動と静」
 第5週 音色
 第6週 景観
 第7週 思考
 第8週 吐息

第3章 「光と影」
 第9週 暗影
 第10週 遮光
 第11週 黒雲
 第12週 雷鳴

第4章(終章) 「夢と現」
 第13週 霧中
 第14週 終局
 第15週 夢幻
 最終週 解放






最終週 「解放」


4月23日(月) 晴れ

私が目を覚ました時、いかつい顔をした老人が私の顔を覗き込んでいました。
それが実の父の顔であることを思い出すのにはさほど時間はかかりませんでした。
どれだけ老けても忘れることはできません。
父の様子は明らかに変でした。首に手を当てて恐れるような目で私を見ます。
私と目が合うと驚いたような顔をして、逃げるように部屋から出ていってしまいました。
目が覚めたばかりの私にはなぜそんなことをしたのかわかりませんでした。
それどころか自分が今どこにいるのか、何をしてたのかさえもわからない状態です。
ただ、とても深い眠りについていたのだとは感じていました。
布団から上半身だけ起こして額を押さえていると母がやってきました。
母も老けていたけど、顔を忘れることはありません。
「亜佐美、目が覚めたの?昨日のことは覚えてる?」
昨日のこと・・・?私は考えを巡らせましたがまだ頭がぼやけてて何も思い出せませんでした。
「覚えてない」と答えると母は「そう。ならいいわ」と言って父と同じようにすぐに部屋から出ていってしまいました。
一人になった私は再び布団に身体を横たえ、状況を把握するためにしばらく考え込みました。
頭がハッキリしていくにつれ、色々な場面の記憶が花火の様にパッと光って現れてきました。
いくつもの花火が上がり、それらを繋げてみると徐々に失っていた記憶が戻ってきました。
しかしどの記憶も私が家族を失った瞬間ばかりのものです。
亮平。亮平が手を振って私を見送っている。
早紀。私の腕の中で静かに眠ってる。
そして私の兄にして夫。健史さん。やせ細り、とても悲しい顔をして・・・なぜか私は怖がってる。
思い出しました。これまでどんな状況だったのか。
私は、狂ってた。



4月24日(火) 曇り

この家になぜいるのか。そこまで記憶は戻りました。今では全てが理解できます。
早紀の死から始まった狂気の人生。大勢の人を傷つけ、大切な人も失ってしまいました。
いや、きっかけはもっと前だったのかもしれません。
亮平を刺してしまった時から?インターネットを始めた時から?
いや、兄と共にこの家を出た時から?
あれだけここには二度と戻らないと誓ったのに。運命は皮肉なものです。
不思議と悲しさは感じません。あまりに悲惨なことが多すぎて、悲しみの感情が麻痺してしまったのかもしれません。
自分のせいで兄を・・夫を失ったというのに、涙が出てきません。
私の感情は狂気の人生の中で枯れ果ててしまったんでしょう。
思い出す記憶のほとんどが恐ろしいものであっても全く驚きませんでした。淡々と受け止めています。
私が作ったホームページも今なら冷静に見ることができそうですが、この家にはパソコンがないので諦めました。
子供達にはかわいそうなことをしてしまいました。
私がしっかりしてなかったばっかりに、早紀は死に、亮平は・・
亮平が死んだ記憶はありません。手を振って別れを告げてるところだけです。
今でも生きてるのでしょうか?小田原の家にまだいるのでしょうか?
確認することはできませんが生きていたら無事でいて欲しいものです。
あれだけ家族を不幸にした私には、もう息子に会う権利など無いから。ただ無事を祈るだけです。
亮平と別れるところまではハッキリと思い出したんですが、この家に来てからの記憶がどうもぼやけています。
それまでの狂気とは少し違う。嫌な思い出が詰まったこの家に戻り、私の狂気は加速した。
もはや私は私でなくなり、この身体は別の人のものとなった。
私はその間ずっと暗闇の奥から彼の姿を見つめていました。
彼の行動、彼の感情。全てがわかっていました。
この身を彼に預け、私は奥に引っ込んでしまったんです。
ただ、どうしてもわからないことがまだいくつか残ってます。
なぜ私は正気に戻ったのか?あのまま彼にまかせっきりでも良かったのに。
何か重大なことを忘れている気がします。
彼が求めていた答え。私は知っているはずなのに。
私が身代わりを産み出すのに至った決定的な出来事。何かあったはず。
思い出せない。



4月25日(水) 雨

母は変わらずにご飯を届けてくれます。私は何も言わずに平らげました。
しばらくはこのままギクシャクとしか状態が続くでしょう。あんなことがあった後では仕方有りません。
彼が父の首を絞めたのはもう思い出してます。そして目覚めた母に止められたことも。
その時にはもう彼は消えていました。私の目は覚めてたけど身体を動かすことまではできなかった。
部屋に連れ戻され、再び眠りについた。次の日の朝に本格的に目が覚めたんです。
彼が父の首を絞めた理由は実によくわかります。私の中の憎しみが彼を産み出したんでしょう。
それはわかってるんですが、まだ釈然としないものがあります。
タケシ君。あの人は一体なんだったのか。
重大なことを忘れてる。もう少しで思い出せそうなのに、喉元で止まってしまいます。
ここ数ヶ月のことをゆっくり思い出してみました。
彼が最初に目が覚めた時は、まだ彼自身も完全に形作られてはいなかった。
その証拠にタケシ君はまだ中学生の制服を着ていました。
一度高熱にうなされて、そこから目が覚めた時にやっと私の身代わりとなった。
彼を作り上げた時のことは漠然と覚えています。それはあのタケシ君が言ったとおりでした。
あの人のようになりたい。ただそう思っただけです。
当時の健史さんは両親の私に対する虐待には気付いてませんでしたが
私が何かおかしくなってることには気にかけてくれてました。
私は本当のことが言えずに黙ってただけでしたが、気遣ってくれるその優しさには憧れを感じていました。
何も知らないことがどれだけうらやましかったか。
そうして自分の変化に目をそらし続けてるうちに私は奥に閉じこもってしまったのでした。
あとには憧れてた人をコピーしたものを残して。

・・少しおかしい気がします。
私は一体いつのことを思い出してるんでしょう?
それに、あの人が変わったきっかけが何だったのかも気になります。
両親が話すとも思えません。私は自分のことを絶対話さなかった。
ならどうやって私が虐待を受けてたことを知ったのか?
いや、本当に私は話さなかった?どこかで話した記憶も・・
ああ。思い出せそうなのに思い出せません。
私の身代わりとタケシ君の噛み合わない会話。
その中に答えがある。それはしっかりと感じるのに。
私が正気に戻らざるを得なかった理由も。なぜ会話が噛み合ってなかったのかも。
全てを説明できる明確な答えがあるのに。
この身体に、何かが。



4月26日(木) 曇り

彼の行動を思い出して家の中をめぐりました。
父と母は私の行動にはチラっと目をやるだけで何も言ってきませんでした。
まず鏡を見ました。そこに映ってるのは間違いなく私です。
手も足も随分やせ細ってしまいましたが、長年なじんだ私の身体。
外に出ようとしました。もう気持ち悪くはなりません。
ドアを開けて2,3歩出てみても頭痛は襲ってきませんでした。
古い家が建ち並ぶ住宅街は相変わらずで、私の子供の頃とあまり変わっていません。
懐かしさは込み上げてこず、昔を思い出しても悲しい気持ちにもならず、
私にはもう感情が無くなってしまったんだと改めて認識しました。
家の中を歩いても新しい発見はありませんでした。
高熱でうなされる前はほとんどこの部屋でタケシ君と「カウンセリング」をしてた。
今考えるとあれはそんな立派なものでなく、単なる会話でしか有りません。
けどあの人は自分なりに必死に考えてやってくれてたんでした。
幼い私を救うために・・時間がせまってて・・・何の時間が・・・?
思い出しそうになったのにまた引っ込んでしまいました。
突然の腹痛に倒れてからはもう起きあがることすらできなかった。
ペットボトルはまだ布団の横に転がってます。タンスのなかには母が洗濯してくれた服が綺麗に折り畳んであります。
今でこそこうして動き回れますが、あの時はタケシ君が必死に看病してくれてました。
うろたえる母と怒鳴る父にタケシ君は必死に闘ってくれて、私はそれを横で聞いていて・・・
・・・そんな記憶あったでしょうか?
どうも切れ切れとおかしな場面が頭に浮かんできます。
タケシ君は父を殴ろうとした。でも・・・殴り返された・・・?
ペットボトルは母が持ってきてた・・いや・・タケシ君が・・・
意味がわからなくなってきました。
心の奥で私が身代わりと会話した。それはハッキリ覚えてる。
私はどうしても外に出なければならなかったけど、表に出るのは嫌だった。
彼は自分の使命を感じとり、行動に移してくれた。タケシ君と一緒に・・・?
そして機会を狙う前に・・彼は自分の名前を残そうと・・して・・身体が動かなくて・・・
違う・・・自分の名前を残したいと言ったら・・タケシ君が身体を支えてくれて・・・起きあがって・・

私は思わず机の裏を覗き込みました。
そこにはカッターで削られたような古い文字が刻み込まれてました。
「ケンジ」
それを見た時、大量の記憶が一気に頭の中に流れ込んできました。
全てのシーンが繋がって目の前を駆けめぐります。
私のたどった人生が走馬燈の様に・・ああ・・・
蘇ってくる・・・!!



4月27日(金) 晴れ

目をつぶると幼い頃の記憶が今のことのように蘇ってきます。
父に連れられて行った見知らぬ人の家。
頭を下げて分厚い封筒を受け取る父。父はそれで帰ってしまう。
残された私は見知らぬおじさんに身体をいじり回される。
父の名を叫んでも誰も助けには来ない。身体に激痛が走る。気を失う私。
迎えに来てくれたのは母だった。母に酷い目に会わされたことを報告するとなぜか怒られた。
「このことは誰にも言っちゃいけません」
私は外に出るのが怖くなった。またあのおじさんの家に連れて行かれるのが嫌だった。
父は無理矢理連れ出そうとしたけど、母が止めてくれた。
「無理に連れていくとこの子外でわめき散らすかもしれないわよ」
誰にも言わないのに。私はちゃんと約束を守るよ。
お母さん、私を信用してくれてないんだ。
父は私を外に連れ出すのを諦めたけど、逆にもっと嫌な目にあわされた。
「言うこと聞かないお仕置き」と称して、あのおじさんと同じことをした。
それから何度か、同じことをされた。
いつも家に二人きりになった時だった。母が兄を連れて外に出ていった時は、必ず。
そして私は妊娠した。
兆候を感じて私はこっそりと病院へ行くとその事実を告げられた。
その時から私はおかしくなりはじめた。
何も知らない兄に助けを求めようとした。でも言えなかった。
だから私は自分の世界に閉じこもり、身代わりを立てた。
兄を誘惑したのはこの頃だったかもしれません。
父と、父に連れて行かれた見知らぬおじさんから酷い目にあわされたことを告げて・・
見知らぬおじさんは複数ということにして話を少し大げさにして・・あの人に身を寄せた。
そうして彼と直接関係を持つことで、私の中で「ケンジ君」が完全なものとなった。
ケンジ君に後を任せると、兄は私を救うことを考えた。
妊娠してたことはお腹が膨らみ初めてから気付いたのかも知れません。
お腹の中で子供が育つにつれて、私はせっかく閉じこもったのに再び表にでなければならなくなった。
男の「ケンジ君」には子供が産めない。だから私が。でも私は表に出るのを拒否した。
兄は私が「ケンジ君」のまま出産を行ったら精神が崩壊すると思って、私を元に戻すのに必死になった。
時間がない。まさに兄の言ったとおりでした。
腹痛と頭痛に悩まされた頃、兄の心配をよそに「ケンジ君」は自ら自分の使命に気付いた。
かつて兄が誘ってくれたこと。両親を消す。
身重のまま兄と共に実行に移したけどそれは失敗に終わった。
首を絞めたものの父は途中で目覚めてしまい、私は突き飛ばされ、兄は殴られた。
父の首を絞めた時点で「ケンジ君」は消えてしまっていた。
私は戻っていた。出産のために。
突き飛ばされて倒れ込んだと同時に陣痛が始まった。
兄が何か叫びながら私を風呂場に連れていく。母がやってきて兄を追い出す。
母が泣きながら何度も謝ってたけど、私ずっと「許せない」と思ってた。
出産。
それからしばらく私は寝かされたままだった。
父と母と兄の3人が生まれた子供をどうするか話し合ってたのは覚えてる。
話し合いというより怒鳴り合い。たびたび殴り合う音も聞こえてた。
私が動けるようになるまで回復したある日、兄が真っ赤に染まった手をタオルで拭きながら部屋に入ってきた。
大きなリュックを背負い、赤ん坊を抱き上げ、寝ていた私に言った。
「さあ亜佐実、目を覚ませ。一緒に行こう。この子と共に。」
雨の中、私たちは逃げ出した。
「お兄ちゃん」と私が呼ぶと兄は笑いながら答えてくれた。
「大丈夫。きっとなんとかなるさ」

あれは全て過去のこと。
十数年前の出来事だった。狂気のままこの家に戻ってきた私は、再び同じ状態に陥った。
父と母に再びあってしまったことが引き金になったんだと思います。
過去の幻影にとらわれていたんだとわかると、いろんな疑問が一気に解決しした。
「タケシ君」は何だったのか?
心の中で作り上げた幻だなんてとんでもない。
タケシ君はあの時の兄そのものです。全ては過去に一度あったことだから。
私は思い出していただけだったんです。数ヶ月にも及んで。
ただ、私の身体はあれから10数年も経ってしまい、妊娠もしていません。
だから腹痛と頭痛の痛みだけが蘇り、意味の分からないことになってました。
会話が噛み合わないのも当たり前です。
かつて同じ質問をしていたら「タケシ君」も答えることができるけど、そうでなかったら答えられるわけがありません。
「タケシ君」は実在してたんだから呼吸音が聞こえたり触った感触があって当然。
私の身体に刻み込まれた触感の記憶が、「タケシ君」に触れるたびに再生されていた。
でも父と母の会話は紛れもなく現実。今この目に映ってる部屋も現実。
私は過去の夢と、目に前ににある現実との間をうろついていたんです。
かわいそうな「ケンジ君」。そんな状態だったら混乱しても仕方ないわ。
過去の幻だって全てが正確に再生されてたわけでもなかった。
現実に戻されて「タケシ君」が消えたりもしてた。
最後には過去の夢にとらわれてずっと苦しんでた。父を殺す「使命」はずっと昔のことだったのに。
私が、「ケンジ君」が生きていたのは・・・そう。
狭間の世界。



4月28日(土) 暗雲

こうして自分を取り戻した今、私が考えなければならないのはひとつだけです。
私を狭間の世界に閉じこめた原因。父と母をどうするか?
特に父は私が狂気の人生を歩むきっかけを作った人間です。
許せません。「ケンジ君」に託していた殺したい気持ち。
私が他の感情を失った中で、これだけはまだ心の中に残ってます。
兄は、健史さんは本当に父を刺した。
あの傷跡が残ってるのは私も「ケンジ君」を通して見てました。
でも生きている。目の前で生きてることが、許せない。
あの二人は私が首を絞めたことに対して恐怖を感じてるようです。
怒鳴ってれば大人しくなる私が抵抗したものだからショックを受けてるのかもしれません。
父は私を避けています。かつては殺されそうになんてなったら拳で応酬するような人でしたが
老人となってはその力も、気力も無くなってしまったんでしょう。
その父を、改めて殺すべきなのか?
やるなら刃物でないといけません。首を絞めるのでは失敗する可能性が高いことは実証されてます。
台所には包丁があるはずです。失うものが何も無い私には父を刺すのに抵抗は感じません。
母はうろたえるでしょうが、後のことなど知らない。
ただ、誰かが言ってたように父を殺してしまったら私は食事にありつけなくなるでしょう。
恐らく母だけでは私を満足に養うことはできないと思います。
養ってくれる人がいなければ私には生きる手段がない。となると捨てられる。最悪の場合、死ぬ。

父を殺そうか迷ってると、ふと「ケンジ君」がいた頃を思い出しました。
昔のでなく、この家に戻ってきてから出てきた二人目の方です。
「タケシ君」に誘われて殺そうとした時は失敗した。
自分から殺しに行った時も失敗。それで私は思いました。
人任せでは成功しない。結局は自分でやらなければいけないのね。
さてどうしましょう。その気にさえなれば老人なんていつでも刺すことはできる。
本当にやってしまっていいのでしょうか。
これが最後の選択です。

殺して、全ての運命に決着をつけるか。
殺さず、無駄に生き続けるか。



4月29日(日) Raindrops Keep Fallin' On My Head

私は台所から包丁を持ち出し、ゆっくりと父親の眠る部屋へ向かいました。
足音は立てないようにしました。つい先週にも同じことをしようとしたのであっちも警戒してるはずです。
ただし、今の私は熱にうなされていない。すべて慎重にことを運ぶことができる。
息づかいから服の擦れる音まで。一つ一つに気を使いました。
いよいよ決着をつける時。感情は失ってしまったけど身体はちゃんと反応する。
心臓の鼓動が早まってきました。
かすかに手が震えてるのに気付きました。
襖を開ける。真っ暗で何も見えない。
目が慣れてきてぼんやりと家具や人の顔の輪郭が浮かんでくる。
布団が定期的に上下する。心臓の位置を目測。あそこら辺ね。
横に膝をつく。包丁を振り上げる。余計なことは考えない。
失敗したらまた刺せばいいだけの話。
抵抗されても大丈夫。首を絞めるのと違って、今の私は圧倒的な力を持ってる。
包丁の刃を下に向けて、大きく息を吸う。
手に力を入れる。
最後に生きてる時の顔を目に焼き付けておこうと、横目で父親の顔を見ました。
私はその場で固まりました。

そこに眠ってたのは、亮平でした。
思わず隣も見ました。母親が眠ってるはずなのに。早紀が眠ってます。
二人ともあどけない顔をしてかわいらしい寝息を立てている。
まだ運命などとは縁のない、何にも束縛されてない安らかな顔。

包丁を元に位置に戻した時には、私は全てを悟っていました。
子供達が気付かせてくれたんです。危うく選択を誤るところでした。
例え相手が誰であっても一度殺したら次へ次へと繋がってしまう。
血みどろの運命です。恨みは恨みを呼び、恨みは狂気に至る。
殺すのは運命の断絶でなく継続を意味する。
それに気づいたから、私の選択は「殺さない」
ただし、呪われた運命には決着をつけます。
思えば私は恨みに束縛されてました。
そしてそれが、子供達へも影響してしまった。
もうたくさんです。これ以上続けてはいけません。
父を殺さなくても終わらせることはできる。実に単純な答えです。

父を許す

こんな簡単なことをどうしてやらまいままでいたんでしょう。
誰かが恨みを断ちきらないといつまでも続いてしまいます。
だから私のところで終わりにしました。
天井を仰ぎ、目をつぶって頭の中を空っぽにしました。
呼吸をするたびに恨みの感情が抜けていきます。
そうしていくうちに、悲惨な記憶を思い出しても「過去は過去にすぎない」と思えるようになりました。
いまこの家にいるのは、私と、哀れな老人二人。これでいいでしょ?『タケシ君』

唯一残った感情が消えてしまうと、私は何も感じなくなりました。
けどそれで構いません。私はここで狂人として暮らします。
感情を失った人間が正気と言えるかわかりませんが、
父と母は私が自分を取り戻したことに気付いてません。このまま生き続けるつもりです。
窓から外を眺めました。外は雨が降ってて日の光を浴びることはできません。
それもいいでしょう。これからの私の人生そのものです。
暗い空を眺めてると、幼い私の子供達が雲の向こうに立ってるのが見えました。
ごめんね。辛い目にばかり会わせてしまって。
早紀のところにはお父さんも来てる?
亮平はちゃんとご飯を食べてる?
二人は笑って頷きました。
私も笑顔で応えようとしまいたが、顔の筋肉が言うことを聞いてくれませんでした。
二人の顔が急に曇りました。心配そうに私を見てる。
ダメ。あの子たちに心配させてはいけない。
私は最後の言葉を語りかけました。

聞いて。あなたたちはね。もう家のことは考えないでいいのよ。
呪われた運命からは、今日限りで解放されたから。
思い出して。子供の頃を。素直に生きてたあの頃を。
全ては始まりに戻ったから。終わりのあとには必ず新しい始まりがあります。
そんな所に立ってないで自分の道を進みなさい。私はここで見てるから。
何を気にしてるの?大丈夫。私は何の心配もいらないわ。
この家には私を養ってくれる人がいるわ。食事も出してくれるし私の部屋まで用意してくれてるのよ。
ね?何の問題もないでしょ?
だからほら。自分のことだけ考えて。
誰も邪魔なんてしないから。もう自分の進む道のことだけを考えていいのよ。
そう、そうやって顔を上げて。前へ。あとはその足を動かすだけ。
行きなさい。思った通りの方向に。
辛かった過去にはとらわれないで・・・・振り向かないで。

あなたたちは、自由よ!



狭間の世界
−完−






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