序章

<追撃編>


第1章 「傷」
 第1週 再会
 第2週 依頼
 第3週 怨恨
 第4週 悪魔

第2章 「鎖」
 第5週 新参
 第6週 裏道
 第7週 到達
 第8週 連結

第3章 「塊」
 第9週 下僕
 第10週 道化
 第11週 対決
 第12週 集結

第4章 「駒」
 第13週 焼跡
 第14週 疾走
 第15週 帰巣
 第16週 追撃

<迎撃編>

プロローグ
 第0週 覚醒

第5章 「溝」
 第17週 来訪
 第18週 濁流
 第19週 虎視
 第20週 奈落

第6章 「膜」
 第21週 裏側
 第22週 下降
 第23週 沈没
 第24週 藻屑

第7章 「戦」
 第25週 本陣
 第26週 奔走
 第27週 失策
 第28週 瞬殺

第8章 「蟲」
 第29週 継承
 第30週 歯車
 第31週 撃破
 第32週 終焉







第十六週 「追撃」

4月3日(月) クモり

「僕の日記」と「カイザー日記」を読んで、川口君はとても複雑な表情をしました。
これに早紀ちゃんサイドからの話も加え、ようやく事の状況を理解できたみたいです。
何故虫が復活できたのかは、お互いわからないままでしたが。
「昔のことを思い出したよ」
私も久々に思い出していました。虫をいじめていたあの頃を。
「これで少し納得できたことがある」川口君が呟きました。
どんな事?
「奥田が『虫をいじめよう』って言った時。俺は『あんなヤツいじめても面白くないだろ』って反対したんだ。
 それでも奥田は引かなかった。その理由を聞いてみたら、『俺はあいつが許せないんだよ』って言ってた。
 何がどう許せないのか、その時はわからなかった。知ろうとも思わなかった。どうでも良かったからしな。」
一息ついてから続けました。
「けど、今ならわかる気がする。心奪われた相手の兄貴がアレじゃぁな。許せないってのも納得できる。」
そう。みんな早紀ちゃんに魅了されている。すべては早紀ちゃんを中心に動いてた。
それは川口君も同じでした。今だから言えるんだが、と前置きをしてから話してくれました。
「俺がずっと『希望の世界』をROMってたのも・・・sakkyがどんなヤツなのか気にになってたからなんだよ」
早紀ちゃん。アナタの知らない所でもファンはいたわよ。

遠藤は昨日の病院には居ませんでした。
代わりに・・・あんなに行くのを嫌がってたあっちの病院に移されました。
風見君の死んだ病院に。岩本先生が勤めていた病院に。
虫が居た病院に。
あの人達は、ただ守りたいだけなのね。早紀ちゃんが遺した「希望の世界」を。sakkyを。
デジタル化された早紀ちゃんの魂を。
それを汚す私達を消したがっている。
ホームページを消すのは死を意味する。そんな事できない。
だから、直接消すことにした。そこに関わる人達を。荒木さんを騙り、風見君となって私達の前に現れた。
何も知らない私達は、ただ翻弄されるだけでした。
踊らされるだけでした。
何も知らなかったんだから・・・。


4月4日(火) クもリ

遠藤の見舞いに行きました。
ムシャムシャと憑かれたようにご飯を食い漁ってました。
箸など使わず全て手掴み。涎や鼻水がご飯に掛かろうと構わずとにかく食い散らかしてます。
目は真剣でした。目には肉、米、野菜しか写ってないません。
私達が話しかけても何の反応もなく、ひたすらガツガツ喰ってました。
こんなになっても生きる意思だけはしっかり持ってる。
例え肉の塊でも、こいつは生きていたいのでしょうね。

私と川口君。残った二人。
「虫が俺達を狙う理由は、もう十分わかった。」
川口君は病院からの帰り、こう話し始めました。
「で、俺達はどうなんだ?」
どうって・・・思わず聞き返しました。
「納得したからって、黙ってやられるつもりなのか?」
私川口君の問いかけにしばらく答えることはできませんでした。
虫や岩本先生がやってきたこと。やろうとしてること。
早紀ちゃんへの想いが、私を殺す。
川口君もしばらく黙ってました。
長い沈黙だった気がします。どのくらい経ったでしょうか。
口を開いたのは私でした。
「けど」
私は心を決めました。
「私は死にたくないわ」
俺もだ。間髪入れずに川口君も答えました。
「それで十分だろ。」

虫たちは私達を殺そうとするでしょう。
遠藤のように人格を壊される?それとも本当に殺される?
私は嫌です。生きていたい。
川口君の言った通りよ。それだけでいいはずよ。
例え私達が虫や岩本先生を殺すことになろうとも。いくら他人を壊しても。
その理由はコレで十分。
私が生きたいから。


4月5日(水) あメ

風見君の葬式には呼ばれませんでした。
けど、風見さんは「今日やる」との連絡だけはしてくれました。
相変わらず何の感情もこもってないように聞こえました。
なんとなく風見君に最後の挨拶をしたかったので
一目だけなら見に行っていいか聞いてみました。
「それなら構わない」とのことでした。
私は一人、風見家に行きました。

・・・・風見君の笑顔の写真を見ると、あの子は普通の中学生だったことを改め実感させられます。
彼をおかしくしたのかなんだったんでしょうか。
「希望の世界」。ここに関わったせいでしょうか。
もうそんなことは考えなくてもいい。
骨となった風見君。
安らかに眠りなさい。
私の用はこれだけだったのですぐに帰ろうとしました。
別れ際、風見さんと少し話をしました。話し掛けてきたのはあっちからでした。
「私のことを変だと思う?」
いきなり言ってきたので少し驚きました。けどその答えはすぐに出る。いつも思ってることだから。
思います。
「息子が死んだのに悲しんでる様に見えないから・・・でしょ。」
私は黙ってうなずきました。ああ、この人も一応自覚はしてるんだ、と思いました。
風見さんは話を続けます。
「正直、私もなんで悲しくないのか分からないの。」
ああそうですか、と心の中では聞き流してました。
「本当は・・・とても悲しいのに。」
その言葉に私は耳を疑いました。嘘でしょう。そんなはずない。だって全然そんな風には・・・
「なんか現実感が無くって」
それはつまり?頭の中で色々考えました。そして結論が出てしまいました。
これ以上話してると私もどうにかなってしまいそうでした。
だからその場はもう帰ることにしました。
相変わらず無表情に手を振る風見さん。
けど、その奥にある思いは。
あの人はやっぱり風見君が死んで・・・いや、行方不明の時点でもう、十分悲しんでいたんだ。
だけどそれを認める事ができなかった。認めたら悲しみに押しつぶされてしまうから。
無関心になることで・・・現実を断ち切ることで、それを押さえていた・・・。
日が経つにつれ、それは限界を迎えるでしょう。
現実を認めなければならない時が来るでしょう。
その時はきっと、ずっと押さえつづけきた感情が一気にあふれ出るはず。
そうなったら風見さんは・・・・
もう考えるのは止めました。これは全部私の考え。
合ってるかもしれないし、間違ってるかもしれない。
それでも私の中では何かわからない感情が巡っていました。
哀しいのか。切ないのか。それはもうよくわかりませんでした。
ただ、私には無表情の奥に隠れた感情が読めなかっただけ。
それだけなのよ。

無表情。私は虫のあの顔を思い出しました。
虫はあの無表情の奥に、どんな想いを秘めているんでしょうか。
荒木さんを騙って私の前に現れた時、それが読めてればこんなことにならなかったかもしれない。
早紀ちゃんを。私は早紀ちゃんを侮辱したのかな?
それは考えるまでも無いことでした。
もし、虫にすべての記憶が戻っていたのなら・・・・
私が「希望の世界」に居るのは許しがたいことのはず。
だって、私は虫に酷い事をしてきたんだから。
そんな女が大切な場所に土足で踏み込んできた。
大切なsakkyの居場所に、踏み込んだ。

川口君。私は無性に川口君と話をしたくなりました。
川口君には虫との因縁があまり無い。
それだけでなぜか救われる思いでした。
虫の呪い・・・。そうだ。学校で流行った「虫の呪い」
私は呪われた。虫の呪いが私の体に巻き付いている。ベタベタと絡まり、離れない。
私をそこから解放してくれるのは、川口君か。それとも・・・
虫本人なのか。


4月6日(木) くモリ

川口君と目的地に向かうまで、少し話をしました。
「放火やひき逃げの犯人は俺達もうわかってるんだ。警察に言っちまえばそれで終わりだろ」
そうね。私は相槌を打ちましたが、本当は別のことを考えてました。
「けどそれは、できねぇよな。」
私は何も答えませんでしたが、答る必要なんてありませんでした。
お互いもう分かってることです。
「俺達でケリをつける」
虫の家へ。
川口君と二人で乗り込みました。

居る気がしました。野暮ったい言い方だけど・・・気配を感じました。
いざ家の前に立つと、思わず小さく震えてしまいました。
川口君が金属バットでコツンと足を叩き、「大丈夫か」と心配してくれました。
大丈夫。川口君の声を聞いて震えは止まりました。
こっちには破壊神がいる。負けるわけないわ。
顔を見合わせました。川口君がうなずきました。
私は覚悟を決めて、家のチャイムを鳴らしました。
数秒の沈黙。その後インターホンから声が聞こえてきました。
「開いてるよ」
岩本先生の声でした。
ノブに手をかけるとカギはかかってませんでした。
ドアを開け、私達は入りました。

岩本先生は居間のソファに座ってました。
私が良く知る格好でした。病院で見たときの白衣。
きれいに片付けられた部屋にソファが二つ、私達の方に向いてました。
もうひとつのソファに座ってるのは・・・虫。
怖いくらいの無表情。傷だらけの顔。私達を、いや私を見ています。
虫は今何を思っているのか。私には読めませんでした。
「もう少し早く来るかと思ったよ」
岩本先生はソファから立ち上がりました。
少し首をまわし、体を解していました。
「3日前から家でスタンバイしてたんだけどな。まぁ心の準備とか考えるとこんなもんか。」
虫はただじっと私を見てるだけでした。
岩本先生が話してるのを気にも止めず、私の事を見ています。
睨んでるのか。傷だらけの顔からはそこまでわかりませんでした。
「さて」
私と川口君に、何か確認するように視線を送ってきました。
ゴマをするような感じ軽く手を合わせ、イタズラっぽい笑みを浮かべました。
「いつでもどうぞ」
この言葉が合図でした。
川口君がバットを振り上げました。
広い家。家具はソファと空の食器棚だけ。テーブルも椅子も無い。
それが余計に居間を広く感じさせました。
川口君が暴れまわるには、十分な広さです。
岩本先生は動きませんでした。川口君が踏み込んできても笑みを浮かべたままでした。
何も持ってない。素手とバット。結果は見えたようなもの。
私は岩本先生の最期を見届けるべく、視線は外さないようにしました。
川口君が雄たけびをあげました。バットが風を切り、ビュっと音をたてました。
一撃で終りね。さようなら、岩本先生。
ドン、と轟音が鳴り響きました。
私は目を疑いました。
川口君は、バットを握ったままこれまで見たこともないような表情になりました。
岩本先生がケケケと笑いました。
バットの頭は地に着いてます。床が少し削れました。
虫は相変わらずの無表情でそれを見つめてました。
川口君がもう一度バットを持ち上げ、襲い掛かりました。
しかし結果はまた同じ。
岩本先生は、素手でバットを弾いてました。
何度も何度も川口君はバットで攻撃しましたが、素手で弾かれたり、避けられたり。
川口君は叫んでます。それでもバットは空しく空を切りつづけます。
何度目かの攻撃。岩本先生が動きました。
それは、一瞬でした。
すごい勢いで放たれた右ストレートは、川口君の顔面を直撃しました。
激しく倒れこむ川口君。さらに首を掴まれ、壁に叩きつけられました。
その弾みにバットは手から離れ、カランを音を立てて床に転がりました。
ドボドボと鼻血が流れています。
私は呆然としたまま、その様を見ていました。
「ケンカが強いだけで破壊神か。いいよなガキは。それで強いと思われて。」
川口君は後頭部を打ったらしく、呻いて体の動きも鈍くなってます。
そこに岩本先生が馬乗り状態になりました。白衣が川口君の血で染まります。
「昔な。恋人がイジメラレッコだったんだ。」
首を締め上げられました。口から少し泡が出ました。血と混じって赤い泡に。
川口君は必死に岩本先生の腕を掴みましたが、それ以上の力で押さえつけられました。
「それで俺は、彼女を救う為に強くなろうと決意した。身も、心もだ。」
岩本先生は右手を離しました。左手だけでも川口君は解くことができませんでした。
右手が川口君の顔を包む。5本の指をいっぱいに使って、顔を締め付けていました。
真っ赤な手は、深紅の蜘蛛のようでした。
「お前にはあるか?そうゆうモノが。」
顔全体を包んでいた指が血で徐々にずれていき、中指と薬指が川口君の左目に掛かりました。
彼は悲鳴をあげました。指が、そのまま目に食い込んでいく。
「何も持たないガキに、俺が負けるわけないだろ。」
赤く染まった指は、川口君が流してる血の涙のようにも見えました。
更に指が食い込んでいく。足をバタバタとさせて暴れる川口君。
両手で必死に腕を掴んでいましたが、完全に力負けしていました。
2本の指は、もう第一関節まで入り込んでる。
川口君の左目が、目に見えて盛り上がっていきました。
立ちすくんでいた私は、思わず目を逸らしました。
次の瞬間、顔を捕まれ再び川口君へと顔を向けさせられました。
・・・虫でした。
虫が私の顔を掴み、この凄惨な光景を私の目に焼き付けさせようとしています。
手を解こうとしました。けど、私の力ではどうすることもできませんでした。
「渡部さん」
虫が口を開きました。
「君を破滅させるのは簡単なんだよ。」
その声は荒木さんとして現れた時と変わってませんでした。
懐かしさすら覚えるその声からは、何の感情も感じることはできません。
私は既に動くことすらできない状態でした。
震ることすら通り越し、足はただ氷の様に固まるだけでした。
恐怖が私を包んでました。
それでもかろうじて声を出しました。前から思ってたことが言葉になってでてきました。
虫に向かって、上擦った声で言いました。
「記憶は。どこまでの記憶が戻ってるの?」
虫は私の顔を両手で掴みました。そしてグイっと自分の顔の前まで引き寄せました。
間近で見る虫の顔。傷が、おぞましい傷が目の前に。
「全部だよ。」
さらに顔を引き寄せました。
鼻がくっつきそうになるくらい。虫の落ち着いた息と、私の恐怖に震えた息が絡み合う。
目を見つめられました。虫の瞳に写る私は、涙を流して忌ました。
「学校。希望の世界。お腹の痛みで目覚めたこと。病院でサキになってたこと。そして早紀が、死んだこと。」
私は小さく呻きました。
「全部だ」
その声とほど同時に、虫の後ろからなにか変な音が聞こえました。
グチャリ。何かが潰れる音でした。
虫が私を離しました。岩本先生が立ち上がるのが見えました。
川口君。川口君は・・・・
彼は下を向いたまま、涙声でこう呟いてました。
「ちくしょう・・・・ちくしょう・・・・」
手に何かを持っています。
それが何だか分かったとき、私は気を失いそうになりました。
失ってしまいたかった。けど、無情にも頭ははっきりしたままでした。
それは、潰れた眼球でした。
「俺達はもう行く。二度と会わないことを願うよ。」
岩本先生が血染めの白衣の裾を直しました。
「ああ。でも最後にもう一回だけ会うかもな。」
ケケケと笑い、岩本先生はこの場を後にしました。
虫も後ろに付き添い、そのまま出ていきました。
部屋を出る前、虫と私は目が合いました。
彼は、最後まで無表情でした。
少しすると車庫のシャッターが開く音がしました。
そしてエンジン音が。
車の音はやがて遠のいていきました。
音が完全に聞こえなくなるまで、私はずっと動くことができませんでした。

普段なら救急車を嫌がる川口君も、この時ばかりは大人しく従ってくれました。
残った右目で、ずっと涙を流してました。
初めてみる川口君の涙。それが片方だけなんて。
救急車を呼ぶだけ呼んで、私はその場を離れました。
川口君は黙って頷いてそれを承知してくれました。
少し離れた所で救急車が来るのを見届けてから、私は家に帰りました。
すぐにトイレに駆け込み、嘔吐。
咳き込みながらも、胃の中のモノは全て吐き出していました。
涙が止まりませんでした。
膝に力が入りませんでした。
腕にも力が入りません。
動くのは、キーボード叩くこの指と、画面を見つめるこの目だけ。
頭もうまく働きません。
私は何も考えることもできず、ひたすら今日の出来事を綴っています。
頭の中では、今日のあの凄惨な光景だけが焼き付いてる。
離れない。
目を瞑っても、離れない。
ハナレナい


4月7日(金) ハれ

圧倒的敗北を喫した私達。
遠藤は心を失い、川口君は誇りと左目を失った。
私は何を失うのでしょう。
家族・・・家族でしょうか。
最近様子のおかしい私に、家族は良く気遣ってくれてます。
それは他人のように、何処かよそよそしいものでした。
浪人生にもなって、予備校にも行かず、日々ただフラフラとでかける私。
それを咎めもせず見守る家族。その目は暖かく、そして辛く私に突き刺さります。
けど、この人達に罪はない。
消すわけにはいかない。
消させない。
消えないで。

川口君の声はとても弱々しかった。
日も暮れた頃、突然川口君から電話がありました。
「今から会えないか」
それより聞きたいことはたくさんありました。
あれからどうなったのか。もう怪我は平気なのか。痛むのか。
川口君は私の質問には答えず、一言だけこう呟きました。
「病院、逃げてきた」

夜の公園で川口君は一人、ベンチに座って天を仰いでました。
左の顔半分に撒かれた包帯はとても痛々しく見えました。
右半分の表情も、いつもの川口君の表情ではありませんでした。
目に覇気は感じられず、頬も心なしか痩けているようでした。
病院から抜け出してきて大丈夫なのか聞いてみました。
「痛み止めはたんまりくすねてきた」とだけ答えてくれました。
だからって・・・他にも色々
言いかけたところで川口君が手で制しました。
「なぁ。今からウチに来ないか?」
何も考えることなく、私は川口君に付いていきました。
川口君の家に興味があったのかもしれません。
かつて破壊神だった人の家に。

川口君の家。マンションの下までは行ったことあるけど、中に入るのは初めてでした。
決して質の良いとは言えない・・・なんというか、質素な家でした。
「ウチは貧乏だからな」と川口君がミもフタも無いことを言いました。
家には誰もいませんでした。弟さんがいないのはわかるけど。
誰もいないのね。思わず言ってしまいました。
川口君は少し寂しそうな顔をしました。
「オヤジはいない。おふくろは滅多に戻らない。たまに金だけ口座に振り込むくらいさ。」
聞いてはいけない事を聞いてしまったみたいです。
絵に描いたような苦労人。でも・・・現実問題として、私のような「普通の家」ばかりなわけないのよね。
こんな家だってある。やっぱりそんな家の子供って・・・・不良になるんだ。
場違いでしたが感心してしまいました。不謹慎でしたが優越感も感じていました。
川口君の言葉でそれらは全て吹き飛びました。
「ホントに何も持ってないんだよ」
昨日の岩本先生の言葉を思い出しました。川口君も思いだしていたでしょう。
こたつの横に座り込みました。右目は下を向いたままでした。
「だから俺は強いんだと思ってた。」
私は何も言えませんでした。何て言っていいのかわかりませんでした。
私はあまりに無力です。川口君ほど強いワケじゃない。ましてや岩本先生になんか勝てるワケない。
虫にさえ、勝てない。家族は消えて欲しくないと思った。けど私に、守る力なんて、無い。
川口君の右目に涙が光りました。妙に眩しく見えました。
そして、自分でもよく分からないのですが・・・私は川口君の横に座りました。
肩を寄せました。手に触れました。自然の流れです。
私達はその場に倒れ込みました。

夜遅く家に帰っても、家族はやっぱり何も言わずに迎えてくれました。
一人ベットに寝転がると、ふと早紀ちゃんの顔が浮かんできました。
少し早紀ちゃんに近づいた気がしました。
私は早紀ちゃんになれるのでしょうか。
なれたら何か変わるでしょうか。
もう遅いかもしれないけど。
何もかも。
遅い。
遅すぎた。

私はもう、逃げられない。


4月8日(土) ヤミ

私を崩壊に導いたのは、一本の電話でした。
携帯に。何故岩本先生が私の電話番号を知ってるのか一瞬疑問に思いました。
けどそれは考えるまでもないことでした。
私は以前、携帯を早紀ちゃんに貸している。どっかに番号をメモっててもおかしくない。
あるいは早紀ちゃんのメモ帳に私の電話番号があったのかもしれない。
私は岩本先生の声を聞いたとき、驚くほど冷静にそんな分析をしていました。

「よぉ」と岩本先生。「こんにちわ」と私。
「もう少ししたらそっちに警察が行く。多少時間はかかるかもしれないが。」
何を言いたいのかわかりました。
そしてこの一言で、私は何を失うのか分かってしまいました。
失うのは、私の未来。
家族は無事だった。そう思うのも束の間でした。
違う。これは私が未来を失うだけじゃない。家族にも。家族にも迷惑が。
岩本先生は私の動揺を察したのでしょうか。沈黙する私を無視して話続けました。
「さんざん遠回りしてきたけどな。やっと引導が渡せるよ。」
私はまだ口を開きませんでした。岩本先生の話は続きます。
「最初はな。遠藤を差し向けてアンタを刺すつもりだったんだ。その為に『sakkyを守る会』なんてのも作った。」
私は何も言いませんでした。
「遠藤を煽るのは簡単だった。そっちもうまいこと煽れたと思ってたよ。」
私はまだ何も言いませんでした。
「要はあの場に来てくれれば良かったんだ。友人の謎の自作自演。その答えを知るために、ってトコかな。」
何も言いませんでした。
「最後の一押しも用意した。しかしお前は、あのメールを読まなかった。」
ああ、あれね。と小さく呟きました。
「それまでに十分煽りは効いてたんだな。そして、お前はあろう事か・・・あのおかげで予定が狂ったんだ。」
私はクスリと笑いました。
「急遽計画を変更だ。遠藤は待機させ、そごうには俺が直接行った。」
私はまた黙り込みました。
「その時はお前をヤルつもりは無かった。あんな事の後だ。様子を見ようと思ってね」
黙って話を聞いてました。
「お前は、あの場に現れた。だがおかしな行動をとるだけで、何もせずに帰っていった」
そうね。
「いつの間にやら川口なんて野郎も出てきた。何もかもやり直しだったよ。」
そうね。
「話をややこしくしたのはお前だ。」
そうね。
「何故荒木の家を燃やした?」
アナタ達が煽ったせいよ。
「そうか。俺達が思っていた以上に彼女との傷は深かったんだな。煽りすぎたってワケか」
川口君はアナタが燃やしたと思ってます。
「お前がそう吹き込んだからだろう?」
彼が勝手に勘違いしてるだけです。
「まぁどっちだっていいさ。思えば一番かわいそうなのは荒木家だな。俺達はターゲットにするつもりなかったのに」
とばっちり喰らっちゃいましたね。
「そうゆうことだ。けどお前の行動は正解だよ。そのおかげで予定が変更され、お前は死なずに済んだんだ。」
凄い。
「だが、お前のおかしな行動はまだある。」
何でしょう。
「お前がsakkyとなったのは風見の日記を読んだから知ってる。けど何故だ?なんであんな日記を書く?」
どうゆう意味ですか。
「荒木が死んだ後、掲示板でARAを生かし続けたのは健気だったな。けど、川口も一回『ARA』で書き込んだだろ」
ありましたね。そんな事が。
「その後の事だ。『a』の書き込み。日記まで『a』で埋まってやがる」
そうでしたね。
「遠藤に『浄化』と称して真似させたけけど・・・日記の『a』はお前しかできないはずだ。」
岩本先生は?
「俺達は『希望の世界』の更新には手をつけていない。」
じゃあ私?
「それしかいないだろ。なんなんだったんだ?アレは」
あ、今思い出しました。あの時も普通に日記を書こうとしてたんです。
でもダメだったんです。手が勝手に動いちゃうんです。
ほら見て下さい。今でもほらなんかちょっと気を抜くとaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa
感情を込めた文章を書こうとすると手が言うことを聞きません。
だからもう私には淡々と物事綴ることしかできない。
「狂ってる」と岩本先生が言いました。「アナタもですよ」と私は言いました。
「遠藤の家を燃やしたのはなぜだ?仲間にしたんじゃなかったのか?」
私は仲間にするのは反対だったんです。
「そうか」と答えると同時にため息が聞こえてきました。
「いずれにせよ、お前はもう終わりだよ。」
警察にタレ込みでもしたんですか。
「まぁそんなトコだ。」
私、もうお終いなんですね。
「放火だ。しばらくは出られないだろう。出てもお前に未来は無いだろうな。家族に別れでも告げておきな。」
家族に迷惑をかけたくありません。
「残念ながら、迷惑だらけだろう。」

「もう遅い」
そんな
「それからお前、知ってたか?ホンモノの荒木が家に戻ってたの」
それはつまり
「そう。お前が燃やしたんだよ。」
岩本先生がケケケと笑いました。私は笑えませんでした。
携帯を片手に引き出しを開けました。荒木さん生存の訂正記事。
私が書いた訂正記事。私の希望。私の願望。
脆くも崩れ去りました。
「どうした?何故黙ってる?」
私の沈黙を楽しんでるような声でした。私はクスンと泣いてました。
「それからいいことを教えてやろう。風見を殺したのは俺だ」
思わず「え?」と聞き返しました。
「俺がヤツをズタズタに切り裂いたんだよ。」
息が止まりそうでした。
「病院の方では何て言ってた?あいつらギリギリまで隠してただろ?」
ボイラー室で燃えてたって。棒読みで言いました。
ケケケと笑い声が聞こえました。
「病院ってのはな。体裁が大事なんだ。特に医者が患者を殺したなんて、口が裂けても言えないんだよ。」
じゃあアレは。私が病院の人達に感じた不愉快感が蘇ってきました。
怒りも込み上げてきました。それは涙となって私の体から出ていきました。
「そうだ。お前あのメールに込められたメッセージに気付いたか?」
メッセージ。
「そう。荒木の名で送った最後のメール。簡単な謎解きだから、サツがくるまでの暇つぶしにでも。」
思い出そうとしましたが、岩本先生が話を続けたので断念しました。
「お前達は『希望の世界』の駒に過ぎない。醜く踊って動き回る。」
駒?
「俺達は目障りな駒を排除して、綺麗な姿に戻したいだけなんだ」
自分勝手な人。これが正直に出た私の感想でした。
「俺達はもう家には戻れない。それこそこっちが捕まっちまう。」
だから行くんですね。
「そうだ。もう二度と会わないだろう」
奇妙な寂しさが込み上げてきました。岩本先生に会えなくなるからじゃない。
私はこれで終わるのだと、感じたから。
「最後に何か聞きたいことはあるか?」
たくさんあった気がしたけど、もうどうでもいいことばかりでした。
それでも最後に、一つだけ。気になることがありました。
「虫は、亮平君はそこに居ますか?」
「いるよ」と答えた後、しばらく声が遠のきました。
そして、彼が受話器を取りました。
「もしもし」と虫が。私も「もしもし」と言いました。
私はたくさんの語らなければならないことを無視し、たった一つだけ質問をしました。
「アナタの傷は、どうしてできたの?」
不思議な間がありました。永遠に続くかと思われた沈黙。
答えが返ってきました。
「君には関係ないよ」
電話が切られました。
ツーツーと鳴る携帯電話を、電源を切ることなくしばらくそのまま持っていました。
無性に笑いが込み上げてきました。声を上げて軽く笑いました。
可笑しいかった。気分良く笑いました。
関係ないよ、だって。虫らしい!
心ゆくまで笑ってました。

それから警察が来るまでの間、本当に色々なことを考えてました。
結局家族は消されなかった。みんなに心の傷は残るでしょう。その意味じゃ、守りきれなかった。
放火犯の娘。家族に刻まれるレッテルを考えると気が重くなります。
でも全て私の罪。受け入れなければならないのでしょう。
不思議なほど覚悟が決まってました。
昨日川口君と結ばれた事で、吹っ切れたのかな?
岩本先生に言われたメールのことを思い出しました。
「荒木さん」から受け取った最後のメール。
謎解き?これに何か。
それはメッセージを開く前にあっけなく気づいてしまいました。
クスっと少し笑ってしまいました。芸が細かいわね。タイミングを狙う練習でもしたのかも。
着信時間。16:27。4時27分。
シ ニ ナ

警察のことを考えてみました。なんで私を捕まえる事ができなかったんだろう。
あの時着ていた黒い衣装。それが功を奏したのか。闇の溶け込んでいたのかも。
遠藤の家は?あれはわからなくて当然かもね。遠藤と私の接点はネットだけ。そのパソコンも燃えてしまった。
それにしても私は。
いつからこんなにおかしくなってしまったのでしょうか。
気に入らない人を燃やす。その事に何の躊躇もなかった。
虫達に踊らされる中、私は一人自分のステップで踊っていた。
いつから、おかしくなったんだろう。
あの時?早紀ちゃんが死んだあの時から?
早紀ちゃんの悲惨な姿を見た。
風見君は叫び声を上げて激しい狂気に走った。
私は涙を流し、静かな狂気に蝕まれていった。
その時から正気の私は消えてしまったのかもしれません。

家の前に車が止まりました。窓から何気なく眺めてました。
パトカーじゃないのね。気を使ってくれちゃって。
出てきた人は、明らかに「私服警官」でした。ドラマでも見てる気がしました。
ピンポーン。家中に乾いた音が響き渡りました。私の頭の中にまで響いてきました。
車にはまだ人は残ってます。警察じゃ無い可能性を考えてみました。
それも下から聞こえてるお母さんの叫び声でかき消されました。
「警察!?ウチの子が何か!?」と甲高い声が聞こえてきます。
お母さん。反応が分かり易すぎだよ。
ドタドタと階段を上がってくる音が聞こえます。
ふと妙な既視感を感じました。
これは?ああそうだ。
「僕の日記」でもこんなシーンがあったわね。
確かそれも、私を地獄に突き落とすきっかけとなっていた。
皮肉なものね。
そう言えば虫の家って私の家と構造が似てたわね。
感心してると、お母さんが鍵の掛かったドアをドンドンと叩いてきました。
「美希!開けなさい!」と悲鳴にも似た声です。
ちょっと待ってて。日記を書き終えてしまうから。

最後にもう一度窓の外を眺めてみました。
この景色を再び見れるのはいつになるんだろう。
慣れ親しんだ光景も、今では遠く感じます。
ふと警察の車の向こうに誰かいるのに気付きました。
・・・川口君でした。ボロボロの原チャにまたがって、私の部屋を見つめてます。目が、合いました。
昨日私は川口君の腕の中で、全ての罪を打ち明けました。
彼は何も言わずに私を受け止めてくれました。
黙って、そして暖かく、包み込んであげました。
私も彼を抱きしめてあげました。
私達は、お互いの傷を舐め合っていました。
川口君はこうなることは察していたのでしょうか。
見送りに来てくれたの?
窓越しに彼に向かって手を振りました。
川口君は首を横に振りました。
思わず笑ってしまいました。
もう、なにもかも遅いのよ。
ほら。お母さんの声も大きくなってきてる。いつの間にか弟とお兄ちゃんまで。
直にドアは開けられるでしょう。
最後に窓の向こうの川口君に向かって言いました。

ありがとう

涙が溢れてきました。
川口君。また首を横に振っている。
無駄よ。もう、何をやっても。
私はこれで終わりなんだから。
素敵な未来はないでしょう。
地獄へ堕ちて参ります。

日記もこれで終わりです。










4月9日(日) オワラナイ

まさか最後にもう一回だけ書くことになるとはね。
それに、自分の部屋に忍び込んでいるのは不思議な気分です。
ありったけのお金と、服とか当面必要なモノを鞄に詰め込み終えました。
すぐにでも行くべきなんだけど、ちょっとイタズラ心が芽生えてしまいました。
家族に見つからないよう、ひっそりとキーボードを叩いてます。
どうしても、昨日のことを書きたかったから。

川口君。彼はやっぱり破壊神でした。
彼は私が捕まる時、首を横に振っていました。
その意味はすぐに分かりました。
私が車に乗る直前、彼は警察を襲いました。
車に火炎瓶を投げ込みバットで警官を殴り倒していった。
不意を突かれた警官達に一瞬の隙が生まれました。
そこで私は、逃げました。
川口君は原チャで私を連れ去りました。
先に車を潰しておいたのは大正解。さすがに人の足よりも原チャの方が早かった。
背後の叫び声はすぐに聞こえなくなりました。
お母さんの声も、警察官のヒトタチの声も、聞こえなくなった。
私は既に罪人です。
川口君も戻ることのできない罪を犯した。
その二人が一緒に逃げる。
私達、これで立派な逃亡者。

川口君曰く「秘密の場所」で(と言っても単なるあやしいビルの中)で一夜明かしました。
「ウチは今、酷いことになってるだろうな」と川口君が漏らしていました。
当然よ。警察官を殴り倒したんだから。
「俺達もう、戻れない」
戻るつもりもないんでしょう。
それでも最後にちょっとだけ頼みました。何も持たないででてきたから、色々取り戻りたい。
川口君は「旅行じゃないんだぞ」と呆れてましたが、なんとか承諾してくれました。
家族もまさか、私が戻るなんて夢にも思ってないでしょう。

灯台下暗しという諺がなぜ存在するのか、今日は実に良く体感できました。
家の周りに警官はいない。家族も寝静まっている。
窓のカギは開けっ放しにしてきたから入るのは簡単でした。(外から2階にあがるのは少し辛かったけど)
こんな夜中にこっそり帰宅。スパイみたいでドキドキしました。
そして静かに日記の更新。

私は荒木さん一家を殺しました。自分の家族も裏切りました。
これからも罪を重ね続けるでしょう。
映画の悪役の様で、私は少しワクワクしています。
こんな気分になる事自体おかしいのかな?
それでも構わない。
正気など、もう無いのだから。
外には片目の川口君とボロボロの原チャが待っています。
片目で運転なんて危険。それに原チャも壊れ気味。
けどこれこそ、私を迎えてくれるのに相応しい。
今の私に普通のモノなど似合わない。
川口君。壊れモノ同士仲良くやりましょうね。
私達には、やらなきゃいけないことだあるんだから。

虫は逃げた。

私達から全てを奪い、闇の中に消えていった。

しかし私は生きている。川口君も生きている。

多くのモノを失った私達。

やるべきことはただ一つ。

虫を追う。


今は影で笑うがいいわ

闇に醜く這う姿

いずれ引きずり出しましょう

そして出てきたその時に

私が潰して差し上げます



- 第4章 「駒」 続・ワタシの日記 -  完

追撃編 終了
・・・・・・・・・・・・迎撃編へ






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